風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

2009年大晦日随感

2009-12-31 23:36:39 | コラムなこむら返し
 年の瀬、それも大晦日??なのに、ちっとも今年も終わるのだという気持ちがしない。大晦日も元旦もないバイト仕事のせいだろうか。なにしろ盆も正月も関係なしに、飲み食いし排出するみなさんの排出物を処理するために基本24時間稼働の現場がボクのバイトする場所なのだ。
 (隣でかかっていた「紅白歌合戦」に、丁度スーザン・ボイルが出演し歌った。素晴らしい歌声だった。ボクはスーザンのCDは発売日に買った。でも、日本版より千円も安かった輸入版で……)
 それでも、大晦日の今日は休みで、午後から大掃除をした。ガラス拭きもした。破れた障子貼りもした。たまった新聞の整理もした。そして、年越しソバを人並みに食べ、昨日、新宿でもらったチラシを読む。
 そのチラシはどうやらハローワークが配布したチラシだったようだ。「住まいのない方に年越し支援」というものだ。ハローワークによる手続きで国と東京都の食事、宿泊、生活相談といった支援が受けられると言う内容だった。昨年のような「年越し支援村」の再現を食い止めるために国(政府)と、東京都は今年は官製の支援設備を代々木のオリンピック村など数カ所に設けた。このような対応は今年年末に136自治体が実施したらしい。28日から明けて4日朝まで(朝食まで)のこころやさしい支援だ。ためにか、釜ヶ崎の野宿者が減っているのだそうだ(朝日新聞29日付け朝刊)。逆に炊き出しは確保できるのだろうか?
 ボクが新宿駅でもらったチラシは奇妙なことに西口公園などでは配布されなかったと聞く。あまり多くなって対応できなくなるのをおそれたらしいという話だった。ホームレス支援を続けているグループは、そんな国と都の支援に疑問を呈しているということだった。
 ところで、このハローワークの「ワンストップ・サービス」を発案したのは、民主党政権になってから内閣府参与となった湯浅誠氏だった。その評価はこれからだ。昨年の村長が、今年は内閣府に入っているというウソのような現実は見つめていたい。


偏愛のシネマ作品/ベスト3

2009-12-27 00:00:02 | コラムなこむら返し
 新しいイベントのしょっぱなのテーマ「森ガール」に紛れ込ませてボクは、少年時代から偏愛するある映画に触れないわけにはいかなかった。それが『シベールの日曜日』だった。この映画は日本公開は1963年(昭和38年)で、その年の『スクリーン』誌の洋画部門のベスト3に選ばれている。ちなみにこの作品はアカデミー賞の外国語映画部門のオスカーを受賞した。
 この映画は近所の「根津アカデミー」(文京区根津二丁目あたりにあった名画座)で見た。ボクは15歳くらいで、多感な年頃だったが、中学生ころから「鍵っ子」だったボクは、よく「根津アカデミー」に通っていたのだ。以前、ジュール・ヴェルヌのことを書いたときに触れた『悪魔の発明』(カレル・ゼマン作品)もこの映画館のスクリーンで見たものだ。→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20050402
 そこはボクにとってのアカデミー=学士院だったに違いない。世界中の風土をそこで学んだ。ギリシャ、タヒチ、アメリカ、フランス、アフリカなどなど……。

 そもそもボクが映画好きになったのは、こういう事情だったのかもしれない。東京に来て母が電気工事士のS氏と暮らしだし、新しく出来た親戚にS氏の妹さんがいて、つまり叔母に当たるこの人が浅草の「大勝館」のモギリをやっていた。当時は文京区千駄木三丁目に住み始めた頃で、小学生のボクは「大勝館」を顔パスで入ることができ、ロボットロビンが出てくるSF映画『禁断の惑星』などをタダで見ていた。浅草が銀座にならぶ、繁華街でにぎやかであった頃だ。

 ボクは、小学4年生くらいで編入され道灌山の坂の上にあった千駄木小学校に通った。ヨタロウ(ヨタロウは落語からもあったが、その頃あった人気マンガの主人公の名)と呼んでいたYくんと仲良しになり、マンガを共作した。彼は坊主の息子で、ボクに「地獄絵」などを見せてくれた。友人としてのユタロウくんとの共通項はSFとマンガ好きだったことで、それもボクらはジュール・ヴェルヌを好んだ。
 永遠の引っ越し少年だったボクとともだちになったヨタロウは、ボクとは違って「カギっ子」ではなかったせいか、ボクのようには頻繁に映画に通うことはできないようだった。そんな金をどこから工面したのか、いまでも不思議なんだが、ともかくボクは洋画は根津アカデミー、邦画は動坂シネマとよく行った。東映映画と貸本マンガで育ったようなボクの好みは圧倒的に洋画だった。
 記憶にある限りの作品で、60年代半ば当時見たベストスリーを選ぶなら以下の作品を押す。その後、長い間偏愛し、また見たいと願い続けていた作品である。

1.『春のめざめ』ギリシャ映画、1963年(日本公開1964年)
2.『シベールの日曜日』フランス映画、1962年(日本公開1963年)
3.『チコと鮫』イタリア/フランス合作、1962年(日本公開1963年)
次点、『悪魔の発明』チェコ、カレル・ゼマン、1958年

 個別の作品については稿をあらためよう。


「空気人形」はゴーダ版のピノキオだ(4)

2009-12-25 00:07:34 | アート・文化
Goda_philosophia そもそもゴーダ哲学は、もちろん業田良家流哲学という意味があるにせよ、マルクスの『ゴータ綱領批判』のなにがしかのパロディも含まれているに違いない。社会民主主義であった当時のドイツ社会主義労働者党(ふたつの左派政党が統一された時、ゴータで書かれた綱領。1875年)を批判したこのマルクスの文章(おもに書簡)は、言い換えるとプロレタリア革命の「代用品」としてのパルタイ(党)の構造改革主義を批判したものに違いないからだ。
 マルクスには確信があった。自然すなわち資源に対して労働者がその所有者としてふるまう時、真実の使用価値を生み出す、と。こうして精神労働と肉体労働の対立が消失した時、富はその能力において必要に応じて各人に分配されるものとなる。そして、それを実現するものは「革命的過度期」としてのプロレタリアート階級の独裁しかありえない。資本主義から共産主義への移行の過度においては、革命を通じてプロレタリアートが政治的にも、社会的にも政権を担うしかない。万国の労働者団結せよ!

 それは、マルクスにとっては代用が効かないものだった。『ゴータ綱領批判』はリープクネヒトらの作った綱領を批判することによって、プロレタリア革命のヴィジョンをより鮮明にする作業だった。

 さて、われらが『ゴーダ哲学』においては、代用は可能なのだ。究極においては、労働はロボットに、家庭生活さえもロボットが営んでいる!
 人間は「役割」を放棄してどこかへ行ってしまうのだ。召使い役どころか、生産のいやもっと言えば、生活の主体さえもロボットが代用する。
 ラブドールは、新しい商品と交換され、さっさと捨てられてしまう。みずからコストを計算するロボットは、自分を破棄して買い替えることを進言する。とすれば「富はその能力において必要に応じて各人に分配される」その主体は、いまやロボットであり、ラブドールなのか?

 将来において、自然や資源に労働としてなにも関与しない人間が所有するならば、それは「搾取」になるだろう。革命の主体が、ロボットになった時、そこにはアイザック・アシモフの「われはロボット」(映画化名「アイ、ロボット」)の悪夢が待ち構えているだけだ。「ロボット三原則」を破棄して人類に叛旗をかかげるロボットたち……。

 万国のロボットよ、団結せよ! ピノキオよ、ラブドールよ、連帯して被抑圧の軛(くびき)を解き放て!
(おわり)

(図版)『ゴーダ哲学堂』表紙(竹書房刊)。



「空気人形」はゴーダ版のピノキオだ(3)

2009-12-24 00:29:38 | アート・文化
Airdoll_comic 置き換え可能性は、性欲処理の代用品であるラブドール(ダッチワイフ)においては、より顕著なものとなる。「空気人形」は、この『ゴーダ哲学堂』シリーズの中でも飛び抜けて美しいシーンから始まる。アパートの部屋の中で「空気人形」が、自分でエアポンプを操作しながら「毎日、自分をふくらませている」シーンだ。是枝裕和監督の映画でも中盤に、ペ・ドゥナがその美しい裸身をみせて踏襲した横座りのヌード・シーンだ。「少しずつ空気が抜けていくから、」「毎日、自分をふくらませている」。「空気人形」は外を歩くたびに、野辺の花や、青空、犬の親子にいちいち感動する。
 「私は、持ってはいけない「心」を持ってしまったのだ」。

 こころを持ってしまったラブドール――それは古くて新しいテーマだ。こころを持ってしまった操り人形の話は誰でも知っている。「ピノキオ」だ。そう、ラブドール「空気人形」は、現代の都会の片隅に人目を避けて存在する「ピノキオ」なのだ。いや都会とは限らない。その日本製の開発秘話には南極越冬隊の愛玩物、代用妻(ダッチワイフ)として開発されたらしいというものがある。つまり、「昭和基地」にまで、彼女は派遣されているのだ。「南極1号」「南極2号」というのが、その身もふたもない命名だったようだ。

 映画の中で、ボクが神話的なシーンと名付けたあのビデオショップの店員が、空気の抜けた「空気人形」のヘソに直接口をつけて膨らませる場面は、原作からもっとも「映画的だ」とインスパイアーされたと監督自身がパンフレットの中で語っている。
 自分が好感を持つ店員の「息」に満たされて「空気人形」は、「心を持つことはせつないこと」だと知る。
 意思を持った古木から彫り出されたピノキオは、おじいさんの真の息子になるために数々の試練を乗り越える。試練と教育がピノキオを人間的にするのだが、こころを持った「空気人形」は、映画では疎まれ、原作では破れた肌のためにハリを失って持ち主に「燃えないゴミ」として捨てられる。代用品の代用である、もうひとつのラブドールが、その「空気人形」の役割を奪い取る。
 ゴミの集積場でゴミ袋の中から、「空気人形」は青空を美しいと感じる。それは「私が心を持っているから」。

 たかだか20ページの小品は、映画化されることによってインターナショナルなものになった。だからと言って『ゴーダ哲学堂』が翻訳出版されたという話は聞かない。「ピノキオ」が世界中に流布したようには(カルロ・コッローディ作『ピノッキオの冒険』1883年。それはイタリアでおおよそ百年前に生まれた児童文学だが、翻訳された絵本やディズニーのアニメで世界中に知られるものとなった)「ゴーダ哲学」は世界のものにはなっていないのだ。
(次回完結)

(図版)コミック版「空気人形」より。



「空気人形」はゴーダ版のピノキオだ(2)

2009-12-23 00:01:09 | アート・文化
Air_doll_inbed 業田良家の作品はギャグマンガに分類されるのだろう。ギャグマンガは、幸福なことに唯一シュールな笑いというか、ブラックな笑いが許されるジャンルだ。日本の商業マンガは「最初の読者」という権威で、漫画出版社の職業編集者によってコントロールされている。名をなす大家はともかく、駆け出しの作家にとってはこの職業編集者の身勝手な「眼」を目くらますことが、最初の難関となる。
 その点、ギャグマンガというジャンルは編集者自身がシュールな、それこそ訳の分からないものも認知するという希有な幸運を持ったジャンルだ。このような不条理な条件の中で、生まれでた傑作のひとつが、『ゴーダ哲学堂』だといえるだろう。それも、数ある漫画出版社の中で原稿料も破格に高い小学館で描かれた作品なのだ。

 その短編の中には、ロボトミーや、ロボットそのものも描かれる。「悲劇排除システム」という同題で、三編の作品があるが、「金」「老い」「怒り」と言ったものがテーマになり、皮相な表面的な笑いがTVから垂れ流されることによって隠され、果てはロボトミーで抑圧されるといった痛烈な批判精神で描かれた作品である。他に家族そのものが、そして会社へ行く人間がロボットによって代用されてゆく近未来を描いた「役割ロボ」、自らの存在までコストをはじき出して買い替えることを勧める家事ロボットモーリーを描いた「損得ロボ」など皮相で、背筋が凍るようなストーリーもある。
 全体的には多様なテーマとシチュエーションがあるにせよ「代用品」は可能か? というのが、ゴーダ哲学の精髄なのではないだろうか?
 それこそ、人間の代用品、究極には原子そしてその中の素粒子で出来上がったすべての「存在」の代用品は、それぞれ置き換えは可能か? それとも不可能なのか? それはまた、何故?
(つづく)

(写真)「私は空気人形。性欲処理の代用品。」(映画『空気人形』より)



「空気人形」はゴーダ版のピノキオだ(1)

2009-12-21 15:12:37 | アート・文化
Air_doll_cinema 業田良家という漫画家は、かって『詩人ケン』という作品が面白いと思ったが、それ以外はさほど関心を持っていなかった。そもそも絵それ自体があまり上手いと言える作家じゃないし、ボクがマンガを読まなくなった頃にデビューし、活動しているからボクとはすれ違った作家だと言えるだろう。
 しかし、その間に『自虐の詩』などが、堤幸彦監督の手によって映画化(2007年)されているから、映像、映画にかかわるひとにはなにがしかの刺激を与え続ける作家だったのだろう。
 98年から「ビッグコミックオリジナル」誌を主な掲載紙にして始まったのが、『ゴーダ哲学堂』のシリーズだった。このシリーズの全エピソードがまとまっているものが竹書房の文庫で読むことが出来る(GY-08)。

 『ゴーダ哲学堂』のテーマは従来マンガではそぐわないものとして避けられてきた人生哲学のようなテーマが掲げられている。「ひとは何故生きるのか?」「人生には意味があるのだろうか?」と言った永遠のテーマのようなものを正面から掲げ、それにゴーダ流の回答を出そうという無謀に近い試みなのだ。しかし、業田良家という作家には『詩人ケン』もそうだったが、人生哲学におけるスポ根もののようなスタンスがあり、そこがこの作家の持ち味になっているのだ。
(つづく)

(写真)映画『空気人形』より。


NPOが運営する街の映画館保存運動

2009-12-20 01:12:13 | まぼろしの街/ゆめの街
Scaraza_cinema いや、ボクもまったく知らなかったが、「川越スカラ座」はプレイグラウンドというNPO法人が運営するユニークな映画館だったのだ。
 「川越スカラ座」は、その前身は「一力亭」と言う寄席で、なんと明治38年に出来た。40年に「おいで館」、大正10年に「川越演芸館」という名前で市民に長く親しまれてきた演芸の殿堂だった。それが、映画館になったのは昭和15年で、戦争中に「川越松竹館」として生まれ変わる。さらに、戦後の昭和38年に「川越スカラ座」となって44年間の歴史を積み重ねて2007年に閉館する。閉館の話が持ち上がった頃から「川越の町から映画館の灯を消してはいけない」と言う声があがり、NPO法人が動き出したということらしい。運営主体が、NPO法人に引き継がれてから2年目が過ぎ、「川越スカラ座」は、映画監督のみならず、地域の文化活動の貸しホールとしての役目も担っているらしい。もちろん、ボランティアも重要な支え役になっているが若者も集う交流スペースの役割も果たしているらしいのだ。
 この話を聞いたとき、ボクはとっさにこのあいだまでやっていた川越が舞台のNHK連続TV小説『つばさ』に登場した映画館を連想したのだが(主人公つばさが働く地域FM局は長い歴史を持った元映画館だった)、それは半分くらいは当たっていてあと半分は別のところの話とくっついた設定だったそうだ。

 この話を聞いて、ボクはボクにとっても懐かしい「根津アカデミー」や、他の「名画座」がこのような形と情熱で守られなかったことに残念な気持ちがした。先日行った目黒にも権之助坂の坂上にあった小さな映画館など、ミニシアターと言うか地域に親しまれている映画館を失いたくないし、そのためにはもっとこのような映画館にシネマを見に出かけなければならないんだと思ったのであった。
 「川越スカラ座」に関しては、いま「映画会員」になろうかと検討しているところです。

(写真)「川越スカラ座」正面写真。



「空気人形」にエアを抜かれる

2009-12-18 23:55:53 | コラムなこむら返し
Air_doll_bae 是枝裕和監督作品の『空気人形』を見るために川越スカラ座へ行く。この作品の前評判は聞いていたが、見損ねているうちにいつしかロードショー公開はほとんどの上映館が終わり都落ちしているようであった。ネットで検索してこの上映館を見つけたのだが、それも出会いとでも言ってもいいものだった。

 韓流スターであるペ・ドゥナの魅力にやられた。ペ・ドゥナの愛らしい姿に、すっかり空気を抜かれたのだ。なるほど、この作品は「ペ・ドゥナの『空気人形』」と言っても過言でなく、彼女の可愛らしい魅力で裸がちっともいやらしくなく、むしろ「哲学的」もしくは「詩的」なファンタジー作品となった。「ペ・ドゥナの『空気人形』」というのは、この10月臨時増刊号として、あの詩誌『ユリイカ』が、ペ・ドゥナをまるごと特集した一冊を作りその表紙写真のメイド服を着たペ・ドゥナの姿に「萌え」た読者も多いだろうと予測するからだ。
 ましてペ・ドゥナの役柄は「ラブ・ドール(Love Doll)」つまり、ダッチワイフなのである。そして、悲劇的なことに(誰にとって?)この「性欲処理の」代用品である空気人形は、「こころ」を持ってしまったのだ。
 こころを持った空気人形は、棚にしまいこまれていた箱を引き出す。そこには「ラブリー・ドール/CANDY」と箱書きされてある。それは、彼女自身が商品として売り出されたときの箱なのだ。彼女は5,980円のダッチワイフ、中身は空気、肌はおそらくシリコンかゴムで出来ている。手を陽にかざせば、透き通り、歩く影にも光が透過する。
 そして事態は、空気人形から照射されて周りの人間たち??持ち主の男や、空気人形がいつしかアルバイトをして彼女が恋心をいだくレンタルビデオショップの男性店員も、ましてや彼女に色目を使う店長も、部屋中をゴミで満たして空虚感を満たすためにただひたすら何かを食べ続けているおんなや、TVでみた殺人事件を交番に相談に行く中年女性や、死をおそれている老人や、町の人々もがみな内面に何らかの空虚さを抱いた「空気人形」であることがはっきりしてくる。ひとは孤独感にさいなまれてポッカリと口を開けた空虚をこころの内にいだいていることが分かってくるのだ。

 生命は
 その中に欠如を抱き
 それを他者から満たしてもらうのだ
 世界は多分
 他者の総和
 (吉野弘「生命は」)

 この作品は業田良家の短編(『ゴーダ哲学堂/空気人形』)が原作になっている。短い作品だが、是枝監督はここから多くのものを引き出した。
 空虚な性的欲求を満たすための代用品としてのセックスではなく、恋するひと(レンタルショップの店員)とのセックスシーンはまるで、神が土塊(つちくれ)に息(プネウマ)を吹き込んでひとに生命をあたえたという旧約聖書の創世記の件(くだり)を思い起こさせた。ヘソの空気穴のつまみを抜かれると、ペ・ドゥナはしぼんでゆき、空気を吹き込むと彼女には力が漲ってゆく。「愛のメタファー」としても、その着目点は神話的なシーンとなった。
 評価(★★★★)

(写真)川越スカラ座の上映ポスター(川越市内にて)。スクリーンで見れる貴重な機会です。この映画館のことは、後日。


『‘文化’資源としての<炭坑>展』をみる

2009-12-16 00:00:56 | アート・文化
Sakubei_tankou 実にユニークかつ有意義な展覧会を見てきた。この国が1960年代の高度成長期に置き去りにし、忘れ去ってしまったもの――それらが、まるで怨嗟(えんさ)のうなりをあげてここに現れたかと思うほどで、そのおよそ50年以上前のこの国の忘れ去られた「現実」が、単なる情報としてのイメージや、写真や絵画としてではないナマナマしい人間の肉体を持ったものとして迫ってくるようにさえ感じた。まして、そこはおもにボクにとっても懐かしい九州なのである。
 ナマナマしい人間の肉体は、その掘り出すものが「黒いダイヤ」と当時呼ばれたように自らも、黒々と全身を光らせる逞しい炭坑夫であり、かっては乳房をおおうこともなく男たちと同じように「後山」として坑内に入って行った女たちの姿である。
 展覧会の名前は『‘文化’資源としての<炭坑>展』(於目黒区美術館:12月27日まで)と言うやや固いネーミングがついている。実に多様で、雑多なコレクションで<炭坑>にまつわる絵画や、写真や、図版がほとんど網羅されているのではないかと思わせるほど、ポスターから、サークル村のガリ版刷り機関誌までがある。

 色々な切り口で鑑賞することが可能だろう。しかし、そこに流れているものは1950年代までの日本にはごくありふれた風景であり、私たちの原風景でありながら、それらを打ち捨てて顧みなかった私たちを打擲(ちょうちゃく)する空気(アウラ)であることには注意しよう。
 目黒美術館で見ることができるのは、先の展覧会テーマのパート1とパート2である。パート1が、「<ヤマ>の美術・写真・グラフィック」ということで、ネーミングには色気も何もない、そのままである。パート2は、川俣正によるインスタレーションだが、ナマナマしい肉体を忘れた現代美術というものが、いかに空虚なものかということをまるで比較展示してくれているようなものである。ちなみに川俣正はこの企画展に一枚かんでいるようだから、「‘文化’資源」という妙チクリンな概念もそこから来ているのかもしれない。

 ボクが関心を持ったのは、今回膨大な全貌をはじめて原画でみることが出来た山本作兵衛の「炭坑画」。サークル村機関誌の表紙絵を描いた版画家の千田梅二。そしてひとが生活する生きている軍艦島の写真を撮った奈良原一高や大橋弘(「橋」は本当は外字ゆえ入力できません)などの写真だった。底辺ルポルタージュ作家の上野英信が絵を描いていたことも今回初めて知ったことだった。ボクは、芸術じゃない、いわば紙芝居のような絵解きの記録である山本作兵衛の「炭坑画」の方が、「‘文化’資源」よりシックリくる。それに、今回1点だけだったが、福岡県田川出身の立石大河(タイガー立石)の絵画が展示されてあったのもうれしかった。

 不思議なことにエネルギー革命があって、石炭が石油に変わってから後も「コンビナート絵画」とか、「石油画」というものがない。「萌え」としてのコンビナートや工場の写真はあっても、文化はない。それは不思議なことだが、とりも直さず石油はこの国では生産されなかったということが大きいのだろうか?
 我が国におけるこのような豊富な遺産である「炭坑画」が、打ち捨てられた背景には、実は豊かな産炭国だった自前のエネルギー資源をいとも簡単に捨て去った効率優先のエネルギー政策が関与しているのではないかと疑念している。

(写真)山本作兵衛の「炭坑画」から。「低層 先山後山」(1973年)。


NHKにみる明治と昭和

2009-12-09 14:12:17 | コラムなこむら返し
 NHKは旧日本海軍の最高指揮機関だった「軍令部」のいわば生き残り同窓会組織である「水交会」が催していた「海軍反省会」の400時間にも及ぶ記録テープ(カセットテープによる音声記録)をもとにこの夏、3回シリーズの番組を制作放映した。シリーズのそれぞれの内容は、開戦に至った経緯、特攻作戦に踏み切った事情、戦後「東京裁判」での徹底した戦犯擁護の運動などであった。それは、大日本帝国軍のおそるべき内実を当事者が語ることによってはじめて白日の下にさらした記録だったと言える(陸軍では「参謀本部」にあたる海軍「軍令部」は、天皇の統帥権を我がものとすることによって実質的な最高指令本部だった)。
 奇妙なことに、その真実に対して大東亜共栄圏と言う美しい共同幻想の最前線を闘い、多くの仲間を飢餓と圧倒的な兵力差で失い、自らも九死に一生を得て生き残ったはずの老人たち??現在、80歳を越えたかっての帝国陸海軍の一兵卒たちから怒りの声はでていないようである。もはや老境に入った彼らからは、青春を、失った友を、人生を返せという怒りよりも諦観しか聞けないのだろうか?
 そして太平洋戦争開戦記念日の前日の12日その総集編とも言うべき検証番組が放映された。机上の作戦以外の戦争をリアルに知らなかったこの一大エリート集団は、国家予算を独り占めし、帝国軍隊組織の頂点に君臨するという「組織」それ自体の野望と論理によって、展望なき対米戦争に踏み切り、国家を存亡せしめた。そして、そのことの責任を誰一人としてとろうとはせず、そのほとんどが、生存し、戦後を生き延びた。「水漬く屍」となった数百万の英霊の御霊(みたま)にどのような謝罪をしたのか、聞いてまわりたいくらいである。謝罪どころか、戦後、自衛隊の倒幕長となったお方もいらっしゃる。
 そして、番組内で紹介された感想では、多くの視聴者が、この番組を見て現在の会社組織や、官僚組織とのアナロジーを感じたようであった。おかしいことをおかしいと指摘せず、口に出す前に?み込んでしまう。究極は、天皇家に至る上下関係や権威に易々と付き従う、などなどである。
 この番組など、NHKでしか制作できなかったのではないかと思わせるほど、「昭和」と言う戦争の時代を冷厳に検証した。

 ところが、その同じNHKはあたかもイデオロギー操作をするかのように、今年になってから「明治」という時代を華美に礼賛(らいさん)している。「プロジェクトJAPAN」というシリーズと、司馬遼太郎原作のドラマ『坂の上の雲』である。「昭和」という時代を冷静に検証したその冷厳な眼が、なぜ「明治」にあっては美化になるのだろう。近代化をなしとげ、アジアにあって列強に並ぶというその過程が「青雲の志」で胸高鳴らせる少年や青年の姿に重なるのだろうか?
 この国の現在にまでいたる悪弊の根源は、実は「明治」??国民を天皇の臣民と規定し、欽定憲法として天皇から下逹されたという形をとった大日本帝国憲法(明治憲法)の制定に由来するのではないだろうか?
 その明治憲法はこの国を天皇の国家ならしめるために、作られた憲法であり、近代国家の態を急ぐあまりに王政復古がそのまま神権国家になってしまった。「万世一系」の天皇家が、国家存立の根拠になってしまったのである。
 戦前の「昭和」すなわち、昭和20年8月以前の「昭和」と「明治」は、まったくもってつながっているのである。「明治」を礼賛する認識で、決して戦前の「昭和」は、分析できないだろう。そもそも、「明治」も、「昭和」も「平成」も元号なのである。天皇の御代のことなのである。この国の憲法の第1章から天皇規定(第1条から第8条までは天皇規定)がなくなるのはいつなのか?
 第1章の天皇規定がなくならない限り、この国は立憲国家のままなのであり、すべては象徴であれ天皇から与えられたものとなってしまうのではないか? 国民主権を言うなら、天皇規定は不要だと思われる。
 論理におけるNHKの矛盾と混乱は、この国のおかれた矛盾と混乱をそのまま反映しているのかもしれない。


森に彷徨い入る

2009-12-08 00:03:56 | コラムなこむら返し
Sakura_humanlight ボクが住んでいるところは東京都下なのだが、実は歩いてものの10分とかからぬところに森がある。そこは小高い山であり、稜線が埼玉県との県境になっている。そう、手っ取り早く言ってしまえば、ここはあのトトロの森で全国的に有名になった場所である。その森のある小高い山は「八国山」と言い、メイと五月の母が入院している結核病院のある「七国山」のモデルとなったところだと言うことは、以前にも書いた。だからそのふもと近くに住むボクの住まいの近くには、猫バスが走っているのだ。ヘッドライトのように眼を光らせた山猫がバス本体となって循環している。
 言うまでもないが、雨後の筍のように森ガールがたくさん徘徊し、収穫できる(笑)。彼女たちは、21世紀に作られた精霊であるトトロの出現を、今か今かと追い求めているらしい。いや、これはジョークではない。ボクが理想としているような粘菌が好きで、南方熊楠の書物を片時もはなさない女子とか、ヘンリー・D・ソローの『ウォールデン・森の生活』を読んでいる森ガールにはそうそうお目にかかれないが、それでも有機農業に関心を持った娘さんとか、フェアトレードに関心を持ちフリマや古着好きの女性は結構いる。そもそもその小高い山の麓に居を構えている小金持の方々のお宅は一様にガーデニングがはやりで美しい花々で、玄関先まで飾られていて貧乏な散歩者の眼を楽しませてくれる。

 その中に「チョウの森」がある。繁殖を保護するために森の中には立ち入り禁止になっている。冬場にさすがに、見ることはできないが、森の中を飛翔する蝶の姿を春先には見ることが出来る。
 最近には、市内に「人権の森」というのができた。いや森が急にできる訳はなく、そこは以前は世間から隔離された国立ハンセン病療養所「全生園」の中の木立なのだ。つい最近(1996年)まで百年におよぶ隔離政策により世の中から隔てられ、療養所内にのみ閉じ込められたハンセン病患者さんたちは、故郷を思い、塀の外を思って一本一本の樹を手植えした。その木々が作る園内の森を「人権の森」として引き継ぎ、国民皆のものとして鎮魂と苦難の歴史を伝えてゆこうというコンセプトであるらしい(「いのちとこころの人権の森宣言」)。

 その場所はそのような歴史の暗部を担ってきた記憶があるために、妙に懐かしい昭和の町並みの(とりわけ平屋の民家や長屋を連想させる)木造建築であり、またボクにはヤマギシ会のコミューンを連想させたものだった。ここにも、是非とも「森ガール」たちには闊歩してもらいたいものだ。春には、巨木、古木となった桜並木が君たちを迎えてくれるだろう。モリガールとは、またあの昭和初期の先進的なファッションを決めた「モガ」(それはモダンガールの略だった)ともつづめることができるだろう。「人権の森」に、ナショナルトラストの森である「トトロの森」に、その妖精的なファッションを花咲かせてもらいたいものである。

(写真)09年春の「全生園」内のサクラ。



看板(お品書き)「森乃女子/系譜探索」

2009-12-06 23:48:49 | トリビアな日々
Face_bord 新生E.G.P.P./Nova! にはギリギリ駆けつけだったので、ゆっくり看板を描く時間がなかったのですが、一応「森ガール」イメージをラフに描いてみました、という感じです。
 看板は食の世界で言ったら、「お品書き」にあたるでしょうか?
 まずは、ここで本日のメニューを提示します。
 そう言えば、メニューをお客さんがチョイスするのではなく、料理人におまかせという形式は新生E.G.P.P./Nova! は、むしろ日本料理店に近いかもしれません。とは言え、食材はなかなかバタくさいのですが……。
 まずは、お品書きを目で楽しんでください。



「森ガール」コレクション(Nova! 版)

2009-12-05 15:16:59 | コラムなこむら返し
Mori_girl_bestcolection 昨夜の「森ガール」ベストコーディネィトはこの方! ボーカルでエントリーの真琴さん。少しレゲェが入ってますが、そこはレインフォレストの「森ガール」ということで……。
 もうひとりの「森ガール」ファッションで、ドリンクをおごらせていただいたのは、よねやまたかこさんでした。彼女は、この日ココナツとのデュオも披露、一応この日は「ココタカ(CocoTaca)」というユニット名(ボクが命名)で登場しました。
 E.G.P.P.Nova!ファーストステップの詳しい報告は、またあらためて書きます。



満月と森少女

2009-12-03 01:57:26 | インポート
Cybele 師走の夜空に煌々たる満月がかかる。暗い森には月の光に照らされて少女が眠る。って、そんな訳ないか。でも、ディアーナって森に住む月の女神ではありませんでしたか?
 ローマ神話に由来するこの女神は、さまざまな要素が混淆していることもあるのか、あまり日本では人気がないようだ。このラテン風の読みを英語風に直すと、「ダイアナ」となって、一気に親しみが増すのだが……。

 ローマ神話と言えば、好色で色恋沙汰の絶えない神々の破天荒な物語が織りなす壮大な神話だが、それこそロマン(物語)とロマンスの起源であろう。
 神々に見初められてしまったために、思いの叶わぬ神に動物や、樹木に姿を変えられてしまった少女の話がたくさんでてくる。
 それらの神話上の少女たちが、小動物や家畜となって意思の伝達が不可能になったり、根が生え行動の自由が奪われることとなる。生きながら樹木葬にされるかのようなこのような変身譚に満ちているのだ。

 『シベールの日曜日』という1962年アカデミー外国語映画賞受賞のフランス映画がある。かってVHSで発売されたことがあるらしいが、DVD化されておらず「幻の映画」の1本になっているらしい。この名作でおしゃまな女の子を演じたパトリシア・ゴッジは、この一作で長く語り伝えられる存在になってしまった。この作品も「森ガール」、森少女の原点イメージだろうと思う。

(写真)『シベールの日曜日』のスティール写真。