風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

黄昏オン・ザ・ロード(4)/流れ星と三日月の街

2005-11-29 23:46:02 | 東京暮色/秋~初冬
onjuku_moon撮影が終わって寺へ戻ると、厨房に灯りが点っていた。住職一家が帰ってきたばかりのようだ。
あいさつもそこそこに住職はテキパキと部屋を指定してくれ、布団をあそこから何組もってきなさいと指示してくれる。ボクが電話で話しておいたにしても、自分の荷物の片づけもそこそこに、こちらの心配をしてくれるのだ。
その上食事の心配もしてくれるので、いや足(車)があるので食べに行きますと言うと、そうだね、温泉にも入りたいだろうからと言って適格な地図を描いてくれる。描き慣れた正確で分かりやすい地図であった。

で、今回は御宿(おんじゅく)に出てみることにした。「クアハウス御宿」というところを教えてもらったのだ。
疲れたボクは運転をカメラ担当のホッシーに代わってもらった。それに、風呂上がりにはやっぱりキュッとビールを飲みたいではないか!
ホッシーは快く運転をひき受けてくれた。それで、ホッシーは幸運の流れ星を運転中に見ることができたのだ。「ね、願いことはした?」「いや、見るだけで精一杯で……」「いや、でもラッキーだね。これで、キミは「流れ星のホッシー」だ! なんか、大昔の日活アクション映画みたいだけど(笑)。韻をふんでるからねぇ。ラッキーだよ。流れ星のホッシー!」

ボクは、さらにたたみかけた。「御宿かぁ! オン・ザ・ロードならぬ、オンジュク・ロードだね! それに、御宿・オン・ザ・ロードなんて、なんかケラワックというよりつげ義春のマンガ作品みたいだ!」
この、もはや点火され火花がついたジョーク路線はさらに風呂上がりまで、続くのだ。

加熱はしてあるが、源泉掛け流しの温泉はやはり真っ黒なヨード分がたっぷり溶け込んだ湯だった。男三人で貸しきりのようだったが、まるで痩せこけた少年二人と少年のような中年おとこがひとり、広いとはお世辞にもいえない浴場で、それでも寝湯、うたせ湯、泡風呂、箱蒸しと種類だけはそれなりにある湯をグルグルとめぐっている。

裸のつきあいでというよりすっかり地をむきだしで普段の顔に戻った三人は、女湯から出てきたただひとりの女性であるナカノに笑われてしまう。
「あ! 普通のカオだ!」

外へ出ると、ずらりと三日月が列をなしてボクの目に飛び込んできた!
「ありゃ、この街の街灯って三日月のかたちをしてるよ!」「あ、本当だ!」
みな、そこではじめて気付いたようだった。
そこでボクは思い出した。この街の砂浜が「月の沙漠」などというロマンチックな観光客用のキャッチフレーズがつけられていたことを。
あとで、調べてみたらこの温泉の目の前すぐのところだったのだが、ボクと日本映画学校のクルーはウキウキと風呂上がりの高揚した勢いをかって今夜の夕食を食べられるところを探しにいったのだ。

流れ星と三日月の街へ! 「月の沙漠」のある街へ!

(写真4)すこし滲んでしまいましたが、御宿の街の三日月街灯です。


黄昏オン・ザ・ロード(3) 母のような雲/a Cloud was like my Mother

2005-11-28 21:45:18 | 東京暮色/秋~初冬
mother_cloud_1樹木葬地へ行こうと言いだしたのはボクである。所沢の『MOJO』で都合三度目のロングインタビューをうけた時、あからさまにボク自身の生い立ちを喋った。だれにも喋ったことのないことまで喋った。でも、そうだからといって市井に埋もれた有名人でもないボクの半生など喋ったからと言って、だれが振り向いてくれるだろうか?

十代の頃、フーテンだった。ビート詩に目覚めた。新宿のビルのすき間のドブで野良猫のように寒さに震えてハイミナールをボリボリと喰らった……なんてことがひとの心をどう揺さぶるのだろう?
ボクには分からない。そして若干二十歳のそれこそボクが、遊びまわり、ドブを這いずり回っていた年齢の若者がボクに興味を覚え、撮影クルーとなってボクの行動や、活動を追っている。

今回、樹木葬地に行こうと言い出したのはボクの方だ。「ドキュメンタリー映画」としては、ボク自身が母とともに眠ろうと決意している場所、その新しい埋葬の提案をボク自身の遺言としてもメッセージしたかった。野山に帰る、里山を育てる、森のいしずえとこの身を捧げる(実は遺灰だが……植物には根から吸収しやすい養分となる)。ボクは樹木として生まれ変わるなら、金木犀になりたいな。
これって、映画の締め方としては決まりすぎてるでしょう?

さあ、ボクは監督じゃありませんから、若者三人の映画製作クルー(日本映画学校在籍中)がこのフィルムをどのようなかたちでまとめるのかには関与できません。どうなるのかは、ボクも期待してます。完成したら見にいきます(笑)!

樹木葬地での撮影が無事終わると、ちょうど日没寸前で、夕陽の残照がボクの真後ろにあったまるで冬とは思えない入道雲のような雲を赤く照らして実に神秘的な光りの中で、天空を彩(いろど)った。

それに、それに……ボクは一瞬、そこに母の横顔を見たのだった。夕陽に照らされた雲は、実に一瞬だったがダイダラボッチのように顔を持ち上げ、母の「死に顔」そっくりな横顔を貌(かたち)作ったのだった。

(写真:3)母はボクの真後ろから見守っていてくれたのか? 母の横顔のような雲が夕陽に照らされて沸き立っていた。




黄昏オン・ザ・ロード(2)/土地の精霊よ! 聞き給え!

2005-11-27 15:03:01 | 東京暮色/秋~初冬
mothertree_2樹木葬地に着いた時は、そこを管理している寺の住職はまだ田舎からお帰りではなかった。寺の檀家の方が本堂のカギをボクらのために開けていてくださっていた。

すぐさま撮影クルーは樹木葬地へ向かう。ボクはそのために持参したパンジーや、母の好きだったシクラメンなどの花をビニール鉢から母のヒメコブシの木の前に植え代えた。
ずっとやろうと思いながら、ここで樹木葬関連の集まりがあるときは、寺男としてお手伝いをしているので、そのような時間がもてないでいたのだ。他の方の樹木の周りは、まるで花園のように美しくミニ花壇が出来ているようだ。
べつにそんな決まりも、また禁止事項もないのだが、やはり自然な思いとしてお骨の上に植樹した樹木を、墓のようにお参りしたいという心情はわきおこるのだろう。
そこから樹木一般や自然界や生類へのいたわり、愛する気持ち(エコロジー的な)へつながるのかは今のボクにはわからない。

樹木葬地は第2区画も認可され、もう契約が3割近く入っていたから樹木葬自体の求め方は様々になっていくのだろう。それこそ経済的理由から、先祖からの墓に入れないなどの「家」の問題などが先行してくるのかも知れない。
里山の復活や、森の回復と言う理念の次元ではどうなのだろうか?
そのようなことをどのくらい理解された方が、現在、会員になっているのだろう(この寺での樹木葬は会員制になっています)?

撮影の準備ができ、もうすぐ夕刻と言う時間にボクは母のヒメコブシの木の前で、その樹木葬地に葬られた他の方の霊、そしてこの地の木々や森や自然に捧げるつもりで、祈りとして詩を読んだ。
土地の精霊よ! 聞き給え! この地に眠るすべての霊よ! 耳かたむけて下さい! 墓守りのランも聞いてくれ! あなたたちのために、樹木に生まれ変わったあなたたちに捧げます。

「花に化身するホトケたち」そして「哭き女」をボクは読み、あいだに唱歌「故郷(ふるさと)」を歌った。母を埋葬した時と、樹木葬の集いの再現といえば言えるかもしれない。ボクの声が殷々と森に響きわたり木霊した。

(写真2:母のヒメコブシの前でポエる。ボクの声が殷々と森に木霊する。撮影:中野かおり)




黄昏オン・ザ・ロード(1)/海ほたる

2005-11-26 23:57:39 | 東京暮色/秋~初冬
tokobay_hotaru35年目の「憂国忌」でもあった25日、撮影のために大原の樹木葬地に撮影クルーを案内した。

都心を車で走るのがきらいなボクは、首都高にもあまり乗ったことがないが、行きにお台場からあの評判の悪いアクアラインなるものをはじめて走った。
「海ほたる」にも初めて行った。そこで一服するために小休止したのだが、いたたまれなくなるほどの人工の島だった。
なぜかボクは「海ほたる」にいたわずか20分あまりの時間に、そのロマンチックなネーミングとは逆にこの人工の島が長崎県にある端島??つまり軍艦島に思えて仕方がなかった。茫洋とした水平線。つかみどころのない海との境。東京湾のど真ん中だと言うその地理的な位置も、つかみどころがなかった。
昼飯時だったが、そのレストランの入り口のプライス表をみて、自分のため息を呑み込むだけですぐにあとにした。

目指すは千葉県大原である。ひさしぶりの黄昏れオン・ザ・ロードである。



E.G.P.P.100/Step53/12月2日に開催!

2005-11-25 09:16:30 | イベント告知/予告/INFO
ad_112月2日(金)※毎月第1金曜日に定例開催
E.G.P.P.100(One Hundred)
STEP53「ビート・ジェネレーションその2/ビートニク・アゲイン!」
●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
(ゲスト)「国分寺エクスペリエンス」デュオ(ゆきちゃん+おちょこ)
(出演)フーゲツのJUN……エントリーしてくれたあなた!

※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

●オルガナイズ/MC:フーゲツのJUN
●開場18:30/開始19:30
●参加費:1500円(1Drinkつき)
●会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
●問:03-3362-3777(水族館)地図はここ→http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
●主催:電脳・風月堂http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/
開催場所が、新宿区百人町です。江戸の昔に百人同心の鉄砲隊が住んだところ。現在はコリアン、チャイニーズ、マレーシア、タイなどの在住外国人がたくさん住むところです。みんな世界のともだち百人作ろうか! そして百人の詩人となろう!
あらたな東京ポエトリー・ルネッサンスはオルガナイザー・フーゲツのJUNの原点である新宿に戻り、新大久保のアジア的な場所の一画で行われています!
今回のテーマは先月に続いて「ビート・ジェネレーション」。さらに原点返りが達成できるのか?
今回はケラワックに捧げます。



平成見せ物繁昌記(2)/魔境バーは今夜も天国

2005-11-24 00:42:14 | 東京暮色/秋~初冬
otora_torinoiti_3今回の花園神社酉の市での演目は、ヘビの悪食(小雪太夫)、火飲み・火吹き(オミネ太夫)、ヘビのガラス抜け(手品)、箱抜け、錦ヘビのお披露目などでおおよそ20分が順繰りに進行する。見料は大人800円小人500円幼児300円だった。
今回残念だったのはビデオ記録をしている人間がいる中で、撮影禁止がうたわれたことだ。その実、見せ物小屋の収益的な成功もスポーツ新聞などに取り上げられたこともあるが、ネットの力もあるはずだからこれは残念なことだった(もっとも以前から撮影禁止だったが、川越ではむしろ携帯でもOKだったし、小雪さんの艶やかな姿を撮ることができ、ボクは彼女のアングラな雰囲気にやられてしまった)。

さて、今回「二の酉花園神社見せ物興行観賞ツアー」と銘打ってブログでツアーメンバーを募ってこの大寅興行さんの見せ物興行を見に行ったのである。
待ち合わせの紀伊国屋書店本店エスカレ-タ-前。ヒップス、hiraさん、feelingwindsさんとその友人のKさん。13号倉庫さんに、板橋の猫さんも加わってボクを含めて総勢7名。あとからララ(リーヌ)さんが子連れで駆けつけ二次会でドッキング。
江戸から続く酉の市のにぎわいが翌年の景気や、動向を占うことになるらしいが、今年の花園神社の酉の市は、また格別に大にぎわいであった。
花園神社に近付くにつれ靖国通りから、ひとごみで歩くのもままならない状態になる。境内などもう動いていない。手に手に大きな熊手を持っている。例年よりふんぱつされているのではないか? なにしろ歌舞伎町の風俗関係の店までが、商売繁昌を祈って熊手を買いに来る御時世だから同じ大酉神社とはいえ、浅草とは雰囲気も大違いである(浅草も大好きだが……)。明治通り側の鳥居から境内へ入る。つまり、そこが見せ物小屋の小屋掛けされた場所にほど近いのだ。

さて、オミネさん、小雪さんの師弟競演に感慨の念をおぼえて会場を出てくるとそこには「うらなか書房」の社長(春田クン)と画伯(堤花代さん)がたたずんでいらした。いや、ボクが見つけられたのでした。
で、身動きも取れない境内の屋台で10名程座れるところはないものかと探しましたがついに探しあぐね、もう最初からすぐ隣のビアンカの魔境バー『唯唯』に行くことにしました。『唯唯』も酉の市の流れ組が結構いて繁昌しておりましたが、どうにか座り親ぼくの場を設けることが出来ました。

魔境バーには今宵珍しく魔女ビアンカにとりつくハマの魔人いやハマのイマジン(?)ドクター・セブンも、12月11日に『就職しないで生きるには』というシンポジウム・イベントを企画している平山さんも打ち合わせに来ていた。そこになんと今回はパスかと思っていたララ(リーヌ)さんが『唯唯』にやってくる。待ち合わせ時間に間に合わず(なにしろ彼女は葉山から子連れでやってくるのだ)見せ物小屋を見たあと、ふと隣を見てここがわかったと言うのである。子連れだから帰ると言うのを引き止めふとみれば、またララさんの娘さんというのも美少女なのである。
こうして総勢12名にふくれたツアーは無事終着点の魔境バーで宴を開き、二の酉の新宿の夜も更けていくのであった。

ツアー参加のみなさん! お疲れさまでした! ツアー参加の感想などをコメントしてくだされば、うれしいです。
(写真2)見せ物小屋の繁昌の半分以上は呼び込みのタンカひとつと言われる。どう通行人を呼び止め小屋の中に引き込むか? 大寅興行の大野さんがタンカを切る。アラタンカの名調子。誘われるように客が小屋に吸い込まれる。



平成見せ物繁昌記(1)/酉の市にて魔界にさまよう

2005-11-23 13:19:34 | 東京暮色/秋~初冬
otora_torinoiti_1大寅興行が見事に復活した。ボクが川越まつりで見た見せ物小屋は、やはり大寅興行の若手の小屋掛けだったし、あの19歳のヘビ娘は小雪太夫という名で、ボクが直感した通りオミネ太夫の御弟子さんだった。
そして今回、押すな押すなの超満員状態の中で師弟競演の芸が繰り広げられたのだ。あの「悪食の実見」(シマヘビの頭を食いちぎり生き血を飲む)を初々しい美少女の小雪さんが、口から生血をしたたらせて実演し、引退間際のオミネさんは蝋燭の蝋を口で受け止めて炎を吐き出すと言う芸で健在ぶりを見せてくれた(小雪太夫はこの業も、鎖の鼻通しもマスターしている)。

それに今回うれしいことに、オミネさんとともにあのインド産だという錦ヘビが帰ってきたのである。3年ぶりに見た錦ヘビはまた一段と大きくなっていた。持ち上げるのも4人がかりだ。
ボクの財布にはこの錦ヘビの脱皮した皮のカケラが数年分入っている。金運が良くなると言うふれこみでもらってきたのものだが、むしろ多すぎると相殺するのか、ありがたい御利益にさずかったことはいまだないが、それでもこの大蛇には愛着がある。
大寅興行さんの小屋掛けの入り口には、さてもそれが若い頃のオミネ太夫がモデルなのか、白い衣をまとった妖艶な娘が身体を錦ヘビに巻かれて微笑んでいる看板がある。『見せ物小屋の文化誌』の表紙に使われた絵だ。背景は霧にけむる深山のようで、どうやら樹氷のようなものがあり雪景色のようだ。
この看板絵はその実、大寅興行の中心演目である「ヘビ娘」の出自のファンタジーというか、設定におおいにからむ看板絵なのだ(写真1参照)。

19歳の弟子小雪太夫を発見したのも月山ということになっているのも、この小屋で呼び物になっている「ヘビ娘」のファンタジーとその設定におおいに関連することなのだ。
つまり、「ヘビ娘」はウソかマコトか「東北の霊山月山に住むという 伝説の女 山岳の魔女 白衣の妖怪」ということになっており、つまりそれがオミネ太夫ということなのだ。
オミネさんは小柄だが、きっと若い頃には妖艶なお身体をしていたに違いない。いまは容姿もわからないほど白塗りになさっているが、きっと美人だったに違いない。
それは、身体を大蛇にグルグル締め付けられたもうひとつの看板絵からも想像させる。そして、その想像のファンタジーは月山からオミネさんが、探してきたと言う実はアングラ劇団月蝕歌劇団の女優だった小雪さんに引き継がれられ、小雪さんは、若い頃の妖艶なオミネさんを彷佛とさせるような妖艶な魅力をたたえた美少女ときているから、美少女好きのボクにはたまらないのだ。
(写真1/魔界への入り口にかかげられた「ヘビ娘」の看板絵)

(つづく)




二の酉新宿花園神社・見せ物興行観賞ツアー

2005-11-20 00:03:58 | イベント告知/予告/INFO
今年の「二の酉」にあたる21日に、花園神社へ大寅興業さんの「見せ物小屋」探訪ツアーを敢行したいと思います。大寅興業さんの呼び物は「ヘビ娘」でございます。
初めての方も、幾度めかの方も一緒に行ってこの伝統あるフリークスの芸を鑑賞したいと思います。

ツアー要項は以下です。

(日程)2005年11月21日(月)
(待ち合わせ時間)18:50~19:10
(待ち合わせ場所)紀伊国屋書店新宿本店エスカレーター下(新宿駅東口新宿通り)。
(目印)黒っぽい服装、黒の帽子をかぶったフーゲツのJUN(携帯はありません)
(飲食代・入場料などは各自で負担)
観賞後酉の市を楽しみ。屋台で軽く飲んで、有志は花園神社隣のビアンカの魔境バー『唯唯(ういうい)』へ。

現在ツアー参加表明ボクをいれて4名。参加表明はコメント欄にメアドをあきらかにして書き込んで、当日紀伊国屋書店エスカレーター下へ。
自由参加。参加料も何らかのしばりも一切ありません。


花盗人後日譚(はなぬすっとごじつだん)

2005-11-19 00:34:42 | コラムなこむら返し
花が根こそぎ盗まれた話は、その花をいただいたNさんの耳に入り、なんとNさんはふたたび同じ数ぶんのパンジーのビニール鉢を届けてくれたのである。
ボクは恐縮するばかりだった。この鉢はNさんが試みで栽培しているもので、出荷はしていないらしいが、それも数としては、大量にある訳ではない。ハウスの一画で可憐な花をつけていたものだ。

こんどは、プランターを窓辺におくことにしよう。聞いてみれば、Nさん自身も花を盗まれたことがあるらしい。だからひと一倍心配してくれたのだろうが、それにしてもひとの心が荒れすさんでいる方が幾倍もおそろしい。
花盗人は自分のこころを自分で盗んでいることに気付かないのだろう。
花盗人(はなぬすっと)などという詩的な呼び方をしたからと言って、こうしてひとのこころを閉じさせ、壁を作っていく行為にむすびつくことに気付かないらしい。

それにしても、下町の縁台の上の花々や鉢植え、盆栽などはどのようなこころないイタズラや、悪意を受けていることだろう。下水口にタバコを投げ入れているひとが何をしているのか無自覚なように、丹精込めて育てられた立派な盆栽にタバコを押し付けて灰皿代わりにしてみたりとか、ゴミを捨ててみたりとかしているはずなのである。
自分の目の前からとりあえずなくなれば、ゴミや吸い殻などどうなろうと知ったことじゃないと考えているのだろう。
ゴミの問題にたとえてみれば、そのようなエゴは誰しもの中にあることがわかってもらえるはずだ。ゴミとは文明を享受することの結果かならず生み出されるエントロピー負荷みたいなものだからである。
もちろん、ボクの中にもあるものなのだ。

きっと下町のお年寄りたちは怒りながらも黙々と手入れをし、こころを込めて育て、樹木も少ない東京の下町にうるおいを与え、緑のオアシスを作っているのだ。

そんなこころやさしいお年寄りに一歩でも(年齢としても)近付いたのかと自覚することはよろこびではないだろうか。そう思うことにしよう。



花盗人(はなぬすっと)とエゴ地獄

2005-11-17 00:34:46 | コラムなこむら返し
先日、ボクが世話人をやったイモ掘り会の畑に畑の持ち主のNさんから白菜を取りに来ませんかとお誘いを受けた。
そこで、土曜日の午前中に畑へ出かけていった。その畑でボクはまだ援農どころかまだ何のお手伝いもしていない。いつかはその畑の一画が借りられないものかと願っているが、まだきちんとしたお手伝いは出来ないでいる。Nさんとはたまたま御近所つきあいをしているだけで、まさか近所にそのような広い畑を所有するひとが住んでいるなんて事は、最近知ったばかりなのである。

そして、小世帯であるボクらが食せるだけの白菜、大根、小松菜などを、それでも袋いっぱいいただいて帰ってきたのであったが、Nさんはハウスで作っている小さな鉢植のパンジーも持っていきなさいと言って、20ケばかりのビニールの鉢をいただいてきたのであった。

その可憐なパンジーは日曜日に家人の手によって鉢からプランターや素焼きの植木鉢に植え変えられた。
日曜日に外出していたボクはその鉢植えのパンジーが、どのような彩りをはなって我が家を飾ってくれることになるのか楽しみだった。
だが、帰ってくるなり家人は植え変えられたばかりのパンジーがすべて引き抜かれてなくなったと言うのである。一瞬、ボクは訳が分からなかった。プランターごと持っていかれたというのなら理解したのかも知れないが、プランターも素焼きの鉢もそのままに花だけが見事にすべて引き抜かれていったのだと言うのである。
どうやら庭もない我が家でガーディニングをきどったのか家人は、プランター、素焼きの鉢を玄関脇にならべておいていたらしい。そう縁台でもあれば、下町の光景を考えたのかも知れない。
しかし、その花たちは無惨にも根から引っこ抜かれていったのだ。

もっともそれが植えかえたばかりで、まだ根付いていないことはすぐ分かったのかも知れない。土は黒かっただろうし、花のまわりには雑草も生えていないことで……。
しかし、どうするつもりなのだろう?
それが花を愛づる行為とでもいうのだろうか?
山へいって希少な高原植物を平気で引き抜いてくる心ないひとがまだ絶えないらしい。それが花を愛するひとの行ないなのだろうか?
自分の庭に高原植物を移植することは、庭を深山のようにしたいという願望なのだろうか?
目に付いたひとの家のガーディニングがあれば、その花を引き抜いて自分の家を飾れば事足りるのだろうか?
それで、満足できるのだろうか?

そのひとのこころはエゴの固まりではないのだろうか?
ボクは泥棒だとか、窃盗だとかの次元で非難をしたい訳ではない。そのこざかしい自分のエゴにもとずいた行ないが、みずからたましいを貧しくし、地獄におちいらせることだと気付いていないのかと憐れんでいるだけである。

その夜、理解できないままモヤモヤとした人間不信に陥っている時、TVのニュースはどこかの霊園で多数の地蔵の首がハンマーではねられていたというニュースを流していたのだった。

(もっともその地蔵はその霊園のあちこちに建てられたコンクリート性のどうやら型抜きの地蔵のようだった。そのとんでもない被害総額に霊園経営のシステムが透けて見えるようであったが、それにしてもホトケの似姿をしたお地蔵さまの首をはねるなんてことが良くできるものである!?)


GOGOGOGO! マッハゴーゴー!MIXI 5555をゲットしたのはゴーゴーガールみたいなつっちぃ!

2005-11-14 23:04:45 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUN さんのページ全体のアクセス数が
5555アクセスを超えました。記念すべき5555アクセス目の訪問者は
つっちぃさんでした!

以下のURLよりつっちぃさんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→http://mixi.jp/show_friend.pl?id=158279

つっちぃ! ありがとう! いまはしあわせなキミを祝福するよ! そのしあわせを長続きさせてね。そうであることを心から祈ります!(ああ、ボクらしくない前向きの発言だ。でも、つっちぃにはそう思ってます。こんな事を言っては、あとのまつりだが、現役の頃、お店にいってみたかったよ(笑)!)

(アクセス5,000は設定忘れでどなたかわかりませんでした。スマンソ!)



GOGO!MIXIアクセス5,500人めとエマニュエル・ビアンカ!

2005-11-12 14:49:45 | アングラな場所/アングラなひと
quiqui_nov5フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUN さんのページ全体のアクセス数が
5500アクセスを超えました。記念すべき5500アクセス目の訪問者は
ヒップス さんでした!

以下のURLより ヒップス さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1248669

ヒップス! ありがとう! 素敵なドキュメント作品にしてね!
(このブログ『風雅遁走!』全体としては11月12日現在総アクセス数31,016です!)

実はこの19歳の童顔の監督とその学友でもあるクルーにこの二月ほど追いかけられてドキュメンタリーを撮影されている。TVはキライだが、映画は大好きなボクはかれらが日本映画学校の生徒でそのゼミの実習としてフィルムをまわしたいという要請に、最初は浮かない返事をしていながら徐々にひきこまれてしまった。さて、どのような作品にまとめてくれるのかボクも楽しみだが、まだまだ撮影はあるようだ。

そうそう、先週花園神社となりの『唯唯(ういうい)』でこのドキュメンタリーのためのインタビューを撮った時(いやはや2時間におよぶロングインタビューでした。インタビュー自体3回めでした)、現在ママをやっているビアンカとのツーショットがあるので、公開してしまおう。
ダンサーでもあるビアンカの綺麗な身体の線が見えないのが、残念ではありますが……。

(写真:バックのポスターは、あの一世を風靡した「エマニュエル夫人」! この店のママのビアンカがエマニュエル夫人に見えてきた! オイラは悪酔いしているのか? ま、セブン夫人ではあるのだが……。)


E.G.P.P.100/Step52の報告とバードのこと

2005-11-08 21:45:11 | アングラな場所/アングラなひと
t_t_charmantボクがアレン・ギンズバーグをはじめて知ったのは、1962年刊の国文社のアンソロジー詩集『ビート詩集』だった。そこに片桐ユズル訳の『吠える』が掲載されていたのだ。家出をした時、フーテンバッグの底に忍ばせて行ったのもランボーの『地獄の季節』とヘンリー・ミラーと『吠える』だった。
『ビートその1』として「ビートおよびビート詩」をテーマにかかげたSTEP52で、ボクはギンズバーグの『吠える』を読みたかった。で、口開きにこの長詩の第1部を読もうと決めていた。けっして「あの頃」と同じような言葉の響き方はしないだろうが、ビートおよびビート詩というものを知った原点には、このギンズバーグの詩の存在を抜きにできないからだ。
そこで、ボクは読んだ。ビートという時代の最良の精神が凝縮された言の葉を。定評のある諏訪優さんの訳のほうで……。
そして、この日ボクはDJとしても、「水族館」をジャズ喫茶にしてしまい、モッズな音で盛り上げるつもりだった。

オープンマイク一番手はヤマさん。テーマは「時空の旅人」といったところか。1970年と2005年がクロスするという演劇仕立てのうた。1970年暮れ、酔って駅に眠り込んでしまった男に、時空の旅人が現れる。時空の旅人は、酔ったうだつのあがらない男を、未来へ連れていくのだ。

二番手はリバースクラウンさん。この男女二人のデュオグループが「あひるちゃん缶オプナー」を宣伝するために結成したデュオだったってことをはじめて知った。バリアフリーな商品開発をしているらしいT社の製品「あひるちゃん缶オプナー」ボクもその場でひとつ買いました。

三番。今晩も来てくれたPARAさん。「地獄へのぞむうた」他1編。今回はおちついてパフォーマンスをしたPARAさん。しかし、MCも含めてワンマンショーみたいに長かったなぁ(おおよそマイク独占時間20分)。

四番手。この日、エントリーの予定はなかったが、ムズムズしてやりたくなってしまった平山さん。ハービィ・ハンコックにのせて「憧れのハワイ航路」。平山さんがたちあげたNPO法人「NPO自主事業サポートセンター」の宣伝もかねて、喋ってもらう。理事長という仰々しい肩書きが最近付いているが……。

五番めのエントリーは、数ケ月前にはゲストでもあった小堀イチエンさん。ひさしぶりに坊主パンクが「水族館」に帰って来た! 「来るのは平成の大飢饉」というフレーズが気になる曲があった。3曲歌ってくれる。高松をよく知っているひとり。

エントリー六番手。新大久保では始めての高橋よしあき。E.G.P.P.には池袋以来一年振り。「Justice」を自在に即興の歌詞を取り入れながら歌ってくれる。都合2曲。よしあきは現在書店で売っている『ロック画報』の「メッセージ・ソング」の特集でも取り上げられている。

七番に、会場に遊びに来ていてくれていた「ねたのよい」のNODDYに高松貴久クンのうたを歌ってもらう。「フロトリップ」をNODDYは歌ってくれた。風貌もどこか高松に似ているNODDYは、気持ち良く歌ってくれる。

ボクのこの日のテーマは「チキンスープのブルース」だった。その高松に捧げた詩だ。高松は「風月堂」をリスペクトして同じ名前のバンドも作っていた。高松を最後のビートにみたてて彼に捧げた詩である。高松の追悼会を梅島ゆーことぴあで行った時、初お披露目したものだ。今回もなかなか評判が良さそうだったが、高松の彼女だつたGが来れなかったのが残念だった。

最後は今日のゲスト、ひとりラナテカことナラカズヲ。二日後からインドのバンガロールに行くらしく、ヒゲをたくわえていた。たっぷり楽しませてくれて終わったのは23時すぎだった。

次回は12月2日(金)Step53。テーマ:ビート・ジェネレーションその2/ビートニク・アゲイン! です。11月につづいて「ビート」をテーマにします。ゲストは「国分寺エクスペリエンス」! ポエトリーにエントリーも決まっているボーカルのおちょこの魅力にとらえられるだろうことは保証します。ゲストも強力!
12月もよろしく!

(写真1)バードことT.T.と恋人G/2003年春日暮里「シャルマン」にて(撮影:フーゲツのJUN)