風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

樹木葬秋の集い/精進料理お品書き

2009-11-30 23:44:19 | トリビアな日々
Shoin_lunch 28日、29日と千葉県大原の天徳寺の「樹木葬秋の集い」に会員でもあるのだが、同時にボランティアとして泊まりがけで参加した。
 いやはや、樹木葬の集いではこれまでの中で最大の参加人数(135名と聞いた)で、NHKの取材も入り、「通いの寺男」としても忙しかった(12月8日「ゆうどきネットワーク」にて5分程度放映予定)。樹木葬の会員でもあるボクは、ヒメコブシの母の墓参もかねて時間の許す限りお手伝いをしている。それにしても、本堂をいっぱいにするほどの参加者の数には天徳寺樹木葬の最初期会員であるボクもすこし気押しされました。受付、配膳、駐車場係とボランティア会員がよく働いて下支えしてくれました。ご苦労様でした。
 さて、ボランティアの人はあわただしい中で、そそくさと食べるしかなかったのですが、好評だったこの日のお昼の精進弁当を写真入りで、紹介しておきましょう。
 写真左下のゴハンのところから、反時計回りにブロックごとに紹介します。

 一、むかごごはん、大根の漬け物
 二、白菜と柚子とんぶりの漬け物
   出汁昆布と糸コンニャクの佃煮
   蓮の実、銀杏
   舞茸と自然薯、湯葉包み揚げ
   蓮根と高野豆腐そぼろ
   小麦粉グルテン団子
 三、薩摩芋と練り胡麻きんとん
   柿ジャム
   りんごあん、牛皮包み野苺のせ
 四、湯葉巻き(牛蒡、人参)
   湯葉巻き(しめじ、小松菜)
   里芋煮物
   しめじ、人参、ホウレン草の白あえ
   なめこと生湯葉辛子酢味噌あえ
 五、栗麩、生湯葉の柚子味噌のせ
   大根もち
 (汁物)カブと薩摩芋団子入りの汁物

 以上。すべて自然素材の精進料理。おいしくいただきました。ごちそうさまでした。


12/4 E.G.P.P.Nova!/step101「森ガール!そのルーツを求めて」

2009-11-27 14:55:49 | イベント告知/予告/INFO
Morigirl_harappa●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.Nova!/Step101
テーマ:「森ガール!そのルーツを求めて」
2009年12月4日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,000円(1Drinkつき)ただし、森ガールファッションを決めた女性は500円のみ。
MC:フーゲツのJUN、梓ゆい
(出演予定者)梓ゆい(ポエッツ)、フーゲツのJUN(ポエッツ)、ココナツ(うた)、bambi(スピリチャル・トーク)、よねやまたかこ(うた)、蔵重のんべ(インプロひとり芝居)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 一番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)→http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂→http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 「森ガール」という呼称は、mixi内のコミュからはじまった。森にいそうな(?)モコモコのニット系ファッションでおしゃれしたカワユイ女の子のことを言うのであるらしい。
 いまやmixiを超えてファッション雑誌、TV番組などでも取り上げられている。
 しかし、それは所詮ファッション用語で、明確な規定も、ましてや思想もない。雑誌『Olive』なんかがルーツ?なんて言われているが、コミュでこの言葉を言い出したひとは「個性的なファッション」ということしか言っていない。所詮は個人の好き嫌いの問題なのである。
 でも「森ガール」という呼称は、ルイス・キャロルが撮影したアリスの写真をはじめとして女の子、そしてもちろん男の子の心をくすぐってきたある傾向を言い当てている。アリスファッション(それはビクトリア朝風の少女ファッション)、妖精風ファッションというもので自己主張をしてきた系譜があるのだ(このあたりのことはこのブログで近いうちに書きますね)。

 今回のE.G.P.P.Nova!は新生第一回目にふさわしくファッション、シネマ、写真集といったものにポエトリーで橋をかけるという試みです。また、これは料理でもあってMCのふたり(フーゲツのJUN、梓ゆい)はシェフでもあり、パテシェでもあるという立場で、みなさまに組み合わせの創作料理の味わったこともない世界へお連れします!
 どうぞ! お召し上がりください!
 未知の世界へようこそ!

 ※今回個性的な「森ガール」ファッションでいらした女性の方は、フーゲツのJUNがドリンク料金をおごらせていただきます。つまり500円のみで入場できます。どうぞ、おもいきり趣向をこらした「森ガール」に変身していらしてください。

  一般オープン・マイクにエントリーなさる方には、このテーマ設定にしたがう必要はありません、御自分の表現.テーマで挑戦してください。
 ?ポエトリー、うた、バンド問わずフリーエントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP100 BBS)にエントリー表明を書き込んでください!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

E.G.P.P.Nova! MIXI内コミュ→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706

今後の開催予定→
2010年1月15日(金)
2010年2月からは毎月第二もしくは第三水曜日に開催。お問い合わせくださるか、E.G.P.P.Nova!コミュの告知にご注意ください。
問い合わせ 03-3362-3777(水族館)もしくはmixiメールでフーゲツのJUNまで。

(写真)「はらっぱ祭り」で友人の森ガール!



追悼文(2)/星建男くん

2009-11-26 00:46:50 | コラムなこむら返し
 星建男クンの死のことは、谷保の「かけこみ亭」のボケ丸が発行している手書きミニコミ『人それぞれに』の最新号で知った。ボクが知り合った頃、ボクは星クンのことを「勝新太郎」とあだ名していた。よく似ているのだ。
 星クンはある意味「女性」たちの解放運動に裏方として寄り添って生きて行こうと決めていたみたいだ。最初、星クンは「リブセン(新宿リブセンター)」の前身の「東京こむうぬ(コミューン)」の中で、未婚の母の女たちの子どもたちを育てるということをやっていた。まだ「保父」という言葉もなく、子育ては「女の仕事」と決めつけられていた頃の話だ。といっても、そんなに昔の話じゃない。1970年代中頃だろうか。男女共同参画という法律もその後つくられたが、ボクらは、「男も女も共に生きるために」とか、「共同の子育て」という言葉でそれらを呼び、「協力者から共同の主体者へ」と言うコピーを作って共同保育運動の最初の頃のムーブメントと共闘していた。それらのコピーをつくったのは、実は主にボクや『交流』と言うミニコミを出していた増野潔さんだったが、当時は地域に根付いたミニコミが盛んだった(「協力者から共同の主体者へ」はボクが作ったコピー)。『交流』は直接購読者がたしか2~3千人。ボクが当時のツレアイと出していたミニコミ(『地域ー家族』)が公称500部だったから、破格だった。ボクが中学時代からやっていたSFファンジンのことや、ミニコミ興亡史みたいなテーマはいつか、ここでも書きたいことのひとつである(荒川さんの『人間家族』とよく間違えられたことも含めて……)。
 そんなミニコミを出していたボクに、星クンは彼自身が言うところの「一本釣り」を敢行し、ボクらはまんまと釣られた。
 ボクらのミニコミ『地域ー家族』は、いわば「理論誌」だった。「家族の成り立ち(私家版「私有財産・家族の起源」)」「子どもとは何か?」そして「家族を超えた地域コミューンは可能か?」、「子育てと女性差別」などなどと言った、きっと現在なら誰も見向きもしないようなテーマを掲げていた。それは、当時のボクにとっては切実なテーマだったから……。
 理論誌『地域ー家族』で「同志的結合」をしていたツレアイとは壮烈な離婚劇を演じて、「敵」となって別れたが、またそれは当時武蔵小金井にあった「どろんこ」で保父をしていた星クンとの別れだったかもしれない。
 共同保育運動、男の子育て、男女平等の関係性での検証、賃労働と農的労働、家族とコミューン運動などなど当時のテーマは星クンと共有するテーマもたくさんあったと思う。そして、ボクらは結論的回答を見出すことなく、実践と理論の袋小路の中で自らを見失ってしまったのかもしれない。

 そう、小さい声で告白しておくと当時のボクなりの迷いと探求は現代書館の共同保育シリーズの中で読むことが出来る。が、そんな当時のボクを批判した東大(帝大)教授上野千鶴子との対決も含めてすべては棚上げにされている。いつかは、まなじりを決したい。

 星建男クンはそんな時代の数少ない同性の同志だった。その死の報を聞いてボクは悲しかった。またひとつの時代を語れる友を失ったのだ。星建男クンの死を哀悼する。


追悼文(1)/金坂今日子さん

2009-11-25 20:50:13 | アングラな場所/アングラなひと
 「はらっぱ祭り」にムロケン(室矢憲治)が遊びにきていた。そのムロケンから金坂今日子さんが、27歳の若さで自殺していたことを初めて聞いた。ムロケンとは、本年4月に「トウキョー・ヒップスター・クラブ」(原宿)で彼女の父である金坂健二の写真展を企画して開催した仲だったはずだ(関連記事→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20090418)。その時、ボクはなんの協力もできなかったが、彼女とはボクが荻窪でオープンマイク・イベントを始めた2001年12月に会った。ボクのHP「電脳・風月堂」を読んでエントリーしてくれたのだ。友人とともに「マーブル」というユニット名で出演、歌を歌った。そして、ボクにお父さんである金坂健二のことを知りたいと言うのだった。で、その際だったか、ボクが金坂健二と知り合ったきっかけであるアングラ新聞『ドロッパワー』のことや、アングラ映画のことをしゃべったと思う。
 その数年後、目黒美術館で金坂健二のフィルムが、修復上映された会で、ガリバーや、ゼロ次元の加藤さんやいろいろなひとに再会したが、あの時、また会ったのではなかったかな。
 今日子さんは、何が原因なのかウツ病だったらしい。金坂健二50代の頃の子どもだった今日子さんは、父母の離婚ということもあったのか父親の記憶はあまりなかったようである。だが、金坂姓を継いだ今日子さんは、物心ついて以来、父親の偉大なる業績というか仕事ぶりばかり聞いて過ごしたようである。ある意味、そのことは彼女が自分自身を確立する上ではプレッシャーになったのかもしれない。そして、自分を表現者として位置づけたかったようである(彼女もまたカメラを手にしていた)。そして、同時にいまや埋もれてしまった父親のフィルムメーカー、カメラマンとしての業績を再認識させることも娘としての自分の責務と思い定めたのではなかったろうか?
 だが、時代は60年代から遥かにはなれ、ましてや自分自身でもよく語れない時代であったろう。「新宿」を発見するのに椎名林檎を聞いて、それを「60年代新宿」と勘違いするということも1982年生まれの彼女としては仕方がなかったのかもしれない。彼女をいわばそんな二重苦が苦しめたのかもしれない。
 これは、推測である。ボクの勝手な想像である。だが、金坂今日子さんは27歳の若さでやおら自らの命を絶った。自分の人生の中で、父とその娘という二世代の死を知ることは、あまり気持ちのいいものではない。こころから哀悼する。

(お断り)当初、金坂今日子さんを1986年生まれの23歳と書きましたが、それはムロケンがそう言っていたから書いたのでしたが、彼女からはじめて接触があった時の書き込み(BBS)を調べてみたら、2001年時点で、19歳。つまり1982年生まれで享年27歳であることが分かりましたので、本文を修正しました。(11月27日記す)


「はらっぱ祭り」2009/感想と苦言

2009-11-24 23:05:29 | コラムなこむら返し
Juncoco_09_harappa 2009年の「はらっぱ」も終わりました。楽しかったけど、疲れました。ま、ボクの場合、第一日目で飲み疲れしましたが……(会場には泊まれないため、フラフラで帰りました。)。
 一日目は、天気も悪く若干の冷たい雨が降りました。天気は持ちましたが、寒かった。それでも、「はらっぱまつり」を心待ちにしているファンはいるもので、人出はそれなりにありました。
 「JUNCOCO」のボクのチャイ屋さんは、日本酒が真隣のマッコリ屋さんに食われて、二日で3本――これは、一日開催の07年の本数と同じです。つまり、一日で売りきっていたものをやっと二日間で売ったということ。その分、チャイで盛り返しました。でも、売り上げは二日開催だからと二倍になった訳ではなく、むしろ横ばい。ケバブ屋さんをやりたくなりました(ウソです)。
 ともかく、一緒にやったメンバーに感謝!
 「JUNCOCO」メンバー。ココナツ、マッチャン、トモチン、たかこ、キタハラゆかり。そして、ボクとその家族。
 「やすらからすや」メンバー。アリ、おみよ、mick、ケンゴ。(各敬称略)
全部で、10組参加でしたので、1組あたり二日でわずかの出店負担で済みました。
この点も、参加メンバーに感謝です。
 また立ち寄ってくれたお客さん。わざわざ来てくれたbambi、美季マドカ、13号倉庫、ガンジー、サリー、ムロケン、ミッキーなどのみなさん、ありがとうございました!

 プロ団体であるケバブ屋とその隣のタイ料理店が、撤収の日はやばやとリヤカーを確保して長い間、荷物を積んだまま放置していた事態にボクは憤ってます。
 それに対して実行委のメンバーがなんの注意もしていないことにも! リヤカーは全体で6台しかないのです。それこそシェアしなかったら他店に迷惑をかけます。
 まして、これらの店は紙の包み紙、食器をバンバン使ってましたから、これまでの「はらっぱ」で培ってきたゴミ減量の討論がまったくないがしろにされていました。
 荷物の量がハンパじゃないのはわかります。電源使用量も払っているのでしょう。それでも、いくら名物店とはいえ、「はらっぱ祭り」の趣旨に反したこれらの店はもう切るべきではないかというのがボクの感想です。いくらかの怒りもふくんで……。

お隣のマッコリ屋も二日間で、500本売ったそうですが(ツレアイの話)粗利で25万以上売り上げたことになります。初出店のここはマッコリの輸入業者でした。宣伝のために参加したのでしょうが、「はらっぱ」は商工業者の開催する祭りではありません。市民の手作りの祭りというコンセプトからは、ハズれていると思います。

 ま、こんなところにも儲けるために参加するのか、楽しみながら参加するのかの違いもあるのでしょうね。
 それに、参加者のこころないマナー違反も目だちました。二日目の勤労感謝の日は、天気が回復おだやかな秋晴れとなったこともあってクジラ山は詰めかけたファミリィのピクニック状態、前日は数件しか出ていなかったリサイクルバザーもひしめきあっていました。
 人出が多くなると出てくるのが、マナー違反で、公園内に置いてあった枯れ葉集めのビニールに、どこかの店の紙皿やハシを突っ込んで捨てているのが目立ちました。トイレに行くたびにそれを拾い集めてました。だれかがやると次の人も同じことをやり、いつしか公園内がゴミだらけになるのが、これまでのならいです。
 実行委はHPなどで食器持参を呼びかけているからと言うのですが、数年前のデポジットでゴミ減量を呼びかけようと言う意気込みの頃から考えるとはるかに後退しています。今回デポジットの食器を用意していた出店ははるかに減ったと思われます。デポジット食器でチャイ屋をやっていたわが「JUNCOCO」のデポジット用のカップは数個が紛失しました。これまでになかったことです。ゴミひとつ落ちていないね、と喜んだ2年前から考えても意識が後退していると思われました。
 エコロジーがエコポイントに換骨奪胎される世の中です。「モッタイナイ」から「地デジ対応TV」の買い替えが政府肝いりですすめられる時代です。人というものは飽きっぽい生き物なのです……。
 せっかく待ちに待って二日開催になったのですから、みずから祭りの首をしめるようなことはしてもらいたくない。と、そう心から思います。

(写真)いっとき賑わう(笑)「JUNCOCO」の店舗風景。



「もはやただの現在でもない」TVのこと

2009-11-21 03:10:21 | コラムなこむら返し
 最近、以前に比べるとめっきりブログ記事をアップすることが減っているのは、きっとTV漬けになっているせいだ。いまさらと言う感じだが、告白すると地デジ対応のTVをご多分にも洩れず、エコポイントの付くこの機会にと購入したせいだろう。経済を活性化する一助になんて心にもないことを考えて買ったのだが、アナログ受信機が見れなくなるために壊れてもいないTVを買い替えるという方針を、政府主導で行うこと自体がどこかおかしい。それ自身が、資源のムダ使いを生むことになるだろうし、このような方針はメーカーと家電量販店の圧力で、決まったのではないかと勘ぐってしまう。
 生活保護世帯と低所得者家庭向けにはチューナーを無償提供するらしいが、物が売れなくなった時代にこのような転換を決定するのは(決まったのは自民党政権時代)、メーカー保護、量販店保護だけでないTV局保護という側面もあるかもしれない。電波を垂れ流すだけの一方通行だけでは、いずれTVもネットの様々なサービスの中に統合されただろうからだ。
 あらためてビックリするのが、いわゆるTV通販(TVショッピングと称している)の多さで、中には番組自体が、通販の商品紹介で出来ているようなものがある。CM自体が、番組のコンテンツになっているというあきれるような番組で、またこのような番組が好調で、また評判もいいのだと言う。
 どう見ても、そのような通販番組は商品購入に誘導するという手法に満ちているが、これは「商取引」上、問題がないのだろうか? と考えてしまうものなのだが、映像の片隅に「個人の感想です」といったようなテロップが挿入される。それで、法規制「から逃げて」いるのだろうが、映像というものは奇妙なもので、デジタル化された美しい映像で、それを見せられると今買わないと損かも、と思わせてしまうところがあるのが怖い。
 バナナの叩き売りのような(断っておくが、香具師の口上を否定している訳ではありません)売り方で、これも付け、あれも付けていくらとダメを押す。ここに双方向のワンクリックで即購入といった機能がつけば、ヤバクありませんか?

 TV番組のコンテンツ自体もなぜか「散歩番組」が多いなぁ、と思ってしまう。以前は「旅番組」だったものが、その低予算のゆえにか地域を絞り込んだお散歩番組が花盛りのようだ。最近NHKではじまった『ぶらタモリ』は、江戸や明治時代の古地図や浮世絵を案内にいわば、土地の「地霊」に助けられてなりたっている番組だ。東京中の「坂」に通暁しているタモリならでのオタクぶりが番組の個性になっている。違う意味での教育番組にもなりえているのが面白い。
 長寿番組の『ちい散歩』(TV朝日)は、名もなき庶民に出会う旅ともいえるお散歩番組で、下町や商店街が似合う番組だ。俳優でもあるちいさんが、最後にスケッチしてみせる小さな水彩画が、印象に残る。
 考えてみれば『アド街ック天国』(TV東京)というこれも長い番組も、一地域を散歩するような番組で、ゲストがその地域のウンチクを語る。このウンチクでズバ抜けているのが山田五郎である。この番組は、おもにその地域のお店にランクがつけられる。ユニークな商品探し「薬丸印」が面白い。
 お散歩番組のような語り口は、むしろNHKが長い間培ってきた話法だと思うのだが、『鶴瓶の家族に乾杯』という番組は、ぶっつけ本番という謳い文句のようだが、ボクはほとんど見ない。もうひとつ、何かが感じられない。進行のタレント自体が好きではないという理由もあるかもしれないが。

 ついでに書いておくと16日に偶然見た『父よ、あなたはえらかった~』(TBS)は、意外に面白く家飲みをしていたボクは不覚にも泣いてしまった。団塊世代の息子が、タイムスリップして1968年に行き、若き父と母に会い、そして学生運動に巻き込まれるという内容だったが、細かいところは別にして、ほろりとさせられてしまったのだ。番組の中で、友人に糾弾される場面で、「風月堂から女と連れ立って出てきたという目撃談があるんだぞ」といったような台詞があった。

 こんなことをしている場合ではなかった。はらっぱ祭りはいよいよ明日から始まります! みなさん「JUNCOCO」へ、走れ!


はらっぱ祭りでJUNCOCO出店

2009-11-18 00:01:56 | イベント告知/予告/INFO
 もう一週間前を切ってしまいましたが、22日(日)、23日(祭日・勤労感謝の日)に都立武蔵野公園くじら山周辺(東京都小金井市試験場前近く)で「第21回はらっぱ祭り」が行われます。ここはフリーマーケットもありますが、ステージを囲むようにして市(いち)が立ちます。そう、まるで「楽市楽座」か、「洛中洛外図」のような賑わいをもって、カンタンも鳴くはらっぱが祭りの期間、旅の途中で出会うバザールのような市がミラージュ(蜃気楼)のように出現するのです。
 そこに友人たちとともに今年も出店します。「やすらからすや」と「JUNCOCO」という隣り合ったふたつのお店が建ちます(ステージ向かって右。仮設水道そば)。上から読んでも下から読んでも同じの回文風の店名「やすらからすや」は、おみよやアリの店、「JUNCOCO」はココナツとボクの店。それぞれ工夫を凝らした商品が並びます。「JUNCOCO」は、チャイと日本酒、手作り楽器、墨絵絵はがきなどが並びます。飲食は上限ワンコイン(500円)どまりのリーズナブルな価格設定ですし(まつり会場すべて)、物販は1,000円どまりです(同)。
 フレンドリーな店「JUNCOCO」で、皆様のお越しをお待ち申し上げます。
(ステージは二日間に渡って「花フェノ」「チナキャッツ」「YARZ」などのステージが繰り広げられて、フリーコンサートですよ! そう、入場無料なんです! どうかお越しの節は、マイ箸、食器、マグカップを持参の上、それでも出たゴミは持ち帰ってくださいね。それが、このフリーコンサートと、バザールの約束です。よろしく!)


JPFからの感謝メール(公開)

2009-11-14 00:05:05 | コラムなこむら返し
 9日(月曜日)に郵便振替でジャパン・プラットフォーム(以下JPF)に送金したら、翌日にはさっそくお礼のメールをいただいた。担当の方のお名前はなにか支障があるかもしれないので、アルファベットの頭文字に変えてここにメールのやりとりを公開します(公開の件は先方にもお断り済み)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

江守 様
E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者一同 様
?
初めまして、ジャパン・プラットフォームのKと申します。
この度はスマトラ島地震の被災者支援のためにE.G.P.P.100回記念イベントの収益金およびカンパをご寄付いただき、誠にありがとうございました。
?
8年4ヶ月の集大成としての記念イベントという大変貴重な機会において、その収益金の寄託先としてジャパン・プラットフォームを選んでいただきましたこと、改めて御礼申し上げます。
?
江守様、またイベント参加者の皆様、お預かりする皆様のご厚志は、スマトラ島地震で被災された方々の緊急支援と復興生活支援のために活用させていただきます。
?
着金を確認し次第、あらためてご連絡申し上げるつもりでおりますが、まずは御礼までにとご連絡申し上げた次第でございます。
?
引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
?
ジャパン・プラットフォーム
K 拝
http://www.japanplatform.org/top.html


江守 様
?
お世話になっております。ジャパン・プラットフォームのKと申します。
?
先日ご連絡いただきました「E.G.P.P.100記念ライブ・エイド」参加者の皆様からの義援金につき、昨日着金を確認いたしました。
?
領収書を発行し郵送させていただくつもりでおります。領収書の到着まで1週間程度のお時間をいただければ幸いに存じます。
?
また、可能であれば義援金を頂戴した旨を当方ウェブページなどに掲載させていただければと考えております。
掲載名は「E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者一同」として掲載する予定でございます。
また金額の掲載は可能でしょうか。
?
義援金の公開可否について、ご教示いただければ幸いに存じます。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
?
ジャパン・プラットフォーム
K 拝
*スマトラ島支援の資料を添付させていただきますので、ご高覧いただければ幸いに存じます。


ジャパン・プラットフォーム事務局 Kさま

早速のお返事を二度にわたりありがとうございました。着金確認安堵しました。呼びかけ人とはいえ、ボクにとっても収益金は預かり金みたいなお金でしたので、気がかりでした。ま、郵便振込で事故というのはあんまり考えられませんけどね。
で、領収書ですが、切手代がかかることですし、いりません。むしろ、そのような事務経費も貴会の大切な活動にまわしてください。今回のメールで充分です。
もうひとつのお申し出ですが、貴会のWebサイトなどへの掲載はむしろお願いいたします。あの記念ライブ・エイドの出演者・参加者にとってもWebサイトで確認できることは、今回のスマトラ島沖地震のインドネシア被災民への想像力が一段と膨らんで、身近になることかもしれませんから……。
金額も少ないと思うよりは、こんな小さいライブ・エイドでも思いをとどけさせることができるんだ、と励まされるかもという考えから金額掲載もOKです。一家庭でおこなうミニライブでも、「ライブ・エイド」、「チャリティ・コンサート」はできるんだという思いを届けたいです。まして、ボクらのイベントは普段は、ポエトリー・イベントですから、音楽でなくとも出来ると言うメッセージも含めて……。

貴会および日本のNGOが国際的にも大きく成長することを願って……。

 江守 および「11/6E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者」を代表して

(P.S)今回のこのメールのやりとりを「E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者一同」にお知らせするためにも、私のブログ「風雅遁走!」およびmixi内「E.G.P.P.」コミュに掲載させていただきますので、どうかご了解ください。
また資料添付もありがとうございました。


江守 様

大変お世話になっております。
ジャパン・プラットフォームのKでございます。
ご連絡いただきありがとうございました。

領収書の件につきましても、ご配慮いただき大変恐縮に存じます。
義援金を頂戴した旨の掲載につきましては、

「11/6E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者一同」

として金額も掲載させていただきます。
この度は義援金の寄託先としてジャパン・プラットフォームをお選びいただきましたこと、あらためて御礼申し上げます。

今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

JPF
K 拝


スマトラ島沖地震支援ライブ・エイド収益報告/もうひとつのStep100

2009-11-09 23:24:50 | コラムなこむら返し
Step100_jun_sarry さて、6日のE.G.P.P.100は100回記念イベントであったとともに出演者の方々の了解のもとに、収益金をこの日本時間9月30日にスマトラ島沖で発生し甚大な被害をもたらした地震の現地復興生活支援に寄付するというライブ・エイドでもありました。ここに、その報告もさせていただきます。
 収益金は ¥8,500
 カンパは ¥1,154
 合計   ¥9,654
でした。

 この金額のすべてはNGOの横断組織であるジャパン・プラットフォームを通じてスマトラ島沖地震の復興支援およびその支援活動に役立てていただきます。ジャパン・プラットフォーム→http://www.japanplatform.org/top.html
 寄付者の名前は「E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者一同」で送らせてもらいました。もちろん、内容を理解してもらうためにこのブログのURLもメールに添えておきました。
 インド洋地震津波ライブ・エイドに引き続いてのご支援、ご賛同を出演者、参加者の方々に感謝いたします。ありがとうございました。

 以下、ジャパン・プラットフォーム事務局へメールしたものの全文です。

「ジャパン・プラットフォーム事務局御中

 本日(11月9日)付けで貴団体の指定郵便口座に寄付金を送付させていただきました。指定事業は「スマトラ島西部パダン沖地震被災者支援事業」です。送金者名義は「E.G.P.P.100記念ライブ・エイド参加者一同」です。

 これは、私(江守)が主宰いたしますオープンマイクイベントの開催100回を記念したライブコンサートを上記スマトラ島沖地震被災者復興生活支援を呼びかけて「ライブ・エイド」(チャリティ・ライブ)としたもので、当夜(11月6日)の出演者、参加者の同意のもとに収益およびカンパを貴団体の上記支援事業に寄付させてもらうものとして送金いたしました。
 総額としては多くはありませんが、どうか貴団体および貴団体がネットワークなさっているNGOを通じて現地のひとびとの一刻も早い生活再建に役立てていただきたいと思います。
 上記の趣旨を汲み取っていただいて、どうかよろしくお願いいたします。

 なお、この「ライブ・エイド」の趣旨、内容については私の個人的ブログではありますが、下記のものをご覧くださいませ。
 風雅遁走!→http://angura.blogzine.jp/fugue/

 では、突然のメールの非をお詫びします。今後の貴団体の一層の活躍を念じてやみません。」

 以上。

(写真)step100でのボクのポエトリーと音に合わせて舞うサリー。



百人町で百面相/100回記念イベント報告

2009-11-07 15:04:00 | コラムなこむら返し
Ari_omiyo_step100 ついに迎えたE.G.P.P.100連続開催100回の偉業! なんて自分で言うべきことではないかもしれませんが、8年4ケ月を意地とガンバリで続けてきました。って実は、ツキイチのオープンマイクのMCはボクにとっても最高の楽しみでした。
 自分で設定しておきながら毎月テーマに沿った新作のポエトリーを書かねばならないことは、苦しく大きなプレッシャーではありましたが、締め切りがないとちっとも完成しないのが、これまでのボクのならい(要するに怠け者!(笑))であったので、たくさんの詩を生み出すことが出来ました。
 100回まで続けてこれたのはこれまで支えてくれたオーディエンスのみなさま、そしてなんと言ってもオープンマイクの主役であるエントリーしてくれた詩人、ミュージシャン、表現者、お笑いのみなさん、 そして会場を提供してくれたBoxinglee's cafe(荻窪)、SCUM2000(池袋)、ライブバー水族館(新大久保)のマスター、およびオーナーの方々のおかげです。本当にありがとうございました!

 と、いっても昨日発表しましたが、E.G.P.P.は名前を変えて(といってもちっとも変らないのですが……)今後も続きます。その名は、『E.G.P.P.ノヴァ!』。
 新生E.G.P.P.は、オープンマイクイベントの老舗としてだけではない「ノヴァ!(Nova!)」と言うその名のように新しい星の誕生を予言するものになるよう、新しいアイディア、顔ぶれで101回目から始まります(Novaは「超新星」という意味の天文学用語です)。

 このことを記念して組んだ6日のイベントは多数の皆さんの参加で、「水族館」が立錐の余地がないほど、と言うのは大げさかもしれませんが、少なくとも椅子はなくなってしまいました(おおよそ40名ほどか?)。そして倍音ケイイチくんから始まったライブもご機嫌でした(ケイイチはStep50の時に初めて遊びにきてくれ、離日寸前の100回目にライブをしてくれたのでした。やっぱり縁があったのですね)。アリは渋くお気に入りのアコステックギターで弾き語り、おみよさんのオーボエとのからみも静謐な音でした。中原中也賞受賞詩人である三角みづ紀さんは自作朗読で独特の雰囲気を見せてくれたし、まずはうたうようなその声が綺麗でした。高円寺ガンバラネBarのGUNJAZZは荒々しいが、カッコ良かったし、コダマくんの歌も飛び出しました。KORA KORAはジャンベのサッチャン抜きだったけど、あいかわらずサイケだったし、Saxがイカしてた。そのあとは、たくさんのミュージシャン(ガンジー、コダマ、林隆史、舞いのサリー)に手伝ってもらってボクがやり、会場に風を吹かせたところで、林隆史さんがバンマスの「Qui(クイ)」が、とっても洗練された音を聞かせてくれた。フルートの吉田一夫さんが「なんでもこなすウルトラマンですから」と言ったのに「なんでもこなすハービー・マンでしょう」とボクがジョークをかませ、トリのセミプロのジャズロックのバンドまで食ってしまうボクでした。

 幕間にたくさんのひとにお祝いのことばをいただきました。13号倉庫、松岡宮、美季マドカ、ジュテーム北村、北村幸生、平山昇、おもとなほ、福田理恵、bambi、ココナツ、藤木吾呂、さとやん(敬称略)などなど(名前が抜けていたらゴメンナサイ)。
 中には開口一番「100歳おめでとう!」と、どうやらレヴィ=ストロースと間違えているひともいましたが……(笑)。
 「ありがとう!ありがとう!」と言い続けて、ホントに自分が100歳になったような気分ではありました!

 では、新生(正確には「新星」だが)「E.G.P.P.ノヴァ」Step101は、12月4日(金)場所も同じ「ライブバー水族館」で開催です! お楽しみに!

(写真1)アリとおみよ。会場の雰囲気が一番出ている写真です。



レヴィ=ストロース死去のこと

2009-11-05 00:00:54 | コラムなこむら返し
 クロード・レヴィ=ストロース氏が、101歳の誕生日をひと月後に控えた10月30日自宅で死去されていたことが、報じられた。残念なことであるが、一世紀を生き抜いた「フランス現代知性の巨人」の大往生を悼みながらも祝福したい。
 レヴィ=ストロース博士のことは、昨年12月4日付けのこのブログで、博士の「100歳の慶賀」を書いた。11月28日に日本風に言えば百寿を迎えられた博士の100歳を祝わせてもらったのだ。
 そこに書いた以上の言葉をいまだ、持ち得ないが、ひとつだけ仮説を付け加えさせてもらいたい。それは『悲しき熱帯』(1955年)という先住民紀行のような一般的エッセイはもちろんのこと、『親族の基本構造』(1949年)という博士論文、そしてフランス構造主義の一金字塔でもあるだろう『野生の思考』(1962年)などの文化人類学的著作は、モルガンの『古代社会』やバッハオーフェンの『母権論』などとともに「先住民文化」や「部族社会」へ目を見開かせたという意味で、60年代ヒッピー・カルチャーの思想的バックボーンになったのではないかという仮説である。
 きっと、こんなことを指摘するのはこの文章がはじめてだろうと自負するのだが、ネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)や南米インディオの部族的社会構造の研究が、20世紀の破壊と戦争の文明に背を向けたカウンター・カルチャーつまり現代文明の中の「族(トライブ)」たちの思想的よりどころになったのだろう、という考えだ。
 そしてまた、ドラッグ・カルチャーでもあったこの世代は、その探求(クエスト)の果てにシャーマニズムや、チベタン死者の書といった経典までも見出したのであった。

 いま、若い女性たちのファッションとして再認識されている「森ガール」たちが、どうかクロード・レヴィ=ストロース氏の著作を発見し、理論構築の一助として「野生」や「部族」に、出会いますように!

 レヴィ=ストロース/100歳の慶賀→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081204


棚から、レディ・ボーイ!でございます。

2009-11-03 01:13:13 | コラムなこむら返し
Haruna_queen 昨日一日反芻していたが、うまく思い出すことができない夢を見た。細かいデティールはどんどん忘れて行くのだが、どうやらブログとmixiの書き込みで犯罪のアリバイをでっちあげるというちょっと推理ドラマみたいなものだったので、思い出そうと試みていたが、ダメだったようだ。
 その犯した犯罪自体を思い出せないのだから、どうしょうもないのだが、まさか結婚詐欺や、殺人ではあるまいと思う。ただ、現在世間を騒がしているというかTVのワイドショーがのりピーのあとの格好の話題と狂騒の態をなしている「34歳の結婚詐欺のおんな」の事件が、このボクの夢に浅からぬ影響を与えているのかもしれない(笑)。

 起きてから朝刊を見て二度びっくり! そこには中島みゆきさん(57)が紫綬褒章を受賞という記事と、はるな愛さん(37)がタイ・パタヤの「ミス・インターナショナル・クィーン2009」でグランプリという記事が、同じ社会面でならんで報じられていたからだ。
 どうも芸能ネタがからきし(そもそもバラエティ番組を見ない)のボクが、はるな愛の名前を知っているのは「ちょっと可愛いかも」と思ったことがあるからだが、太って大口あけてのオシャベリには閉口していた。ところが、女性が通う某有名エステサロンで、10キロの減量につとめすっかりスリムになった「彼女」は昔の美貌を取り戻し、「レディ・ボーイ」の本場で「クィーン」の栄誉を獲得したという!
 ところで、ボクに醜悪さもともなうあの「オカマ」というイメージを払拭してくれたのは「タイの美しき男の子たち」だった(このタイトルで、タイのレディ・ボーイのことをかって記事にしています)。日本では「ニュー・ハーフ」という訳のわからない言葉で呼ばれている性転換者の彼女たちはタイでは「レディ・ボーイ」と呼ばれ、歓楽街ではすっかり市民権を得ている。丸山明宏時代の「シスター・ボーイ」を連想させるこの「レディボーイ」という言い方の方が、優雅でしっくりとボクにはくるのだが、その「レディ・ボーイ」の頂点が、このパタヤで開かれている「ミス・インターナショナル・クィーン」と言うコンテスト(ミスコン)なのである。

 その「レディ・ボーイ」の頂点になみいる「美女」を押さえて日本人としては始めて立ったはるな愛さんは、「言うよね~」と決めたらしいが、実は紫綬褒章受賞の中島みゆきのコメントのほうが、はるな愛にはふさわしかったかもしれない。それはこういうものだった。

 「棚からボタ餅」と申しますが、今の私の気持ちはボタ餅どころか、「棚から本マグロ」でございます。

 で、ボクはこの記事のタイトルを「棚から、レディ・ボーイ!でございます。」にしたのだった。

(写真はロイターのwebニュースサイトから借用しました。このブログは「商用」サイトではありませんので、借用は許されるだろうと判断しました。)

文中にあるボクの記事は以下で読めます。
美しき男の子たち??タイのアンドロギュヌス→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20050521
タイの美しき男の子たち後日談→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20050715



ハローウィンのあとは灯りをともせ!/燈台記念日

2009-11-02 00:01:29 | コラムなこむら返し
Inubousaki_lighttower ハローウィンの次の日、実はまだ「死者の日」(聖使徒の日)であるのだが今日11月1日は、「燈台記念日」であるらしい。これは、灯台もと暗しだった。

 燈台にはなぜか心惹かれる。岬が好きで、岬の先端にはたいてい燈台がぽつんと、その孤独な姿を潮風にさらしていた。そして、その足下でまるで巨大な恐竜に寄り添うように眠るのも好きらしく、先月行った犬吠埼(千葉県)のみか、御前崎(静岡県)、足摺岬(高知県)、野母崎(長崎県、ここは燈台は島になるが)でも似たようなことをしている。
 地図記号で言えば、錨のマークと燈台の記号を見るとなんだか、異国に心惹かれるような夢見モードになってしまうかのようだ。
 実は、西洋式の燈台はこの国が、長い鎖国から解かれてイギリス、フランス、オランダ、アメリカにその門戸を開いた時、言わば外圧によって建設された。貿易や入国のために開港したとき、船舶の安全寄港のために燈台の設置が義務づけられた。
 そのような燈台の建設は、慶応3年からはじめられた。そのことを記念して、「燈台記念日」は海上保安庁の働きかけで、昭和24年に制定された。11月1日になった理由は、前年に11月3日が「文化の日」となったので、文化のシンボルで、さきがけでもあった燈台の記念日を1日にする、と言うウソのようなホントの話が残っているとか。
 この場合、文化というより文明開化(略して文化)のことではないかと思うのだが……。

(写真)先日写した犬吠埼燈台の別ショット。