風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

チェコ・シュヴァンクマイエルの夜/ジゴクの二夜をユジクで堪能する

2017-09-30 13:25:29 | シネマに溺れる
「チェコ・アニメの夜」と言うアニメまつりのくくりで上映したら、最も浮くに違いないヤン・シュヴァンクマイエルの長編作品『悦楽共犯者』(1996年/83分)を見てきた。シュヴァンクマイエルの静的なアート作品の過剰なほどのフェチシズムは、驚きを伴ってむしろ私は好きなのだ。だが、それが動き出すとどうだ!この稚拙なまでの陳腐さは?これはフェチシズム映画のパロディか?と一瞬疑ったほどである。(評価:★1/2)

ただこの作品の中で、唯一見るべきものがあるとすれば、おそらくシュヴァンクマイエルの創作の過程といったものが、明かされていると推察できる場面である。
机の引き出しを開けると引き出し一杯に詰まった粘土!ゴミ箱から拾ってきた藁束があれば、ズタ袋一杯の鳥の羽!狐のマフラーの尻尾を強奪し、それはそれは肌さわりも感触も抜群の、世にも妙なる悦楽自慰マシーンを男は制作するのだ。
モニターに映った憧れの女性アナの口元をアップにしながら…。肉体を直接交わすだけでは、快楽を得られないひとびと。その熱情のあまり電子回路をハンダ付けし、モーターを取り付け、女性アナの白き両手を想定したマネキンの手をご丁寧にも4本も取り付け、指先には真っ赤なエナメルのマニキュアを塗り、モニターに口づけしながら、自動するフェルトや狐の尻尾の肌触りに震えおののくのだ。

どうだ、これは映像よりも文章で書き起こした方が、悦楽的に感じ入るものがあるではないか(笑)!エクリチュールの快楽!汝はエクリチュールのフェチなるや?
これは呪物崇拝のコメディなのだが、そこで笑い飛ばされるのは「人間」それも厳密に言うなら特殊な性癖を持った「男」・「女」なのだ。シュヴァンクマイエルと同じ性を持つ男は、その不能なまでのフェチシズムを快楽追求型に追い求めるのだが、その快楽は不可能性いや、不能性によって終わりなき旅となる。
女は?女のフェチもあるではないか。郵便配達人の女は、パンをくり抜き、ふっくらとした中身で小さな球を執拗に丸めあげる。夜、睡眠時にそれらの丸球を鼻から吸い込んで、耳に詰め、1日の疲れを癒すのだ(!)。
コウモリ傘でコウモリの翼を作った男は、隣室の女にマゾヒスチックに鞭で攻められては、藁が詰まった悦楽の涙を流す。
その不能なまでの快楽追求の旅は、異性たる性を対象としながら<究極の自慰>なのだ。究極の一人芝居としての自慰!マスターベーションをマスターせよ!

実際、共産主義体制だった時代に徹底的に無視され、理解されなかったシュヴァンクマイエルのアート、アニメ、人形劇はその冷酷な政治体制の中で、自慰行為と同然だったし、そう社会に目されていた。シュヴァンクマイエルは内面の自由、精神の自由を求めて徹底的に示威行為たるアート行為を貫いていた。むしろそこにしか、彼の自由はなかったであろう。

そして、翌日(27日)はヤン・シュヴァンクマイエルの短編特集だ。これは良かった。ヤン・シュヴァンクマイエルの面目躍如である。そうか、シュヴァンクマイエルは、ボクらがハイスクール時代を過ごしていた頃、共産主義国家から一切の制作費援助も受けられずに、これらのコマ撮り短編映画を作っていたのか!
確かにシュヴァンクマイエルの作品には、イデオロギーもプロパガンダも感じることができない。これじゃ、国家も制作助成金を出すわけがない。

1. 棺の家(1966年/10分)
2.ドン・ファン(1972年/33分)
3.対話の可能性(1982年/12分)
4.男のゲーム(1988年/15分)
5.闇・光・闇(1989年/7分)
6.セルフポートレート(1988年/2分) / 監督ヤン・シュヴァンクマイエル/イジー・バルタ/パヴェル・コウツキー
(評価:★★★★)

上映された短編6本の中でも、『闇・光・闇』が抜群に良かった。似た傾向の作品だが、『対話の可能性』も気持ちが悪くなるくらいいい(笑)!シュヴァンクマイエルの粘土成形の見事な技術が発揮されている。壊しては、成形し、粘土が溶け合っては再び個体の身体を取り戻す!まさしくアニメーションの命を吹き込むかのような原義が発揮される。物体(粘土)が生命を得たかのように動き出す。コマ撮りの技法によって!
しかし、ここで注目したいのは『ドン・ファン』の人形の素朴な様式美である。以前、展覧会で見たチェコ操り人形のような作品はこれだったのだろうか?
御存知だろうが、チェコは人形劇を伝統的に得意とし、また世界的にも評価されている。さらにはスラブ民族にはゴーレム伝説があるから、人形劇への偏愛は民族的なのかもしれない。
その伝統は、そのまま人形アニメ(コマ撮りアニメ)の世界へ繋がり、シュヴァンクマイエルのような国際的な人気を持つ作家が登場した。
かって共産主義国家に制作助成もされなかった上に、弾圧もされたらしいシュヴァンクマイエルはいまや国際的な名声を得て国家も無視できなくなった。いやむしろ外貨獲得ではかなりの貢献を国家にしている以上、文化大臣はもとより首相も無視できない存在となっているらしいのだ(上映後のトークによる)。
チェコの国賓級の外国要人がことごとく一番会いたがる最重要人物が、シュヴァンクマイエルだと言う。さもありなん。

ところで、シュヴァンクマイエルは現代を生きるシュールレアリストだと目されることが多い。
だが、国際シュールレアリズム運動が第四インターの衰退とともに消滅している以上、そのレッテルは本人にも迷惑だろう。ただ、彼のオブジェに対する偏執狂的な偏愛は、かってのシュールレアリストとの共通点が多いことは、認めよう。
だが、私にはシュヴァンクマイエルの作品世界は、物質に満ちたこの巨大な消費社会の中で、呪物崇拝(フェチシズム)を取り戻すことによって古代的な心(原始的心象・アニミズム)を取り戻させようとしているとしか思えない。
物質は全て生命を持つ。いや、そう言っては誤解を招く。こう言い換えよう。物質は全て霊魂(アニマ)を持つ。それゆえ、シュヴァンクマイエルはそのフェチシズムを遺憾なく発揮して、物質に霊魂(アニマ)を吹き込むあの、あの創造主と同じかりそめの「人形アニメ作家」の顔をしているのである、と。

『チェコアニメの夜2017』9月26日、27日ユジク阿佐ヶ谷にて
 (ジゴクの季節にJUN爺誌す。2017年9月29日)

忘却のクレオール文学/映画『日曜日の散歩者』を見る。

2017-08-26 02:55:03 | シネマに溺れる
これはなんて「文芸」の香り馥郁たるシネマなんだろうか?それもその香りたるや、もはや打ち捨てられて誰も振り返ることのない昭和初期から10年代のモダニズム文芸なのだ。
そして、イメージフォーラムの封切り六日目にしては寂しい8名の観客の中で(キャパは百代ならぬ百名!)、椅子に身を埋めていたボクがバックパックに潜めていたものは、ベンヤミンだった。ベンヤミンは、その方法意識において全頁が引用で成り立ち、その言辞の衝突における一瞬の光芒で書物が立ち上がるような瞬間を理想に描いていたらしい。そう言う意味では、このドキュメンタリー・ドラマの形をとったシネマはおそらく千頁に匹敵する研究書を引用で埋め尽くし、そのまま映画にしたのだと言えなくもない。ならば、残された課題は映像や音声を超えて、時代や、テーマが作品の中で立ち上がるかどうかだと言える。

そのテーマはひと言で言えば「1930年代、日本統治下の古都・台南で、植民地宗主国の言語である日本語で詩を創作し、新しい台湾文学を作り出そうとした同人詩誌『風車詩社』の活動を描いた映画」と言うことになるだろう。ちなみに黄亜歴(ホァン・ヤーリー)監督も「風車詩社」の存在を知って映画化を思い立ったということらしいが、ボクもそう言う文学運動が植民地下の台湾、それも台南にあったなどと言う事実は寡聞にして知らなかった。ましてや、そのグループは仲間の日本留学や、遊学によって当時の日本文学の動向や、流行を知り、それを台南の文芸運動に持ち込むことによって台湾文芸興隆のきっかけにしようとしたものだったらしい。そして、映画の中の陳述によれば、もしんば植民地本国の詩壇や、文壇に認められるような作品が生み出せれば、台湾の日本語文芸運動も帝国日本の詩壇、文壇の一角に地位を占め、台湾文芸の水準を認めさせるものになるだろうという意欲だけが先走った大仰なものだったようだ。
当時、帝国日本の文芸活動や、その先端的な流行はプロレタリア文学やモダニズム文芸であり、ダダやシュールレアリズムがフランス文芸の翻訳、研究、出版として輸入され始めていた。それらは「新興芸術派」と呼ばれ、とりわけダダイズムを継承したシュールレアリズムは詩や文芸のみならず、絵画などの前衛芸術運動に広く共感され流行したものだった。映画の中でも、運動の本場だったフランスでシュールレアリズムを代表したキリコ、ダリに始まり「シュールレアリズム映画」として紹介されることの多い、ルイス・ブニュエルのフィルム「アンダルシアの犬」やマン・レイの写真なども引用されている。植民地本国である帝国日本のシュールレアリストであった北脇昇、池袋モンパルナスの住人でもあった靉光などの絵画も引用される。ともかくも、困惑するくらい多くの作品が引用されている。
さて、「風車詩社」のガリ版刷り同人誌の名前は『風車』(Le Moulin)であり、あのパリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」から取られている。映画のチラシにムーラン・ルージュの写真があしらわれているのはそのためなのだろう。この映画の原題である 「日曜日式散歩者」は、日本名名義「水陰萍人」こと楊熾昌の詩作「日曜的な散歩者」から取られている。

 夢の中に生まれてくる奇蹟
 回転する桃色の甘美……
 春はうろたへた頭脳を夢のやうに——
 砕けた記憶になきついてゐる。
   ♢  ♢  ♢
 青い軽気球
 日陰に浮く下を僕はたえず散歩してゐる。
 (略)
   ♢  ♢  ♢
 さよならをする時間。
 砂の上に風がうごいて――明るい樹影、僕はそれをイリタントな幸福と呼ぶ……


この詩は昭和8年3月「台南新報」に掲載されているから、楊熾昌はすでに一定の詩人としての認知はされていたのだろう。
『風車詩社』の中心メンバーは楊熾昌の他に李張端、林永修(南山修)などがおり、この中でも林は慶應義塾に留学し、西脇順三郎の薫陶を直接受けていた。
率直に言って『風車詩社』が、理想としたのは西脇順三郎風のスタイルだったのかもしれない。その乾いた前衛性とともに、言葉に溺れた陳腐さを感じるのもそれが西脇スタイルだったのかもしれない。
『風車詩社』の活動の時期はわずか2年間余り(『風車』4号まで)で、戦後国民党政権下で彼らは白色テロを含む様々な弾圧、嫌疑をかけられたと言う。このあたりはもう一つの名作『非情城市』(侯考賢監督)を見てもらった方が良さそうだ。


さらに、これは夢想だが、クレオール文芸の可能性が、その萌芽が台南にあったのかもしれないと考えることは、ボクにとっても心楽しいことであった。というのも、その台南の『台湾文藝』や『台湾新文藝』が刊行されていた当時、我が父母、祖父、祖母は隣の県である屏東に住んでいたからである。祖父は事業をやり、植民地資本主義にあって成功者のひとりであり、その息子たる父は毎日新聞社台湾支局の記者だった。彼は、新聞の企画として女学生の座談会をやり、そこで母と知り合い結婚したのだ。
ボクにとってはもはや想像の世界でしかないのだが、植民地本国人として豊かで、自由を満喫した後にも先にもこのような幸福はあるまいと言えるような暮らしをこの美麗島の南部で我が家族は過ごしていたからである。
(そのような至福に満ちた台湾にあってのちに叔父になるM氏は、あの特攻艇「震洋」の乗組員として死を覚悟して出発命令を待つ。まるで島尾敏雄の体験のような体験をしていたようなのだ。)
現在70代後半以上の日本語教育を受けた世代(彼らの中の先住民の人々にとっては、部族名・漢名・日本名などいくつもの名前を持たされた)を中心に台湾にブームとなりつつある「懐日」の気分。「湾生回家」(台湾生まれの日本人。ボクの姉がそうだ)のサルダージの地としての美麗島(台湾)。これらを通して台湾との友好的で、和解しあった良好な交流、外交に結びつくように台湾ファンの一人として祈っております。

評価(★★★★)✻ 但し、この映画の中で引用された文学者や、文芸作品も知らず、ましてや台湾のことなどその歴史においても興味がないという御仁には、おそらく退屈極まりない2時間42分になるだろうことは申し添えておきます。

狂おしき愛/ウニー・ルコント『めぐりあう日』

2016-07-30 23:26:42 | シネマに溺れる
岩波ホール『めぐりあう日』公開初日。『冬の小鳥』でデビューしたウニー・ルコント監督の出自にまつわる三部作構想の第二部にあたる。
はっきり言って、メロドラマである。で、ボクはメロドラマがダメなのだ。途中退場しようかと思うほど物語に入っていけない。このテーマはむしろノンフィクションで追及すべきではないだろうか?
では、なぜ途中退場しなかったかといえば、ラストにブルトンの『狂気の愛』の一節が使われると知ったからだ(パンフ売り場にブルトンが置いてあって何故?と思っていたら初日挨拶で岩波ホール支配人がそのことを語っていたから知った)。
その言葉は、映画がこの現実世界を一歩も出なかったように、津久井やまゆり園障害者虐殺事件を経たばかりの現在の日本でも、アクチュアルに通用する含蓄あふれる言葉で、シュールレアリズムの旗手だったブルトンのイメージとは、ほど遠いブルトンが娘へ与えた生命賛歌だったのである。

この映画の原題は、ブルトンの『狂気の愛』のラストのこの言葉から取られている。

「あなたが狂おしいほどに愛されることを、わたしは願っている」

どうしてこれが、『めぐりあう日』となるのだろう?含蓄も何もない邦題だ。

そもそも『狂気の愛』の翻訳タイトルもおかしい!
『ナジャ』のイメージでブルトンを考えていると、それはとてつもない尋常を超えた「愛」を考えてしまうだろう。
実は、それは「狂おしい愛」のことなのだ。
それも、娘に対する思いやりと、愛情あふれる言葉だったなんて!
評価(★★1/2)

公式サイト:http://crest-inter.co.jp/meguriauhi/index.php

蓮の香りたつ夢幻のシアターを期待した...「シアター・プノンペン」

2016-07-12 16:30:52 | シネマに溺れる
映画の始まりはプノンペンの雑踏だ。主人公の女子大生ソポンはボーイフレンドのバイクの後部座席にまたがり、カンボジアの熱い空気を切り裂いて暴走する。そして、ツッパリ気味のBFと別れて紛れ込んだ廃墟同然の映画館で、スクリーンに映し出された一本の映画『長い家路』と、そのメガホンを取った監督と出会う。
そして、そのスクリーンに映し出された花咲く蓮池で、微笑む自分によく似た女優は、家で老残の身をさらしている母ではないのか?
こうして、ソポンは、母の生きがいの回復のために『長い家路』の完成を母の身代わりとして自らの主演で、目指すのだ。

ポルポト政権以前に存在したカンボジア映画へのリスペクトに満ちながら、「劇中劇」としての映画『長い家路』を完成させるために、現実とまじりあった辺りから映画としては、ノスタルジーに流れて破綻するのだ。
残念だ。美しい映像だったから、とても惜しい。
それなのに、東京国際映画祭2014年にカンボジアの歴史及び女性監督ソト・クォーリーカーへの期待からか、国際交流基金アジア・センター特別賞が与えられた。ソト監督のこれは処女作なんだ。甘すぎるだろう。

アジア女性監督映画特集として、二作品並べられた岩波ホール上映の作品では、先月上映されたインドネシア映画『鏡は嘘をつかない』の方が優れていた。ま、映画音楽とソポン役の女優(マー・リネット)は良かったが...。蓮の花の香りたつ夢幻の映画を期待した自分が、悪かったのだ。
評価(★★★)。

http://www.theater-phnompenh.com/

『鏡は嘘をつかない』スラウェシの海に生きるバジャゥの少女の成長物語

2016-06-30 20:15:43 | シネマに溺れる
美しい原始の海、太古からの澄み切った青空!
30日、明日で終わってしまうインドネシア映画『鏡は嘘をつかない』(2011年)を、見てきた。これは、子供たちにも見せたい映画だと思った。海洋民バジャウの暮らしの様々が、子供たちにも憧れと愛しさを与えるだろうと思ったのだ。
監督はインドネシアの女性監督カミラ・アンディニ。女性的な視点が見られて、そこも注目だ。WWFインドネシアが制作協力という点もユニークである。
だがそれにしても、あのインドネシア(それも、スラウェシ島の「ワカトビ」)のどこか粘着的な潮騒の音がまさしくヤモリの鳴き声とともに映画の通奏低音になっている。
いうまでもなくインドネシアは、日本とともに地震国で、数年前には大きな地震に見舞われて大きな被害を出している。
映画の中でも、海の彼方の波が盛り上がる漁師に伝わる津波の伝説のようなものが語られ、そして映画が製作された2011年にはるか海の彼方の国(とは言え緯度はほぼ変わらない)日本の東北地方を襲った津波の報道が引用されている。
海は12歳の主人公パキスから、漁師である(ほぼそれ以外の生きる術はないのだが…)父を奪う。そして海の隠喩として使われる「鏡」は、母の中の海、そして少女自身の中の海を荒らし、鎮めて静かにワカトビの海として何事もなく鏡のように静まり返る!
『鏡は嘘をつかない』。この映画作品はインドネシア(とりわけスラウェシ島)が大好きなボクには忘れがたい一作になった。バグース!評価(★★★★)

https://www.facebook.com/kagamimovie/

『木靴の樹』〜その農的映像美〜

2016-04-20 19:15:43 | シネマに溺れる
上映時間3時間07分。なんと言えばいいのだろう。こんなにまんじりともせずシネマを見ながら、エコノミー症候群になるのではないかと思った映画も、『大地のうた』三部作一気上映を見に行った時、以来かもしれない(その第3部『大樹のうた』が、この岩波ホールのこけら落としの上映作品だった)。それも、ほとんどストーリーというストーリーのない北イタリアの農村での日常が、初冬から初夏まで描かれ、映像の中で季節が巡っていくのだ。
1978年この作品にカンヌ映画祭パルムドールを与えた審査員も凄いが、2000名にも当たる観客がスタンディング・オペレーションをしたと書いてあることが信じられない。
と言ってボクは作品をけなしているのではない。エルマンノ・オルミ監督の1988年作品『聖なる酔っ払いの伝説』など、感動してその作品に一遍の詩を捧げたくらいだ。
この農的な映画作品は、現に見終わって1日経ってから少しずつ沁みてきた。ボクは即反応できなかっただろう。この作品は、まるで発酵するかのように、日がたつにつれ徐々に沁みてくる農的映画作品なのだ。
ああ、あのポー川を下る船のシーンがまた忘れがたい。寡黙な男が、不器用に恋をして美しい娘を妻にする。村の教会で早朝に式を挙げてミラノを目指す。寒村から見れば、その中世的なミラノ市街が大都会に思える。新婚の夫婦は、ミラノの教会で修道女として働く伯母を訪ね、教会で初夜を迎え、そして翌日には(!)天使のような赤児を伯母から授かる。15歳までの養育手当てと、衣類一式とともに…。
「天使は喜びと幸せをもたらす」
農村の人々は、生きとしいけるいのちに対しては、無性にやさしい。素朴とはいえ、いのちを育てるものたちだからだ。
1日たつと沁みてきて、ボクは泣きそうになる。
評価(☆☆☆☆1/2)

http://www.zaziefilms.com/kigutsu/


私生児ヴィオレット——不幸な文学

2016-02-09 23:36:04 | シネマに溺れる
作者の名はヴィオレット・ルデュック。そうか、それが翻訳刊行されたのは1966年だと言う。
同じ頃、『エマニエル』(そう、ソフトポルノ映画と言うふれこみで女性も見に行った『エマニエル夫人』の原作)とともに二見書房から翻訳出版された。当時、その激しい告白体の文章からポルノグラフィと同じような扱いをされていたのではなかったか?
AMAZONにも古書として存在しない。古書店検索にもひっかからない。読みたくとも読み様がない。図書館にあるだろうか?

だが、ボクは書庫を探せばあるはずだ。つまり、かって半分ほどは読んだのだ。そう、ポルノを読むつもりで!
しかし、その小説はある意味、痛い物語だったのだ。ボクは途中で放り出してしまった。

いま(今週金曜日2月12日まで)、岩波ホールでそのルデュックの半生を描いた映画が公開されている。
『ヴィオレット』(マルタン・プロヴォ監督2013年フランス)である。痛さは、映像的には醜悪と言う表現になるのかも知れない。主人公もそれをとりまく登場人物も、嘔吐したいほど醜悪だ。それが、映像表現として成功したのかどうかは分からない。だが、登場人物たちが醜悪であればあるほど、ヴィオレットが歩くプロヴァンスの森や、山は美しい。

登場人物はほぼ実名である(と思われる)。ジャン・ジュネやサルトルが出てくる。ヴィオレットはその才能をボーヴォワールに見出され、サルトルやジュネの賞賛を受ける。
作家たちは自分の人生よりも、醜悪で悲劇的な人生を見出しては賞賛する!もっと書け!もっとさらけ出せ!あらいざらい吐き出せと!
そして、それらの「作品」は、ガリマール書店から出版され、ヴィオレットはなにがしかの金を手にする。
ヴィオレットは、すべてをさらけ出したあと1972年に「作家」として65歳で死んだ。
さて、ボクは『ヴィオレット』とは誰のことをいっているのかと言う興味で、なんでも見る映画ファンのひとりとして劇場に足を運んだ。そして、映画がすすむにつれなにもかも思い出したのだ。
ボクの頭の中に「ルデュック」として刻まれていた。ひとりの告白体の醜悪な、そしてその存在が「私生児」だった、ひとりの女性作家を…。
そして、その頃、そう翻訳出版されてなにがしかの話題になっていた頃、ボクらも「私生児」だったことを…。
映画の中で、ボーヴォワールはこう賛辞した。
「文学が、もっとも美しく救済したひとつの例示なのよ!」
それは本当だったのか?それは不幸の別名ではなかったのか?
『私生児』に、実際ボーヴォワールは序文を寄せている。
「他者との関係に失敗したものは、この特権的な形式を持つ伝達形式——すなわち、ひとつの文学作品に到達したのである」
そう、それは「不幸」の別名だったのだ。(文責:JUN)
http://www.moviola.jp/violette/
私生児 (1966年)


「映画の日」今日の1本はパーフェクト!

2007-11-01 23:58:09 | シネマに溺れる
 月の初めのためしとせ! あ、それは年の初めでまだ早かった。
 霜月朔??1日は「映画の日」であった。そう、ロードショー作品が1,000円で見れる日なのである。その上、きょうは「万聖節」諸聖人の日なのであった。と、実は霜月(11月)でなくとも、毎月1日は「映画の日」だから、今日選んだ1本はずっと見たかったこれだ!

 『パンズ・ラビリンス』(2006年スペイン・メキシコ合作映画)である。カンヌでも激賞され、アカデミー賞の3部門受賞(撮影賞・美術賞・メイクアップ賞)を獲得しているから、かなりの期待作だったのだが、これは傑作です。2日のイベント直前余裕がなく作品論は後日書きますが、久方ぶりのパーフェクトです。上映後、場内から拍手がわきました。もちろん、ボクも拍手してきました。お勧めです。
 スペイン語圏なのでメキスコの監督ギレルモ・デル・トロの作品です。明日のテーマにも結びつくかも?
 評価(★★★★★)。パーフェクト賞!

公式サイト→http://www.panslabyrinth.jp/
予告編→http://www.youtube.com/watch?v=OyWDnaN1nCg
(ちなみに前回パーフェクトの5つ星を獲得した作品は女性監督サマンサ・ラングの作品『女と女と井戸の中』(1997年オーストラリア作品)でした。)


毒書日記Poisonous Literature Diary/「エマニエル夫人」<その2>

2006-09-10 23:59:45 | シネマに溺れる
E_arsan_1 映画『エマニエル夫人』(以下『エマニエル』と表記)の原作者、エマニエル・アルサンは女性の年齢をばらすのは気がひけるが、御歳66歳でいらっしゃる。しかし原作本『エマニエル』がはじめてフランスで出版された1967年当時は27歳だった(1963年出版説もある。ならば23歳で『エマニエル』を書いたことになるが……)。

 エマニエル・アルサンの経歴には不思議な色香というか官能が匂いたつようなものがある。そこにはエロチシズム文学の最高峰のひとつを築いた作品『エマニエル』に結実したようなエロチシズムの遍歴が実際にあったのではないかと憶測させるような色香である。

 本名は明かされていないが、エマニエル・アルサンは外交官夫人であるのは間違いないようである。バンコクで生まれた彼女は16歳にしてフランス人外交官の「幼な妻」となる。ちなみにその年齢での結婚はタイでは珍しいことではない。女性も高学歴化してキャリアになり晩婚になってきたとは言っても、地方では早く結婚する傾向にあるのは変わらない(法的には満17歳以上であれば結婚できる)。
 そして、結婚したのち28歳の時に、ロバート・ワイズの『砲艦サンパブロ』に出演、女優としてスクリーンデビューをしている。女優としての名前は、マラヤット・アンドリアンである。小柄だかふくよかな肉体、そして長い黒髪をもつ、エキゾチックな東洋人女性の色香を放つなかなか素敵な方である。そして、もともと映画の脚本を書いていた彼女は後に、習得したフランス語で一遍のエロチック文学を書き、フランスで出版する。『エマニエル』である。
 この本は映画化の話題も加味して数百万部を売りあげる! その映画も世界中に女性を巻き込んだ「性の革命」を引き起こしたが、小説は当初フランスでも物議をかもしたようである。
 1975年に自作の小説を自ら脚本化し、メガホンをとって(名義貸し?)ヌード出演までしてしまう『卒業生』(アニー・ベル主演)という映画もある。現在は、おそらくパリの上流階級の社交界で静かに余生を楽しんでいるのではないかと思われる。

 このエロチシズム小説『エマニエル』は長い間、A・ピエール・ド・マンディアルグが匿名で書いたのではないかというウワサがまことしやかに囁かれていた。ある意味、A・ピエール・ド・マンディアルグのような世界観がうかがえる箇所があるからだ。もちろん、その上当のマンディアルグが序文を書いていると言うのもウワサを増幅させただろう。
 また高名な作家が別名を名義としてポルノグラフィを発表すると言うのは、日本では永井荷風くらいしか思いつかないがフランスではありふれたことだった。バタイユの『眼球譚』が、まさしくそうであったように……。

 『エマニエル』の中の設定で、エマニエルはパリから夫の赴任先であるバンコクへロンドン経由で飛行機で行く、というのは冒頭のシーンである。エマニエルは新婚の貞淑な若妻だった。エマニエルは英語を理解せず、のっけから言語的コミュニケーションの不可能な隔絶された状況に陥るのだ。ただひとり金髪のスチュアーデスだけがフランス語を喋る。キャビンの閉塞的な状況の中で、性幻想にとらわれたエマニエルは視姦からはじまるふたりの見知らぬ男と交わる。そのふたりめの男はまるでギリシャ神話に登場する英雄のようで、エマニエルはみつけたとたん自ら手をひいて化粧室に導いてゆく。そして、その飛行機「飛翔する一角獣(リコンヌ・アンボレ)」号はベイルートでトランジットしたのち、バンコク経由で東京へ向かう飛行機であることが明かされるこの初めの章は「飛翔する一角獣」と名付けられている。そして、この章のエピグラフはオヴィデウスの『愛の術』である。

 訳者(阿倍達文)は残念なことに古典文学にはあまり詳しくはないようだ。これはアルス・アマトリア『愛の技法』と訳されているローマの詩人オウィディウスの作品である。オウィディウスはギリシャ・ローマ神話に題材をとった散文詩『変身(転身)物語』を残したアウグストゥスと同時代の職能詩人だった。

 エマニエル・アルサンはその処女作『エマニエル』を、おそらくギリシャ・ローマの神々に愛され、持て遊ばされ神々との交わり、その愛の中で植物や、動物に変身してしまうオウィディウスの『変身物語』を念頭においてこの物語をはじめた。それは、貞淑な若妻エマニエルの性の変身の物語なのだ。そして、その変身はアルス・アマトリア=愛の技法を通じての変身なのだ。この時、エマニエルの中で愛は性と同義になり、肉体はその女性-性の肯定となる。

 つつしみ深い16歳の東洋の少女が、フランス人外交官と結婚し、やがてみずからも身体をはった女優となり、のちにヌードまでも映画の中で公開するほどにまでなる。それ自体が、「転身」であり「変身物語」ではないか!
 つまり、『エマニエル』が書かれることによってエマニエル・アルサンというエロチシズム小説の作家が生まれたように……。

 そして、『エマニエル』の中でマリオが導くそのエロチシズムの哲学は、いわば20世紀の『愛の技法(アルス・アマトリア)』を打ち立てようと意図したものだろうし、だからこそその哲学は古典的に思えるほど反自然的なのだ。

 「この自然に対する夢の勝利であるエロチシズムとは、不可能なるものを否認するがゆえに、詩的な精神の最高の住人なのだ……エロチシズムは人間そのものであり、エロチシズムにとって不可能なものは何もないのです」

 (写真は『エマニエル』の作者エマニエル・アルサンのヌード)



毒書日記Poisonous Literature Diary/「エマニエル夫人」<その1>

2006-09-08 02:56:58 | シネマに溺れる
Emmanuellefrench_1「エマニエル夫人」Emmanuelle, New Version/エマニエル・アルサン/阿倍達文・訳(二見文庫/2006.9)

 きっと多くのひとにとって「エマニエル夫人」は映画、それもややファッショナブルなポルノ映画と目されるひと昔前の作品だろう(ソフトポルノ=soft coreとか言うらしい)。日本公開は1975年(制作1974年。仏)。この映画はポルノを女性も楽しめるものと両性に開放したと言う功績がある。映像の美しさはファッション写真出身のジュスト・ジャカン監督の手による作品だったということが大きいだろう。籐椅子に腰掛けた主演のシルビア・クリステルのあられもないそれでいて美しいポスターが有名である。

 原作はエマニエル・アルサン、外交官夫人で原著は、フランス語で書かれ1967年に出版された。その翻訳本はたしか映画化される前に出版されていた。しかし、ボクはこの作品がフランス・ポルノグラフィの金字塔とも称される『O嬢の物語』や、バタイユが変名で地下出版した『眼球譚』に並び称されてもおかしくないくらいの傑作だ、というのはうかつにも気付かなかった。映画でもその片鱗は垣間見えるのだが、エマニエルのエロチシズムの師ともいうべきマリオの存在は、狂言回しのような登場の仕方しかしていない。マリオの口を通じてエマニエルに伝授されるエロチシズムの真髄は、原作の中では全面展開されている。

 おそらくマリオが伝えるエロチシズムの理論は、G・バタイユに感化された哲学だろう。ただ、それは序文でA・ピエール・ド・マンディアルグが述べているようにバタイユのエロチシズムは小さな死だという哲学とも違う。むしろ、反自然で人工楽園を打ち立てようというもくろみはボードレールや当のマンディアルグに近いものがあると思う。

 エロチシズムをセイレーンのような自然界にはない一遍の美しい詩にたとえるマリオの哲学は、バタイユをもじって「エロチシズムは自然にあがらう小さな詩だ」と言ってみたいが、そんなことは本文に書いてある訳ではない。

 それにしても、こんなにも香り高い作品だとは思いもしなかった。まず、その各章のタイトル、そしてその章に付されたエピグラフ??凝りにこった上に、本文に垣間見えるバンコク(翻訳本ではバンコック)の美しい描写!
 いやいや、ボク自身はバンコクの上流階級の住まいなどわからないから、ひたすらジム・トンプソン邸を思い浮かべながら読んでいたにしても……(シルク王と言われタイシルクで巨万の財をなしたジム・トンプソンはマレーシアの山中で行方知れず、その残された屋敷は一般公開されている)。

 章立てはこうだ。
「飛翔する一角獣」「緑の楽園」「乳房、女神のような女、バラの花」「短詠唱曲、あるいはビーの愛」「法則」「サム・ロー」

 本文中にもエロチックな詩が挿入されたり(!)、引用されたりするが、時に、それこそ詩文のような描写もあちこちにある。

 ビーとのレスビアンの愛におちいる寸前の描写。

 「八月の夜の妖術めいたなかで、彼女(エマニエル)が一つの世界を顛覆し別の世界を創造して以来学んだこと、忘れたことによって、すべては忘却の彼方におしやられた。いつも曙は唇を金色に染めた。」

 マリオと彷徨い歩く運河の描写。

 「その水路沿いには、ところどころ低い小屋があった。それらはいずれもさびたブリキか黒くなった竹の壁、棕櫚の屋根、それに船着場と家との間に足場板がかかっていた……これにくらべれば、サイパン(水上生活者の住む舟)に住んでいる者たちの生活の仕方のほうが、エマニエルには理解しやすかった。彼らなら、雨の降らない夜には男たち、女たち、そして子供たちが船の前方で、星の下に体を寄せ合い、口を丸くし、ときどき眼をあけて眠る。」

 そして、この作品にはある意味西洋人の目からみたバンコクのノスタルジックな美しさが定着されている。 映画化された映像はましてもっと正直にだが、いまから30年ほど前のバンコクの水上マーケットや、チャオプラヤー河の匂い立つような生活臭、そして水上生活者、スラムなどが迫ってくるのである。映画の中で、マリオの導きでエマニエルと結びつくムエタイの逞しいタイ青年は、原作ではサムローの車夫である。だが、その黒光りする逞しい胸板は現在、日本人女性ファンがたくさんいるK1の覇者ガオグライ・ゲーンノラシンに、イメージされるようなタイ青年の美しさを描写してあまりある。なぜフランスのポルノ(ソフトコア)小説でこんなことが可能だったのか?
 ボクは、ずっと疑問だった。それが、今回みごとに氷解したのである。

 なんとなれば、『エマニエル夫人』の原作者エマニエル・アルサンとはタイ人女性だったのである!

(つづく)



今村昌平監督死す!

2006-05-30 17:21:40 | シネマに溺れる
映画監督で、その作品のみならず日本映画の後継者の育成にも貢献してきた今村昌平氏が亡くなったようだ。
『神々の深き欲望』『にっぽん昆虫記』や『楢山節考』などが思い浮かぶが、その作品は土俗的で海外でも高い評価を受けていた(カンヌ映画祭パルムドール(最高賞)など)。
結腸ガンだったと聞くが、一応これは速報です。
まだ、ネットでも流れていないみたいです。
(30日午後5時19分)

享年79歳。転移性肝腫瘍だったそうです。御冥福をお祈りします。

監督作品
* 盗まれた欲情 (1958年)
* 西銀座前駅 (1958年)
* 果てしなき欲望 (1958年)
* にあんちゃん (1959年)
* 豚と軍艦 (1961年)
* にっぽん昆虫記 (1963年)
* 赤い殺意 (1964年)
* エロ事師たちより 人類学入門 (1966年)
* 人間蒸発 (1967年)
* 神々の深き欲望 (1968年)
* にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970年)
* 復讐するは我にあり (1979年)
* ええじゃないか (1981年)
* 楢山節考 (1983年)
* 女衒 ZEGEN (1987年)
* 黒い雨 (1989年)
* うなぎ (1997年)
* カンゾー先生(1998年)
* 赤い橋の下のぬるい水(2001年)


自主映画『寅蔵と会った日』のこと

2006-01-26 00:45:19 | シネマに溺れる
Torazo3自主映画の初公開というのに行ってきた。作品はさいとうりか監督の『寅蔵と会った日』だ。
どうもインディペンデンス映画=アングラ映画というひと昔前のイメージのあるボクには、現在の自主映画はある面では娯楽作品としても「楽しめる」映画だというのが意外である。
そして昨年末から監督本人とも会う機会に恵まれていたボクは、さいとう監督がこんなにもほほえましい可愛い映画を撮るひとだったというのが、これまた意外性とともに面白かった。
なにしろさいとう監督は、早口の突っ込みタイプの喋りをするひとだ。ま、しかし監督本人と作品は切り離して考えるべきだろうけど、それでも作品もまぎれもなくさいとうりか監督を語るものなのだろう。

「浅草発!ハートフル★すったもんだムービー!!」というコピーがチラシにはつけられている。うん、舞台はたしかに浅草だ。浅草寺の門前も仲見世も「花やしき」も登場する。しかし、浅草である必然がボクにはどうも希薄に感じられた。というのも、浅草のすぐ裏手には境界がどこと明確に言えないような吉原も、山谷もが控えているからだ。主人公の青年が手提げ袋の荷物運びを突然頼まれる寅蔵という「謎の」初老の男は、みなりもさっぱりとしてホームレスの男でもなく、ましてや肉体労働者でもなく、仲見世で「顔」である理由がわからない。「よう!よう!」と気さくに挨拶をかけてき、それで主人公の青年も茜ちゃんとの初デートをすっぽかす羽目におちいるのだが、なんとも気さくでお気楽な男だと言う以外はよくわからない。
これは、寅蔵を演じた石見栄英のひとなつっこい存在感なしには説得性がなかったかもしれない。その点、石見さんは俳優としての長いキャリアのためか、存在感でそこを押し切る。

寅蔵はひと昔前のアングラ映画だったら、警官のナレーションというかたちで説明される説明をはぶいて「謎の初老の男」として「不条理」のままに提示したかも知れない。
そして、映画も主人公が茜ちゃんと仲直りするというほほえましい形で終わる。寅蔵のナレーションがかぶさって寅蔵はふたりの愛のキューピットでもあったかのように……。

うん、これは青春映画だ。「下町(プチ不条理)青春映画」と、ボクならコピーをつけたい作品だった。

(1月22日、23日野方区民ホールで初上映。このあと主演の石見さんの住む博多で上映会が計画されているようです。)

(写真は公式サイトのスチール写真ギャラリーから)→http://www.k4.dion.ne.jp/~torazo



詩人とたまゆらの女

2005-07-14 22:57:27 | シネマに溺れる
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『たまゆらの女(ひと)』
原題:周漁的火車(ZHOU YU'S TRAIN)
監督:スン・チョウ
2003年中国映画
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仙湖の 美しい 青磁
君の 肌のように 柔らかく
僕の 仙湖が あふれる
水を 満々と たたえて

これがいい詩なのかどうかわからないが、少なくとも周漁(チョウユウ)というおんなのこころはとらえてしまったらしい。チョウユウは、それから延々と汽車に週2回ものって重慶までその詩人チェンチンのもとに通いだすのである。片道10時間の遠距離恋愛中国版。チョウユウは建水に住み白磁の絵付けをやっている女性だ。恋愛に対しては一途に、自分の情熱をストレートにぶつける銜えタバコもさまになる先進的な女性らしい。
そこに汽車の中で彼女にひと目惚れしてしまう獣医チャンがからむ。チャンは強引な迫り方で、チョウユウの絵付けした白磁を手に入れようとするが、チョウユウは床に投げ捨てて割ってしまう。男の意のままにはならないというチョウユウの意志の強さ、気の強さがうかがわれる。

しかし、人員整理で遠くチベットへ派遣教師として赴任する恋人の詩人チェンチンの不在のその家に、チョウユウは通い出すのである。まるで、詩人の不在を確かめるためだけに、汽車にゆられてその街、重慶に通うことが自分の存在確認であるかのように……。

そして、重慶(チョンチン)には海のような河(長江)がある。その河を渡し船で渡ってケーブルカーに乗り、ツタの絡まる古い洋館風の家に詩人チェンチンは住んでいたのだった。ここは四川省の第2の都会である。
ヒロインにコン・リー。官能的なメロドラマ仕立てで中国も、このような映画を撮るようになったのかと一面では感心する。ベトナムに近い建水が一方の舞台だが、そのためかどこかフランス映画風のつくり。これは詩人チェンチンを演じたレオン・カーファイが『愛人・ラマン』に出演した俳優ということもあるのかもしれない。しかし、映像は美しい。コン・リーのスカートのすそをひらめかせた艶やかな演技。実際、この女優とこのあと輩出される監督たちによって中国映画は世界水準にまで達するような名作を生み出してきた(『紅いコーリャン』チャン・イーモウ監督デビュー作1987年、『菊豆』1990年、『秋菊の物語』1992年、『さらば、わが愛 覇王別姫』1993年、『活きる』1994年、『上海ルージュ』1995年、『花の影(風月)』1996年、『きれいなおかあさん』1999年)。

物語的にはやや破綻をしており、コン・リーの二役に混乱はあれど意味はないと思うのだが、筋をバラバラにしての展開はもうすこし整理が必要だっただろう。編集に難があるが、それもまたモダーンな要素と言えば言える。劇中で多用される列車の走行シーン。そのあいまあいまにチョウユウが巫女のように、白い長い袖をつけて舞い踊る不思議なシーンが挿入されている。ともかくも、中国の田園風景が美しく、それもまた「あると言えばある。ないと言えばない」夢幻の存在のような人生をあらわそうとしたのかもしれない。

仙湖の 美しい 青磁/君の 肌のように 柔らかく/僕の 仙湖が あふれる/水を 満々と たたえて

この冒頭に引用した詩の中にも、水=愛という隠喩がふくまれているが、この「仙湖」それ自体はどうやら存在しない湖のようである。チョウユウはチャンとともに、その湖を探すが、そんな湖はなかった。

ちなみに邦題の「たまゆら」は「かすかな、ほのかな」という意味で、この映画にふさわしくないのではと、最初思っていたが(むしろ頼り無げなのは詩人の方である(笑))、意志の強い女チョウユウ(コン・リー)も詩人のチェンチンから見たら、夢幻(ゆめまぼろし)に生きている女で、そのためかチェンチンははるかチベットの赴任先でもチョウユウそっくりのチベタンの女性を恋人(現地妻?コン・リーふた役)にするところにも現れているかも知れない。
だから、詩人チェンチンは存在しない湖「仙湖」にチョウユウを(いや、女性をと言うべきか)たとえたのである。「仙湖」は「僕(詩人)の」内側にしかない。水(愛)を満々とたたえて……。あふれでる水こそが、チョウユウいや女性へ向けられた詩人の愛なのだ(劇中、長江のほとりで詩人は「ひとり」であることの必要を説き、恋人チョウユウに「私は必要じゃないの!」とたしなめられる)。

劇中、ボクにとってはつらい場面があった。チョウユウは惚れ込んだ詩人チェンチンのために会場まで借り、チラシまで作って重慶で「詩人チェンチン朗読会」を催すのだが、客はひとりも入らない。ポエトリー・リィディングのイベントを毎月やっているボクには、ああ、中国も同じなんだととてもこころが痛かった(笑)。
(評価:★★★)



「哭きおんな」が涙にくれる時

2005-07-12 21:25:00 | シネマに溺れる
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最近、中国映画を見続けている。そもそも「オペレッタ狸御殿」に出演したチャン・ツィイーってもっと可愛くなかったかなぁと『初恋のきた道』(我的父親母親/The Road Home/チャン・イーモウ監督/2000年/米中合作/第50回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)をレンタルして借りてきたことにはじまる。

この映画自体は、ストーリーとしてもシンプルな映画だが、その農村風景、チャン・ツィイーの可憐で一途な演技が涙をさそい(実質デビュー作)、子ども時代にこの映画を見たら惚れ込んでしまうなと思わせるものだった。中国製映画は、日本でも映画が黄金期だった昭和30年代の名作を連想させる。そこに描かれる農村風景もそういう意味で懐かしさを呼び起こす。
そして、この映画の初々しいチャン・ツィイーは素晴らしい。丁度、二十歳の(とはいえおさげ髪のせいか十代にしか見えない。役柄は十八歳の設定)女優としても、ひとりのおんなとしても素晴らしい時期を記録したものとなっていると感じたほどだ(評価★★★★)。→http://www.sonypictures.jp/archive/movie/roadhome/

さて、そして見たのだ。『涙女』(哭泣的女人/CRY WOMAN/リュウ・ビンジェン監督/2002年)を。この作品は厳密には中国映画ではないが(カナダ+フランス+韓国合作)、中国の「涙女」つまり「哭き女」を題材にしたものだ(監督は中国人)。北京でポルノも含めたDVDを地下販売(とはいえ路上だ)しているひとりのおんなグイの猥雑なほどの不幸な半生を描いたものだ。グイの夫は監獄入り、その夫が賭け麻雀三昧のあげく怪我を負わせた被害者から治療費7千元を請求され、あげく公安警察対策で借りた幼子の親は蒸発、そのまま子どもを押しつけられた不運なおんなだ。それを元の愛人(葬儀屋を営んでいる)ヨーミンからすすめられた「哭き女」をやることで、1万元稼ぎ出すといった話だ。
映画の中で

「生きている間は、公安。死んでからはオレたちだ」

という面白いセリフがあった。

「哭き女」は、葬儀の際に、その嘆きと泣きっぷりで故人の徳の高さを称えると言うプロの女たちである。かってはこの国にもその風習はあり、アジアのみか、中南米にもおり、ボクはフリーダ・カーロを題材にした映画『フリーダ』に登場する「哭き女」に触発されて、「哭きおんな」という詩を書き、それこそ母の樹木葬の際に、霊前に捧げて朗読した。

さて、その映画の中の「哭き女」グイは、まるで天職を見い出したかのように売れっ子になり、治療費も、夫の保釈金もわずかの間に稼ぎ出した時、仕事上での相棒である元恋人にも捨てられ、治療費を払わねばならないはずの夫婦は離縁して上海へ流れ、夫は監獄からの脱走を試みて射殺される。三重の事件がいっぺんに起った時、「哭き女」は涙も湧いてこない。これから、おんなひとりで「哭き女」として生きて行かねばならない。「なんだかサバサバした気分だわ」。

そして、涙も涸れ果てたはずの「哭き女」は、他人の葬儀の席で突然込み上げてきた涙で、自らの不幸を嘆き、そしてはじめて自分のために大泣きするのだ。「哭き女」が、本当に泣く時、感動した人々がさしだす金の入った赤い祝儀袋を両手いっぱいにかかえて、「哭き女」は大泣きに哭く!

不幸と愛欲と事なかれ主義の生き方をしていた「哭き女」が本当に泣く時、「哭き女」は自分の本当の人生を知ると、この映画をまとめることができるかも知れない(評価★★★1/2)。→http://www.miraclevoice.co.jp/namida/


狸御殿はオペレッタ!

2005-06-16 23:55:33 | シネマに溺れる
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やっと見に行った。前売チケットをまたムダにするところだった。明日でロードショー上映は打ち切りのようだった。間に合った。

鈴木清順監督作品『オペレッタ狸御殿』(日本ヘラルド・松竹。2005年)。怪作いや快作である。こういう映画はたしかに鈴木清順でなければ、作り得ぬ映画だろう。鈴木清順監督デビュー50周年記念作品でもある。この映画に関しては見る前から多言を弄した(3月27~29日のブログ記事を参照→カテゴリー「シネマに溺れる」をクリックすると過去の記事に飛びます)。

狸御殿映画の系譜の事もあえてくり返さない。だから、今回は鑑賞しての苦言を呈そう。
そう、チープでいながら超豪華という矛盾に満ちたセットを基調にした舞台風の作り方には異論はないが、むしろCGの部分がしっくりしない。この作品に向かう時の「正しい」「鑑賞」「態度」は、インド映画(マサラ・ムービー)を見る時のように、構えず何も考えずに頭をからっぽにして楽しむことである。
それは分かっている。だけど、どうやら鈴木清順監督とCGは相性が悪いのではないだろうか?

たとえばCGと声紋分析技術で甦った美空ひばり(「光りの女人」「雨千代の母」)だ。ひばりといったら自らも狸御殿映画に主演しているスターだ(『七変化狸御殿』(54・松竹)『歌まつり満月狸合戦』(55・新東宝)『大当たり狸御殿』(58・東宝))。いやおうでも期待するではないか!
だが、それはデジタル技術で作った影絵のようなものだった。そして声紋分析でつくったひばりの新曲(?)「極楽蛙の観音力」も、やはりいただけないものだった。「ま、似ているか」としか言い様がなく、「こぶし」をまわす部分では音声が歪んでしまっている。

それに、肝心の「狸姫」を演じたチャン・ツィイーの中国語がしっくりこない。これまでの狸御殿ものの系譜がそうだったように、ここで一気に国際化してしまうと中国に狸伝承ってどのような形であったのかとまどってしまう。狸の生息分布はたしかに、中国までである。照葉樹林帯の里山に棲息する人間のすぐ隣に暮らしてきた野生動物だ。だから、中国にも狸伝承は存在するはずだ。だが、知らない。知られていない。

四国や、佐渡や、全国各地の山地に伝承され、地方独自の狸が命名までされてひとびとに親しまれた。この国の中でのタヌキは、化かされ話しも含めて里山に住むひとびとに愛されてきた動物だ。いや、もちろん、隣接しあって棲息してきたために農作物や、家畜を襲い、殺してしまう被害をもたらす動物なのだが、それでもその愛嬌ある顔つきもあるのか、憎まれることはなかった。
今回の作品は、そのような意味でこの国の伝承としてのタヌキ話しがもっと加味されるのかと期待していたから、一気に中国(唐)になってしまったのだ残念だった。

これは、「狸姫」は「時の一番のスターが演じなければ駄目」(鈴木清順)から言えば、現代日本に花のある「大スター」が不在だと言うことの証なのかも知れないのだが……。

もうひとつ個人的には残念なことがある。チャン・ツィイーのキャスティングが決まった時、約束されていたというあのクリストファー・ドイルがカメラを回すことが実現できなかったことだ。ドイルが撮っていたらという映像の期待は悔やみきれないものがある。(評価:★★1/2)