(d)昨日の記事(c)で書いたようなことで、なぜ苦言を呈するかと言えば、「TVにネット世代はなんの幻想もいだいていない」ということをTV関係者に認識してもらいたいからである。ましてや、NHKは受信料の義務化も将来的に検討しようとしているのだったら、番組制作スタッフおよびマスコミ人の倫理観をこのような時に問いただしたいからである。
これまで、TVは有名人(言葉を代えて言えば「セレブ」?)が、出演するものと思われていた時代なら、TV取材は「驚くべき出来事」だったかもしれない。だが、いまやTV会社が既得権を守るために死守しようとどう画策しようとも、将来TVはメディアとしてネットに呑み込まれてしまうとボクには思われる。
双方向性は、デジタル放送にして実現するものではなく、映像や放送権をもふくめた「表現する権利」が、国民にどう保証されるかの問題だと考える。そうであるならば、それはユーチューブのような画像・映像を発信するメディアを個人が「権利」としてネット上で「安価に、自由に」実現することができるかということが実は問題なのである。
今回「首都圏ネットワーク」のディレクターもボクが教えたこのブログの記事によって、ボク自身を知り得たのみならず、ボクの「樹木葬」の思想そして実践を具体的に知り得たはずである。現に、勉強になりましたと、ディレクターは言っていたから……。
そう、もうすぐあなたたちはその「参考資料」にしているネットに呑み込まれますよとボクはここで断言しておこう。
(d)「千の風」をとりあげた今回の「クローズアップ現代」の番組では、ボクが号泣したエピソードで、農道のようなところを三人の姉妹たちが手を振りながら、スタッフの乗ったロケバスを送るシーンまで映し出していた。
まるで『ウルルン滞在記』のラストシーンのようなこのカットの採用が、この「千の風」のドキュメント部分を撮ったNHKのスタッフおよびディレクターの「意識」を映し出しているような気がしてならない。
この番組のドキュメント部分を撮ったスタッフも、ひとりのタレントが見知らぬ場所へわずかの時間滞在して号泣して別れを惜しむという『ウルルン滞在記』の気分になっていたのが、おおい隠せないと思う。
TVにまだ、「幻想」をもっている善良な民衆に依存する分なら、TVクルー(番組制作スタッフ)は、「訪れる神」に等しい「客人(まれびと)」かもしれない。そして、きっとこのようなカットの採用そして、平然と取材先で接待を受ける感覚が、このような「客人(まれびと)」意識の上に成り立っているのだろうことを予想させる。
TVクルーはいわば、旅人に似ている。だが、旅人はわずかなりとも現地に金を落とす。しかし、「客人(まれびと)」意識の上で「(訪れる)神」だと、無意識の中で思っているTVクルーは素朴なひとびとの夢と人生を踏みにじっても平然とできる程度の鈍い感覚に漬かったままなのである。
才能のないタレントには、出演料を払っても人生を踏みにじった無名の庶民には、接待は平然と受けても金は一銭も払わないのだ。
(e)さらに、これは根本的な疑問だが、取材する方は、取材の間中どんなに理解したそぶりを見せようとも、取材が終わると一過性の番組の材料としか考えてなかったのかとぶ然としてしまうケースが多い。
同じ人生、生活をかかえた人間どうし、その生きざま、生き方で交流しましょうと肚を決めて、かかってきて欲しい(笑)。
じゃなかったら、出演料をよこせ(笑)!
(注)実は、このような歓迎すべき取材態度で取材を受け、mixiなどでマイミクして関係が続いているマスコミ関係者も何人かいることを申し添えておきます。
これまで、TVは有名人(言葉を代えて言えば「セレブ」?)が、出演するものと思われていた時代なら、TV取材は「驚くべき出来事」だったかもしれない。だが、いまやTV会社が既得権を守るために死守しようとどう画策しようとも、将来TVはメディアとしてネットに呑み込まれてしまうとボクには思われる。
双方向性は、デジタル放送にして実現するものではなく、映像や放送権をもふくめた「表現する権利」が、国民にどう保証されるかの問題だと考える。そうであるならば、それはユーチューブのような画像・映像を発信するメディアを個人が「権利」としてネット上で「安価に、自由に」実現することができるかということが実は問題なのである。
今回「首都圏ネットワーク」のディレクターもボクが教えたこのブログの記事によって、ボク自身を知り得たのみならず、ボクの「樹木葬」の思想そして実践を具体的に知り得たはずである。現に、勉強になりましたと、ディレクターは言っていたから……。
そう、もうすぐあなたたちはその「参考資料」にしているネットに呑み込まれますよとボクはここで断言しておこう。
(d)「千の風」をとりあげた今回の「クローズアップ現代」の番組では、ボクが号泣したエピソードで、農道のようなところを三人の姉妹たちが手を振りながら、スタッフの乗ったロケバスを送るシーンまで映し出していた。
まるで『ウルルン滞在記』のラストシーンのようなこのカットの採用が、この「千の風」のドキュメント部分を撮ったNHKのスタッフおよびディレクターの「意識」を映し出しているような気がしてならない。
この番組のドキュメント部分を撮ったスタッフも、ひとりのタレントが見知らぬ場所へわずかの時間滞在して号泣して別れを惜しむという『ウルルン滞在記』の気分になっていたのが、おおい隠せないと思う。
TVにまだ、「幻想」をもっている善良な民衆に依存する分なら、TVクルー(番組制作スタッフ)は、「訪れる神」に等しい「客人(まれびと)」かもしれない。そして、きっとこのようなカットの採用そして、平然と取材先で接待を受ける感覚が、このような「客人(まれびと)」意識の上に成り立っているのだろうことを予想させる。
TVクルーはいわば、旅人に似ている。だが、旅人はわずかなりとも現地に金を落とす。しかし、「客人(まれびと)」意識の上で「(訪れる)神」だと、無意識の中で思っているTVクルーは素朴なひとびとの夢と人生を踏みにじっても平然とできる程度の鈍い感覚に漬かったままなのである。
才能のないタレントには、出演料を払っても人生を踏みにじった無名の庶民には、接待は平然と受けても金は一銭も払わないのだ。
(e)さらに、これは根本的な疑問だが、取材する方は、取材の間中どんなに理解したそぶりを見せようとも、取材が終わると一過性の番組の材料としか考えてなかったのかとぶ然としてしまうケースが多い。
同じ人生、生活をかかえた人間どうし、その生きざま、生き方で交流しましょうと肚を決めて、かかってきて欲しい(笑)。
じゃなかったら、出演料をよこせ(笑)!
(注)実は、このような歓迎すべき取材態度で取材を受け、mixiなどでマイミクして関係が続いているマスコミ関係者も何人かいることを申し添えておきます。