風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

八月に死す(1) メメント・モリ

2007-08-21 23:55:43 | コラムなこむら返し
Denis_nolan_poster 8月はこの国にとっての大量の死者を生み出した先の戦争を、回顧し鎮魂する月である訳だが、どのような天の配分によるものか、ふたつの「原爆投下」、「敗戦の日」のこの月は、古来から仏教起源の「お盆」(正式には「盂蘭盆会」)の月であった。盂蘭盆会は彷徨う餓鬼に布施し、弔い、祈りその責め苦を緩和させようと言う残された生者が、死者を思いやる鎮魂の月であった。別名、精霊会(しょうりょうえ)とも言う。今年は、8月27日がその「旧盆」にあたる(翌日の28日が「満月」で、皆既月蝕が観測されるだろう)。

 そのような意味をもつ8月に、ある意味多くの名が知れた人(有名人)が、バタバタと死んでいったように思えるのは不思議な気がする。ボクも訃報をこのブログに書きながら奇妙な感覚にとらわれていた。いや、それは否定すべきものという意味ではなく、8月が「死者の月」であってみれば、「死」は、陰惨なイメージのみで語られるのではなく、そう、メキシコの「死者の祭り」のような陽気な「死」のイメージの氾濫で祀られてもいいではないかという思いだ。「死の反乱」による祭りでもいいではないか(メヒコはフリーダ・カーロの国、太陽神に人身御供を捧げたアステカの国である)。

 死神はキリスト教的な死へ誘う西洋のイメージだが、中世、そうヨーロッパにペストや伝染病がまん延し、死と隣り合わせにあった時代、その西洋でもその死の絶対性に「死」(そのシンボルとしての死神)そのものを畏れ敬う信仰が、民衆の間に沸き起こった。「死の舞踏」である。このダンス・マカーベルは、いわば終末待望思想でもあったようだが、救いのない民衆、農民が「死」の前の平等性(絶対的な「死」の前にあっては、平民も王族も平等である。ゆえに「死」を思え=メメント・モリ)に最後の救いを求めたようなものだった。

 「死」は、王族のもとにも、教王のもとへも乞食のもとへも等しく訪れる。「死」の前においては、身分制度も金持ちであろうとも一切関係ない。「死」の前においては、すべての人間もロバも平等である。