風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

Step57は「死と乙女」

2006-03-31 00:12:50 | イベント告知/予告/INFO
Die__girl●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step57 テーマ:「死と乙女」
4月7日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN (ゲスト)Goddess(ガディス)
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、マツイサトコ(うた)、MIZK(うた)、おもとなほ(ひとり芝居)……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

4月のゲストは、女性ボーカル水木ノアをメインとしたロックバンド「Goddess(ガディス)」!
3月にデビューしたばかりのバンドですが、メンバーは実力者揃。コンビニで扱っているCDマガジンにシングルが取り上げられるなど、メジャー路線を走りそうな期待のバンドです!
さぁ、ロックもバンドもオープンマイクも旬が一番おいしいよ!

※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

(画像は大好きな画家のひとりエゴン・シーレによる「死と乙女」)



鳥は哭き 魚の目はなみだ

2006-03-30 00:45:16 | トリビアな日々
Basyo_1そう、一昨日書きたかったことは昔の自分の無知さかげんに気付いたということだった。
最近、MIXIでのマイミク仲間がさかんに高校時代の自分の写真をアップしたり、回顧趣味に走っているがそれに近いことだ。だが、ボクの場合、それがつまり自分の高校時代というものが、いかに偏狭な視野の狭いバカモノだったかということにあらためて気付いたという情けない話なのである。

たびたび学校をフケながらも、どうにか温情で卒業させてもらった高校に一昨日行ったのだ。あることのために証明書が必要になったために、いまは東京の反対側にある母校に……。その帰りだ、懐かしいという回顧モードに入っていたボクは当時のボクのバカさ加減を思い知らされたことがあった。
当時は、そのような親切な文化財の表示などなかったからかもしれないが、高校の入りしなにある神社は、なんと「芭蕉碑」の建つ由緒ただしい神社だったのだ。

ああ、情けない! 当時のボクはこの神社で近くの中学生の美少女を見初めて、モデルになってくれとクドいていた思い出くらいしかないのである。そう、ボクは写真部の部長とかいうことをやっていて、愛機で撮ったモノクロネガフィルムなどを暗室で焼いたり、撮影会などということもやり、千住大橋の上を東京オリンピックの聖火ランナーが走る時など、学校の御墨付きで撮影にいったりしていたのだ(自分でも信じられません(笑))。

その千住大橋は芭蕉が奥の細道の旅に出立した折に、千寿(千住)で船を降りて、日光街道を歩き出したその折に「矢立ての初め」と言われる有名な句が詠まれたところなのだ。まさしく、旅のはじまり、そのひそかな不安と決意が詠み込まれた一句。

行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪

そして、これは調べて分かったことだが、その日は元禄2年3月27日、ボクがそのことに気付いて自分の無知さを嘆いた317年前の前日だった(太陽暦に直すと5月16日になってしまうが……)。
この神社の碑は、1820年の「芭蕉忌」(10月12日)に、芭蕉を偲んで千住周辺の文化人が建立したものだという。

それこそ、「昼行灯(ひるあんどん)」同然だった当時のボクは、近くにあったこのような偉大なる俳聖のゆかりも知らず、いったい何に関心があったというのだろう?

(写真は、碑文の下の芭蕉の肖像をアップで撮ったものです。さすが、元写真部部長(笑)!)




巨星ソラリス墜つ

2006-03-28 23:55:17 | トリビアな日々
今日は書きたいことが、たまってしまった。桜も咲いた。都内ではもはや満開、多摩地区では8分というところか。今日は、満開の桃と満開の桜を一度に見てしまったのだった。

しかし、まずは大好きな作家の訃報から書かねばならない。桜の季節は、また死の匂いもするではないか!

『ソラリス(邦題/ソラリスの陽のもとに)』のスタニスワフ・レムが死んだ。27日、ポーランドのクラクフで死去したという訃報が流れた。享年84歳だった。
偶然だが、最近レムの自伝的作品である『高い城』を1/3ほど読みかけていた時、なつかしい『ソラリスの陽のもとに』を古書店で安く手に入れたのである。この作品は、もしかしたら『SFマガジン』に連載されたのかも知れないが、記憶が正しければボクが手に入れた世界SF全集23巻(早川書房)で最初に読んだ。奥付を見れば、1968年11月。あのサマー・オブ・ラブの翌年、巷が騒がしかった年だ!
ともかく、その頃のボクにとっては、アートはマンガで、文学はSFとビートで、音楽はJAZZでしかなかった頃だ。政治の季節が終焉した頃、ボクはふたたびこの作品に巡り会う。

1973年頃、ボクは岩波ホールの座席にすわっておののいていた。そう、アンドレイ・タルコフスキーが映画化した『惑星ソラリス』を見ていたのだ。
女性に不信感をもっていた(!)当時のボクは、恋人までもがソラリスの海に思えて仕方がなかった(笑)。きっと、この作品の思想的バックには、レムとそしてタルコフスキーというふたりの巨星の「女性観」が、詰まっているに違いない。私見では、この作品こそがその後の、SFにおけるサイパーパンクなジェンダー的冒険というものが準備されたのではないかと思う。

スタニスワフ・レム! 巨星ソラリス墜つ!
いまは、もうひとりの巨星ブラッドベリィの長命を祈るばかりだ。


書き続けることの励み

2006-03-27 22:57:31 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUNさんのページ全体のアクセス数が8500アクセスを超えました。記念すべき8500アクセス目の訪問者はぷら さんでした!

ぷらさん! ありがとう! かってのバンド仲間のヤマさんも、そろそろ退院の頃かなぁ?
ヤマさんも、月イチのオープンマイク・イベント(E.G.P.P.100)にも退院したら顔をみせてくれることでしょう。ぷらさんも、ひさしぶりに歌いに来て下さい(毎月第1金曜日夜/大久保「水族館」で開催)!

ボクのこのページは、日記というよりはエッセイやコラムが主体で、お気付きのようにコミュニティ・サイトのMIXIからもリンクしている。しかし、そのアクセスのほとんどは検索エンジンでひっかかった方の訪問で、同じ記事をデザインを変えてアップしているtea-cupのブログもそうだ。
だからか、アクセス数の割には書き込みは少ない。寂しい思いをしています(笑)。

どうぞ、感想なりと励ましなりと何か書き残していってください。MIXI風に言えば、足跡を残していって下さいませ! ブログを書き続ける励みは、それしかありません。


悲しみの三月/リンゴのうた

2006-03-26 01:32:08 | コラムなこむら返し
Ringo_song桜もほころびだしたというのに、三月は「悲しみの季節」でもある。そう、「卒業」や「別れの季節」でもあるのだ。希望を胸に新しい職場に、学校へ立ち向かう世代の若い人たちがいる。こんなボクだって、そんな姿を見ることは好きだ。だからといって、その職場や学校が希望や夢に見合うものであるのかどうかと言うことは別である。
隠遁者のようなボクが、そんなことを云々していいのかどうかは分からないが、この社会がますます人間を主人公にするものではなくなっていくことには、人との別れ以上の悲しみの感情をいだく。そのくらいのことを発言するのは許されてもいいだろう。

マイナス成長や、成熟社会が訪れるのは歓迎すべきことだと思っていた。だが、現実にはこの国はこころが豊かになることと経済発展が反比例であったようには、ならなかった。
経済の停滞は、こころの貧しさに比例していくかのようである。

「幸福な王子」の銅像のように、ボクの胸には悲しみで一杯になった鉛のこころが降り積もっていくようである。とはいえ、ボクは引き剥がして施しをあたえるような金箔の肌も、サファイアの両眼ももっていないのである。そして、それどころかボクは「悲しみの王子」でもなく、ましてや王子の懇願を聞き入れその手足となるツバメでもなく、むしろ施しをうける貧しい民衆のひとりであるのだが……。

♪悲しくて 悲しくて とてもやり切れない
この限りない むなしさの 救いはないだろうか♪

フォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)が歌った『悲しくてやりきれない』の原詩を書いたのはサトウハチロー(1903-1973)である。佐藤紅玉の長男にして八郎と名付けられたこの童謡や歌謡曲の作詞で世に知られた人は、叙情の詩人であった。父への反発、母への愛惜という境遇のままの詩を書いている。並木路子が歌った戦後最初の歌謡曲であり、映画主題歌(『そよかぜ』1945年公開)であったヒット曲『リンゴのうた』の作詞家でもある。

♪赤いリンゴに唇よせて だまってみている青い空♪

鮮烈な色の対比は、まるでモノクロのような戦後復興期のこの国の民衆を励ましたろうことは想像にかたくない。それにこのリンゴとはリンゴのような頬をした健康的な東北の少女の事でもあるのだ(2~3番でそうと知れる。ちなみにサトウハチローは母の出身地である東北に愛着をもっていたらしい)。サトウハチローはそのやさしげな詩とは裏腹の放蕩家であった。

悲しみの三月に、サトウハチローのことを思い出したらボクもすこし元気になったようだ。だれもが平等に貧しかった終戦直後、それでも青空は青かったし、人々は恋もした。たくましく民衆は生きながら、明日の幸せを夢みていた。路地や原っぱには、この国の希望の象徴のように子どもたちの笑い声や、暗くなるまで遊ぶ声があふれていた。

その夢みた先が、このような子どもの姿も少ない、こころが貧しい21世紀の国になるとも知らずに……。

(画像は以下のリンクフリー・サイトから引用させてもらいました。ありがとう!)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/rinngonouta.htm




ワレ路上デ発見セリ!/路上で拾ったオチンチン

2006-03-21 13:14:20 | ワレ路上デ発見セリ!
Tintin_mitaka_march「幸福な王女」(昨日の記事です)の住む街には、本物のブロンズ像があちこちに設置されている。街の雰囲気に溶け込んでいる彫刻作品だ。その中でも特に好きな作品があったのだが、過日その作品を見に行ったら中央線の高架工事のためか撤去されていた。その作品を作った彫刻家は、ボクと同じ街に住んでいることを先日知って驚いた。

駅前の通りになんとも無邪気な子どものあそぶ姿を象った彫刻があった。どうやら姉弟で、下の弟が駄々をこねているようなポーズをとっている。もはやそんな光景を現代では路上で見ることはできないだろうといったほほえましいシーンが切り取られている。
第一、弟の方は下半身がむきだしで、かって庶民はオシメ(むつき)というものは使わず幼児はパンツも穿いていない、そんな時代がこの国にも少し前まであったのだ(アジアの諸国では、いまも幼児のありふれたスタイルだ)。
つられて彫刻に近付いたボクはその駄々をこねてひっくり返っている弟の方のむきだしになったオチンチンのフグリの立派さにおもわずシャッターを切ってしまった。
うん、かのフィレンツェにあるミケランジェロのダビデ像よりも立派ではないか!
フィレンツェの彫刻ではダビデは青年である、こちらは幼児なのである。いや、ボクは作品としての優劣を云々しているのではない。フグリを単純に比較して褒めているのだ(笑)。
かくして、ボクの路上コレクションにこの彫刻作品のフグリを加え、路上で拾ったオチンチンのひとつとする。

<ワレ路上デ発見セリ!(15)/路上で拾ったオチンチン>



ワレ路上デ発見セリ!/幸福な王女

2006-03-19 21:56:05 | ワレ路上デ発見セリ!
Go_comicgirlボクは、何を求めて路上を徘徊しているのだろう?
と、自問してみる。路上には、ありとあらゆるものがある。幸せな家庭生活以外のものなら世界は路上にこそある、とそう断言したいくらいだ。
しかし、路上にないものは「幸せ」だ。個人の人生の「幸せ」??それこそが路上に存在しないものなのだが、その片鱗は、欠片(かけら)くらいはどこかに落ちているかも知れない。

ある日、路上を歩いていたら某遊戯場の脇に写真のような像を見つけた。永井豪風のコミックキャラクターがブロンズ像のような色に塗られてあられもないかっこうで立っていたのだ。
しかし、このような永井豪のコミックキャラクターにボクも「萌える」ことができたのなら「幸せ」だったのかも知れない。残念なことにボクはこのようなものを「オタク」と見る前に「ポップ」と見てしまう。現在花盛りのコミックキャラのアートでの進出ぶりは、ポップアートにその根をもつだろうなんて、ひとくさり呟いてしまうタイプなのだ。
それでも、その遊戯場の意図がパロディにも似た遊び心であることも充分に読み取れる。というのも、その街は鋪道や、街角にかなりの数の彫刻作品を設置している街で、駅前のビルには市営の美術館さえ配している。ボクの好きな美術館のひとつだ。

で、ボクは夢想してしまった。このコミックキャラが「幸福な王子」(オスカー・ワイルド作)ならぬ「幸福な(半裸)の王女」で、ボクは仲間からはぐれたツバメで、この半裸の少女の哀願のままにサファイアの目をくり抜き、ルビーの宝石をほじくりかえしては王女が夢中になっているホストクラブのホストのために貢ぎ物を届けてあげるのだ。
そして、持てるものをすべて捧げつくした王女はボロボロのみすぼらしい姿となって倒壊し、ツバメであるボクは南へ渡る時期を失って王女の足下で寒さのために死んでしまうのだ。

でも、こんな妄想でもボクは萌えることができない!
幸せは路上には落ちていないことを、「幸福な王子」以上にボクは知っている。街の中心にたたずむ銅像だった「幸福な王子」は、本当は見ていたんだ。幸せそうな街の人家の赤い灯の向こうには、諍いと喧嘩と不幸と貧困があったことを!
だから王子は、身ぐるみを剥ぐように分け与えて鉛のこころのみを残して崩れてゆくのである。

<ワレ路上デ発見セリ!(14)/幸福な王女>



「下層社会」と「下流社会」

2006-03-18 23:41:03 | コラムなこむら返し
実は、一昨日書いたことで以下の点に、クレームや指摘がなかったことは残念なことだった。
現在、巷でというか、マスコミレベルで、云々されているものは「下層社会」ではなく「下流社会」という言葉である。そう、「下層社会」という概念のほうが、この国では歴史と含蓄を持っている。
ボクは意図的に「下流社会」ではなく「下層社会」ということばに、差し換えたのだ。お気付きだったろうか?

「下層社会」は、いわばスラムのことで、その概念を最初に指摘した人物はまさしく「市民社会」も未発達だった明治の頃に、毎日新聞社に籍をおき、ジャーナリズムも確立していなかった時代にルポルタージュ的な記事を書き、その生涯において一貫して「下層社会」の現実を見つめてきた一ジャーナリスト横山源之助という先覚的な存在に由来している(明治32年刊『日本之下層社會』)。

「下流」の反対概念は「上流」だろう。現在何十万部のベストセラーだかの『下流社会』も、消費社会の分析によったものだ(著者はマーケティング・アナリストの三浦展)。副題は「新たな階層集団の出現」。一読したのだが、中味はもう忘れてしまった。この手の新書判で行われている「社会分析」や、消費社会の分析はもう明らかに現状をどう分析するかよりも、目新しい「概念」をどう名付け、新規性を出すかで、それ自体が消費社会のコピーや広告宣伝手法と変わらない。新書を読むたび、がっかりするのはいわばこのような言葉をもて遊ぶばかりのライト評論(ライト小説にあやかって命名してみた)ばかりでしかないからだ。

横山源之助が生きて果敢に下層社会のルポルタージュを書いていた明治時代は、不思議なほど貧民や下層民に関心が払われている(『明治東京下層生活誌』)。いったいに、日本自体が西洋諸国に比べ圧倒的に貧しかった時代に、この記者魂もしくはジャーナリスト魂は、何なのだろうといぶかしく思えるほどだ。
横山や荒畑寒村などの下層民や底辺労働者を見つめる視点は正確で、正鵠を射ている。明治という西洋列強に肩をならべることを国家的威信をかけた目標にしていた時代の、矛盾を正確に指摘し、民をもかえりみなかった政策を底辺労働者の視点から批判しているのだ。

明治と言う時代精神にあらためて驚愕の念を禁じ得ない。

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※横山源之助(よこやま げんのすけ、1871年4月10日(明治4年2月2日) - 1915年(大正4年)6月3日)。富山県出身のジャーナリスト。
英吉利法律学校(現中央大学)卒業後、毎日新聞(旧横浜毎日新聞であり、現在の毎日新聞とは別)へ入社。都市の下層社会や労働者の状態を活写した調査報告を同紙に発表。これらは『日本之下層社会』(1899)としてまとめられた。横山の調査報告は、東京の貧民や群馬、栃木の織物工場、古里である富山の小作人の実情を伝えたもので、勃興期資本主義の暗部である都市貧民や労働者の実態を鋭い問題意識と的確な観察とによってとらえた社会調査の先駆であった。ほかに『内地雑居後之日本』(1899)などで貧困の原因を社会体制の欠陥と認識した。『明治富豪史』(1910)などで日本の近代化の過程で、多数派の貧乏人とは対照的に、一握りの富裕層がどのように形成されたか解明している。
1915年、45歳で死去。

(明治の時代精神に敬意を払って今日は、文体も固くしています(笑)。本文中の著書は岩波文庫に収録されているものです。新書よりは内容のあるものが、たくさんあります。たまには岩波の固い文庫本もおすすめです。)


ワレ路上デ発見セリ!/路上はホテルである

2006-03-16 00:35:44 | ワレ路上デ発見セリ!
Hotel_street路上で生き死にするのは、なにもインドだけとは限らない。「下層社会」もしくは、この国における「格差」の拡大が、最近よく論議されるようになっている。身分階層社会が訪れているという分析をする社会学者もいる。
日本人はバブルがはじけたのち、この国をなりたたせていたシステムさえもが、崩壊していたことにあまりにも無頓着だった。棄民政策は確実に進行していた。

言うまでもなく社会的不平等をただし、公平な富の分配をはかるのは政治もしくは政治家、そして行政官庁のトップおよび職員(公務員)の責務であるはずだ。そのような国家の運営のために税金は払われ、集められているに違いない。しかし、税金と言うこの国の運営資金を福祉や、インフラ整備やのために公平に使うのではなく私物化したり、不正に着服しようと言う不逞のヤカラは絶えることはなかった(近くは国民の老後の資金をあずかる社会保険庁での不正を思い出そう!)。

政治や行政が民を忘れさった時、かくして、路上に置き去りにされるもしくは棄てられる人々が出現する。物乞いをする訳でもなく、ただただ小春日和の路上をホテルの快適なテラスのようにして日がな一日、群集の中で眠りこける……。

38年前にフーテン族のいなくなった新宿駅東口駅都市銀行の真ん前、まるで「透明なひと」のように行き場もなく家もない男たちは眠りこけていた。行き交う人々からは、彼らはまるで見えないかのようだった。

彼らは教えてくれている。時にはストリートは、快適なホテルのテラスでもある。しかし、だれかれの分け隔てなく平等に身体を温めてくれた太陽が沈んだのち、暖をとるのに焚き火を焚くしかない、底冷えがして凍死の危険もある夜の路上を別にすれば……、ということを。

この国のストリートにも生き死には存在しているのだ。
(写真は2月上旬。新宿東口駅前にて)

<ワレ路上デ発見セリ!(13)/路上はホテルである>



ワレ路上デ発見セリ!/出会いは足下にある

2006-03-15 00:20:25 | ワレ路上デ発見セリ!
Under_deai_1メールアドレスを自動収集するソフトによって、毎日ヤマのような愚にもつかない出会い系サイトに誘導する迷惑メールをもらっている人は多いだろう。
実際、そこに本物の淫乱な女性がいると思い込んで、ハマってしまう男もいるかもしれない。そうだからこそ、あんなにも多くの出会い系サイトがあり、ネット上では花盛りで、ネットは一面娼家のようなにぎわいを見せてもいる。思い込みと妄想に訴えかける詐欺商法が大手をふってまかり通っているのだ!

しかし、ボクは見つけたのである。出会い系はネットだけじゃなかった!
なんと、電信柱の根元にもあったのである!
それも、地面のすぐ上、野良犬かノラ猫の視線でもなければ目立たない低い位置にそのチラシは貼りつけられていたのである。

いったいこんな低い位置のチラシなど、だれが見るというのだろう? と、思ったボクはその電信柱に異様な水の流れたあとを、何本も見つけて妙に納得してしまったのだ(写真)。
それに、気付いた時、逆に、このような位置を選んだ発想に恐れ入ってしまった。

オトコは、そう、電信柱に向かってその足下をじっと見ることが度々あるのである。そしてその時、オトコはすこしほろ酔いで、自分のとりだした一物を握りしめながら、アタマの中はからっぽでジッと足下を見つめている、そんな時間がたしかにあるのである。

そんな時、そのチラシは効力を発揮するのだ、おそらく!
男の無念無想のからっぽのアタマ、とりだして尿をほとばしらせているおのれの一物。視線は、その先をただよい電信柱の足下を見つめている。出会い系の誘惑は、低い位置にあってこそ効果を発揮すると言うそんな場所と瞬間があるのだ。路上の電信柱の地面の近くであってこそ効果を発揮すると言う、そんな場所が……。

<ワレ路上デ発見セリ!(12)/出会いは足下にある>



E.G.P.P.100「生まれ来るものと、生めないタマゴ」

2006-03-11 03:27:10 | 歌え! 叫べ! 世界を切り裂いて……
Madoka_egppボクのリィディング「風月堂の詩(うた)」からはじまったこの日のE.G.P.P.100。誕生パーティを兼ねていることもあって何をトチ狂ったのかリィディングの最後になんとのっけからイナバウアー!!
思わずマイクスタンドを倒しそうになる!
この日のテーマは「生まれ来るものたちへ! BIRTH!」でしたが、最初から波瀾含みです。

オープンマイクの口開きエントリーは、美人受付嬢をやってもらっているbambiさん!
ありがたい「人類のアセンション」の講話のその第三回め。なんと、最後には質問コーナーもありで、どうやら講話はこの日で終わりで、次回からは美人DJに転身するらしい?
ありがたい講話を聞き逃した方残念でした。アセンション・プリーズ!
エントリー二番手は、もはやおなじみイエス北村。花粉症がひどいらしく終始白いマスクをしたままで、「切り捨トーク」を敢行。しかし、この日はお笑いよりラーメン・トリビアだったみたい。
とここで、三番目のエントリーを呼び出す所で、着物姿のまきおさんが花のブーケをもって登場!
マリリン・モンロー・ティストたっぷりの「Happy Birthday」を歌っておもとなほさん(この日は欠席)と連名のブーケをプレゼントしていただきました。うん、ボクはあのBirth Dayを祝ってもらったジョン・F・ケネディの気分を味わいました(笑)。どうもありがとう!
エントリー三番手。PARAさん。やはり一番面白かったのは「浅草」でしょうか?
スカトロ風味たっぷりな「雲古」をたっぷりとふりかけてもらいました。やや食傷気味です(笑)。
四番目は初エントリーの松岡泰子(bunny)さん。ギター弾き語り。人前で歌うのも初挑戦とのこと。その勇気に拍手!
マツイサトコさんの友人で、彼女に励まされてエントリーしたようです。あらたなディーバの登場を予感させる期待株です。続けて歌いに来てもらいたいものです。
五番目は、さきほどプレゼンターだったまきおさん。英語の詩からはじまり、その途中からボロボロ泣き出す。オリジナルも詩はすべてアカペラで可愛く歌ってくれました。でも、ポエトリー界のヘビおんなはこんなにも泣き上戸だったとは!
六番目エントリーは13号倉庫さんが連れてきてくれた美季マドカさん!
いや、歌い出したとたん会場に衝撃が走りました。このジャンルはE.G.P.P.100にはまだありませんでしたから!
いや、思わず「紅組代表!」などと絶叫してしまいました。大受けです!
次回は藤圭子をカバーしてもらいたいです。ボクはサインをもらいました(笑)。
ならばと「白組代表」として七番目にエントリー指名したのは、コボリイチエンさん。この日のコボリさんのギターはかっこ良かったな。コボリヒットメロディの連続です。こころなしか紅組を意識したのか(笑)?
さて、ここであまりにも前半ゆったりとやりすぎて間もおかずボクのこの日のテーマ「生まれ来るものたちへ! BIRTH!」をリィディングしました。
さらに、始まる前に小滝橋通りの方まで探しまわったケーキ屋さんで、買ってきたチーズケーキをふるまいました。みずからケーキを買ってくるという珍しいお祝い方です(笑)。
キーボードをセットしたあとマツイサトコが歌います。しかし、先月もそうでしたが、どうもキーボードがトラブルつづきでサトコはついていない。一応、エントリー八番目です。
そうして、この日のゲストTOMOが最後をかざります。と、ここで飛び入りが入ります。って、このオープンマイク・イベントはすべてが飛び入りみたいなものなのですが……エントリー受け付けリストに記名してなかったという意味で飛び入りと言うことにしておきます。
会うこと自体が、もう2年ぶりくらいなメグさん。ボクが名付けたニックネームがフルムーンのメグです。短い詩を読んでいってくれましたが、フルムーンのメグとのシンクロニシティがどうやら起っていたことにあとで、気付きました。
TOMOは、インディアンフルート、ハーディ・ガーディ、笙(しよう)、高音のサズと楽器を次々と持ち替えて、独自の世界を見せてくれました。バックで、まきおさんが着物姿で踊ります。
TOMOの音の世界をひと言で言い表わすのはむずかしいのですが、世界の民族楽器を駆使したインプロビゼーション、ニューエイジ系の即興演奏と言えばいいでしょうか?
最後にTOMOのサズにのせてボクの「十三の月の乙女」を競演しました。ボクのこの日の3編めです。
押し気味で1、2月とはしょらざるをえなかった欲求不満を、バースディにかこつけてリィディングさせてもらいました。
終わったのは、またもや23持すぎでした。みなさん、お疲れ様でした。

なお、この日はまきおさん、おもとさんの他にマツイサトコさんからお花を、美季マドカさんからガメラのフィギアとチーズケーキ味のチョコボールをいただきました。ありがとうございました。

  *********************
次回は、定例開催第1金曜日、4月7日(金)で、ゲストは「ガディス(Goddess)」。ロックですよ!
女性ボーカル水木ノアがシャウトします!
Step57のテーマは、「死と乙女」にしましょう。4週間後です。桜が満開の頃でしょう。花見気分で歌と言う、詩という夜桜を見物に御自分の花を持参して御参加下さい! 「水族館」のさかなたちに見守られながら……、表現せよ! 生きている証に!

(写真_2)この日のE.G.P.P.で、もっとも衝撃的に「演歌」というジャンルを教えてくれた美季マドカさん。まきおさんとは違った意味で、「おんなの性(さが)」を考えさせてくれました。「演歌」の永遠のテーマであるそれをまた提起してくれたと思います。しかし、「おんなの性(さが)」って何なんだろう?



ワレ路上デ発見セリ!/路上の呪符

2006-03-08 21:53:22 | ワレ路上デ発見セリ!
Mayoke_1路上の神さまのハナシのあとはこれしかないだろう!
道の端、鉄骨に取り付けられた奇妙なものをボクは散歩中、近所で見つけたのだ。ひいらぎの葉の枝の根元には丸い豆のようなものがくくりつけられ、葉の一番上にはメザシのような干し魚がついている。これは、どうやら呪符のようだ。一体なんなのだろう?

と、思ってこの呪符をことばで表現していたら、そうかと今、分かったのである。
ひいらぎ、目刺し、豆。
これは、節分の魔(厄)除けじゃないのか?
本来は、玄関先に飾られるもので、メザシは目刺しに通じ、トゲトゲしたひらぎとともにオニが嫌うものと言われている。それが、こんな道に面した鉄骨の上にくくりつけられているので、なんだかとても怪しい呪符のようなものとして感じられたのだ。
ま、これとて魔(厄)除け、呪符には違いないだろう。

それにしても、置かれる場所が違えば、とても怪しく感じるものがあるんだということが、今日の「発見」でもあった。

だけど、そうと分かった上でも、これは怪しく思える。一般の家庭で「豆まき」さえどのくらいの家庭でやっているのだろうと思うような、こんにちの年中行事の習俗であるのに、この手慣れた組み合わせの妙はなんなんだろう?

やはり、これは「呪符」以上のなにものでもない。というのが、ボクの結論であります。

<ワレ路上デ発見セリ!(11)/路上の呪符>



ワレ路上デ発見セリ!/路上の神さま

2006-03-07 23:58:40 | ワレ路上デ発見セリ!
God_on_roadそういえば、インドでは路上にはなんでもあった。いや、かの地では路上で一生を過ごすひとさえいるのだ。現在、IT立国になりつつあるインドは、むしろそれだからか教育を受けられる富んだ階級と、そうでない貧しい階層との差はさらに天と地ほどにも開きつつあるのかも知れない。

最初、チョークを持ち出してウチの前の道路に絵を書き出したのはムスメである。グルグル巻きの円を描いて、そこに顔をつけ(それは、なんとも可愛いカタツムリだった(phot_1))円を周りながら、遊んでいた。遅く起きだしたボクは、それを見て路上にボクも描きたくなったのだ。
カルカッタの路上にヒンドゥの神さま(おもにシヴァ神が多かった)を色とりどりのチョークを使って描き、敬けんな人々がその路上の神さまになにがしかのお布施を置いていく。
「あ、これならボクもなにがしかのルピーを稼げるかも!」と、思った路上の絵描きたちだった。かれらは、最底辺の暮らしを営むアンタッチャブル(不可触民)の人々だったが、その絵を思い出したのだ。
あいにくチョークは白一色しかなかったが、道にかがみこんで描き出したボクの姿は不可触民そのものだったかもしれない。

だから、今日の報告は「発見」したものではないことを断っておこう。しかし、路上の「絶対零度」という意味で言えば神さまの姿ほど「絶対」なものはないはずで(笑)、事実、自転車で通り過ぎていった少年は、絵を避けて「なんだ!これ?」と言いながら去っていった(phot_2)。

たしかに思いのほか、デッサンをとるのがむずかしく、かんばしい出来ではなかったが、それにしても、路上の神さまの上にお布施を置いていくものは皆無である。ああ、不信心な日本人どもめ(笑)!

<ワレ路上デ発見セリ!(10)/路上の神さま>