風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

光速疾走者の悲哀、または精神のリレー/埴谷雄高(1)

2009-07-05 00:21:32 | ブンブク文学/茶をわかせ!
(まず 初めに これは 「詩」 と言うよりも 「散文」 のやうなものだ
 と言うことを 承知しておいて もらいたい)
  ………………………………………
??生と死と。Pfui!

魔の山の影を眺めよ。
 悪意と深淵のあいだに彷徨いつつ
  宇宙のごとく
 私語する死霊達。

   (「不合理ゆえに吾信ず」)
  ………………………………………
思い浮かべて欲しい
 それは昭和7年(1932年) まだ22歳の 美しい面立ち(おもだち)をした青年が
  マルキストとして 共産党の非合法地下活動を していた
 仲間は 次々と 特高警察の手に おち 検挙され
  小林多喜二の やうに 取調室で 虐殺された
 また 共産党の内部でも スパイ摘発に明け暮れ
  疑心暗鬼の中で 査問を受けた仲間が リンチを受け 死んでいった
   どこか 1970年代はじめと リンクする 状況だった

帝国の植民地であった 台湾 生れの 般若豊(はんにゃゆたか)という
 名前のその青年は
あるとき 治安維持法違反 不敬罪で 起訴され 豊多摩刑務所に収監される
 友人宅を 訪れた際 特高警察を 家族と間違え
  そのまま うむを言わさず 逮捕されたのだ
収監されていた 1年半あまりの時間
 青年は 刑務所内の 壁にひとり向かい
  黒い染みと 対面し 独白し 夢想していた

??薔薇、屈辱、自同律??つづめて言えば俺はこれだけ。

出獄し 吉祥寺に居をかまえる
 それから 60年余 住み続ける 井之頭公園近くの 家だ

青年は 「般若」の面を とって ハニヤユタカ という
 文学者になる

豊多摩刑務所内で 壁に向かって 夢想した
壮大な <妄想>を 「小説」という
 文学装置の 中へ 解き放った

それまで 誰も構想しなかった
 前人未到の 「存在」を問う 文学だった 
 ……………………………………………

アフォリズムは 警世の短文 ことわざような 形式である
 一般には 処世術の 警告のようなものが 書かれ
 「格言」「箴言」「警句」と 称される
たとえば 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)の
 ようなものだ
 交通標語のようなものも そもそもはそのような
アフォリズムの 形式を 七五調で 真似たものと言える
 また 政治的スローガンも アフォリズムの応用だったろう
  そう プロパガンダに 使われる政治的な
   それゆえ 洗脳的な コピーライトだ
だが その黒塗りの190×190㎜の 正方形をした函には
 ラテン語で 「Credo,quia absurdum.」と
  印字されてある
と そのラテン語は 「不合理ゆえに吾信ず」という書名の
 ラテン語訳であるらしい
<謎>は ほぼその作家の 処女作と言ってよい作品から 仕掛けられてある
 その 詩集のやうな アフォリズム集の 第1句は かう始まる

「賓辞の魔力について苦しみ悩んだあげく、私は、或る
  不思議へ近づいてゆく自身を 仄かに感じた。」


「賓辞(ヒンジ)の魔力」??ヒンジとは 主語(主辞)に対する
 述語のような 客辞 ことばである
 大事なお客様を 主賓 貴賓と言う あれだ

それは かう言い換えられる
「??私が 《自同律の不快》と呼んでいたもの、
  それをいまは語るべきか。」


ふいに 唐突に それは かう続く
「??さて、自然は自然において衰頽(すいたい)
  することはあるまい。」


これらの アフォリズムは 刑務所内の 独房の壁と 長い時間 
 ダルマ法師のやうに 面壁することによって 編み出されたものである
そして それらの 悪魔的とも思える 警句を 書き連ねることで
 美しい横顔をもつ 般若豊青年は 転向し 文学的出発を とげた
  とはいえ その 内容は ドストエフスキーのやうに 長大で
   シュテネル(シュティルナー)の やうに 哲学的だった
この 奇妙な 超絶した ポジションを 戦後文学に しめる
 作家は しばしば このようなことばを 吐いた
 革命家は しばしば 幻視者であり 幻視者は 永久革命家である と。
 埴谷雄高のこの ことばは <革命>を
  権力奪取の政治革命以外のものへと 解き放ったものだった!
   アルチュール・ランボーは 同時に カール・マルクスでもある
   と 断言するような 驚きに みちた ことばだったが
    60年代のなかば 革命中国で 毛沢東自らが 指導する
   「文化大革命」がおこったとき 埴谷雄高の 正しさは 証明された



光速疾走者の悲哀、または精神のリレー/埴谷雄高(2)

2009-07-05 00:09:00 | ブンブク文学/茶をわかせ!
「賓辞(ヒンジ)の魔力」とは 「自同律の不快」とは
  私は……私である…… と断定する時に
   主辞(主語)である 私は…… と
    客辞(客語)である 私である……の あいだに
  無限の それこそ 跨がりきれぬ程の
   切り裂かれた 深淵を 見てしまうことを 言う

ぼくらは 打ちのめされた!
 高踏的で 悪魔的な その アフォリズムは
  ひねくれもので アウトサイダーな ぼくらに
   ぴったりに 思えたから……
それらの ことばたちは 宙を漂い
 深夜ジャズ喫茶の 紫煙の なかで 女たちを煙りに巻く
  「深夜叢書」 だったからに ほかならない

そして 昭和20年 終戦のその年から 書き続けられた
 未完の大作 『死霊』だ
  ぼくらは 一般には 「しれい」と読まれているらしい書名を
   「しりょう」と 読み その書名を 口にするたびに
  曰く言いがたいものを 口にした時に そうするように
   一旦 口をつぐみ 目配せした
ボクが 本当のことを 口にすれば 世界は 凍るだろう??
 そう 詩に書いた ひとりの 傲慢な詩人は
  その『転向論』において いわゆる「非転向者」さえも
   日本的伝統において 転向したと 切り捨てた
 その 詩人にして 埴谷雄高の『死霊』は 畏怖すべきもので
  ただ その一冊で 戦後文学に 拮抗している と 書く

「ぼくはぼくの力の所有者である。ぼくが自分を唯一者として知る時にせうである。
 唯一者において、所有者そのひとさへも彼の母胎である創造的虚無に帰る」
「そこでぼくは言うことができる。/ぼくは何物にも無関心だ。」

 (スティルネル『唯一者とその所有』)

若き 埴谷雄高は シュティルナー(スティルネル)に 読みふけった
ドストエフスキーの 『大審問官』の 『悪霊』の
 絶対の 対話(ダイアローグ)に 学んだ……

そう 小説こそは 「どこにもない だれでもない」(nowhere,nobody)
 想念の 純粋実験が 可能な 想像力の空間だった
そのような どこにもない空間で
カントの 「われ思う ゆえに われ 在り」を 検証する試み
 それこそが 「貧辞の魔力」であり「自同律の不快」に
  とらわれたものの 務めだと 決意した
言い換えるならば 小説は その虚構の世界において
 壮大な 「妄想の実験場」 に化したのだ

??《ロマネスク。そは絶望の反語なるか。》

おう、そうでありながら その長大な構想の ロマンは
『近代文学』誌に連載第1回目が 掲載されたのが
昭和20年 結核による病の床に あったため3章で中断
昭和24年に 第4章が 発表され
 それから 25年余たって 昭和50年に 第5章
晩年の 平成7年(95年)に 第9章まで 至って未完に終わる
 実に 50年の時間が 費やされた 長篇小説だが
   物語は わずか 五日間の 出来事なのである
 五日間に 50年という 時間が 費やされ
  そして その 構想の 壮大さに ついに完結することが なかった

いや 違う!
生涯 子どもを つくることを 拒否した
 思想家 いや 夢想家 埴谷雄高は
 「精神のリレー」として この長大な 物語の
  完結を ひそかに どこかの 誰かに 託したのではないだらうか?

人間が 自由意志で 選択できる行為は
 自殺と 子どもをつくらぬことだ と
  看破した
(そのため 妻となった もと築地(つきじ)小劇場の
  女優だった 敏子に 幾度も 堕胎を 強要した)
何故なら 子どもと 言うものは
 親の思想を 受け継ぐことはなく
   どこかの 他者の 思想を 受け継ぐものだからだ
また この考え方は 少なくとも
 現代の 遺伝学では 証明されている
子どもは そして おんなは
 自分とは 遺伝的に 遠い存在を選択するように
  プログラムされた DNAを 持っている!
(そして 埴谷雄高の 思想と 格闘して
  「般若」のこころを 切り捨て
   <希望>としての子をもった ぼく自身が
    実感して 会得したことだ)

ユタカ(雄高)は 自分の作品が 三千世界に 架橋する
 デモノロギイ(悪魔学)の 渇望(かつぼう)に
  依拠するものであることを あるところで 明かした
それは 偉大な 神話の構築だったろう
「物質の未来」を 「存在の革命」を
 構想する 稀有な 神話??
  そこでは 人間は みな死に絶え
   動植物や 万象の ひとかけらと なって
    ホトケや ときに カミとして ともに 新しい
「宇宙」の 「創世神話」を 語り つくってゆくのだ
 文学の ニルヴァーナ 涅槃
  あたらしい 「涅槃図」
  現代の 「偉大な経典(マハー・スートラ)」
   としての マンダラ宇宙!

この 宇宙の どんづまりは すべての
 思想 思念を 無用なものとし
  もはや ことばでは 語れぬものなのか?

ハ、ニ、ヤ、ユ、タ、カ
 この 智慧という 意味をもつ
 「般若」は 光速で 疾走したものが
  寂寥(せきりょう)感に さいなまれながら
   宇宙大に 膨張する
   あの アンドロメダ星雲 M31の
    住人だったに ちがいないのだ!

  (未完)

 埴谷雄高:1909年12月19日生まれ~1997年2月19日死去。享年87歳。その命日は「アンドロメダ忌」と名付けられている。



毒書日記Poisonous Literature Diary/「家守綺譚(いえもりきたん)」

2006-10-30 23:53:53 | ブンブク文学/茶をわかせ!
 いや、これはこれまで「毒書日記」で取り上げた作品(おもにポルノ作品でした)とは、作風も世界も違う。むしろ怪異な日常を淡々と描いた幻想譚とも言うべき作品だ。ぼくはこの作家のことを全く知らなかった。千葉の樹木葬に行く電車の中で、読むものを探していてその書名にひかれて求めたものだ。

 「家守綺譚(いえもりきたん)」梨木香歩。新潮文庫。本文188ページ。税別362円。安価で堪能できるお買得商品だ(笑)。

 時代も、場所も明確に書かれている訳ではないが、物語のはしばしから判断するにおそらく明治後期の京都の郊外(琵琶湖疎水ぞい)を舞台とするもので、主人公綿貫征四郎は売文を生業とする貧乏文士。学生時代に亡くなった学友の住むものもなくなった庭付きの一軒家に家守(いえもり)として住みついてから庭木、学友の幽霊、鳥獣、物の怪の類いの怪異が日常茶飯のように起るようになる。

 時代背景はまったく希薄である。むしろ時代を薄めることを作者は意図し、主人公が交歓する手入れをおこたった庭や庭木との話をたっぷりと美しい日本語で描く。この小説では28章ある章立てのタイトルのすべてが「サルスベリ」から「葡萄(ぶどう)」で終わる植物の名前である。森のようにこんもりとした植物の濃密な雰囲気にむせそうになる。その濃密な植物の気配に、さらに山寺までの森や山、そして主人公を化かしにかかる狸や狐の里山の野生動物たち、そして河童や人魚、小鬼、精霊(妖精)までもが主人公の前に立ちあらわれるようになる。

 読みながら、泉鏡花を思ったり、上田秋成を連想したり……最終的には中国古典の怪異譚の集成である『聊斎志異』にまで至ったが、結局は水木しげるの『河童の三平』にまで連想はおよぶのだった。
 とりわけ、ラスト近くで向こうからの世界に呼ばれた主人公綿貫は、まるで水底(みなそこ)のような饗宴に差し招かれる。このシーンは『河童の三平』の幻想的な河童の国に良く似ていた。

 そして、樹木葬の寺に向かっていたボクは、以下のくだりにいたく共感したのであった。

 ??いい場所ではないか。
 ??ああ、たしかにいい場所だ、こういうところに人は埋まりたがる。
 ??埋まりたがる、とは。
 ??つまり、ああ、いい場所だと思う。そして自分が死んだら故郷のどこそこへ埋めてくれと人にせがみたくなる、いい場所とはつまり、人が埋められる気になる場所なのだよ。
(98p)

家守である綿貫は、自らも変異していくのだ。「いえもり」からヤモリへ!

 のどを押さえると変な感触がする。慌てて手を見てぎょっとした。人間の手ではない。
 ??当たり前だ。おまえは家守(やもり)だもの。……そうだ、おまえは夢を見ていたのだ。人になった夢を見ていたのだよ。(46P)

 「家守綺譚(いえもりきたん)」梨木香歩。新潮文庫。2006年10月の新刊。


ブログ作法/「ユリイカ」4月号特集批判

2005-04-23 01:41:02 | ブンブク文学/茶をわかせ!
eureka_4
まだ読み終わっている訳ではないから、本来なら触れるべきではないのだが、きっと精読も読破もしないだろうから(それは、雑誌の宿命みたいなものだろう)軽いフットワークで書いて終わりにしておこう。
ボクが何のことを言っているかのと言えば、『ユリイカ』の4月号の「ブログ作法」という特集のことだ。

全体を切り捨てると、「はてな」対「ミクシィ」みたいな対立でとらえられているのが、あんまり面白くない。ボクなど、「ミクシィ」に入ってはいても(今年の1月末)、その日記はミクシィではなく外部のブログ(OCNの「blogzine」と、ミラーサイトのteacup?もともとはteacupのブログがメインだったが、アクセス数も後発のOCNの方が、抜き去りそうである?)に飛ぶから、別にミクシィに入っていない(登録していない)人でも自由に読む事ができる。ミクシィのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)は功罪半ばすると思っているし、むしろこの会員制(メンバーに招待されるという紹介者が必要なシステムなところも、なんだか昔の「会員制倶楽部」を連想してしまう。もしくはライオンズ倶楽部か?)システムには弊害もあるのではと思っているが、よく言えば顔の見える関係性があって匿名性とは反対の意味でコミュニティは作りやすい事は確かである。

もうひとつは、ブログ全盛の現在のことを語るのに、プロのライターも評論家も歯切れが悪い。書くと言う事や、 狭いジャーナリズムや出版の世界に閉じこもってきた人たちが、むしろこのような素人が発信・表現する手段を持ったことに脅威を感じているのではないだろうか、と思ってしまう。

特集の中心と目される対談からして、こんなものを読ませないでくれ!と世界の中心で叫びたくなる(笑)ほど内輪ネタ(この場合「はてなブログ」メンバー)のヨイショと、オチに満ちていて「ユリイカ」という詩誌は、ヴィジュアル面は全然ない活字だけの専門誌だから、なんだか流行に乗ったが結果、墓穴を掘ったな、と思えてしまった。

ここで、ばるぼらというひとの言い方をもじってボクなりに寸評すると、こうなる。

ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはコンテンツを、表現する文章力である。

ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはブログを、分析する思想性である。

ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはブログを、集積したデータベースである。

ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはオフラインゆえに、リンク集を作られても仕方がない活字メディアの硬直性である。

ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはまったくもってアングラ精神である。


特集*ブログ作法(目次)

■痛快娯楽大河座談会一挙掲載
激突!はてな頂上作戦  仲俣暁生 栗原裕一郎 鈴木謙介 吉田アミ

■ブログは燃えているか?
史上最弱のブロガー  内田樹
「ブログ作法とは何か」とは何か  北田暁大
接続者のしかばねの上に萌えるもの、あるいは工作者の逆襲?  上野俊哉+泉政文

■私の眼を通り過ぎていったネットたち
BBSからブログへ??極私的ブログ考  稲葉振一郎
ミクシィは「出会い系」か???2ちゃんねる・ブログ・ミクシィ  小谷野敦

■ブロガー、その栄光と悲惨
「たけくまメモ」繁盛(させたい)記??誰もがメディアになる時代  竹熊健太郎
ブロガーがネットを発見する  スズキトモユ

■紙が批判する
活字とWebのコンティニュイティ??雑誌化したBlog  佐藤真
日記からアクションが生まれる  南陀楼綾繁
遮光された部屋??ブログの画面論  鈴木一誌

■ブログ批評へのアプローチ ブログ・ガイド100@2005  編=栗原裕一郎   
メタブログ  松永英明   
オタク系  加野瀬未友   
人文系  山本貴光+吉川浩満   
アート  野中モモ   
音楽  増田聡   
著作権  末廣恒夫   
ニート・ひきこもり  上山和樹   
文学?  近藤正高   
ブログの書籍化  速水健朗   
ネクスト・ブログ  ばるぼら

■画面の前後左右
ブログ年表1993--2005  編=ばるぼら


If……ホリエモン、中国・韓国をなだめる

2005-04-16 00:58:12 | ブンブク文学/茶をわかせ!
200543_chinaしかし、残念だ。ライブドアのホリエモンこと堀江社長は、フジTV側との和解交渉のテーブルに着く事にしたらしい。さすがに、フジTVがくり出した様々な防衛策の最終兵器、ニッポン放送が所有するフジTV株をSBI(ソフトバンク・インベストメント)に貸株するという奇策は、オドシの意味も含めて決定打となったようだ。さらに、12日付けでライブドアの株価が最安値(293円)となり、ここで何らかの手を打たねばライブドアそのものの屋台骨がきしみかねないという事態だった。また取得したニッポン放送株は、その後の下落で単純に100億円以上の含み損を生んでいたらしい。
そんな矢先、水面下で進行していたらしいフジTVとの和解案が発表され、さらにはライブドアとGOGLEとの提携も発表される。ま、これは言ってしまえば企業レベルで行うアフリエイトみたいなものだろうが、さすがに見込まれる広告収益の額は億単位だ。

所詮、堀江氏は金儲けが主たる行動原理である経済人にしかすぎないのだから、そんな期待を込めてもしかたがなかったのだが、現在火を吹いている中・韓の「反日デモ」(この週末にも上海で呼び掛けられているらしい)の英雄になれる可能性があったのに残念でならない。ま、これはSFでいうことろのパラレル・ワールド、もうひとつの「if」として聞いていただこう。

  *********************

日本の「教科書検定」で、「新しい歴史教科書をつくる会」が編纂した教科書(扶桑社)が通過した事を、発端とした中華人民共和国の「反日デモ」の高まりと、島根県が制定した「竹島の日」、従軍慰安婦の記載が一切なくなり、外圧に屈する事は自虐史観だと主張するグループの教科書が採用された事による「反日」運動の再びの高まりを迎えた韓国のそれぞれの運動は、ライブドアがフジ・サンケイグループの枢軸であるフジTVをその手中におさめた事によって、沈静化していった。
この事態の因果関係を、調査した記者は奇妙なことに気が付いた。フジTVによる、ありとあらゆる防衛策をそれを上回る奇策で乗り越えたモリエモンは、フジ・サンケイグループの総本山フジTVを手中にしたのと同時にグループ内の出版部門である扶桑社が、今後一切、教科書部門に手を出さない事を発表、そして幻冬舎の別会社で、ライブドアの人気ブログの書籍化を業務としていた会社との合併を同時に発表したからである。これにより、実際、「新しい歴史教科書をつくる会」は、その教科書を作る術を失った。
と、同時にホリエモン氏は、「自虐史観に基づかない「歴史観」は、どうぞ当社の無料ブログで展開していただき、広く国民的批判と検証を受けていただきたい」と述べた。さらに、つづけて同氏は「人気ブログになれば、今回合併した元扶桑社であった出版社から、書籍化する可能性は残しますが、それも人気がすべてです」と語って居合わせたマスコミ関係者からも、喝采をあびた。

なお、この事態とホリエモンのコメントについて質問を受けた小泉首相は、「ブ、ブログって何ですか? あ~、でも民主的な手段で多く国民の意見・批判にさらされるのならいいんじゃないですか」と、語った。

同日、都の知事室で「新しい歴史小説」を、執筆中だった石原慎太郎都知事は、同じ質問に「ば、売国奴!」と、記者につかみかからんばかりの勢いでコメントを拒否した。

中・韓両政府の広報官は、今回の事態をすでにインターネットで読んで知っておりましたと前置きした上で、「私たちは将来、ホリエモンさんに政治の道へお進みなさるように提言したい」と、短いコメントを述べ、今回の終熄のきっかけをこの日本の新しい経済人、経営者がつくったことを激賞し、その判断をいたく歓迎すると言う旨を表明した。(共同電・東京/風月記者)

※この記事は、フィクションであり登場人物と実在の人物との関係は一切ないことをお断りいたします。



ウバタマが垣間見せるたましいに触れるゆめ

2004-11-20 18:09:27 | ブンブク文学/茶をわかせ!
oyako16日にわが最寄り駅の駅前の書店に、2冊顔を並べてどれも平積みされているのを発見した時は、我がことのように嬉しくなった。2冊同時出版という売れっ子みたいな快挙を成し遂げたのは、友人でもある作家にしてアーティストというマルチな才能を持つAKIRAこと杉山明氏である。

その2冊とは、長いこと絶版(出版社が倒産したらしい)だった『COTTON100%』(同文書院、1998。AKIRAの処女作。今回は現代書林)と、新刊書き下ろし『神の肉テオナナカトル』(めるくまーる)である。
ペルー、アマゾンを舞台にした前作『アヤワスカ!』(講談社2001)が南米ものだとしたら、新作『神の肉テオナナカトル』は中米ものな訳だが(舞台はメキシコ)、スペインに絵画留学していてスペイン語も話すAKIRAにはスペイン語圏は必然のように彼自身をそのフトコロに呼び寄せた。ボクも行っていた2000年の「いのちのまつり」でAKIRAは、ウィチョル族のセレモニーに参加する。「虹の村」で開かれたそのセレモニーに、まつりで店(チャイ屋)を開いていたボクは行くことができなかった。その出会いと導きがAKIRAをさらにシャーマンと出会い、そのイニシエーションを体験するというその後の旅へさらに駆り立てる。
AKIRAの旅は、まるで人類の意識の深層を見て歩くような旅で、それこそ変性意識をともなうトリップでもある。その過程の中で、AKIRAはウィチョル族のネアリカ(色とりどりの毛糸をキャンバスに直接はって描く)の手法をも、己のものとしていく。

新作の『神の肉テオナナカトル』は、いわば『アヤワスカ!』と血をわけた姉妹のような作品である。ただ、今回はインディオや先住民よりもかって高度な文明と天文学を誇ったマヤ文明の叡智の中をくぐり抜けながらの探求の旅なのだ。作品の中には、最新のマヤ学の知見がちりばめられている。このような点では、フィクションなのだが、旅そのものの進み具合は、おそらくAKIRA自身の実際の旅を元にしたノンフィクションなのだろう。マヤ暦(神聖暦。一年を13月にわけるため「13の月の暦」とも呼ばれている)で日常生活もしているらしいAKIRAには、必然のようにマヤ暦が終わる日である(!)2012年12月22日の世界終末の問題がはりついている。その日付けは、マヤ暦が終わるとともに、人類が、いや地球が滅びる日と予言された日付けだと言われている。ただ、この終末へのはっきりとした言明はない。
今回の新作で、読者としてのボクが不満があるとしたら、それはただひとつの点。作中に『ポップ・ヴフ』(奇跡的に教会に残されたマヤの神話)への言及がないという点だけだ。マヤ学の知見は、『ポップ・ヴフ』から解かれていると言ってもいいくらいだからである(実松克義.著『マヤ文明聖なる時間の書』、『マヤ文明新たなる真実』など。『ポップ・ヴフ』は一般には『ポポル・ヴフ』と表記されている)。
『神の肉テオナナカトル』の意味するものは、ペヨーテのことだ。このサボテンは、含有するメスカリンによってひとに幻覚作用をひきおこす。AKIRAは、神の肉ペヨーテ(テオナナカトル)を食して黄泉に降りて行くように、死んだ父親と再会しそして和解するのだ。

今回の作品は、ひとの来歴、自分のルーツ探し、探求をテーマにしたものだ。自分探しの探求の果ては、親とのひいては自分との和解だとAKIRAは説いているようである。その意味では、幼年時代からの半自伝的な物語ともいえる。ひとは、長い旅の果てに、あるいは人生の果てにもっとも自分に近いものと向き合い和解するのだと。そう、そのためにもひとは悲しいことに、憎んで憎んで憎み続けなければならないのだ。

(とすれば、それはボクにも必要な体験かも知れない。ボクもまたもう死んで二十年以上になる父と真に和解したとは言えないからだ。これは、母がその先祖からの石の墓に入れず、樹木葬を選択すると言う葬り方の遠因になっている。むしろ、それはとても良かった。墓の問題で苦しみ、悩んだからこそボクは自分自身もそのように葬られたい「樹木葬」に出会ったのだから……)

(巻頭のイラストはAKIRAによるプチ・ネアリカ作品「親子のカムイ」。『神の肉テオナナカトル』の表紙絵に使用されている。タイトルから言っても、今回の作品のテーマを語っているようなネアリカ作品だ。画像をクリックすれば大きく見ることができます)

「親子のカムイ」(c)AKIRA


「ルバイヤート」と「千一夜物語」

2004-11-18 23:06:10 | ブンブク文学/茶をわかせ!
1001(番外編・西東詩歌文学的トリビア)

四行詩「ルバイヤット」を書いたオマル・ハイヤームは1048年ころイランに生まれた詩人。おおよそ900年前のペルシャ文学の巨匠であり、神秘主義者(スーフィイズムらしい)である。このアラブ圏の詩集が英語圏に紹介された経緯も不思議で面白い。
1862年ころ、ボクも好きなラファエル前派の画家ロセッティの友人が古書店で見つけたこの本の話をロセッティにし、ロセッティは翌日にくだんの古書店に、その詩集を見に行く。一読し、その文学的価値をみとめたロセッティはこの本を友人たちにプレゼントするために求める。その古書値はそれから二倍、三倍にはねあがったとのことである。その詩集が「ルバイヤット」であり、1859年にフィッツジェラルドが翻訳、自費出版したもので、限定250部刷られたが、さっぱりさばけず古書にまわったものだった。ロセッティなどのラファエル前派の”発見”と賞賛によりこの詩集は一躍、ヨーロッパのみならず、アメリカでも一大ブームとなる。19世紀末から20世紀の初頭で、西洋圏にオリエンタリズムやジャポニスムなどのエキゾチシズムが席巻したころと時期的には見合っているだろう。
この頃の、西洋の認識がどれほど中国と、日本と中近東が区別がついたのか、はなはだ心もとないのだが……。ま、エキゾチシズムというものは元来そのようなものなのかもしれない。遠方への憧憬、渇望だろうから正確な知識はむしろ邪魔だったりする……。

戸惑うわれらをのせてはめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬灯だ。
日の灯火を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。
(小川亮作訳・105)

同じ詩文を学者志望だった若き日、作家の陳舜臣氏はこう訳された(2004年2月集英社刊)。

廻るこの世にわれらまどいて
思えらく そは回転提灯の如しと
太陽は灯にして世界は提灯の骨
われらその内に影絵の如く右往左往す

ま、このような文語体での訳文は好きになれないが、これは陳氏が学生時代、戦時下の中で夢中になって私訳したものであるそうで、音律も考え原典から口語訳した先の岩波文庫版より一層古めかしいものになっている。
しかし、文語体がすべてダメというのではなく、日本で最初に「ルバイヤット」を訳した蒲原有明のそれは抄訳とはいえ馥郁たる香りが立ち昇りそうな名訳である(当時、今日そんなことをやったら大変な事態になりそうなこと(白秋もそうだが)、翻訳を自作として発表することが多かった!)。

泥沙坡(ナイシャプル)とよ、巴比崙(バビロン)よ、花の都に住みぬとも、
よしや酌むその杯は甘しとて、はた苦しとて、
絶間あらせず、命の酒はうちしたみ、
命の葉もぞ散りゆかむ一葉一葉に。
(「有明詩集」)

陳氏は台湾出身であり、当時は日本人の学生だった。そして、戦時下にこのようなアラブの詩歌に夢中になったというところが、バートン版「千夜一夜物語」をコツコツと個人全訳された大場正史氏とも似ていなくもない。
バートン版「千夜一夜物語」を個人全訳した大場氏は、戦時下の暗い時代をめくるめきアラビアの夜に遊ぶことで、精神のバランスと救いを見い出してたようだ。いってしまえば、女々しい非国民??滅私奉公する翼賛体制についていけず、むしろ享楽と快楽の世界を学問と言う名に変えて乗り切ったのかも知れない。
「千夜一夜」自体もその成立は一筋縄では語れず、インドや中国や中近東の説話、語り物が混在して長い時間を経て成立したというのが、一般的な説のようだ。だから、その物語の中に登場する小道具や、風景も単純にアラブ圏のものとはいいがたいものが出てくる。

そう、有名なところではアラジンのランプだ。これは、ボクたちが考える灯火用のランプのイメージはくつがえるようなほとんど深皿のようなものに芯がついた形態で、どうやら中国製であるらしい。アラジンの物語はそれゆえ、中国の奇談の類いが物語のルーツになっている可能性も高いらしいのだ。
先の陳氏も訳出した「ルバイヤート」の中の「回転提灯」「走馬灯」は、英語ではマジック・ランタンと訳されているものらしい。これは幻灯(ファントマゴだったけな)の原形で、要するに回り灯籠である。フィッツジェラルドは註でインドで今も用いられていると書いたそうだが、これなどもむしろ中国の香りがする。現にハロルド・ラムというひとはチャイニーズ・ランタンと訳しているらしい。

最近やっと第2刷が出て入手しやすくなった前嶋信次・著『アラビアン・ナイトの世界』は、原典訳(平凡社東洋文庫)に個人で立ち向かった前嶋信次氏の労作で、この一冊が千一夜に関するトリビアのかたまりと言ってよく、それは失礼だから学問の蓄積と言い直しておくが、学問って(それは単なる書物の収集から始まったとしても)こんなに面白いものなんだと教えてくれる別格のおすすめ本である。
ま、「千一夜」を読みたいが、なにせ分厚すぎてとためらうむきには阿刀田氏の本は初心者向きで、読んだ気にさせてくれるだろう。
(番外編・西東詩歌文学的トリビア おわり)

参考資料:『ルバイヤート』小川亮作・訳/1949/岩波文庫
     『ルバイヤート』陳 舜臣・訳/2004/集英社
     『アラブ飲酒詩選』塙 治夫・編訳/1988/岩波文庫
     『西東詩集』ゲーテ・作/小牧健夫・訳/1962/岩波文庫
     『千一夜物語』大場正史・訳など多数(とりわけ大場氏訳の河出書房版は古沢岩美がイラストを描いており個人的には愛蔵している。それはちくま文庫判にある程度、反映している。他にマルドリュス判の完訳としての岩波文庫判がある)
     『アラビアン・ナイト(原典訳判)』前嶋信次・訳/1966~/平凡社東洋文庫
     『アラビアン・ナイトの世界』前嶋信次・著/1995/平凡社ライブラリー(最近第2刷が出て入手しやすくなった)
     『図説/アラビアンナイト』西尾哲夫・著/2004/河出書房新社
     『アラビアンナイトを楽しむために』阿刀田高/1983/新潮社 新潮文庫