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そして、その「宇宙(軌道)エレベーター」のアイディアを展開した作品が、『楽園の泉』(1979年。翻訳2006早川文庫SF)である。ところで、この作品はスリランカに行ったことがある人間にはすぐ分かるし、描写される情景もすぐどこか分かるのだが、シーギリアロックの上に王城を作った狂王カッシャパの伝説が下敷きになっている(ただ設定上は赤道直下に変えられているが、実際のスリランカはモルジブより北、北緯5°から10°の間にある)。ボクは個人的にこの作品を読んでこんなにも小乗仏教(テラワーダ仏教)を愛したA・C・クラークにあらためて親近感を持ったほどである。
『楽園の泉』には、SF作家A・C・クラークが辿り着いた宗教観や、「神」認識についても書かれてあるが、話を戻そう(アーサーはなによりも仏教に親しみを感じていたようである)。
そう、ボクがA・C・クラークへの頌歌として書きたいことのテーマはもうひとつ。昨日書いた「ファースト・コンタクト」、「地球最期の男(ラスト・マン)」、「人類の新しい階梯」テーマという提示の中の三番目。ある意味では、今日かってないほどのブームを起こしつつあるスピリチャルの世界の中で言われている「アセンション」という概念も、A・C・クラークが『幼年期の終わり』で提示したテーマがルーツになっているのだろうというボク自身の認識である。
いま、言われているところの「アセンション」、人類の新しい階梯(ステップ)と言う言い回しは、おそらくマヤ暦というかマヤの神話そのものの中にある。それが、「ポポル・ヴフ」である。
「ポポル・ヴフ」というマヤの創世神話を記録した文書の中で、人類はこれまでも何回かのアセンションを繰り返してきたことが描かれている。
しかし、その認識も多くの自称ヒーラーやスピリチャル・ムーブメントに関わる方も御存知ない。創世神話「ポポル・ヴフ」そして、現代では『幼年期の終わり』という作品こそが人類の次の成長、ネクスト・ステップというテーマがはじめて提示されたSF作品だと言うことだ。
スピリチャル・ムーブメントの中で言われているマヤ暦の終焉する2012年12月23日とは、まさに人類が「幼年期」を終わらせる「アセンション」のことではないかというのが、その主張である。多くの若者たちをとらえているらしいスピリチャルな言説は、それがフィクションとか仮設とか実証も、論証もできる言葉ではなく、論証も反証も拒否するようないわば予言書とか、聖書(言葉の真の意味でのティストメント)のことばで綴られている。そして、無意識のうちにA・C・クラークの『幼年期の終わり』や『2001年宇宙の旅』に提示されたビジョンを引用しているのだ。
スピリチャル・ムーブメントの中で無意識のように(そしてあたかも当然のように)引用されている言説に、これまでのSF作品(小説、マンガ、アニメ、ゲームなどを通じての)がもたらした影響は多大である。たとえば、「ハイヤーセルフ」や、「銀河帝国」、ある人物がチャネリングとして語り出す人物は宇宙人であったりする!
今日まで、わたしたちがSF映画や、SF小説から受け取ったメッセージやイメージは無意識のレベルへ埋め込まれ、新しい高次の「精神体」を生み出したかのようである。
ある世代の集合的無意識となって、スピリチャル・メッセージはいともたやすく若者たちをマインド・コントロールする新宗教の腐植土となっているに違いない。
とはいえ、ボク自身はネイティブ・アメリカンの人々が言うグレート・スピリットや先住民族のひとびとが森や森羅万象に感じている「精霊」までも否定している訳ではない。ボクたちが、実はたましいのレベルでもまだまだ「幼年期」にあることを感じるような言説が横行し、あたかも第何次のアセンションにいると言った精神世界の階級社会が語られていることに危惧を表明したかっただけである。先住民のひとびとや、マヤやインカの神話を勝手に換骨奪胎して都合のよい言説を振り回すのはやめようよと言いたいのである。
(写真)晩年のアーサー・C・クラーク。晩年アーサーはポリオの後遺症のために車椅子生活を余儀なくされていた。それでも少年のような好奇心を保ち続けたと言う。