風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

チェルノブイリ20年目の夜に(2)

2006-04-30 23:55:31 | 今日はナンの日?
4_26_night_4渋谷はNHKホールの目の前に、「アースディ・カフェ」として設けられた特設テントで開かれた。メインは、知識人、平和運動家の座談である。ボブ内田のソロ「チェルノブイリ」と、ナナオの2編の詩「ええじゃないか、ええじゃないか」と「星を食べようよ」だけが、表現だった(写真_2)。
渋谷の会場は仮設テントで、夜ともなればさすがに寒かった。

ひとりそのひととなりをポツポツと語ってボクの印象に残ったのは写真家でもあり映画監督(「ナージャの村」「アレクセイと泉」など)でもある本橋成一さんだった。黒澤明のことばを引いて「人間なんてたいしたことはない」と語り出したのである。もうはるか昔のことで、一時は流行語にもなった羽田沖に墜落した航空機の機長の「逆噴射」なんて、懐かしいことばまで飛び出して笑わせてくれる。
ボクもそう思う。人間は間違いも起こす、ミスも犯す。そんなたいしたことのない私たち人間に「神の火」とも言うべき原子力や、「地獄の業火」とも言うべきプルトニウムを自在に扱えると考え、さらには「絶対安全です!」と言い放つ、そのことでさえ傲慢で不遜なことなのではないか? と、思うのである。

「人間大」の「等身大」の技術??それだけが、「たいしたことのない」わたしたち人間もしくは人類が扱うことが許されているテクノロジーなのではないだろうか?
この日の、トークのスピーカーのひとりが、その著書で臆面もなくパクったことばを、もとに戻すなら「スモール・イズ・ビューティフル」(シューマッハー)なのだ。小さいことは美しい! つまり巨大テクノロジーに対抗する人間大のテクノロジーこそが、ひとにも環境にも優しいものなのだ。
この意味でも、原子力でお釜のお湯を沸かしてタービンをまわすだけの、エネルギー効率の低い原発による発電方式や、核燃料処理によるプルサーマルなんてツケを未来や子どもたちに残すだけのとんでもない超巨大技術である。

原宿を経由して、もうひとつの「NoNukes_4.26」の開かれている「LOFT PLUS ONE」へ向かう(主催はともにアースガーデン)。

空腹で駆けつけた会場は、渋谷とは全く違っていた。おりしも天空オーケストラの岡野さんが歌っており、会場がそのネイティブ・アメリカン的な掛け声とともにひとつになっている。続いてボブが歌う。渋谷ではソロで歌った同じ「チェルノブイリ」をチナキャッツやケンゴや岡野さんをまじえたスーパーセッションバンドである。バックでハモるおハルのコーラスが心地よい。
なんだか、優しさに包まれたみたいでホッとした。こごえた気持ちも会場の熱で溶解するかのようだ。うん、少なくとも渋谷からのパネラーたちがそこに駆けつけてくるまでは……(笑)。

なんだか、うむを言わさぬ勢いで広瀬隆氏のレクチャーがはじまった。皆が飽きたらその場で止めますということだったが、さすが講演なれしていてその話はきっちり1時間かかった。終わったのは深夜零時だった!
話の概要は、ほぼ「危険な話」の第2章からの展開に見合ってものである。
御本人も言っていたが、いわば入門編が話された訳だ。

そのあとキャンドルに浮かび上がって眼鏡をはずしたナナオが登場した。ナナオは渋谷よりは、はるかにリラックスしていたが(「LOFT PLUS ONE」には幾度も出演して場慣れもあったのだろう)読まれた詩は渋谷と同じものだった。

おおえさんやクマさんなどの懐かしい顔を確認してボクはそこまでで会場をあとにした。朝までの展開は(こちらはオールナイトだったのだ)、残念なことに目撃する訳にはいかなかった。チナキャツや花&フェノミナンなどのバンドがあとにひかえていたというのに……。

最後に、このことばを書き留めておきたい。チェルノブイリの意味をこれほど語ってくれることばを他には知らない。最悪のチェルノブイリ原発事故から20年めの夜に、静かに噛みしめながらおののきながらこぶしを握る。
ボクらは「核の時代」の第何章を生きているというのだろうか?
ヒロシマ・ナガサキの以前にもう戻れないように、ボクらはポスト・チェルノブイリの子どもたちなのだ!

「とどのつまり、現状では私たちはみな、これからもチェルノブイリのすぐ「隣り」に住んでゆくということだ。」(R・P・ゲイル+T・ハウザー「チェルノブイリ」岩波新書1988)

(写真_4)新宿「LOFT PLUS ONE」で、キャンドルに照らされ朗読するナナオ。




STEP58はうらみ節、ルサンチマンがテーマです!

2006-04-29 21:40:02 | イベント告知/予告/INFO
Madoka_step57●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step58 テーマ:「新宿のおんな/うたのルサンチマン」
5月5日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN (ゲスト)美希マドカ
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、マツイサトコ(うた)、おもとなほ(ひとり芝居)……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

5月のゲストは、オープンマイクでの参入の時からボクらに衝撃を与えた美希マドカさん!
あたかもボクらが、忘れてしまったかのようなあるうたのジャンルを思い出させてくれた!
それは、怨み節か、下層民の叫びか?! 格差社会のルサンチマン!
たましいがゆさぶられる! ネオンが恋しい! つらい日々を忘れられるものならば、コップ酒のようなことばが欲しい!

GWの真っ最中! それも5日の「子どもの日」! 新大久保は水族館の水槽にまぎれて、袖をしとどに濡らします。どうか、あなたのことばを持って……どうか、あなたの表現を持って……束縛と、抑圧を解き放ちにいらっしゃい!! 老いも若きも団塊も、自分を解き放ちにおいでませ!
東京ポエトリー・ルネッサンス!!

※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

(写真はSTEP57での美希マドカ)



チェルノブイリ20年目の夜に(1)

2006-04-29 01:06:34 | 今日はナンの日?
あの未曾有の原発大事故、現ウクライナ(当時はソ連邦の一地方)の北部にあるチェルノブイリ原子力発電の4号炉が爆発して隔壁屋根を突き破り、大量の放射性物質が空気中に放出された。1986年4月26日未明におこったレベル7(国際原子力事象評価尺度(INES)による)の人類がはじめて体験する地球規模の原発による放射能汚染である。

チェルノブイリ以後、口にするものは少なからずの放射能被爆を受けたものだと思い覚悟した。当時、友人がギリシャの日本人学校の教師をして滞在中で、かの地のパニックぶりを伝えてくれた(事故当時の風向きは北で、それゆえベラルーシの1/4が汚染されたのだが……)。友人が帰国の際に、土産としてくれたピクルスをボクは捨てた。

ボクは、いまも保存しているが、チェルノブイリ以前の大麦で作られたモルト・ウィスキーを持っている。汚染された食物で育つしかなかった子どもたちが成長したあかつきには、いわばもはや神話の時代に等しい世界がまだ無垢だったころの大地から生産された穀物の豊穣さを懐かしみ、祝福したいと言う、なかば絶望の中で考えたひとつの記録法だった。

その日から20年がたったのだ。本当なら日曜日に府中の森でもおこなわれていたチェルノブイリ子ども基金主催のコンサートにも行きたかったのだが、かなわなかった。現在、東京に住んでいるナターシャとカーチャの美人姉妹のつまびくバンドゥーラと歌にも耳傾けたい。また、それがわずかなりとも幼児の頃に被爆した姉妹そしてたくさんの子どもたち(幼児被爆者はほとんど成人している)への医療援助となるのであれば、なおのこと。

それでも、チェルノブイリ20年目の夜を漫然とは過ごしたくなかった。それで、これは両方とも同じ主催なのだが、渋谷と新宿に出かけたのだった。

これは、偶然にもボクには久しぶりの原宿・渋谷・新宿のタウン・ウオッチみたいなものにもなった。2006年4月26日のチェルノブイリ20年目の東のバビロニアの記録みたいなものである(写真_1、3)。

(つづく)


ひとをすなどるひと/「春風めぐる」東京ツアー

2006-04-26 00:26:37 | アングラな場所/アングラなひと
Harukaze_naga_1その現在の生業でもあるトビウオ漁のはじまる直前に、こうしてあらたな詩作品をひっさげてナーガ(長沢哲夫)が信州や、関東圏をまわるようになってもう9年にもなるらしい。
ホウ、もうそんなにも「春風めぐる」というツアーをやっていたとは知らなかった。その年月は、ボクのWEBサイト『電脳・風月堂』と同じ歴史を重ねたことになる。すなわち1997年からということだ。
ボクにとっても、その自分のサイトが出会いと再会のきっかけになったように、ナーガにとってもきっとそうだろう。ましてや、ナーガは南海の孤島(!??いまは、連絡船も横付けするが、少し前までははしけに乗換えなければ上陸できなかった)諏訪之瀬島にいまも住む漁師でもある詩人だ。

ナーガは洗礼のヨハネが、イエスのことばにしたがった聖書のエピソードを持ち出せば、サカナだけでなくひとを漁(すな)どるためにこのようなツアーを始めたのかも知れない。

ナーガはあの60年代新宿にうまれたバム・アカデミー(「乞食学会」のちの「部族」)の中でも、沈着無比な司令官的な存在であった。どちらかと言えば、あまり目立たない存在なのだが、要を押さえた存在である。諏訪之瀬島にあったバンヤン・アシュラム(別名「夢見るヤドカリ族」)が解体した後も、島にとどまり島人となった。

火山の島(御岳799mは活火山なのだ。最近も活動が盛んであるらしい)に住む詩人は、三省に近い学究肌の詩人である。昔から、「部族」の周りにはサンスクリットの書物や教典や、マントラがまつわりつきボクなども最初のインドかぶれは、このボクより10歳ほど年長だった和製ヒッピーのグループにおおいに影響を受けた。それ自体は、アレン・ギンズバーグやアメリカ西海岸の当時のカルチャーの影響だったのだが、海外情報にうとかったボクなどには分かるはずもなかった。
なにやら真言密教の呪符のようなものを唱え、首から手作りの貝のネックレスをぶらさげてチャリチャリ鳴らし、Gパンをちょん切って短パンにしたものを身につけ毛ずねをむきだしにして「新宿風月堂」の椅子の上で結跏巫座(けっかふざ)に足を組み、瞑想をするかまるで教典のような自分たちの機関誌を売っていたこのグループは、また異形のグループだったボクらフーテンとも違った異彩さを放っていたものだった。

22日(土)ナーガと内田ボブの東京ツアーのラストを近所の「MARU」に見に行った。
今回、ナーガがみずからベンガル語から直訳したタゴールの詩も朗読したのだが、タゴールにそんな詩作品があったのかと思ったような内容だった。
淡々と自作品を読み上げるナーガ、終始ボブ節でうたう内田ボブ。

夜が更け、ボクはまたもや一緒に酩酊していた。

(写真_2)ひとをすなどる漁師詩人ナーガ。独自の抽象的な詩的世界はますます健在である。
「おろおろすることはない。世界はもぬけのからだ。」



KUSSY on the Road,again!

2006-04-20 16:43:34 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUN さんのページ全体のアクセス数が9000アクセスを超えました。記念すべき9000アクセス目の訪問者はKUSSY さんでした!

以下のURLより KUSSY さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→http://mixi.jp/show_friend.pl?id=187032

KUSSYさんが、mixiからの訪問9000のキリ番を!
KUSSYと知り合ったのは昨年の暮れだったが、名前は知っていた。いや、その筆名の方で……。
KUSSYはライターなのだ。そして、ビート詩人でもある。たまに、ボクのオープンマイク・イベント「E.G.P.P.100」に参加してくれます。
KUSSYはあの大部のビート、ヒッピーの追体験ノンフィクション作品「オン・ザ・ロード・アゲイン」の作者である。
KUSSY! また、詩を読みに来てね!

ブログ『風雅遁走!』自体としては
閲覧ページ数合計: 47809
1日あたりの平均: 91.06
この24時間: 55
今週: 529
ということらしいです。


竹林に遊び、筍を食す

2006-04-19 00:07:47 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Bamboo_shoot4月15日(土)千葉県大原にある天徳寺で、「春の樹木葬・桜葬の集い」が行われた。住職が法事などにおわれることのない友引の週末におこなわれることの多い春秋の交流行事である(他に法要を営む「追悼の集い」などが行われている)。
今回のテーマは「筍(たけのこ)掘り」で、これもまたウリ(と言ってもレストランでも、宿坊でもありませんが)の「精進料理」は、「筍づくし」とわらびなどの春の味で彩られている。
住職はその修行時代(総持寺と聞いている)、僧侶が食する一汁一菜の質素な食事の他、精進料理をも仕込まれ相当な腕であったらしい。このような春・秋に提供される食事は、日本料理でいう「お品がき」(メニュー)は、住職が考え、山菜や、野草や、旬の野菜がふんだんに盛り込まれた季節感あふれる精進料理である。

幾度も書いていることだが、ボクは今回も「寺男見習い」として、裏方もかねて参加している。もちろん、寺の裏手にある樹木葬地で眠る母の墓参と言うか、母が化身したヒメコブシの様子を見るということもある。母は今年は、つぼみをつけてはいたがまだ花を咲かせていないようである。
とはいえ、裏方ゆえに母の化身したヒメコブシの前でそうそう感慨にふけっているヒマはないのである。
ただ、12月に日本映画学校の学生たちと来た時に、植えたパンジーなどの花々が根付いて母のヒメコブシの足下に咲いていたのがうれしかった。それに、墓守りネコのランも元気で顔をちゃんと覚えているらしく、摺りよって鳴きにきた。ランは、ウチで飼っているいるララ、チョビィにくらべても利発な気がする。

さて、この日の「春の集い」の参加者総勢67名、住職とこども二人と「AERA」の取材をかねたフリーライターの黒田さんを含めて70名余が車に分乗して、いつもは静かな村(市町村合併により「郡」から「市」になったとはいえ、寺の周辺は田畑、山林に囲まれた「村」のたたづまいそのものです)を車をつらねて寺の檀家さんのひとりの竹林に向かったのだが、それは壮観だったろう。いったい何ごとがおこったのかと村びとに思われたに違いない。

到着した農家から裏山をおおよそ5分くらい登り、静かな里山のたたずまいを持つ中に大きな孟宗竹の竹林が出現した。住職の話ではさほど出ていないからおひとり1本ほどと言っていたが、そこは翌日には伸びていると言う竹の成長の早さ、ニョキニョキと筍は。竹林のあちこちにたくさんあり、参加者はあちこちに散らばってこれはという筍掘りにとりかかる。
カメラマンをかねていたはずのボクまでが、筍を2本掘った。多いひとはその30分あまりのうちに3~4本は掘っていたと思う。もちろん、これは無料ではなく、竹林の持ち主の農家へあとで、キロ400円で参加者が支払うものだ。だが、それにしてもこれは安いのではないか?

参加者は帰り道もフキをとったり、野草を摘んだりして春の里山を楽しんだ。

寺へ帰り着くと、膳が用意され筍づくしの前記のおもてなしが待っていた。
いや、心憎い演出だ!(とかいって「今、向かってます!」って連絡はボクが入れたのだが……(笑))

こうして、春の一日を大原の寺の周辺の野山に親しみ、庄屋さんのお宅に行ったりした方もおり、懐かしいふる里を、里山で過ごしたかのように「春の樹木葬・桜葬の集い」に参加されたみなさんは筍のお土産つきで満足されて帰られたようであった。

(写真2)禅寺で修行した住職が考え、仕込む精進料理はこころづくしの季節の彩りを香らせる。って、なんだか料理の記事みたいな、写真説明だ(笑)!



面白ウォッチ/鮨ネタ・ウォッチ

2006-04-16 01:22:55 | トリビアな日々
Sushi_watch千葉大原での第1日め。天徳寺の住職に連れられて御宿の温泉と鮨屋へ行ったのだが、そこの柱にかかっていた時計にボクはいたく面白心をくすぐられた。
写真でみていただければ、一目瞭然だが時が鮨ネタでつくられている。いままさに、午後トロ15分前である!
ただ残念なのは、やや配置にひねりがないところ。1時には、タマゴのほうがいいだろうし、エビはこの背中の模様からいえば5時がいいかもしれない。
もっといえば、これはむずかしいが、シャレになっていたらさらによかった。これは、ボクもなかなか思いつかないしこの鮨ネタ時計のシャレをここで、募集してしまおう!

でも、この時計のユーモアはいたく感心した。カブト煮も食べたが、この時計にはカブトをぬぐよ!

(大原へ行った本題はおいおい書きます。)



八八八八! 8888! ハチハチハチハチ!

2006-04-14 13:03:06 | トリビアな日々
フーゲツのJUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUNさんのページ全体のアクセス数が8888アクセスを超えました。記念すべき8888アクセス目の訪問者はダルマ舎 さんでした!

以下のURLより ダルマ舎 さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1346159

おお! 末広がりの「八八八八」を獲得したのは「ダルマ舎」さんこと平山さんだった!
これも、なにかの縁、きっとなにかいいことが起きるかも!
もっともセックスだけはしたくない(笑)! 同性なのでソドミーになってヤバイ!
「ダルマ舎」さん! 下町の隠居さん(笑)! 今後ともよろしく!

(このアクセス数は、あくまでもMIXI内のSNSから訪問した場合の数です。MIXIは日記やエッセイなどの記事を投稿した時のアクセス数と、何もアップしなかった時の差は極端です(笑)! またMIXIは会員登録していないとアクセスできません。クリックしてもMIXIのサイトの表紙がでてくるだけだと思います。
ブログ『風雅遁走!』としてのアクセス数は4月14日12時50分現在、

閲覧ページ数合計: 47296
1日あたりの平均: 91.13
この24時間: 73
今週: 479

ということになっています。今後とも良き読者募集中です! それも閲覧料はタダです! 笑!)


サクラ、いま、憎悪……

2006-04-13 00:50:00 | 東京春景色櫻之文章
Hanazono_sakura絨毯のように敷き占められた濡れそぼったサクラの花を踏み締めながら駅に向かう。たしか先月の21日に開花宣言が出されたはずだから、サクラは20日あまりもその生命を保っていることになる。「花のいのちは短くて」とは言えなくなってきた?
もっともボクの住む多摩地区は、都内より2日ほど開花は遅かった。ソメイヨシノに限ってもこの数日の雨に花びらを落としても、凛としたその咲き誇る姿は保っている。
むしろ、ほころびだした頃のはじらう処女(おとめ)のようなたたずまいよりも妖しく恐いくらいの美を感じる散りそめし頃のサクラの方がボクは好きかも知れない。

8日は桜の下で、「花祭り」を楽しみブッダの誕生日をお祝いしようと心に決めていたのに、結局、長時間働きだしたボクは、どの寺にも行くことができず、あま茶も今年は飲み損ねてしまった。だが、サクラ並木のトンネルをバスに揺られながら、通りすぎると言う甘美な体験を何度もした。やわらかな朝の光の下でだ。
こんなにも早起きして、労働に向かうなんていったい何年ぶりなんだろう。

ある友人はこの頃、コピー文のようによく言い、書く。「ニートからビートへ」と。
さながら、この4月からのボクは「ビートからプロレタリアートへ」かもしれない。もっとも死語同然のこんな言葉を使う人間の世代はすぐしれる。若い世代はこの言葉を多くは知るまい。
だが、ボクも当時は知らなかった。ボクは大学を知らない。大学には行っていない。だが、運動としての学生運動は知っている。当時、恋人だったひとが学生だった。デモの隊列にも加わった。色分けされたヘルメットもかぶって……。
むしろ、ボクがよく知っているのは工場労働者を党派が組織した反戦青年委員会の活動家だった若者たちだ。だが、ボクは日雇いは知っていても「労働」を知らなかった。

ボクは、「労働」を軽視していた。いや、「労働」など拒否していた。
そんなボクが、彼ら若き「青年労働者」がいだいた「革命への夢」など理解できる訳がなかった。むしろ、彼らが一様にもっていた「階級的憎悪」が分からなかったのだ。
ボクは、ルンペン・プロレタリアート、ルンプロと馬鹿にされた。つまり、階級的自覚の欠如した未組織労働者だと言うのだ。
ボクは、そのレッテルも拒否した。未組織と組織された労働者とどう違うか理解することを拒んでいた。

「キツイ、キタナイ、キケン」の3K労働の末席を汚しはじめて、ボクはやっと彼らのいだいていた階級的憎悪がいくらかわかってきた。それにもまして、この「豊かな国」と目されてきた国の中になんて多くのひとが、わずかの賃金で時間はもとより人生までも売らざるを得ないのかということまで、おぼろげに分かってきたような気がする。

結論はない。あまりにも遅すぎた理解による現状報告だ。かっても、そして今も「下層社会」に属してきたのであろうボクの、あまりにも遅い認識である。
そう、あえて言えば散りそめたサクラがけなげにも頑張っているように、その妖しげなたたずまいが、自分のいまの姿を連想させると言えばいいのだろうか?

いま少し、自分を見つめ直したい。

ナイフ研ぐ 階級的な 憎悪感 胸に秘めたる サクラ散りゆく

(2006.04.12記)

<写真は3月末日の新宿・花園神社境内のサクラ>



日曜出勤/ヤモリとエモリ

2006-04-10 00:39:08 | トリビアな日々
Yamori__god昨日から光ケーブルになり、サクサクとネットが出来るはずなのに、時間がない。ゆったりとまるで緩慢な死を迎えるみたいに(笑)、一日中を自分の自由時間としていた先月末までが、まるでユメのような4月を迎えている。これは人並みなのか、相変わらずはずれているのか自分では分からないが、苦しさとともに充実感も感じている。
それになりより、世の働く人たちに負い目を感じないで済むのがウレシイ(笑)!

新しい進路、新しい職場、新しい学校に羽ばたく四月である??なんて、キャスターみたいな傍観者的表現をしていた自分を張り倒したい四月である(笑。たしかに、「傍観者」だったんだが……)。

日曜も祝日もないバイトで、その上朝も早い。今日も日曜だと言うのに地下駐車場のおおいをはずしてたったひとりで排水溝の掃除をしていた。まさしく、地を這い回り汚れ、むかし畑を借りて土にまみれていたなぁと思い出していた。その頃には、土を掘り返せばミミズがおり、さまざまな生き物がいた。コンクリートの施設の地下を這いずり回っても何もないだろうと空しく感じていた。
きっと、このような労働は、もしこの建物・施設を女神だとしたら、女神さまの排泄が、お通じがいいように調えていることなんだろうなぁ、と考えていた。
すると、ボクの心を読んだかのように、ふいと生き物が現れたのである。
排水溝のおおいに隠れるかのように、長い尻尾が見えた。ガランとした(施設は日曜で、職員も、駐車場も休みで一台も停まっていない)地下駐車場にも生物の片鱗はあるのである。
そいつは白っぽい肌をしたヤモリであった。エモリがヤモリを見つけたのだ。だいたいボクはこの手の爬虫類に妙に共感するところがあって沖縄が、好きなのもあのヤモリが壁を這い回り、奇妙な鳴き声で鳴くという一面もあるのだ。ヤモリは、昔から「守宮」と漢字を当てるように家の守り神として大切にされてきた。
そのヤモリは、もしかしたらこの建築物の化身かも知れない。いや、本当に守り神かもしれない。

ボクは空いたペットボトルにそのヤモリを捕獲した。うん、本当に建物の化身(守り神)だとしたら自由の身にした方がいいかもしれない。
無聊を慰めるためのペットとして飼おうかと思ったのだが、やはり明日はなして自由の身にさせてあげることにしよう。

事実、なかなか可愛いヤツなんだが……。