21日におこなわれた「報告会」は、もしかしたら住職の心意気だけがカラ回りして終わる集いになってしまう可能性があったかもしれない。先日の「首都圏ネットワーク」(NHK総合の関東地区のみで放映)では、コメンテーターが「樹木葬」を「永代供養墓」の一種と位置付けており、ボクはその見取り図に違和感をもっていた。言い方は悪いが、「永代供養墓」は何十万かの「供養料」を払って、お骨を預けてしまえば、お寺が毎年の供養もかねた面倒を半永久的に責任をもってやってくれるものと一般には考えられているだろうからだ。身寄りのない方にはありがたい制度だが、縁のうすい血縁者にも便利な制度かもしれない。
しかし、この考え方は、樹木葬にはふさわしくないと思う。なぜなら「樹木葬」では故人は、選ばれた樹木の栄養分となって樹木を墓標とし、樹木に姿を変えて育っていく樹の「生命」だからである。死者が育ち行く若木に姿を変え、あたかも輪廻するかのように「死んでも花実を咲かす」ものとなってゆく。そして、そこから将来的にいまは霊園である(行政の認可としても)樹木葬地が、何十年か先に豊かな森(里山の雑木林)に育ってゆくだろうと言う美しい夢を見ることができる(2007年の時点では「いまだ夢」だ。しかし、樹木は驚くべき早さで成長している)。
正直に言ってこれまで住職と幾度も対話しながら、それがあくまでも「寺の事業」でしかないゆえに「里山ビジョン」に対して一縷の懐疑をいだいていたことを告白しておこう。なぜなら「天徳寺」は、住職のものでもありながら地域の檀家や、総代さんのものでもあるからだ。外からの霊園(樹木葬地)利用登録会員でしかない樹木葬会員には、寺の運営や事業に口出せるなんの権利もない。
ボクは、方向が違って来たら住職と言えども異義をとなえようと思っていた。しかし、それはボクの勝手な危惧で天徳寺のまだ若い住職は(と言っても40代なかば)、ボクなどの危惧を吹き飛ばすくらい確固としたビジョンを持っていた!
それが、今回の「運営報告会」で冒頭から語られた「天徳寺樹木葬百年の計/里山再生100年事業」である。これまで、寺の事業としても暫定的だった「樹木葬」が、正式に認められた。事業としての3年目から「樹木葬」は、寺の事業経費よりも大きくなったと言う。そして、発足後わずか4年にして、100年間はこの事業を里山再生計画としても持続できるメドがたったと報告されたのである。
素晴らしいことだった。それだけではない、ボクが母を埋葬した2004年にはわずか15組であった「樹木葬」が、現在会員数217になっている。これは先駆的な寺である岩手の「祥雲寺」の1,000人に近い会員数にくらべれば小さいものだが、小さな忘れたような山寺だった「天徳寺」を有名にするとともに、寺の財源を豊かにし、さらに「百年の計」を計画できるまでにしたのである。
このような「成功」は、今後、「樹木葬」に取り組む寺や霊園を増やしていくとともに「樹木葬」に市民権をあたえるだろう。この間、朝日、読売、毎日の地方版、読売全国版、NHK「首都圏ネットワーク」、「AERA」に「天徳寺」の樹木葬、桜葬が取り上げられ、NHKの「御近所の底力」などに「樹木葬」が取り上げられ、マスコミの後押しが大きかったかもしれない。
今後、「天徳寺」の「樹木葬」は、現在の樹木葬地の裏手にある杉山を徐々にかってそうであったような里山の植生に変えてゆく事業にとりかかるという。また、そのような資金繰りのメドもたったのだという。
「里山再生」! ボクは、母の亡骸を媒介にしてこの寺に関わりながら、ボク自身もこの地に眠ろうと思っている。それは、また住職も「樹木葬」で眠るべく用地を確保しているように、全く本気の計画なのである。
きっと、今後この寺へのかかわりは、山仕事のボランティアへなっていくかもしれない。力や体力のある方ではないボクにはきついだろうが、ボクはこうして母が眠る「樹木葬地」が森になっていくのを見守るとともに、裏山全体がコモンズ(入会地)として共有されていただろうかっての「自然」の回復という事業にこころ躍らせているのである。