風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

(転載)4/30 プレカリアートのメーデー

2007-04-30 01:07:56 | イベント告知/予告/INFO
──生きることはよい。生存を貶めるな!
──低賃金・長時間労働を撤廃しろ。まともに暮らせる賃金と保障を!
──社会的排除と選別を許すな。やられたままで黙ってはいないぞ!
──殺すことはない。戦争の廃絶を!
──メーデーを抗議と連帯と反攻の日に!

「格差」と「貧困」が社会的な課題としてにわかに取りざたされている。しかし雇用の流動化はさらに進められ、生きるための基盤はますます不安定なものへと置き換えられるばかりだ。政府は問題を「機会の不足」へと矮小化し、格差と貧困の責任を私たちの就業能力、起業能力の欠如に還元しようとしている。その帰結は、生存を「自立」競争の勝利者への褒賞に変えることに他ならない。

しかし、彼らが言うように未来なく不安定なこの生を自分のせいにされ、頭と体と感情をすり減らすことはない。働かない・働けないことへの侮蔑と嘲笑と同情におびえる日々を終わらせるための反攻はすでに始まっているからだ。労働を道徳と結びつけ、勝ち誇って人に生きる資格を問う者たちに、差別と排除で人々を切り分け敵対させる者たちに、私たちは全身で反対する。「ただ生きること」を肯定する私たちは、この社会にもたらされている「戦争」を拒絶し、侮蔑と不正に連帯で応じる。この自由と生存の日に!プレカリアートの反攻の日に!

2007年3月23日 「自由と生存のメーデー 07」実行委員会

〈運営上の確認〉 政治的立場の違いを暴力によって「解決」することを実践し、その行為と思想を正当化し続ける人びとの参加はおことわりします。

■日 時:2007年4月30日(月・振替休日)開場12時30分
■場 所:大久保区民センター4F多目的ホール
■集 合:12:00-12:30 大久保区民センター(新宿区大久保2-12-7)
※JR新大久保駅から明治通り方向に約600m。ペアーレ新宿裏
■主 催:「自由と生存のメーデー07」実行委員会
■呼びかけ:フリーター全般労働組合
■連絡先:フリーター全般労働組合
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
電話:03-3373-0180 e-mail:paff(at)sanpal.co.jp

【反攻1】メーデー宣言集会(区民センターホール) 13:00~

誰かの惻隠の情を満たすために私たちの生があるのではない。私たちは開発と保護に晒され続ける弱き者、力なき者では断じてないからである。私たちは自立への孤立を拒み、連帯の中に自律を求める。つねに別の世界を企み変革を要求する。不安定な生を強いられる私たちは、反攻の日を宣言する。

【反攻2】歌舞伎町周回!サウンド+?デモ 14:30~

サウンドデモはついに新宿大ガードをくぐり、靖国通りを歌舞伎町へと進む。警視庁が数十年にわたって拒否し続けたコースだ。プレカリアートのデモは多様者の力で異例な「前例」を作り続ける。

デモコース
区民センター⇒(大久保通り)⇒新大久保・大久保駅前⇒(小滝橋通り)⇒新宿大ガード⇒(靖国通り)⇒歌舞伎町前⇒OIMEN横⇒(明治通り)⇒(大久保通り)⇒区民センター

※当日デモは各種メディアによって取材されます。顔を撮影されたくない方はサングラスなどで適宜ご対応ください。

【反攻3】プレカリアート交流集会(区民センターホール) 16:30~

反攻の開始を祝おう。生をさまざまに交錯させ、プレカリアート運動の未来を作り出そう。

* 発 言
伊藤みどりさん(働く女性の全国センター)
吉田比呂子さん(三多摩合同労組・中大生協闘争)
* トークセッション
司会:雨宮処凛(作家:近著『生きさせろ!─難民化する若者たち』太田出版、『バンギャル ア ゴーゴー』講談社)/QT(フリーター全般労働組合)
提起:湯浅誠(NPO法人 舫(もやい)事務局長:近著『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』同文館出版)/矢部史郎(思想誌『VOL』編集委員:近著『愛と暴力の現代思想』青土社)
* 軽食ブース by 抵抗食の会(仮)(区民センター調理室)
* 分散会
* 上映
「プレカリオ・ストリート PRECARIO STREETS(仮)」約90分
監督・編集/葛西峰雄・梅地展之(映画美学校ドキュメンタリー・コース)

※集会参加:会場費カンパ500円/デモのみ参加:無料

詳細→http://mayday2007.nobody.jp/message.html

※マイミクでもある作家の元ミニスカ右翼いまや左翼作家(?)の雨宮処凛、フリーライターのりんごさんの呼びかけ、日記からの転載です。かって労働拒否のフーテン、そして、いまや老いたプレカリアートのひとりとして参加の方向です(笑)。



5/10 E.G.P.P.100/Step70/テーマ:「オレに五月を!」

2007-04-27 23:59:45 | イベント告知/予告/INFO
Terayama_photo●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step70

テーマ:「オレに五月を!(Poetry for Terayama's MAY)」
2007年5月10日(木)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、マツイサトコ、ココナツ(以上うた)、ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 そのひとは五月に生まれ、五月に死んだ。18歳で歌人として華やかにデビューした。と同時にネフローゼで死にかかり社会保険中央病院(新大久保)に入院した。21歳で第1作品集『われに五月を』を出版した。詩人、ラジオドラマ作家をへて30歳で「演劇実験室・天井桟敷」を立ち上げた。評論、映画監督など多才な活動を繰り広げた。故郷青森の方言、なまりは終生そのままだった。
 そして、そのひとは、生まれたのと同じ五月に死んだ。

 ※今回はG.W.をはずして変則開催です。第2週めの木曜日(10日)の開催となります。お間違えのないように!

 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定は関係ありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)にエントリー表明を書き込んで下さい!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

E.G.P.P.100 MIXI内コミュアドレス→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706



「文士」のいた銀座

2007-04-26 23:59:23 | コラムなこむら返し
Dazailupin_1 昨日書いた『銀座ルパン』の太宰治のエピソードでうっかり書き忘れたが太宰治、織田作之助をこの『LUPIN(ルパン』で撮り、ゴミ箱のような部屋での執筆中の坂口安吾などを撮ったカメラマンは、林忠彦(1918~1990)である。押しも押されもせぬ写真界の重鎮だったが(現在、林の名を冠した写真賞がある)、これらの「文士シリーズ」の写真は「小説新潮」の依頼で、昭和23年から24年にかけて撮影されたものだ。ちなみに『ルパン』は昭和3年開店と言う長い歴史を持ち、一時は「文士」が好んで集う「文壇バー」だった。

 さて、現在は「文士」の滅亡した時代だそうで、いわゆる「文壇バー」というのも死滅したのかも知れない。以前、「文壇バー」らしきところへ足を踏み入れたことはあるし、いまでも時たまジャズを聞きに行く「ナルシス」は、先代のママの頃は有名な文壇バーだった。ゴールデン街のいくつかの店は、映画人や、演劇人があつまる「文壇バー」に近い様相を呈していたが最近は知らない。
 ボクは自虐的に酒を飲むということに、怒りを感じるタイプで、客よりも偉そうにしている亭主やママのいるところでは酒がマズイのだ。要するに、自虐的に酒が飲めない。というより、どうしてそのようにして飲めるのか理解できない。

 話が、とんでもなく脱線してきた。林忠彦の著書も1冊ほど持っていたはずだが、見つからず材料もない。これくらいにしておこう。
 そうそう、これだけは言っておく。ボクは、「文士」としてでなくひとりの小説家として太宰が好きだ。そのだらしなさ、おんなの心を盗むあざとさもふくめて好きだ。
 林の撮った写真で、太宰はめずらしく洋服姿でベストを着込み、ネクタイもしている。足を椅子にまでもちあげて行儀悪く座っているその視線の先には、織田作之助がいる。
 ボクは、この写真でいつも気をとられるのは太宰がはいた靴である。その靴はお世辞にもきれいな靴ではない。革靴ではないし、むしろ良くてバックスキンか、布靴であろう。
 ボクには、どうもボクが愛用しているキャラバンシューズのように見える。銀座の出版社か、新聞社への所用の帰りなのだろうか、いつになくめかした割りには太宰の靴のみすぼらしさが、ボクの胸を打つ。ああ、ボクと同じキャラバンシューズをはいている、と……(笑)。




「ルパン」の作り方(非公開)

2007-04-25 23:59:10 | コラムなこむら返し
Lupin_ginza_1 きょうは、あるひととの秘めやかなやりとり(笑)の中で思い出したことを書いておきたい。
 そう、怪盗ルパンの話だ(笑。この数日のコメントをよんでもらえれば一目瞭然です)。モーリス・ルブランの原作の中には、せいぜい世紀末の時代がかった香りのようなものとしかただよってこないと思うが、ルパンにはベル・エポックのイメージがあると思う。
 これはモダニズムの時代としての大正・昭和初期のせいかと思っていたのだが、けっしてそんなことはないようである。ルパンの物語でルパンが主な隠れ家としているのは、セーヌ右岸で、凱旋門近辺が多いようである。19世紀末から20世紀初頭??ルパンの活躍する時代はセーヌ左岸はそんなにひらけていなかったと見える。それに、日本ではルパン(本来なら「リュパン」が正しい)ものの翻訳は1911年前後であるらしく、「怪盗ルパン」が一般に知られるのは大正に入ってからであるようだ。

 アルセーヌ・ルパンの扮装としてすぐにイメージする黒のシルクハット、黒いマント、フロッグコート、片眼鏡、胸に挿した一輪の薔薇の花といったイメージは、おそらく「怪盗紳士ルパン」に付与された表紙絵、イラストからくるイメージのようだ。
 とはいえ、シルクハット、フロッグコートというのは19世紀末から、20世紀にかけての男性のフォーマルなファッションだった。

 さて、銀座5丁目の裏通りにその名も『LUPIN』(ルパン)という店があることは御存知だろう。太宰治が通ったことでも有名なこのバー(バーの高いチェストに足を持ち上げてポーズする名高い写真があり、太宰の席だったというそこにはその件の写真が掛けてある)は、現在はまるで銀座の観光コースかのようにいつ行っても、そのようなお客さんばかりで辟易する(写真は、店の看板)。

 だが、この店にはないようだが、「ルパン」というオリジナル・カクテルを考えた人物がいる。その作り方を書こうと思って、このようなタイトルをつけたのだったが、思い直してやめておく。

 というのも、たとえばネットで「ルパン」で検索をかけると出てくるものは圧倒的に『ルパン|||世』である。モンキーパンチの出世作で、嫌いではないが、好きでもない。『ルパン|||世』は、ようするに3世だから、アルセーヌ・ルパンの孫という設定なのだが、ルパンがもつ香気のようなものは一切失われている。ここにカクテルの作り方を書き写しても、どうせ『ルパン|||世』のカクテルと勘違いする人間が出てくるだろうからである。どうも、最近はわが国の首相のせいなのか「孫」という存在に疑念を持ってしまうのである(笑)。




花咲か爺さん、「サイエンス」に載る!

2007-04-24 00:46:41 | コラムなこむら返し
Asahi_com_news_florigen いや、驚いた。「花咲かゾンビ/染井吉野」の記事で書いたことが本当に解明されただなんて!
 ボクは、こう書いた。
 「娘が思いついたように桜のはなびらで枯れ木に花を咲かすエキスが抽出できるのかも知れない。そのような「花咲か爺」のような花のエキスを作れるものなら、作って欲しいものだ。東京都知事を落選したドクター中松にもがんばってもらいたい分野である」と。

 このような花に花咲かす開花ホルモンの存在は、すでに1937年に旧ソ連の植物生理学者チャイラヒャンがその存在を「フロリゲン」と命名し、予測仮設として発表していたという!
 そして、この「花咲か爺さん」の「灰」は、チャイラヒャンの仮設発表からちょうど70年目の今年、ドイツと日本の研究グループがほぼ同時に特定し、発見した!

 日本でのこのようなバイオサイエンスの先端技術の研究のトップを走るのは、奈良にある奈良先端科学技術大学院大学(バイオサイエンス先端技術科)の島本功教授のグループで、この19日付けの「サイエンス」web版にてドイツのマックス・プランク研究所の研究グループの研究成果とともに発表されたそうだ(検索するも該当ページを発見できなかった。もっとも学術論文を読むほどの英語力はありませんが……(トホホ))。

 奈良の島本グループの一員と思われる先生(玉置祥二郎氏)が、この発表を受けて25日に奈良でセミナーを開催する情報にはたどりつけたので、紹介しておく。

『演題 イネの開花遺伝子Hd3aの機能解析‐Hd3aタンパク質はフロリゲンか?
- Is Hd3a protein a mobile flowering signal in rice? -
講演者 玉置 祥二郎 氏
バイオサイエンス研究科 植物分子遺伝学講座
日時:平成19年4月25日水曜日 17:30 -
場所:バイオサイエンス研究科 大セミナー室
内容:イネにおける開花遺伝子 Hd3a は、シロイヌナズナにおける花成統合遺伝子 FT と高い相同性を示す。Hd3aを過剰発現させたイネは早咲き表現型を示すことから、 Hd3a もFT 同様イネにおいて花成を促進していると考えられる。シロイヌナズナの FT は近年の分子遺伝学的解析により長年探索され続けた花成ホルモン‐フロリゲン‐をコードするのではないかと考えられているが、その実体は不明である。

 フロリゲンは、開花を誘導する日長条件(短日植物であるイネでは短日条件) におかれた植物の葉で作られ、維管束を通じて茎頂へと運ばれると考えられている。FT は葉の維管束で特異的に発現していること、茎頂においてタンパク質として機能し下流の遺伝子の発現を誘導していることなどが明らかとなっているが、どのような状態で葉から茎頂へと運ばれているのかは不明である。

 本研究では、イネにおける開花遺伝子Hd3aを用いてフロリゲンの実体を明らかにすることを試みた。まず、 Hd3a の発現部位を詳細にするために組織別の発 現解析を行ったところ、Hd3a mRNA は葉身でのみ検出され茎頂分裂組織におい てはほとんど検出されなかった。より詳細にHd3a の発現部位を調べるために Hd3a プロモーター領域を用いてGUS遺伝子を発現させたところFT 同様維管束特 異的な発現が観察された。次に、Hd3aタンパク質の植物体における挙動を生体内で観察するためにGFP を融合させたキメラタンパク質をHd3a プロモーターおよび維管束特異的なプロモーターで発現させた形質転換体を作出したところ Hd3a:GFPを導入した植物はどれも早咲き表現形を示した。これらの植物体の茎頂分裂組織を観察したところ、茎頂分裂組織においてHd3a:GFPの蛍光が観察された。このことは、これまで不明とされたフロリゲンの実体がHd3a mRNAではな くHd3aタンパク質であり、短日条件下のイネの葉で発現したHd3a タンパク質が茎頂へと運ばれることにより花成を誘導していることを示唆している。
(Plant Meeting)
お問い合わせ先 形質発現植物学 相田光宏 (m-aida@bs.naist.jp)』
引用先→http://bsw3.naist.jp/seminar/

 ドイツの研究グループの発見は、ここにあるHd3aとよく似たFTたんぱく質が葉で生成され、茎の先端まで移動したと言う内容らしく多くの植物に共通の開花ホルモンがあるらしいというところまでが、解明されたという訳だ。

 凄いです! うん、「フロリゲン」という命名も素敵だが(フローラはラテン語で「花(の女神)」のこと。英語のフラワーの語源です)、70年前に予言されたホルモンを探究して探し出すというそれが、また先端技術だということが凄いです。これは、今後の、農業へ適用されれば、あらたな「緑の革命」になる可能性があります。どうか、このホルモンの製品化が「農薬」の形態をとらないで、飢餓の時代へのそして飢餓に苦しむ地域への福音となりますように……。

 うん、この驚きを擬音(オノマトペ)で伝えるには、これしかありません!

 チャイラヒャン!!(笑)

(画像はこのニュースを伝えたasahi.comからの引用です。4月19日付け)



(再・閑話休題)反対派擁立候補 vs わが町の選挙

2007-04-23 01:19:32 | コラムなこむら返し
 もう日付けも翌日になり、何を書いても公職選挙法に触れることはないだろうから、ブログに書く。
 今回、ボクが注目したのはテロで選挙運動中の現職市長が右翼テロで射殺されると言うショッキングな事件が起こった長崎市と、高知の東洋町の町長選挙そしてわが町の市長・市議選だった。
 この中で、高知の東洋町が、なぜ注目なのかといえば、東洋町は全国に先駆けて高レベル放射能廃棄物の最終処分場に現職町長が名乗りをあげ、国の認可をも引き出したところだったのだ。これは、国の補助金欲しさにほかならなかった。ほとんど前町長の独断で決められたようなこの決定に小さな町はまっぷたつに割れた。
この「高レベル放射能廃棄物の最終処分場」決定に反対する署名は、ネットで呼び掛けられ、ミク友でもあるセブンがメール署名の呼び掛けをしボクも、署名に応じた(呼び掛け人は東洋町在住のひと)。
 そして、前町長は民意を問う意味で辞任し、今回の賛成派、反対派に町が分かれての町長選挙となり、みごと反対派擁立の沢山保太郎候補が当選した。沢山新町長はさっそくにでも、国の認可を返上する作業にとりかかるらしい。

 わが町では争点が、駅の傍に計画されたビルの再開発計画の是非に絞られてしまった。市民にまともな広報もないまま推進されてきたこの再開発計画に疑問をもった市民が声をあげ、昨年末にはじめて市の側からの市民に対する説明会が開かれた。「もう決まったことですから、後戻りはできない」という説明に納得のいかない市民が「連絡会」をたちあげ、市民の意志を問う住民投票をとよびかけ、計画の見直しを含める住民投票を行うよう市に求める署名活動をおこなった。そこで集めた署名を市に提出したが、市議会はこれを僅差で否決した。
 今回の選挙は、この再開発計画に引退する市長が、業者選定など深く関わっているのではないかと言う疑念からはじまった。それとともに、現市長の意向を組む(後継者的)立候補者と、再開発より福祉をと訴える共産党系の女性候補、そして市民「連絡会」の支援する女性候補と三つ巴で「市長選」が戦われたのだ。
 さらに今回は市議会議員選挙も行われ、「市議会」で住民投票をもとめる案件をいともたやすく否決した市議、賛成した市民派の市議に、それぞれ市民の裁断が下るある意味ではスリリングな地方選挙であるはずだった。なのだが、これまた候補者のナマの声もひとことも聞けなかった都知事選(つまり、小さな市ゆえにか演説に来たのかどうかも分からなかった)と同じくどうにも声が届いてこなかった。

 「連絡会」の擁立市長候補は「今回の選挙自体が、住民投票です」と危機感をあおったが、なにぶんそこは同市内にある駅のひとつにしかすぎないし、またその駅の西口の個別再開発問題ととらえる市民が多かったのか、結局この再開発問題は、反対および再開発が税金のムダ使いだとする反対派が、市民連絡会擁立候補と共産党(三者とも一応無所属)にわかれて1本化できなかったことが痛かった。負けたことによって、再開発計画自体が市民に容認されたと捉えられることになってしまった。
 この問題だけを「争点」とした視野の狭さが、敗因だろう。

 さて次ぎに、ボクはどんな顔ぶれに市議がなるのかに注視したい。あるひとりの女性議員が(いつもトップ当選している)よく使うセリフを慣用するなら「ムラ議会」に、新風が吹き込めるのかと思うからだ(候補者個々には立ち入らない)。

 「住民投票要求署名」の運動は、おもわぬ副産物も生んだ。この活動を通じてエンパワーメントされた主婦が市議に立候補したり、グルメブログの主催者が立候補したりと、どこか都知事選の泡沫候補の面白ささえ感じる顔ぶれとなった今回の市議会議員選挙だったからだ。


つげ義春『峠の犬』のこと(その3)

2007-04-21 23:52:49 | アート・文化
●(その3)/何故『カムイ伝』は「カムイ」なのか?●

 『カムイ伝』がなぜ「カムイ」なのかという疑問には、まず証言がある。月刊漫画誌『ガロ』の編集長にして社主だった故長井勝一氏の証言である(『「ガロ」編集長/私の戦後マンガ出版史』ちくま文庫)。

 「いま、できあがっている「カムイ伝」(といっても、あれで第1部だが)では、初めのほうに白い狼のことが少しでてくるが、構想の段階では、あれがもっと大きな比重を占めることになっていた……白い狼は、その差別をはねのけようとして必死に闘い、たくましく成長していくのだが、それと、の子として生まれ、社会的な差別を受けながらひたすら強くあろうとしたカムイとが重ねられるのだ。結局、カムイと狼は自由を求めて北海道にわたり、そこで自分たちと同じように差別されているアイヌの人々と出会い、やがてシャクシャインの大叛乱に加わっていく……」

 と、「忍者武芸帳」の次回作の構想として白土三平が長井氏に語ったというのだ。
 この構想通りに物語が進行していったならば、これ自体でも大変な先見の明のある物語となったはずである。アイヌの人々が明治時代に制定された「旧土人保護法」にしばられ、就職差別やさまざまな差別に苦しめられ、自らの出自をかくさざるを得なかった1960年代初めの構想だからだ。
 ところが、物語は、そのような展開ではすすまず、連載途中の学生運動(全共闘運動)のたかまりに合わせるかのように、主人公は交替し、下人正助がリーダーシップを握った百姓一揆の話の展開がメインになっていった。

 もっとも、初期の『ガロ』には佐々木守・文のアイヌ民族を主題にした物語が掲載されていた。アイヌの伝承物語、神話を下敷きにした話だったと記憶するが、その物語にたおやかなイラストをつけていたのは、白土三平の実妹である岡本颯子さんであった。この神話的な物語の存在が、もしかしたら白土の当初の「カムイ伝」構想を変えて行ったのかも知れない。

 それに、物語が第2章に到達した時に作者自身が、その過ちに気付いたことによって軌道修正を余儀なくされていた。「白い毛並み」という異和を背負って生まれたオオカミと、「」という(社会的歴史的な)差別を背負ったカムイの有り様がけっして同じではないと作者自身が気付いたからなのだ。

 これらのことを踏まえてボクはこう考える。
 「カムイ」はこの国の基層に埋もれる先住民族アイヌやエミシの集合的な記憶を顕わしている。柳田国男が「山人」と名付けたひとびととその文化や工芸を継承するサンカや、マタギなどの流浪の山の民や、歴史的な差別を受け続けてきたひとびとのシンボル的なスティグマ(聖痕)としてアイヌ民族の「神」の名前が選ばれた。
 アイヌのひとびとにとって「カムイ」は、いずこにも遍在する神の名前である。それは、すべての動植物つまり森羅万象に神をみるアイヌの世界観、宇宙観だった。
 そしてこれは、白土三平の構想とはかけ離れてしまうが、大和民族がこの国を平定する以前に、各地に棲んでいた先住民族、や地方部族すなわちクマソ、隼人、土蜘蛛、エミシなどなどの隠されてしまった系譜を「カムイ(神)」と呼んだのでなかろうかと言う拭いがたい思いだ。ボクは、強大な権力に真っ向から立ち向かう「影丸」にもその系譜をみるが、これらの人々はのちの「鬼(オヌ)」の原イメージとなっていく。


(閑話休題)ウグイス VS ホトトギス(b)

2007-04-20 23:13:02 | コラムなこむら返し
 選挙での「ウグイス嬢」は、日当が15,000円ももらえるそうで、短期間とはいえ割りのいいバイトらしい。

 とはいえ、割りがいいバイトにはクレームがつくもので、雇用平等法のもとでなぜ「ウグイス嬢は女でなければならないのか?」というまっとうな異義、意見があるらしい。そう、いまは雇用者は性別を指定して人事募集をしてはいけないのだ。だからこそ、「保母、保父」は「保育士」という「国家検定の資格」の所有者になったのだ。「看護婦」は「看護士」だし、「介護士」、「福祉士」、「調理士」という訳なのだ。
 ところで、この「士」というのは「さむらい」のことだ。国家が主宰する国家試験に合格すれば、官許の地位、資格が付与されると言う訳だ。官が官許のもとで保証する国家資格は「もののふ」「さむらい」なのだ。

 選挙での「ウグイス嬢」の男性版を「カラス」と、業界(選挙業界?)では呼ぶそうである。
 無粋だ。なぜ、「春告げ鳥」ではないのだろう。それに、候補者以外で男が連呼している姿なんて、ほとんど見たことないがそれでもボクは「ウグイス」に対するに「カラス」はないだろうと思う。不吉と決めつけるには、当のカラスはたいへんな知能の持ち主だが、声音に関してはとても誉められたものではない。

 「ウグイス嬢」があまり個性を感じられない美声だとしたら、男性の声は低い声から高い声まで(それこそテノールまで出す中性的な声の持ち主もいる)バラエティに富んでいるかもしれない。
 そこで、ボクは提案したい。男性の選挙カーからのアナウンスをするひとを今後は「不如帰(ホトトギス)」と呼ぶことを!
 ホトトギスは「時鳥」とも「杜鵑」とも「子規」とも書く。正岡子規とは、ホトトギスのことだったのだ。しかし、この名称を提案したい決定的な理由は、この鳥の習性に由来する。

 なんと、ホトトギスは肉食で、しばしばウグイスの巣に卵をうみつけ育児を放棄する習性をもつらしい。この気侭な渡り鳥(笑)は、これまでの男性像のジェンダー・イメージを見事に引き継いでいる(本当はそのような育児放棄の習性を行うのはメスなのであるが、まとめてオスメス断罪!(笑))。

 かくして、今後とも、男にもぜひとも「ホトトギス・ボーイ」のお仕事を!
 あ、賃金は一日15,000円で、男女平等でお願いします(笑)。

※今回の地方選挙の渦中、長崎の現職市長伊藤一長市長が凶弾に倒れた。わが故郷長崎では、これで市長が連続してテロにあったことになる。世界へ向かって反核平和をアピールする街のひとつなのであるから、このような右翼テロによる言論の圧殺は許されるものではない(市にたいして個人的トラブルを強調しているが怪しいものである)。伊藤市長は残念なことに18日にお亡くなりになってしまった。市長選自体は娘婿が、引き継ぐらしい。まさか、対抗陣営からの刺客ではなかったろうが、容疑者は新たな長崎市長の生み出しに奇妙な影響を与えることになるかもしれない。ともかく、伊藤市長の霊に哀悼の念を捧げます。合掌!


(閑話休題)ウグイス VS ホトトギス(a)

2007-04-19 23:58:34 | コラムなこむら返し
 都知事選が、終わったばかりというのに統一地方選挙のまっただなかである。志を持たぬ職業政治家を目指すような候補ばかりで、これでは統一痴呆選挙だと思うのはボクばかりだろうか?
 年金や福祉を語るのは良い、しかし「住み易い町」といいながら、地方自治体の在り方や、自治の理念なんかを語る立候補者はいるのだろうか?
 とはいえ、「職業選択」のひとつとして「政治家」が選ばれることは、ボクはちっとも否定しない。タレント候補や、二世候補にくらべれば、意欲があるだけ評価する。候補者の誰を選んだらいいか分からないから、一方的だが親しみを感じるタレントや、有名人に投票する。政党や組織のしがらみがないいわゆる浮動票層としては当然の事だろう。だれをえらんでも同じなら、TVにせよ少しでも親しみを感じる方に投票する。そのまんま現象なんて、そんなものだろう。
 体裁のいいきれいごとを並べるか、名前を連呼する候補者にせよ、定数内の誰かが選ばれるのだ。あれだけババア亡国論(「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものババア」「子どもを生めなくなった女が生きているのは弊害」などなど)をブチかまされながら、当のババアと呼ばれた女性たちは慎太郎を選んだらしいという選挙分析がある。
 ほとんど支離滅裂な発言をくり返しながら、自身は新興宗教の信者である慎太郎は、「ワガママで身勝手なお坊ちゃま」であることが「強い芯のある政治家」に見えるのだろうか?

 選挙カーから連呼する声は女性の声だ。きれいな声なのだが、職業司会者と同じような個性のない声といえばいいのか、見本市で聞くコンパニオンの声にそっくりだ。あの声を聞くと、結婚式や葬式などのセレモニーを仕切る職業的声音というか、ソツのないNHKのアナウンサーを連想してしまう。
 彼女たちを「ウグイス嬢」という。美しい声で春を告げる鳥、鶯(うぐいす)である。ちなみに、球場などでアナウンスをしている女性のことも「ウグイス嬢」と呼ぶらしいが、おぼろな記憶では観光バスのガイドさんもそう呼んでいたのではなかったか?

(本文をアップするのを忘れてそのまま眠ってしまいました。丸一日タイトルだけでごめんなさい(笑)!)


つげ義春『峠の犬』のこと(その2)

2007-04-18 23:45:58 | アート・文化
●(その2)/「劇画」の時代があった●

 1964年に創刊された『ガロ』は、巻頭連載されていた白土三平の『カムイ伝』が、大学生に読まれていることがマスコミの話題になった。ついで、『カムイ伝』の壮大かつダイナミックな史観が、「いまどきの大学生は『カムイ伝』で「唯物史観」を学ぶ」と書き立てられた。

 『シートン動物記』を劇画化するほど白土の野生動物の生態、行動、習性の知識は多岐にわたり、博覧強記だった。たとえば当時小学生のボクなどが、サンカの存在やセブリといったサンカ用語を知ったのは白土三平の作品を通じてだった。だからといって白土三平の作品に「唯物史観」や「弁証法」があったのかと言えば、いまでもはなはだ疑問である。差別と言う視点や、階級闘争はカムイや忍者たちの出自として語られることはしばしばだったし、「一揆」や「打ち壊し」は、底辺からの世直し、革命として描かれる。白土三平の作品は、壮大な歴史ドラマに個人やその人生は翻弄され、「群集」というマス(かたまり)が歴史の真の主人公と訴える構想が多かったように思う。動物もので言えば、ムレ同士の競走で、また種のせめぎあいに犠牲になる個体という図式である。むしろ、白土三平の思想には「唯物史観」より、ダーウィンの「進化論」の影響が大きいとボクは考えている。

 これは余談だが、いまだ解けない謎がある。『ガロ』連載の『カムイ伝』は当初、群れのなかで個体としての「異和」という個性を背負って生まれた白いオオカミの話としてはじまる。これは抜け忍カムイの追っ手からのサバイバルをかけた(このエピソ-ドだけをテーマにしたものが主に漫画週刊誌に連載された『カムイ外伝』である)カムイの宿命をかけたスティグマ(聖痕)を顕わしたものだったのだろうか?

 また、なぜ抜け忍カムイは「神」という意味のアイヌ語の名前を持つのだろうか?

 という、ふたつの疑問である。
 これに対するとりあえずのボクの現在までの思考の結論は、こうである。
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つげ義春『峠の犬』のこと(その1)

2007-04-17 23:58:36 | アート・文化
Nejisiki●(その1)/豊穣のガロの時代●

 ボクは「マザー・グースな店(2)」で、こう書いた。

 「しかし、その白無垢の老犬につけられた「侘助」という名は、侘びしさをかこつ独身のオス??という風情を感じてわびしく、またつげ作品の『峠の犬』の悲哀さえ感じてしまったのでした。」

 つげ義春の作品のなかで『峠の犬』は、さほど世間に知られた作品ではない。ボクはリアルタイムで『ガロ』で読んだが、昭和42年(1967年)初夏ごろに発表された12頁の短編だ。青林工芸社で復刻された『つげ義春作品集』にあたるしか読む術は現在はないかもしれない。

 この時期、つげ自身は貸本マンガが売れなくなって行き場を失っていたようだ。マンガ家仲間からもその消息を消し、創刊されたばかりの『ガロ』のある号に「つげ義春の消息を知っている方は、お知らせ下さい」という尋ね人のような「お知らせ」が載ったことを、ボクは今でもありありと覚えている。その尋ね人はたしか、白土三平名義だったと思う。

 生活に困窮していたつげは、青林堂の長井社長や白土三平と連絡がつくと、その世話で『テレビくん』での講談社児童漫画賞を受賞、『ゲゲゲの鬼太郎』のヒットによって超売れっ子になっていた水木しげるのもとでアシスタント生活をすることになった。そして、同時に1966年初頭から『ガロ』に3年間にわたり「豊穣のガロの時代」(ボクの命名です)の作品を産み出して行く。この間に、2冊の『ガロ』臨時増刊号が作られる。それが『つげ義春特集』1、2で『作品集』というのは、その箱入りハードカバー版のことを言う。

 そして、その「特集号」1(1968年6月増刊)に描きおろしの形で発表されたのが、2色刷りの『ねじ式』だった。それまで、マンガ(まして劇画なぞ)を批評の対象としてこなかった文学者や、現代詩人たちが『ねじ式』に衝撃を受け、きそって「ねじ式」論を書くようになった。鈴木志郎康、天沢退次郎らである。「劇画」や月刊マンガ誌『ガロ』が引き継いできたような「貸本マンガ」に一定の分析的視点を注いでいた石子順造、梶井純、権藤晋らの『漫画主義』グループは別格として、漫画批評がもっとも先鋭で、実りの多かった季節であった(漫画批評が次の実りをむかえるまで、宮崎駿の「ナウシカ」の登場を待たねばならなかった)。



マザー・グースな店(3)

2007-04-16 02:07:22 | コラムなこむら返し
Mother_goose_1 この蕎麦屋さんの面白さは、きっと御夫婦の感性によるのだと思います。奥さんはガーデニングそしてギャラリー、旦那は趣味が嵩じて店まで開いた蕎麦打ち、そして大工仕事。

 そして、蕎麦屋と併設されたカフェはギャラリーにもなっており(1週間1万円という破格の安さです。ただし、最寄り駅から遠いですが……)、水彩画や絵手紙の展示などがよく開催されているようです。上品な感じの奥さんはみずからも絵筆を取られるようです。庭はすこし荒れた感じですが、そこがナチュラルでボクは気に入ってしまいました。どこか英国風で、「秘密の花園」ぽいところも良い。その庭を鑑賞するだけでなく気楽に歩き回れるところも、ガーデン席の良さです。

 実は、動物は前回紹介したものだけではありません。ボクが知る限り他にネコ、そして烏骨鶏(うこつけい)そしてガチョウがいます。烏骨鶏は、高血圧症にめざましい効果をもつそうで、ここでは烏骨鶏の産みたての卵も販売しています。

 ガチョウはおそらくここでは一番のアイドルでなければならないでしょう。なんとなれば、ギャラリー・カフェのスペースの名前は(中はほぼ一緒ですが、蕎麦屋の名前とカフェの名前が一応2つあります)その名も「GOOSE」というのですから!

 マザア・グウスのおばあさん
 いつでもあるく そのときは
 きれいながちょうの 背にのって
 空を ひょうひょう 翔(か)けてゆく

 しかし、けたたましくグェグェ~~と鳴くうるさいガチョウです。店を出てからボクが、烏骨鶏の飼われている小屋に近付くとまたもや警告の鳴き声をたてて威嚇をかねた警戒警報を発令します。ガチョウは烏骨鶏の群れの真ん中にいて、この動物ランドの「女王様」気取りなのかも知れません。

 マザア・グウスの すむ家は
 ひとつ ちんまり 森の中
 戸口にゃ 一羽の梟(ごろすけ)が
 みはりするので たっている
 (「マザア・グウスのうた」北原白秋・訳)

 ここに飼われている動物たちは、ペットと呼ぶにはなかなか気骨ある持ち主が多い。動物たちに「骨」があるということは、烏「骨」鶏(うこつけい)のいるせいでしょうか。あ、これは軽いジョークです(笑)。
 ボクはこの日、一日いや半日のうちに陸ガメとガチョウの2匹から威嚇されてしまったのでした。おかげで、とんでもなく愉快な半日を過ごしました。

 マザー・グースのすんでいるようなこの店は、なんとも珍妙、不可思議な、そして楽しいお店です。

(了)

 (写真3)烏骨鶏を守るかのように警告の鳴き声をたてるマザー・グースの女王様!



マザー・グースな店(2)

2007-04-15 00:52:48 | コラムなこむら返し
Benkei_1_1 もちろん、「侘助」という名は椿の品種の名前だ。ワビ、サビの幽玄な名前をもった椿と言いたいが、その命名はどこかユモーラスであって、太郎冠者という狂言の登場人物の名をもつ品種のひとつであるようだ。
 椿は「梅」「桜」に次ぐわたしたちの風土を代表する花のひとつだろう。

 しかし、その白無垢の老犬につけられた「侘助」という名は、侘びしさをかこつ独身のオス??という風情を感じてわびしく、またつげ作品の『峠の犬』の悲哀さえ感じてしまったのでした。おそらく、その思いはボクの勝手な思い入れで、この店の侘助はしあわせな人生を過ごしているに違いありません。

 突然、柵の向こうからガサゴソとこちらへ向かって方向転換し、地面をほふく前進してきたものが見えました。そして、その正体が大きな甲羅を背負った陸ガメだと分かった時には仰天しました。まさか、手打ち蕎麦屋さんに陸ガメがペットとして飼われているなんて、それこそ「想定外」でしたから……。

 それに、図体のせいでしょうか、それともそのゴツゴツした突起のついた手足が長いせいでしょうか。びっくりするほど行動が早いのです。おそらく、ウサギに楽勝で勝てるでしょう。
 しかも、一瞬ガラパゴス・ゾウガメかと思ったほどの貫祿です。思考は一気にグローバリゼーション化され(笑)、ワシントン条約や絶滅危惧種の動物の扱いなどという考えがボクのあたまをもたげました。
 いやいや、そうではありません。あたまをもたげたのは陸ガメの方です。陸ガメは前進する目の前にカメラを構えて立ちふさがったボクを鼻息で威嚇します。どうやら、ボクが立っていたあたりの雑草を食べたかったようです。

 そこに、白い上っ張りを着た御主人が打立ての蕎麦を運んで来て言いました。

「ベンケイ! ああ、こんなところまで来たのか?」

 おお、その陸ガメはどうも気が荒くて強そうだと思ったはずです。陸ガメは、あの義経の家臣であった僧兵姿の豪傑武蔵坊弁慶と同じ名前をもっていたのでした。
 そういえば、その丸いスキンヘッド(笑)の頭部といい、大きな鋭い目付きと言いたしかに弁慶の名前はふさわしかったと思います。

 しかし、この蕎麦屋は面白すぎます。これでは、ほとんどミニ動物園ではないでしょうか?

 (写真2)突然、柵の裏側からあらわれた陸ガメはゾウガメかと見まがうほどの大きさです。鼻息も荒くボクは威嚇されました。しかし、びっくりしたのはその足の早さです。ウサギに勝てそうなくらいのスピードで歩き回ります。



13金の恐怖!/国民投票法案は戦争をめざす!

2007-04-14 03:38:35 | コラムなこむら返し
 きっと50年後、いや、せいぜい20年後の現代史の教科書に掲載されるのだろう。2007年4月13日は、それこそ「13日の金曜日」で、この国が自国の軍隊を持ち、そのことを当然とし、そして防衛のみか他国の戦争にまで介入し、武力をもって世界とわたりあえることを宣言する憲法を持つことになったはじまりの日であると……。すなわち、平和憲法を他国に押し付けられた屈辱憲法として放棄し、時の首相は爺さんの亡霊を背負った人物で、爺さんの宿願を果たすためだけに国政を行い、みずからもそれを悲願としたシンゾー破りのシラケ世代の代表で、「強面(こわもて)の国」を「美しい国」と言い換えるなど、たくみに人心を誘導した。

 2007年4月13日の金曜日。この国は、沈没するよりももっと恐い、あらたな未来の戦争の道に確実な一歩を踏み出した。現在の平和憲法を改憲すべく、自民、公明の与党の賛成多数により衆議院本会議で「国民投票法案」が成立し、参議院に送られた。とはいえ、野党である民主党の抵抗もまったくの茶番だ。手続き論と修正協議による2/3合意にこだわるばかりで、まじかに迫った参院選で自分の党への有利な材料になるよう工作するばかりだ。

 自民・公明は、5月3日の憲法記念日前に、今国会での法案の成立をめざしているらしい。これは、5月3日の現平和憲法の記念日を「憲法改正記念日」にしたいという野望をよく現わしている。

 この「国民投票法案」というのは、憲法を改正するために現憲法96条に定められている条項において「国会の議員総数の3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議し、この承認に特別の国民投票もしくは選挙の際の投票において、過半数の賛成を必要とする」と書かれている手続きを具体的にしようという法案である。それが現在、参議院に回された「国民投票法案」である。
 18歳以上に投票権を与えるとか、この国民投票の対象は憲法改正のみにするとか、政府修正案は付けても何の意味もない付則に終始し、この法案のターゲットである「憲法を改正したい野望」については国会ではまったく論議されていない。
 有効投票率が明示されていないなどの政府修正案に対する問題提起も結構だが、そもそも憲法というものは理想主義的なものほど素晴らしいと思う。フランスにせよ、アメリカにせよその気高いほどの理想主義を掲げて新しい時代、そして新しい国家をつくったのではなかったろうか?

 憲法第九条にかかげられた理想は以下なるものだった。

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この平和憲法のもとにあっても、この国は子どもに笑われそうなへ理屈、トンデモ解釈をかさねて自衛隊をつくり、PKO活動という名の海外派兵をくり返してきた。
 だとすれば、この先、いったいどこへわたしたちを道連れにしようというのか?

 13日の金曜日は、まさしく恐怖のはじまりとして歴史に残り、くりかえし愚かな国に堕落するはじまりの日として長くひとびとの記憶に残り、巷間にのぼることでありましょう。



マザー・グースな店(1)

2007-04-13 01:56:18 | コラムなこむら返し
 素敵な処にボクは住んでいる。そう胸をはって言えそうな場所をまたひとつ近所に見つけてしまった。一応、そこは近所にあるファンタスチックな蕎麦屋さんと言っておこう。
 ボクは蕎麦が好きで、一時は自ら蕎麦打ちまでしていた。しかし、いまは蕎麦粉の感触も忘れてしまった。凝り性だが、飽きっぽい(笑)??南国生れの性分であります。

 その近所の手打ち蕎麦屋さんには、これまでも2回ほど入っており喫茶部でもお茶を飲んだこともあります。店の中が蕎麦コーナーとドライフラワーに満ちたカフェが同居している不思議なお店であります。
 ただ、これまで寒い頃だったので、外のオープンカフェというか、庭先にせりだしたスペースには座ったことがないのでした。だから春うららの一日、その庭先のテラスの席に座るとどこからともなく大きな白無垢の犬が出てきたのです。きっとボクが食べていた手作りの紅茶入りケーキとコーヒーのセットのケーキにつられて出てきたのかも知れません。その上、いつのまにかボクのひざに自分のアタマをのっけて嬉しそうにしているのではありませんか。

 ボクは犬は飼ったことがありませんから、扱いを知っている訳ではないのですが、実に馴れ馴れしい犬です。それに、異様にアタマが大きく、その割には目が小さくて愛嬌のある犬です。おそらく、老犬でしょう。
 で、ケーキセットをもってきた女性の方に名前を聞くと「侘助(わびすけ)」と教えてくれました。思わず、ボクは吹き出しました。予想外のつげ義春的なネーミング。たしか、つげさんと藤原マキさんとの間のお子さんが「侘助」という名前だったと思います。