風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

朝日の昇る寺/a Temple of Rising Sun

2006-10-29 23:46:38 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Sunrise061028 この土曜日(28日)に「樹木葬・秋の集い」が千葉県大原の天徳寺で開かれ、「寺男」としてまたまたボランティアをしてくる。今回は新しい参加者も多く、なんと80名ほどの方が集まったのだが、顔をしっているひとはそう多くはなかった。NHKの取材がはいったり、ボクも巻き込まれそうになった顛末があるのだが、その報告は少し待ってもらって今日は驚くような映像を発表しよう!

 なんとボクのブログで、はじめての「朝日」の発表である。黄昏れ時や、夕焼けの写真の圧倒的に多いこのブログで朝日の写真がアップされるだけで、驚異ではないだろうか(笑)?

 樹木葬の集いの朝??山から昇り、寺を照らした朝日はこの葬送の方法が万人に迎えられる日が近い日を象徴しているかのようだった。朝日の昇る樹木葬の寺を目撃したボクは、樹木葬の目撃者でありつづけられるだろうか?

(写真)「天徳寺」本堂から眺めた朝日。天徳寺の本堂正面は真東を向いていることを認識した。


樹木に偲ぶあのひとのこと/樹木葬・夏の集い(2)

2006-07-19 23:04:46 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Syojin_4 お昼どきになって、本堂へ戻り、用意してあった精進料理を参加者全員でいただく(住職の考えた精進料理メニューを作る厨房裏方は寺の檀家さんの奥さん方である)。今回はグリーンピースの炊き込み御飯に、オオバの天婦羅、生麩、高野豆腐などを使ったものが数種類盛り合わされ、それにお吸い物と葛切のデザートが付くというものだった。
 この精進料理が、どなたもそうであろうと思うが、「樹木葬の集い」の、また楽しみのひとつなのである。催しの内容としては、半日もかからないものであるが、ここに辿り着くのにほとんどの方が、2~4時間程の時間がかかっているはずであろうから(遠くはたしか山口からとか聞いた)、実際、普通なら家族で墓参りした後の食事会まで樹木葬会員全員で共に精進料理で会食し、交流を深めるというのがこの寺の特徴かも知れない。

 とにかく、母を埋骨した頃には(2004年10月23日。そう、あの新潟県中越地震の日だ!)、予定区域の目印の杭だけがたくさんあり、埋葬している方は数人もいなかった頃から考えれば、わずか2年たらずの内に樹木葬地の区画は2区画になり、それもほぼ一杯という現状など当時は考える事もできなかった。

 ボクは、樹木葬地にするべく霊園申請中だった頃から、住職に良く相談を受けた(もちろん、自宅にあった母のお骨を「樹木葬」で弔えるかの相談が先にあった訳だが……)。岩手の祥雲寺さんの先例はあるにせよ、住職はそのニーズのたかまりにまだ確信が持てなかったのかも知れない。
 ボクは寺の事業としても必ず成功すると確信していた。がむしゃらにつっ走っていた高度成長期ならいざ知らず、むしろ低成長時代の日本人は精神的にも成熟し、環境問題にも関心を持ち、成熟にともなうこころの問題や、その帰るところを求めていると感じていたからだ。
 成熟したわたしたちが、求めるもの、それは「失われた10年」(バブル期)や高度成長時代に見失ってしまったこころのすき間、ポッカリと開いてしまったこころの空洞を埋めたいと言う希求だと考えて来たからだ。

 どのような葬制をえらぶかが、そのひとの死後の霊のやすらかさに影響してくる。庶民にとっては歴史的にはむしろ新しい葬制である墓は、封建的かつ儒教的である家制度にからめとられてしまう。「○○家」の墓に個人の霊性は呑み込まれる。
 だから、離縁したおんなは家とのつながりと同時に、自分が入るべき墓さえも失う。ボクの母がそうだったように……。「樹木葬」は、その意味でももともとは仏教のことばであった「おんな三界に家なし」に、仏教の方から救いの手を差しのべたとも言えそうだ。
 そして、「樹木葬」はむしろアニミズムのように、個人の霊性をうやまいながらそこから深い生態系や、自然循環の思想にいざなう。無宗教同然のわたしたち日本人のこころの奥深くに存在する「輪廻」のこころが呼び覚まされるのだ。

 今年で開山390年を迎える天徳寺は、古刹とも言える歴史ある寺だが、なにぶん後継者にも苦慮していた置き忘れられたような山寺であり、檀家数も50くらいしかない。
 現在の住職になってからの、このめざましいにぎわいと繁栄は、開山以来の椿事なのかもしれない。若い住職は寺にとっては、その斬新な試みで天徳寺をも救済した。

 今後は、その困難な現在の墓地や、葬制の制度、法律を変える方向をもたねばならないだろう。野山への散骨を法のおめこぼしで実行している「葬送の自由をすすめる会」などとの連帯、共同行動も必要になっていくかもしれない。
 現在、「樹木葬」はかろうじて自治体レベルで許認可できる墓地法(厚生労働省の管轄)の中で、「霊園」としてかろうじて成立するようになった(それも、まだまだわずかにすぎない)。しかし、それとて限界がある。母や父や肉親が姿を変えた樹木が、墓標の代わりにすぎないのか、それとも本当に森として、里山として成長するのか? 美しい夢をみる手段としてだけではない「樹木葬」の、壮大な実験はこれからだと思う。
(この項・おわり)



樹木に偲ぶあのひとのこと/樹木葬・夏の集い(1)

2006-07-18 23:40:01 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Syojin_3 「樹木葬・夏の集い」は86名の参加者が集い盛会だった。これは千葉県大原の「天徳寺」に「樹木葬」で家族を葬った方、および自分が葬られるために生前契約で会員になった方を対象にした集いである。お盆の時期でもあったが、お寺(曹洞宗)でありながら宗教を問わない(無宗教でも可)寺の住職の考えで、「法要」とは言わずに「偲ぶ会」と読んでいる。

 だから最初に住職が、「般若心経」を参加者と唱和して読経した以外は、樹木葬地で自由にすごす。一応、催しものもあって(いわば野外イベント、オープンエアです!)、すこし高くなったところからボクが自作の「花に化身するホトケたち」を読む。ついで「故郷(ふるさと)」を参加者全員で歌う。Yさんが、マンドリンをつま弾いてくれていたが、やおら立ち上がって指揮をしながら歌唱する。声楽をやっていたらしく、良い声である。
 この内容の催しは、昨年から始まった。昨年は、やはりYさんが「千の風になって」を歌唱指導した。しかし、「千の風……」は、あまり樹木葬的ではない。住職の求めに応じて、ボクは母を思い、父を思って詩を書いた。この地に葬ったみなの最大公約数になるかどうかは自信がないが、ともかく「樹木葬」をテーマとした世界で最初の詩だと思う。
 住職の希望は、最初、皆で歌える曲だったが、ボクにはそこまでの才能はない。だから「詩」にしたのだ。

    「花に化身するホトケたち」
                     (詩・江守 純史)

  はは は ヒメコブシ に なりました
  ちち は ハナミズキ に なりました
  人里 近くの 山寺で
  花 と なって 眠ります

  死んで 花実(はなみ)を 咲かそうと
   土の 下に 眠ります
  草木 の 下に 眠っては
   花の 養分と なりました

  そうして 失われた 里山に
   森を つくる よすがと なります

  花実(かじつ) に 向かって かぁさん と 呼ぶ
  樹木(じゅもく) に 向かって とうさん と 呼ぶ
   まるで 昔ばなしの 中で
    枯れ木に 満開の花 咲かせ
     森を 花盛りの 山とする

  そんな 世界に 生きているよう
   木々や 果実の 精霊を
    迎え 眺めて いるようです

  花々 と なって かぁさん は
  木々 と なって とうさん は
   きっと 見守って くれるでしょう

  残された 家族のことを
   生きている 孫(まご) 子(こ)の ことを

  こうして 花木 を なかだち として
   わたしは 大地 と つながりました

  里山 が よみがえり
   ふるさと の 森 に なりました

  わたし は わたしたち に なりました

 ボクの声は森のこずえに木霊してかえってくる。今回が最初の、お披露目ではないのだが、すすり泣きが聞こえた。ボクの詩に共鳴してもらえたのだろうか?
 ひきつづきYさんの伴奏で、唱歌である「故郷」を参加者全員で歌う。樹木葬を通じてともに縁が出来、そしてこの地につながり、ここに里山がよみがえることを願う気持ちは、ここに第2の故郷を作っていく事だと思うからだ……。

 故郷 (ふるさと)
 一、兎(うさぎ)追いし かの山
   小鮒(こぶな)釣りし かの川
   夢は今もめぐりて
   忘れがたき故郷 (ふるさと)

 二、如何(いかに)にいます父母(ちちはは)
   恙(つつが)なしや 友(とも)がき
   雨に風につけても
   思いいずる故郷

 三、こころざしを はたして
   いつの日にか 帰らん
   山はあおき故郷
   水は清き故郷
 (唱歌/高野辰之作詞・岡野貞一作曲)

 つづいて、住職が現在、葬られているひとの数の鐘をつく。みなで、黙とうをする。
(つづく)




樹木に偲ぶあのひとのこと/樹木葬・夏の集い(Phot_1)

2006-07-18 23:34:36 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Syojin_2(写真1)寺の周辺に咲き乱れる野生の花々で飾られた壇上に、この地に眠る方々の遺影が……。ウチはどういう訳か(って、ボクが母の写真を持っていかなかったためだが)母の樹木の前でポエトリーリィディングをする姿が、飾られてありました。どうやら、ボクはすでに「遺影」なのかもしれません(笑)。



『AERA』に紹介された樹木葬

2006-05-23 00:21:37 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Tree_tomb昨日(22日)発売の『AERA』44ページに「「樹木葬」はいかがですか」と題されて天徳寺の樹木葬が紹介されていた。
先日の「筍掘り」の春の集いに取材に来たので、そのことも記事の中で紹介されるのかと期待していたのだが、一般的な紹介記事だった。
しかし、その分、樹木葬を御存知ない方にはいいかもしれない。

ちょうど記事についた写真で紹介された御家族は、お父さんの遺骨の上にヒメコブシの樹を植えていました。それは、ボクが母の花木として選んだものと同じだった。

取材に来た黒田さんは、まだ若いライターさんだったが、岩手の祥雲寺(最初に樹木葬をはじめた寺)にもふれてこう書いている。

「思いがつながり、この場でひとつの力となっているわけだ。命の再生現場と言ってもいいだろうか。」

現在、発売中です(5/29号、第25号)。

またこの号は、買って損はないとおすすめします。
先日「般若心経」の「心訳」(現在ベストセラー中)をした生命科学者にして自らも難病と闘病中の柳澤桂子さんのミニ評伝もあるからです(360円でした)。

(写真はボクが撮影した「樹木葬・春の集い」でのスナップから)



竹林に遊び、筍を食す

2006-04-19 00:07:47 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Bamboo_shoot4月15日(土)千葉県大原にある天徳寺で、「春の樹木葬・桜葬の集い」が行われた。住職が法事などにおわれることのない友引の週末におこなわれることの多い春秋の交流行事である(他に法要を営む「追悼の集い」などが行われている)。
今回のテーマは「筍(たけのこ)掘り」で、これもまたウリ(と言ってもレストランでも、宿坊でもありませんが)の「精進料理」は、「筍づくし」とわらびなどの春の味で彩られている。
住職はその修行時代(総持寺と聞いている)、僧侶が食する一汁一菜の質素な食事の他、精進料理をも仕込まれ相当な腕であったらしい。このような春・秋に提供される食事は、日本料理でいう「お品がき」(メニュー)は、住職が考え、山菜や、野草や、旬の野菜がふんだんに盛り込まれた季節感あふれる精進料理である。

幾度も書いていることだが、ボクは今回も「寺男見習い」として、裏方もかねて参加している。もちろん、寺の裏手にある樹木葬地で眠る母の墓参と言うか、母が化身したヒメコブシの様子を見るということもある。母は今年は、つぼみをつけてはいたがまだ花を咲かせていないようである。
とはいえ、裏方ゆえに母の化身したヒメコブシの前でそうそう感慨にふけっているヒマはないのである。
ただ、12月に日本映画学校の学生たちと来た時に、植えたパンジーなどの花々が根付いて母のヒメコブシの足下に咲いていたのがうれしかった。それに、墓守りネコのランも元気で顔をちゃんと覚えているらしく、摺りよって鳴きにきた。ランは、ウチで飼っているいるララ、チョビィにくらべても利発な気がする。

さて、この日の「春の集い」の参加者総勢67名、住職とこども二人と「AERA」の取材をかねたフリーライターの黒田さんを含めて70名余が車に分乗して、いつもは静かな村(市町村合併により「郡」から「市」になったとはいえ、寺の周辺は田畑、山林に囲まれた「村」のたたづまいそのものです)を車をつらねて寺の檀家さんのひとりの竹林に向かったのだが、それは壮観だったろう。いったい何ごとがおこったのかと村びとに思われたに違いない。

到着した農家から裏山をおおよそ5分くらい登り、静かな里山のたたずまいを持つ中に大きな孟宗竹の竹林が出現した。住職の話ではさほど出ていないからおひとり1本ほどと言っていたが、そこは翌日には伸びていると言う竹の成長の早さ、ニョキニョキと筍は。竹林のあちこちにたくさんあり、参加者はあちこちに散らばってこれはという筍掘りにとりかかる。
カメラマンをかねていたはずのボクまでが、筍を2本掘った。多いひとはその30分あまりのうちに3~4本は掘っていたと思う。もちろん、これは無料ではなく、竹林の持ち主の農家へあとで、キロ400円で参加者が支払うものだ。だが、それにしてもこれは安いのではないか?

参加者は帰り道もフキをとったり、野草を摘んだりして春の里山を楽しんだ。

寺へ帰り着くと、膳が用意され筍づくしの前記のおもてなしが待っていた。
いや、心憎い演出だ!(とかいって「今、向かってます!」って連絡はボクが入れたのだが……(笑))

こうして、春の一日を大原の寺の周辺の野山に親しみ、庄屋さんのお宅に行ったりした方もおり、懐かしいふる里を、里山で過ごしたかのように「春の樹木葬・桜葬の集い」に参加されたみなさんは筍のお土産つきで満足されて帰られたようであった。

(写真2)禅寺で修行した住職が考え、仕込む精進料理はこころづくしの季節の彩りを香らせる。って、なんだか料理の記事みたいな、写真説明だ(笑)!