4月15日(土)千葉県大原にある天徳寺で、「春の樹木葬・桜葬の集い」が行われた。住職が法事などにおわれることのない友引の週末におこなわれることの多い春秋の交流行事である(他に法要を営む「追悼の集い」などが行われている)。
今回のテーマは「筍(たけのこ)掘り」で、これもまたウリ(と言ってもレストランでも、宿坊でもありませんが)の「精進料理」は、「筍づくし」とわらびなどの春の味で彩られている。
住職はその修行時代(総持寺と聞いている)、僧侶が食する一汁一菜の質素な食事の他、精進料理をも仕込まれ相当な腕であったらしい。このような春・秋に提供される食事は、日本料理でいう「お品がき」(メニュー)は、住職が考え、山菜や、野草や、旬の野菜がふんだんに盛り込まれた季節感あふれる精進料理である。
幾度も書いていることだが、ボクは今回も「寺男見習い」として、裏方もかねて参加している。もちろん、寺の裏手にある樹木葬地で眠る母の墓参と言うか、母が化身したヒメコブシの様子を見るということもある。母は今年は、つぼみをつけてはいたがまだ花を咲かせていないようである。
とはいえ、裏方ゆえに母の化身したヒメコブシの前でそうそう感慨にふけっているヒマはないのである。
ただ、12月に日本映画学校の学生たちと来た時に、植えたパンジーなどの花々が根付いて母のヒメコブシの足下に咲いていたのがうれしかった。それに、墓守りネコのランも元気で顔をちゃんと覚えているらしく、摺りよって鳴きにきた。ランは、ウチで飼っているいるララ、チョビィにくらべても利発な気がする。
さて、この日の「春の集い」の参加者総勢67名、住職とこども二人と「AERA」の取材をかねたフリーライターの黒田さんを含めて70名余が車に分乗して、いつもは静かな村(市町村合併により「郡」から「市」になったとはいえ、寺の周辺は田畑、山林に囲まれた「村」のたたづまいそのものです)を車をつらねて寺の檀家さんのひとりの竹林に向かったのだが、それは壮観だったろう。いったい何ごとがおこったのかと村びとに思われたに違いない。
到着した農家から裏山をおおよそ5分くらい登り、静かな里山のたたずまいを持つ中に大きな孟宗竹の竹林が出現した。住職の話ではさほど出ていないからおひとり1本ほどと言っていたが、そこは翌日には伸びていると言う竹の成長の早さ、ニョキニョキと筍は。竹林のあちこちにたくさんあり、参加者はあちこちに散らばってこれはという筍掘りにとりかかる。
カメラマンをかねていたはずのボクまでが、筍を2本掘った。多いひとはその30分あまりのうちに3~4本は掘っていたと思う。もちろん、これは無料ではなく、竹林の持ち主の農家へあとで、キロ400円で参加者が支払うものだ。だが、それにしてもこれは安いのではないか?
参加者は帰り道もフキをとったり、野草を摘んだりして春の里山を楽しんだ。
寺へ帰り着くと、膳が用意され筍づくしの前記のおもてなしが待っていた。
いや、心憎い演出だ!(とかいって「今、向かってます!」って連絡はボクが入れたのだが……(笑))
こうして、春の一日を大原の寺の周辺の野山に親しみ、庄屋さんのお宅に行ったりした方もおり、懐かしいふる里を、里山で過ごしたかのように「春の樹木葬・桜葬の集い」に参加されたみなさんは筍のお土産つきで満足されて帰られたようであった。
(写真2)禅寺で修行した住職が考え、仕込む精進料理はこころづくしの季節の彩りを香らせる。って、なんだか料理の記事みたいな、写真説明だ(笑)!