風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

年末のごあいさつ および 「凶徒/ナニワに行く(最終回)」編

2005-12-31 20:17:45 | てなもんや/また旅日誌
Jun05_4_24大晦日である。2005年も暮れようとしている。

大晦日に決着をつけたい記事がもうひとつある。昨年つまり2004年の9月に京都、大阪に関西ツアーを敢行したのだが、その大阪COCOROOMでの報告をしていなかった(シリーズ名は「てなもんや/また旅日誌」。COCOROOMでの公演は9月26日の「ブッキング・ナイト」にて)。つまりシリーズ記事としては完結していなかったのである。いまさら、それを楽しみにしているひとはいないだろうが、どうにもボク自身が気持ち悪い。ましてや三年越しにはしたくない。
どう、完結させればいいだろうかと考えあぐねていたら、最近、なんとその時のボクのパフォーマンスを御覧になった方とMIXIで再会したのである。パフォーマンスの後、その方に挨拶され本人も素敵だったが、「須磨の風」という神戸での野外コンサートを実行するグループのスタッフの方だと聞いてとても印象に残っていたのである。で。その方がHPに発表された文章を最近送ってもらった。
とっても素敵な見聞録だった。むしろ華麗すぎてテレくさいくらい。
ご本人の承諾を得て、この文章をCOCOROOM での報告にかえさせてもらいシリーズを締めくくりたい。
その方はMIXIネームn'Ahさんです。

  ***************

そうそう、以前に作っていたHPの日記にあの時のライウ゛の感想を書いていたのですが、それをつけて送ります。
どれだけの 衝撃と心地よい揺らぎに いざなって貰えたかが 少しでも伝わると嬉しいので。


 ◆◆電脳・風月堂からやってきた吟遊詩人 ◆◆

電脳・風月堂のJUNさんを観に大阪まで。

まだ膨らみきれない月をのせた電車に揺られ、赤い歯車をやり過ごして、向こうに夕暮れが居る空間に辿り着いたら、立ち昇ってくるような暗い霧と底深いあやかしの世界を吐き出す詩人が詩っていた。

決して解合うことがないようにみえて、お互いが綯え続ける旋律と詩の反発とβ検
吐き出される言葉は、理解されることを超えて
堰をきったように詩人の奥から湧き出すものを
伝える術だけになっていた。

自分と詩人の世界だけが真空パックになって
ステージとの距離も、その間に存在する何もかも
無になっている、妙な心地よさ。

紛れも無く大好きな世界。

日常では決して満たされないかけらが
息を吹き返すように脈うちだすことの充足感で
翳の微笑が込み上げてくる。

セピアとモノクロームと、目をそむけたくなる色づかいで
風景は絵葉書が舞うように、現われては死んでいく。

詩人の一点に吸込まれそうになりながら
その危うさに凭れ掛かりることの不安を
どこかで楽しみながら時間が流れたり、
押し戻されたりする空間で漂う。

まどろみながらも、しっかり重さのある疲れ、
出口のない迷路と知りながら、迷い込むような
こんな気分は随分久しぶり。

JUNさん、また観たい!

  ***************
この時やった詩は「哭きおんな」です。サポートミュージシャンはTOMO、岡ちゃん、大阪のフュージョンバンド「グループセラピーからの助っ人ソプラノ・サックスの井上英俊さん。スペシャルサンクス「グループ・セラピー」のHIRO北田さん(お世話になりました!)。

感想文あらためてお礼申し上げます。n'Ahさん! ありがとう!

では、みなさん! 今年一年ありがとう!
良いお年をお迎え下さい!

(イラスト)アントン・パパ(MIXIネーム/アントニオ・ダス・モルテス)によるスケッチ。これもありがとう! アントン・パパ!



横浜トリエンナーレ印象批評(5)/拾遺その2(最終回)

2005-12-30 23:59:12 | アート・文化
Splayed壁にはりついた3台のモニター。そこに映し出されるのはアーティスト自身の頭部と右手と左手だ。その部分的な映像が三位一体となって、キリストの磔刑図が模された配置だと言うことはひと目で分かる。モニターはボクには少々位置が高すぎるのではないかと思えたが(そのためか見入る人はさほど多くはなかったようだ)、痛みを感じる作品だった。そう、それはケニヤ出身のイングリット・ムワンギの「スプレイド」というビデオ作品だったのだが、それぞれ右腕と左腕になにやらカッターのようなもので文字が刻まれて行くのだ。見ていて痛みを感じる作品だったが、そこには「単婚」、「複婚」という意味の文字が刻まれていたらしい。ほとんど無表情のムワンギの表情も良い。なにか静謐な聖なるメッセージさえ感じた。

ビデオ作品と言えば、松井智恵の小さな天幕のなかで流されていた静かなダンスのような作品も印象に残った。なによりも、それは映像が美しかったし、静かな時間の流れが天幕と言う空間にあっていた。

さらに、これはどうやら静止画面のつまりスライドの連続した畳みかけだとすぐわかるが、ロビン・ロードの「シャワー」という映像作品もどこか痛みや、苦痛をともなうものだった。
せまい縦長の白い空間の最奥で映像は投影されているのだが、シャワーはまるで血しぶきのようで、裸身のロビンはまるで、自ら血をしたたらせているようにシャワールームの床に倒れ込んで行くと言う作品だった。この人も南アの出身。アフリカ勢だった。

トリエンナーレの出品作家で一番注目していたのが、日本の西野達郎だった。教会の尖塔の天使の形をした飾り(風見鶏?)をテーブルの飾りにしてしまうと言う思いきった架設物を立ち上げ、空間を変質してしまうと言うそのインスタレーションの手法が注目すべきものと思っていたからだ。
だが、今回その架設構造物は会場の外(中華街の山下町公園)に作られていたため、今回見れないだろうと諦めていたものだった。
だが、18日の夜、中華街にフラフラと食事にいったボクは横浜トリエンナーレの最後の作品としてその架設構造物のインスタレーションを見ることができたのだった。
「ヴィラ會芳亭/Hotel Villa Kaihoutei」がそれであった。入り口には受付嬢がいて、毎晩ひと組の宿泊客を受け入れていた(おひとりさま2,000円だった)。公園の中華風の四阿が西野の手にかかってトイレも、シャワールームもあるホテルに姿を変え、四阿の中心にはフワフワのダブルベッドが設置されていたのだ。ああ! ラブホテル代わりに一度使ってみたかったものだ(笑)!
しかし、その空間変質の徹底ぶりにはいささか驚いてしまった。実に、面白い。

さて、これでボクの横浜トリエンナーレの印象批評は終わりである。印象に残らなかった作者には謝りたいが、ま、ボク個人の印象ですから気を悪くしないで下さい。ひとりで、十全に見きるのは不可能でもありました。

(このままでは年を越すかもと危惧した「印象批評」。大晦日の前にアップできてホッとしています。長々と読んでくれた方、ありがとうございます!)
<完>



望みは託された希望はつながった(新宿「唯唯」望年会顛末記)テキスト

2005-12-30 00:19:26 | 歌え! 叫べ! 世界を切り裂いて……
Myshadow_moning新宿花園神社となり『唯唯』で敢行した合同・野合・望(忘)年会はわがE.G.P.P.100/電脳・風月堂関連のメンバーが核となり、カウンターや他のテーブルにすわった「唯唯」常連のお客さんたちと交流しながら和気あいあいと繰り広げられた。ステージにマイクを用意してもらったおかげで、E.G.P.P.100 at QuiQuiという感じでさすがに、舞台慣れしたわが陣営が一番ステージにあがっていた。

参加者はおもとなほ、その友人、まきお、岡ちゃん、アントンパパ、あだっち、ココナツ、PARA、13号倉庫、さいとうりか、13号さんのお仲間の方(お名前失念)、さいとうさんの映画のスタッフの方と自主映画関係の参加もあった(13号倉庫さんが呼び掛けられたもの)。
なお、隣のテーブルにはbambiさん、Hooちゃんの姿もあり、はじめてお目にかかったかめら万年筆さん、KUSSYさんなどがいらしている。KUSSYさんは二度もステージへ上がる。

なほさんの「カーニバル」から口開き、まきお、ボク、あだっち(あだっちのデジュリドゥは好評だった)、さいとうりか(即興と映画の宣伝。彼女は自主映画「寅蔵と会った日」の監督)、セブン、KUSSYさんなどがステージに立ち、ミッドナイトに『唯唯』チィママのビアンカが妖艶なダンスを披露した。

いや、堪能しました。楽しくて結局朝まで飲んでました。
それにしても、セブンはまつりの収支報告などの話になると相変わらずムキになるなぁ(笑)。

いつも夕日の写真しか撮っていないボクが(というか撮れないのだが)久方ぶりに朝日を撮りました。これも朝帰りの余得です。早起きは三文の得というやつでしょうか(寝てないのだが……)。



望みは託された希望はつながった(新宿「唯唯」望年会顛末記)phot_2

2005-12-30 00:09:06 | 歌え! 叫べ! 世界を切り裂いて……
05dec28_quiqui(写真2)妖婉さにかけてはビアンカ女王様に負けていない E.G.P.P.100が誇る妖艶コンビ。まきおさんとなほさん。最近うらやましいほどこの二人は仲むつまじい。まきおさんが良くなほさんに巻き付いている光景を見かけます。ヘビ女とヘビ使いの関係でしょうか?




なんだか盛り上がりそうな予感!コワイよぅ!

2005-12-28 16:23:04 | イベント告知/予告/INFO
もう、なにかアップして「唯唯」へ出かけようとおもうのだが、なんの材料もないからちとしつこいが今晩の望(忘)年会のよびかけの一文をさらにアップしていきます。
MIXIメールで流したもの。とはいえ、今晩はけっして昭和三十年会ではありませんので、誤解なきよう!(笑)

  ***********************

企画した本人もどうなるのか把握できないイベントになりつつあるようです。
いったい正気なヒトは集まるのでしょうか(笑)?

最高に「感じのいい」幹事がフーゲツのJUNと、ドクター・セブンです。

お化け煙突がなくなった東京の空に、東京タワーは立ったのです。
東京スタジアムは南千住にあったのです。
上野駅は未来永劫に東北からの金の卵の若年労働者をせっせと運んだ人買い列車の終着駅でした。

ああ、とうちゃん! あの夕日の美しさは来年もあるんだよね。

一平! 安心おし! レインボウ星からの使者ドクター・セブンと芭蕉の生まれ代わりのJUNが、いるかぎりこの太陽系第三惑星はビアンカという女神に守られているんだよ!
だから、ほら、昭和三十年代の煙突の煙りはあんなにも重金属で七色に輝いていたんだよ!
あれが、昭和三十年代の希望だとしたら、わたしたち親子の希望なんてユメもチボーもない東京凡太みたいなもんさ!
だから、信じるんだ。セブンとJUNを!
きっと、みんなでもり立てれば無上の悦楽がもたらされるさ。黄金バットを信じるんだ!
ああ、とうちゃんは支離滅裂だ!
月光仮面は桑田次郎だ! 原作は川内康範いや、そんなことはいまは問題じゃなかった!
だから、みんな今晩は駆け付けるんだ!
いいな! 地球の危機を救うために!
(あ、「唯唯」の閉店を救うためでした。ボクらは「唯唯」の年内閉店を許さ内臓!)

さぁ、うたを歌えるものはうたを、楽器を奏でるものは楽器を、詩を詠むものは詩を、金をもてるものは金をもって今晩、新宿花園神社となりの「唯唯」へ!
(ただしアンプはありませんので、アコステックで! あ、ジャンベもちと無理かもです。)

ヒッピーもビートも、ポエットも、シチズンも、リーマンも、ニートも、フリーターもフーテンも大集合!

どなたでも歓迎します!
複合・合同・野合なウイウイ・望(忘)年会!
なにが飛び出るか、やるほうも分からない!

さ、年の瀬をユメとチボーで新しい年につなごう!

E.G.P.P.100/「電脳・風月堂」オフ会&望年会そして合同野合忘年会!

12月28日(水)19:00~
場所:『唯唯(ういうい)』03-3200-5958→http://www.oui-oui.jp

Quiqui_map



ユメを託して、チボーをつないで……望(忘)年会は明日の夜です!

2005-12-27 23:03:59 | イベント告知/予告/INFO
Yokohama_jun_1忘却とは忘れ去ることなり、忘年会とは年を忘れることらしい。忘れっぽいわが民族、何でもかんでも忘れて水に流せばいいのか?

などとキバらずに忘却を、希望に転化しちゃいましょう!

夕陽は30年後も、50年後もこのまま美しい!(映画「三丁目の夕日」のセリフ)

「今日の夕日の美しさは、きっと来年もあるよね、とうちゃん!」

(ウルウル)「そうとも一平! セブンとJUNがいる限り!
あの夕日の美しさは、ゆるぎないものなんだ! 信じていいんだよ!」(笑)

ああ、女神ビアンカよ、われらに加担したまえ!

ショーつき、ポエトリーつき、歌つき、ダンスつきそれから酒もついてくる!
太っ腹ビアンカの「唯唯」復活を祈り、励まし、そしてユメもチボーもある東京凡太な、2006年を迎えるのだ!

どなたでも歓迎します!
複合・合同・野合なウイウイ・望(忘)年会!
なにが飛び出るか、やるほうも分からない!

さ、年の瀬をユメとチボーで新しい年につなごう!

E.G.P.P.100/「電脳・風月堂」オフ会&望年会そして合同野合忘年会!

12月28日(水)19:00~
場所:『唯唯(ういうい)』03-3200-5958→http://www.oui-oui.jp
(今回の合同忘年会の「感じの悪い」幹事というか、盛り立て役はボク、フーゲツのJUNと、ドクター・セブンです)

<写真は全員集合のサイレンをかき鳴らすフーゲツのJUN(実は、18日の横浜トリエンナーレ・サウンドデリバリーのファイナルでのパーフォーマンスをワンツー秋山さんが撮ってくれたものです。秋山さんは、もったいないことにプロのカメラマンでいらっしゃいます!ありがとうございます。)>



横浜トリエンナーレ印象批評(4)/拾遺その1

2005-12-26 23:58:15 | アート・文化
Chen_zhen_china横浜に通った二日間でも、その出品作品のすべてを見れたわけではない。 拾い切れないのはわかっているが、せめて印象に残った作品を拾い上げておこう。今回の横浜トリエンナーレに出品したアーティストたちに敬意を表明する意味でも……。
もちろん、見聞き体験しながらも印象にのこらなかった、もしくは無視してしまうような作品もあっただろう。むしろ目立とうとせず、会場の中に空気のように溶け込んだ作品もありボクが気付かなかった不思議な作品もあった。たとえば岩井成昭の作品などがそうだ。会場のふたつの倉庫の間に設置された公衆電話ボックスが作品だとはボクは気付かなかった。受信のみのその電話からは100人の母親が語りかけてくるものだったらしい(波止場の伝言??million mama/NAKANIWA26)。残念なことをした。

一瞬行き交った電気自動車で会場をツアーしていた「DIVAエアライン」のタニシKのパフォーマンス作品「フライト」にも残念なことに搭乗できなかった(架空の航空会社DIVAのパーサー(スチュワーデス)に作家は扮していた)。タニシKの「行為」は、こどもの「ごっこ」の延長にも見え、遊びの精神を大真面目に大人の女性が取り組んでいるところにこそ面白さがあったと思うのである(3A60)。

現代アートの会場で会期中数百枚の「似顔絵描き」を貫徹し、それなりに人気を得ていた黒田晃弘の「行為」は、対峙しリアルに語りかける「描くことの原点」を提示するものだった。ドローイングとその数で圧倒し、小学生の感謝状が飾ってあるのがほほえましかった(4A33)。

どうしても見たかったのが、これまたほほえましい作品であるgansomaeda(ユニット名)の「蚤のサーカス」だったが、実際公演が行われたのかどうかは知らない。きっと「蚤のサーカス」が行われると言うその非現実的な期待が、この童話的なファンタジー(チェコの作家ハシェクを原作とした童話作品であり、ボクの大好きな作品です)をアートにしているのだろう。凝りに凝ったその小さなサーカス小屋がよびさます憧憬や、高揚が「10月はたそがれの国」のブラッドベリーのようなファンタジーをもたらす。
(Webサイトでは「小さな小さな命の会」から抗議を受け横浜公演は「調整中」とさせていただきますと書いてあるのだが、ボクはこれをも「物語」つまりファンタジーを拡大するための仕掛けととらえたのだが、間違っているだろうか?)
しかし、本人たちがアートと言う言葉を使わずに終始「公演」と言っているのに何故かボクは、好感を持ってしまうのだ(4B17)。

逆にこの祭りのような喧噪の中では気の毒と思えた作品もあった。そのひとつが、チェン・ゼン(中国)の静的な作品「ピューリフィケーション・ルーム」(作者は2000年に死去の為、再現作品 )だったように思う。まるで土砂災害を受けた部屋のように、その部屋の寝具、家具、机、椅子、洋服、バイク、モニターすべてのものが泥で塗り固められている。どこかでボクは見た記憶がある。それとも、それは既視感だったのか? 実にスタテック(静的)で瞑想的な作品だと思う。「ピューリフィケーション」とは「浄化」という意味で、土に汚れたととらえるのではなくおそらく土に還る(樹木葬と同じ?)ととらえるべきなのかも知れない(4C10・写真参照)。
(この項つづく)




ルチアの恵みを! Merry Xmas!

2005-12-25 23:31:40 | 今日はナンの日?
05christmas_cakeさらに、クリスマス・ケーキをみなさんに特別にプレゼントです。

これは、昨晩ホーム・パーティで食べた手作りのデコレーションケーキ。娘が張り切って作りました。
人間は脳で食べる動物だそうです。ならば、画像でもみなさんに(ここにアクセスしていただいた方に)クリスマス・プレゼントできるのではないでしょうか。
どうぞ、御賞味ください。

メリー・クリスマス!
ひかりを生み出すルチアの恵みを!



横浜トリエンナーレ印象批評(3)/クリスマス特別版!

2005-12-25 23:04:16 | アート・文化
Triennale_girl横浜トリエンナーレ会場で18日にゲットした写真です。
みなさんへ、クリスマス・プレゼントです(笑)!

はじめこの方は着ぐるみを着たイベンターの方かと思いました。それは、あざやかな真っ赤なコートでした。本人も素敵な方で、下は超ミニでお洒落な女性でした。
うれしいことにガンジーさんたちミュージシャンと「バー・アヌス」(これ自体オランダのアトリエ・ヴァン・リースホウトの居住型彫刻作品なのです)の前でパフォーマンスをはじめるとパーカッションを叩いて参加してくれました。積極的です。素敵です。でも、残念なことにナンパできませんでした(笑)!

このサイトにお気付きでしたらぜひ、御連絡下さい! ぜひ!



アントンパパ!ありがとう!6,500アクセス!

2005-12-25 17:36:05 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUNさんのページ全体のアクセス数が6500アクセスを超えました。記念すべき6500アクセス目の訪問者はアントニオ・Mさんでした!

以下のURLより アントニオ・M さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=342496

アントン・パパ! ありがとう!
それにイブの日が誕生日だったんですよね。あなたはアート界の救世主なのか?
アントンパパ! おめでとう!
一度ゆっくり飲みましょうね!
というか望(忘)年会、「唯唯」で待ってますよ!
コリアンパワーの来襲を、心待ちにしています。

そう、そう。アントンパパの学生時代のコミューン生活の話をゆっくり聞きたいものです。

そして、アクセスしてくれたみなさんにメリー・クリスマス!

ボクは仏教徒だけどね……(笑)。


横浜トリエンナーレ印象批評(2)/中華世界の現代アート

2005-12-24 15:47:07 | アート・文化
Long_marchそのコンセプトと試みからボクがものすごく心ひかれた作品は、今回の横浜トリエンナーレ出品作品のなかではこれにとどめをさす。それは、もちろんボク自身の出自(長崎だが、日本で最初にチャイナ街が作られた街だ)や、体験(アジア好きなボクはこの目で多くのチャイナ街を見てきた)がこの作品を心ひかれるものにしたこと、そして問題意識としてフィットしたということが大きいことは最初に断っておこう(もちろん会場から徒歩10分ほどのところに横浜中華街もある)。

その作品は「長征プロジェクト」と名付けられている。ロングマーチとして統括された6人のチャイニーズ系の作家によるアートプロジェクトだが(うち一人は匿名)、言うまでもなく「長征」という毛沢東の対日ゲリラ活動が意識されている。そして、その「長征」とは、このチャイニーズ系の作家たちにおいては、いまや世界中に散らばった中華世界(具体的には「中華街」)のあらたな意識化としてあるだろう。
中国は現在、驚異的な経済発展をとげつつあり、いわばアジアのリーダー権を奪おうとしているだけでなく驚異となっているらしい。おそらく外貨を稼ぎ出す大きな要因として、世界中に散らばった中華街の存在は無視できないものだろう。
知っているだろうか? 中華街のそのある意味閉鎖的でもあるパワーを?
チャイニーズ系の国家内国家「中華街」は、いわゆる「大陸」以上に香港、シンガポール、マカオ、台湾にとどまらず、日本、アメリカ、タイ、マレーシア、ベトナムそしてインドにもある。
「華僑」と呼ばれるそのおおいなる出稼ぎ集団のパワーは、「大陸」さえも揺るがす程のパワーである。歴史上にもおのおのの国に鞏固な足跡を残している。
で、今回横浜トリエンナールのアートシーンにおいても「中華世界」のすさまじいパワーを若い世代のアーティストたちが、客観視して提出していた。
そのようにボクには見えた。「長征プロジェクト」とは、大いなる「中華世界」の世界への進出なのだ。

で、そのプロジェクトの中心的な作家であり、ディレクションをしたのがル・ジェというアーティストであった(プロジェクトは1999年から続けられている)。その作品は、いや試みはアートが「大陸」の各都市を南から北京を目指してロングマーチをするものであったようだ。だが、それは同時に世界中の中華街の門の前でパフォーマンスをする記録をレトロな古い写真に似せたデジタル処理をした写真で丸く囲み、その中心にモデルガンを置くと言うヤオ・レイヅォン(台湾)の作品展示で、実にスリリングに提示して見せたものだった。
おぞけをふるうほどの「長征」となっていた。
もし、少しでも旅をしたことがある人間なら、ル・ジェを中心としたアート・プロジェクトの意図が過激なものであることに気付いたことであろう。
迷彩のなかで背景に隠ぺいされようとした獅子(チョウ・ジュージェ)。中国が生んだ宇宙観を反映するゲームである囲碁(匿名作品)。キャンプ用具とテントをゴミのように集積したその背景にそびえるヒマラヤ・エレベスト(シュー・ジェン)。
旅先で不思議なことにその味覚、調理法すべてにおいて中華料理はボクらにとって郷愁を覚える程の親しい食べ物である。インドであれ、ネパールであれ。旅先で出会う中華料理はボクらに、安らぎを与えてくれる。

「長征」とはなんだったのか?
いや、毛沢東語録とはなんだったのか?
様々なことを考えられさせ、帰りにボクは横浜中華街で中華風のソバを食べた(笑)。そう、濃厚なカレーに飽きたボクらが、無意識のうちにその料理を求めてしまうように……。
(つづく)

(写真)ヤオ・レイヅォン(台湾)の「天下為公行動??中國外的中國」。各国の中華街の門を写した写真の中心にモデルガンが置かれている。重い銃だった。ちなみに「天下為公」とは孫文のことば。その意義は中華街に現れているとヤオは言いたかったのだろうか?(公式パンフの解説にはそんなことが書いてあった)
ボクには逆に皮肉に思えた。中華街はどこにおいても国家内国家として閉鎖的だというのが、ボクの印象だから……。



横浜トリエンナーレ印象批評(2)/中華世界の現代アート(写真)

2005-12-24 14:56:02 | アート・文化
Long_march_2(写真)「ロング・マーチ(長征)」のうち、チョウ・ジュージェの「慢慢来」。中華世界の祝祭では欠かすことの出来ない龍と獅子のうち、地上世界を代表する「獅子」が迷彩色に隠ぺいされている。これは、中華人民共和国(大陸)の隠された軍事大国性を警告し、皮肉るものとボクは受け止めた。タイトルの「慢慢来」とは、今風にいえば「スロー」という意味もあるが、あなどられたものという意味もあるだろう。



横浜トリエンナーレ印象批評(1)/ソイ・プロジェクト(写真)

2005-12-24 14:00:09 | アート・文化
Soi_project(写真)ソイ・プロジェクト/ギグ・グロッサリー(タイ国)。サバ~イ・サヌックなお気楽アート。会場でこれでもアート・プロジェクトなの?という論争はおきませんでした(笑)。ここはいわば「お座敷バー」(バンコクの伝説的なバー「ギグ・グロッサリー」の復活。いわば「新宿風月堂」か?)でもあり、ミュージシャンでもあるアーティストが歌をサービスというシーンもありました。



横浜トリエンナーレ印象批評(1)/タイ国のアート

2005-12-20 23:51:28 | アート・文化
tuktuk_yokohama18日に閉幕してしまったが、現代アートの祭典、コンテンポラリーアートのテーマパーク(たりえたか?)、総合ディレクター川俣正によるコンセプトでは「アートサーカス/日常からの跳躍」ということになるのか「横浜トリエンナーレ」で、遭遇したアート作品を飽くまでもボク個人の印象に残った「印象批評」として書いておきたい。自分の為の備忘録でもある。

といいながらのっけからアートをしていないようなグループを紹介する訳だが、ともにタイ人のグループで、そのサバ~イ・サヌックな肩の力の抜け方が大好きである。いやいやタイ人に大上段に構えた「芸術とは?」なんて構えは似合わないといったら失礼だろうか?
はじめは「キュレーターマン」(ブース4C13)である。キュレーターの席を獲得するゲーム形式の遊び場(SUPER(M)ART)があったり、どこかアートなカジノもしくはバザールみたいなブースだったが、この作家の真価は実は会場でも販売していたコミックにある。
このアーティストと出会ったのは、もう数年前になるが「ワタリウム美術館」の販売コーナーで出会ったハチャメチャなコミックであった。劇画タッチである。そして、その批評精神にボクはいっぺんに惹かれた。
そしてこのタイのアーティストを最初に日本に紹介したのが、アジアのアートの紹介に力を入れている福岡アジア美術館であることを知る。
そのさらに数年後、東京都現代美術館で開催された「アジアアート展」とかいったタイトルの美術展でタイ人のおとこ(とりわけ農夫や底辺肉体労働者)が腰巻きや首に巻付けている布(名前は失念した)をモチーフにした作品でこのアーティスト「ナウィンおじさん」の名前を知るのである(実はまだ若い)。
今回の展示でさらにパワーアップされている。
そして、ついにトリエンナーレ最終日には半額セールまで敢行したコミック「The (M)ART CIRCUS」全5巻では、その舞台である横浜トリエンナーレさえも「アートの墓場」と切り捨て毒舌ぶりに拍車がかかっていた。
なお、このコミックでは総合ディレクター川俣氏まで老人にされ、岡倉天心、岡本太郎から古今東西の芸術家が登場してハチャメチャなゲームバトルを繰り広げるというものである。

もうひと組はやはりタイ人のグループ「ソイ・プロジェクト」(3B56)である。ソイとはタイ語で「露地」のことである。またそれは番地としても使われている。メイン通りのソイ何番という風に……。
で、このタイ人グループの面白さは、アートの展覧会の中にまるで自分達の宿泊所を作るかのように木わくのコンテナーの中に居住空間をインスタレーションと称して作ってしまったことだ。
そこには大きなクッションが置かれ、四畳半のりのDJブースが作られ、タイポップスをききながらまったりとした時間を過ごせるという訳なのだった。
老人たちには近付きにくかったかも知れないが、若い人たちはこのソイの部屋を休憩室かわりに寝そべり、だべり、メコンを飲みながらタイ人の若いアーティストと語ると言う素敵なリラックス空間が出現していた。
ボクも実は二日程通い眠りに行きました(笑)。

キュレターマンを含めてこのような表現を表わすのにまるでMIXIっぽいソシャール・インスタレーションという言葉が苦し紛れに美術批評家の手によって作られたみたいだが、ボクは「サバ~イ・サヌックなアート」と呼びたいくらいだ。気持ちよくって楽しいといったくらいの意味だが、「お気楽ア~ト」と呼んでほめておこう。
(つづく)

(写真1)キュレターマンのブースの脇にあった「トゥクトゥク」! 本物です。トゥクトゥクはタイの三輪タクシーで、このタイ人の二つのグループ作品をリスペクトする意味で、ボクは18日、「ぼくの愛車はトゥクトゥク」という詩を絶唱しました(笑)!