風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

国分寺「ほら貝」2008年8月閉店す!

2008-09-21 10:29:17 | アングラな場所/アングラなひと
Horagai_face 部族がいわば起業したものに「ロック喫茶」と「有機野菜引き売り→有機野菜八百屋店舗」がありますが、そのひとつ我が国最古のロック喫茶だった国分寺「ほら貝」が2008年8月で閉店しました。
 まだ長い旅の途上にいたナナオからの詩のようなエアメールが壁面に貼られていたり、ナーガの便りがあったり、三省の消息を知ったり、近くの学芸大の新聞会の学生と交流したりした「ほら貝」は、国分寺北口から歩いて5分くらいのピンクキャバレーのど真ん中に不思議な空間としてありました。
 同じ北口のクラシック喫茶「でんえん」近くのビルの2階に引っ越してサタンからヒロにマスターが変わってどこか都会的な不良の溜まり場風でした。それもそのはずサタンはケンカに明け暮れていた新宿「ジャズヴィレ」の出身者でもあったのです。そこはボク自身が「新宿風月堂」そして「部族」(その頃は「ハリジャン」と名乗っていた)と出会う前に毎晩通ったジャズ喫茶でした。

 思い出はそれなりにあります。むしろボクにとってはフーテン時代よりも武蔵小金井北口に住んだ頃が一番行っていた頃だったかもしれません。「ほら貝」10周年記念の集いが西国分寺で行われた時、懐かしい顔に会いました。もちろん、部族の主要なメンバーも詩を読んだり、歌を歌ったりしたそのギャザリングで、いまは亡くなったと風のウワサで聞いたキラやそのつれあいのワコに再会しました(消息を知りたく思います)。
この国の純正ヒッピーだった「部族」が残した遺産だった「ほら貝」も2008年夏、こうして消えていきました。
(mixi内にボクが主宰する「部族」コミュ、「新宿風月堂」コミュがあります。参加して下さい!)


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6 コメント

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ほら貝は、当時高校生だった僕が時々遊びに行って... ()
2008-09-22 08:03:04
ほら貝は、当時高校生だった僕が時々遊びに行っては寝泊まりした学芸大の某サークル部室から夜な夜な繰り出していた活気溢れる文化・政治談義の場でした。
閉店したほら貝より遙かに狭苦しいかつての「場」は、それ故に文字通り肌と肌とが触れ合える疑似村民的雰囲気に満ちていました。
僕の中では、移転したほら貝は、すでに別物に思えました。ヒロが一人で切り盛りしていたそれは、独りで過ぎ去った時代を背負う余りに、それら烏合の衆とでも言うべき或る連帯感を有ち得なかったのではないでしょうか?

ともあれ、例え観念の中にしか存在しない共同体的指向性を継承していたほら貝が、国分寺から消えてしまうのは、非常に寂しい。風月堂が新宿から消えても尚残る灯火がついに消え細る哀しさか。
止揚して変わりうるモノが、未だ見出せない哀しさか。
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鮪さん! 「残る灯火がついに消え細る哀しさか。... (フーゲツのJUN)
2008-09-22 21:32:34
鮪さん! 「残る灯火がついに消え細る哀しさか。止揚して変わりうるモノが、未だ見出せない哀しさか。」
そう、どうしても森田童子のこの歌の歌詞で答えたくなってしまう。
何の答えでもありはしないのだけれど……。

あの時代は何だったのですか
あのときめきは何だったのですか
みんな夢でありました
みんな夢でありました
悲しいほどに
ありのままの君とぼくが
ここにいる
(森田童子「みんな夢でありました」)
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本文中に書いた「ほら貝10周年記念」は「ほら貝25... (フーゲツのJUN)
2008-09-27 11:51:02
本文中に書いた「ほら貝10周年記念」は「ほら貝25周年記念」の記憶違いでした。
気になって調べたら、そんなに昔のことでもなかった。
1993年11月27日(土)に午後2時からティパーティではじまり、午後6時からホールに会場を移してライブと詩の朗読がおこなわれました(西国分寺「いずみホール」にて)。

1968年に国分寺の地で開店した「ほら貝」は、移転しての2ケ所で通算40年めの夏に消えたことになります。
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[E:good]国分寺 法螺貝が2008年に閉店なん?知らな... (イワンの馬鹿)
2012-09-02 08:48:27
[E:good]国分寺 法螺貝が2008年に閉店なん?知らなかった。サタンに秋葉なんだ せつな もうる 達にあいたいな!誰か行方を知って居る、方 メールに[E:good]連絡先をお知らせ[E:notes]下さい。

法螺貝で部族では、族処 ガクシャ でしたサタンにお目通しすれば、わかります。考古学!
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Unknown (金杉公夫)
2022-01-09 15:14:28
1970〜74年ごろ、財布に余裕があったら週に数回通い、そこで知り合った連中(後日就職後勤務先だった会社に某航空会社営業が連れてきて紹介された人が偶然その麻雀の面子だった)と年中麻雀をしプラスになるとそれを資金にほら貝に通えた。近くのアパート住まいで通学していたが麻雀無しでも楽しめた50年ほど前の若い時の想い出の場所だ。
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Unknown (とーりすがり)
2022-01-31 15:25:29
閉店直前の頃、ここのマスターは若い者が酒を飲まなくなったとしきりに言ってましたが
元々隠れ家的な店で客が多いほうではなかったし色々な理由から近づきたがらない人もけっこういたし
正直なところ少子化で店余りが起きて人気のない店から客足が途絶えただけの気がしています
現に客層が近いほんやら洞は2022年も健在ですからね
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