風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

『セーヌ左岸の恋』とサンジェルマン・デ・プレ族

2008-06-29 23:52:01 | アート・文化
Love_left_bank_2 1956年、一冊の写真集が出版された。オランダ出身の新進カメラマン、エド・ヴァン・デル・エルスケンが出版した『セーヌ左岸の恋』(英語名:Love on the left bank)である。

 この写真集はそれまでの「写真は真実(決定的瞬間)を切り取った(事実の)記録」という概念を揺さぶるものだった。というのも、エルスケンはパリに来て以来、撮り溜めていたサンジェルマン・デ・プレのカフェ、クラブにたむろする若者の生態や、街の風景に演出した写真を組み合わせてストーリー性に満ちた「作品」(エルスケンはそれを「ドキュ・ドラマ」と呼んだ)として発表したからである(出版それ自体はエドワード・スタイケンの勧めによる)。
 ボヘミアンとアーティストの吹きだまりであったパリは、世界中からこの街に魅惑されたひとびとを迎え入れたが、パリはコスモポリスであるのと同時に退廃の街でもあった。と、同時にパリはエグザイル(亡命者)やリフジー(難民)の街でもあったのだ。そう、不良外人にも開かれていたと大至急付け加えておこう(エルスケン自身が外国人である)。

 モンパルナスがその中心だったのは一時代前で、1940年代後半からサルトルの子供達、実はサルトルの著作など一冊も読んでいなかっただろう「実存主義者たち」は、いわばマスコミ、ジャーナリズムに踊らせられた形でサンジェルマン・デ・プレ周辺のカフェやクラブに集まってくる。
 「実存は本質に先立つ」、「人間は自由という刑に処せられている」??それらの断片化されて流布されたサルトルの言葉は、彼らには教養よりは、口説く時の格好のフレーズだったに違いない。彼らこそは流布された「実存主義者」と呼ぶよりは、ボリス・ヴィアンが名付けたように「サンジェルマン・デ・プレ族」と呼ぶべきだった。サルトルは地上のカフェにその拠り所をもったが、サンジェルマン・デ・プレ族は地下生活者だったからだ(ボリス・ヴィアン『サンジェルマン・デ・プレ入門』)。

 さて、エルスケンがフィクションの形でストーリー性をあたえて表現した写真は、その後「組写真」と呼ばれるコラージュ法のはしりのような作品だった。とはいえ、決してすべてがフィクションだった訳ではない。むしろ、その英語のタイトルに見られるようにややもすればクサくなるロマンを現実に与えた言えばよいだろうか?
 ともすれば、商業主義的なソフィストケーションとも見られるかも知れないが、すくなくともそのモノクロの圧倒的な美しさで「ある時代」のパリが、サンジェルマン・デ・プレが甦ってくる!

 同時代の日本の若きカメラマンにも圧倒的な影響を与えた写真集であったのは間違いない。たとえば、自らその影響を認めた細江英公の『おとこと女』などである。

 参考文献:『セーヌ左岸の恋』大沢類・訳/東京書籍出版1998年8月刊

(写真)『セーヌ左岸の恋』の裏表紙にも使われたアン(ヴァリ・マイヤーズ)の写真。



7/4 E.G.P.P.100/step84サンジェルマン・デ・プレの恋

2008-06-27 23:47:47 | イベント告知/予告/INFO
Love_left_bank●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step84
テーマ:「サンジェルマン・デ・プレの恋/L'amour a Saint Germain des pres」
2008年7月4日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、Bambi(スピリチャル・トーク)、ココナツ(うた)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 写真家エルスケンの出世作にしてデビュー作の『セーヌ左岸の恋』(1956年)に恋したのは随分前になる。パリのカフェを写した写真を探していた時、そのカフェ風景をもテーマにした1冊の写真集に巡りあったのだ。それが、今日では組写真の原型でもある「ドキュ・ドラマ」と名付けられた写真集『セーヌ左岸の恋』だった。
 主人公のアンに惹き付けられた。その写真集に写し取られた情景は時と場所は違えど、まさしく自分たちの10代の頃の生態を写し取られたかのように思われたのだ(アンヌというおんな友だちがいた)。
 そこには50年代のパリ、サンジェルマン・デ・プレに生息する若者たちの奔放な青春が切り取られていた。

 それから、しばらくして東京都写真美術館でエルスケンの写真展が開催された(2003.01)。そこで、ほとんど初老の画家となっていたアンに再会したのだ。エルスケンはムービーカメラをもってスイス山中のアンことヴァリ・マイヤーズのもとを訪ね彼女の年下の恋人と暮らすナチュラルな暮らしぶりをカメラにおさめており、その映像が公開されていたのだ。
 彼女は、スイス山中の小さな城のような家に住み、そこでウィーン幻想派ばりの絵画を描いていた。そこで、ボクにも分かったのだ。あの『セーヌ左岸の恋』の中に挿入されていた幻想画はアン本人が描いていたことを!

 その映像作品の中で、アンいやヴァリ・マイヤーズの美しさは衰えていなかった。まるで、少女のように奥深い森の中の城に住んでいた。アンは森の妖精になったかのようだった。いつまでも年をとらない魔法使いのようだった。
 エルスケンの『セーヌ左岸の恋』にインスパイアーされて「パリ祭」寸前(「パリ祭」は7月14日の「革命記念日」のことで、ルネ・クレールの映画の公開にともなって日本で命名された通り名)、美しき「逢瀬」のロマンである「七夕」直前におおくりする『サンジェルマン・デ・プレの恋』(フランス語名)!

 ちょっぴり、おフランスに決めますか? シェーざんす!

 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定でのしばりはありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs


もうすぐわが家は「キャンドル・ナイト」

2008-06-21 19:03:25 | コラムなこむら返し
 今日は夏至である。そう、もう説明するまでもないだろう。東京タワーに今年は通天閣も加わって消灯し、さらに洞爺湖サミットの応援ライトアップをするらしい。
 キャンペーン・イベントとしての成功はともかく、スローな夜に共感するゆえに、これからわが家も「キャンドル・ナイト」である。みなさんにとっても、素敵な夏至の夜であらんことを祈ります。


苦難の百年/ブラジル移民の1世紀

2008-06-19 00:00:16 | コラムなこむら返し
 「勝ち組」「負け組」というイヤな言葉は、そもそもはブラジル移民のひとたちのあいだで使われていた言葉だった。1945年8月の日本の敗戦を信じないひとたちと信じるひとたちの間で、日系社会を二分するような事態がおこったとき使われた。
 ひるがえって数年前、ITバブルがたけなわの頃、若きサクセスストリーを歩んだひとにぎりの人間が、「勝ち組」としてたてまつられ、あのホリエモンに見るようにTV出演までしてタレントのように活動しマスコミの寵児となっていた。今日の「格差社会」、「あらたな貧困」を象徴するようなその言葉の裏にも、実はこの国の歴史のなかにあるブラジル移民の歴史がひそんでいた。

 ブラジルを夢のような別天地として移民船笠戸丸が790名余の第1回めの移民を運んだのが、いまから丁度100年前の1908年6月18日である(その日にサントス港に到着した)。日本政府の意向を受けた移民斡旋会社の甘言にのったひとびとは、ひと旗あげて故郷へ帰るくらいの気持ちだったらしいが、実は披瀝した農家のありあまる人口を整理するための言わば「棄民」に近いような政策だったようだ。
 開拓民として異国の地に散った移民たちは、慣れぬ風土の中で辛酸をなめ、民族的特質なのかその石にかじりついてものがんばりと勤勉さでブラジル社会に140万人ほどの日系社会を作り上げた。

 その100年の歴史を「苦難」とひとことで片付けていいものかどうか迷うが、ともかくもこのひとたちは同朋なのである。働き詰めに働いて一定の地盤をブラジル社会につくった一世の苦難に対し、クレオールな感性を育てているに違いない二世、三世ともに思いをはせあらたな100年(1世紀)のはじまりが幸せに満ちたものであることを祈りたい。



映画は幻影である/幻影師アイゼンハイム(3)

2008-06-16 00:09:20 | コラムなこむら返し
 実は、原作の『幻覚師、アイゼンハイム』は短編である。ミルハウザーの小説はどこか古色蒼然としたヨーロッパの香りがする。会話部分がほとんどなく、骨格とそぎおとしたような地の語りのみで構成されている。カタログや美術館の図版解説のような構成の小説もあり、その博覧強記な知識もあってどこかボクにはボルヘスの純粋小説を連想させる。1943年生れのアメリカの現代作家だが、その作風もあってそのことが信じられない思いだ。1997年にはピュリッツアー賞まで受賞しているのに、本人のコメントはいたってあっさりしたものだったという。

 さて、映画の中に再現された「オレンジの木」や「幽霊肖像画」などなどは実際19世紀の高名なマジシャンだったロベール・ウーダンが得意とするイリュージョンだった。ウーダンは時計職人の家に生まれ精巧な機械仕掛けのマジックを数々うみだしたフランス人だ。ミルハウザーはウーダンの文献を調べ、アイゼンハイムのイメージに重ねていったに違いなく(アイゼンハイムは家具職人の息子だったという設定だ)、というのも近代マジックの父でもあるウーダンはそれまでのマジックを革新的に変化させ、舞台を明るくさせ、さらにフロックコートに身を包んだマジシャンのスタイルも生み出した人物なのだ。

 そのアイゼンハイムを演じたエドワード・ノートン自身も知性派俳優だが、この役づくりのためにウーダンの資料を読み、みずからもマジックを会得するまでに有名な現代イリュージョニストの指導をあおいだらしい。ノートンがこの映画の成功に貢献したことは間違いない。

 ニール・バーガー監督はミルハウザーの原作をラブストリーにしてしまったが、決してミルハウザーの世界を壊した訳ではない。むしろ、19世紀末のウィーンの再現と言い、見事に映像化したと言えるだろう。
 ボクがもっとも好きな場面は、アイゼンハイムが少年時代に旅の奇術師と巡り会う場面だ。映画全体がセピア色をしたような作品のなかでそこはまるで、幻影か夢のような場面であった。ここは原作の方から引用しておきたい。

 「アイゼンハイムが終生にわたり奇術に情熱を抱くに至ったのは、とある旅の奇術師との偶然の出会いがきっかけだったといわれる。伝説によれば、ある日学校からの帰り道、エドゥアルト少年は黒い服を着た男が一人でプラタナスの樹の下に座り込んでいるのを見かけた。男は少年を呼びとめ、物憂げに、気のないそぶりで少年の片耳から一枚のコインを取り出し、もう一枚、さらにもう一枚、と次々に取り出して、やがては片手がコインで一杯になった。と、突然、コインの山が赤い薔薇の花束に変貌した。黒服の男は赤い薔薇の中から白いビリヤード玉を引っぱり出し、今度はそれが木の笛に変わったかと思うと、やがてそれも跡かたもなく消え失せた。伝説によっては、しれとともに男自身もプラタナスの樹ともども消え失せたとするバージョンもある。」
(スティーヴン・ミルハウザー「幻影師、アイゼンハイム」白水社uブックス『バーナム博物館』所載)

 映画は魔術であり、幻影である。そのような映画の原点をこの作品は見事に描き出した。余談だが、このような事実をここに書いておこう。
 ロベール・ウーダンが建て残した劇場を引き継いだのは、他でもないジョルジュ・メリエスだったという事実だ。映画はまさしく20世紀のイリュージョン芸術だった。

『幻影師アイゼンハイム』2006年アメリカ・チェコ/(評価)★★★★

公式サイト→http://www.geneishi.jp/

Eisenheim



6/16 月裏の集い/風に吹かれて!

2008-06-15 22:17:22 | イベント告知/予告/INFO
Moon_back_66/16(月)高円寺CLUB MISSION'S
netozaoku presents
「月裏の集い」
[LIVE]
★ねたのよい ★DEEP COUNT
★鵺院 ★JACKED UP
[ポエトリーリーディング]
★フーゲツのJUN 風に吹かれて!

[DJ]
★SASAKI (from MISSION'S)

[SHOP & FOOD]
★緑の月 ★雷音堂
★サドゥーババ

open19:00/start19:30
adv./door\1000(1D込)
東京都杉並区高円寺南4-52-1
TEL 03-5888-5605
公式サイト→http://www.live-missions.com/
地図→http://www.live-missions.com/access/access.html

※ねたのよい主催フリーライブ・パーティ「ねたさい」(8月12日(火)代々木公園野外ステージ)まであと二ケ月!
13バンドと詩人1名出演決定!



映画は幻影である/幻影師アイゼンハイム(2)

2008-06-14 23:58:54 | コラムなこむら返し
 舞台は19世紀末のウィーンである。彗星のように登場してひとびとの喝采をさらったアイゼンハイムは奇術師というよりはその摩訶不思議な技で、超能力者や霊媒師に近いカリスマ的な人気を獲得し、当局から民衆扇動の危険分子として監視の対象に入っていた。そんな中、ハプスブルグ家の皇太子レオポルドが、アイゼンハイムの噂を聞きつけ、その婚約者をつれてアイゼンハイムの出演するウィーンの劇場にやってきた。アイゼンハイムの観客への協力要請に応えたのは、他ならぬ皇太子で彼はそのフィアンセを差し出したのである。舞台へ登壇したソフィをひと目見たアイゼンハイムは、その人が少年時代にその身分の差によって引き裂かれた少女の成長した姿だとすぐに分かる。そして、それはソフィにとっても同じだった。

 アイゼンハイムは皇太子の屋敷に招かれ、皇太子はそのトリックを暴いてみせると意欲充分だった。が、皇太子はアイゼンハイムの手で床に宙吊りにされたその腰の剣を(その剣を引き抜くものこそ「真の王」という故事にちなんだ奇術)引き抜くことが出来ずにもうすぐ恥をかくところだった。皇太子はその忠実な腹心であるウール警部に「奴を潰せ!」と命令を出す。
 アイゼンハイムの身を案じるソフィはアイゼンハイムをたずねる。かって少年少女時代にそうだったように二人は結ばれてしまう。そして、ソフィは昔と変わらぬ心を、ハプスブルグ家の皇太子の父の皇帝を隠居させる野心を聞き出すのである……。
 ソフィは皇太子に別れを告げるために、その狩猟の館へゆく。そこで逆鱗した皇太子の手にかかり殺されてしまうのである。アイゼンハイムはひそかに皇太子へ復讐を決意する。同じ、庶民出身のウール警部はどんなに逆らっても、王族にはかなわないとアイゼンハイムにさとすのだが……。

 まず、イリュージョニスト(illusionist)を「幻影師」と訳した試みに1票を投じよう。イリュージョンはいまやTVを通じて大人気だが、そのような事情は100年前のヨーロッパとたいして変わらなかったようである。そして、ラストシーンをハッピーエンドをほのめかすように終わらせたのには、異義がある。これは、きっと女性客用のサービスだったのだろう。
 実は、この映画には素晴らしい原作がある。スティーヴン・ミルハウザーの手によるものだ。その小説によれば、illusionistを「幻影師」と訳したのは、短編集『バーナム博物館』を翻訳した芝田元幸さんであるようだ。
 そして、ソフィとのラブストーリーは脚本も担当した監督ニール・バーガーが付け加えたものであるようだ。とてもインディペンデント系の監督とは思えないような、才覚ぶりである。

(つづく)


13金の呪いの言葉?

2008-06-13 23:59:04 | コラムなこむら返し
 今日は、13日の金曜日であった。そのせいか、電車の中で奇妙なものを見つけた。JRの電車の降車口の左右にある広告に状差しのように紙切れが差し込んであった。手描きの稚拙な文字で以下のような言葉がリストのように縦書きに書きつねられてあったのだ。

 ????????????????????????
 みだれてるな車内マナー
 ●暴力 ●大声 ●スリ ●電話 ●置引き ●痴漢 ●席二人分 ●シルバーに若造
  ↑
 人間失格だ 鬼ゴキブリだ
 ????????????????????????

 車内マナーがあまりよろしくないのは、最近、朝の殺人ラッシュに同乗することが多くて、痛切に思う。
 それに、JRは電車が遅延したり、止まるケースがとても多い。普通でも満員なのに、少しでも遅れると酷い有り様だ。その状況を改善しようと言う様子が見れないのは、怠慢だし、人権無視だ。先日など、降車口から乗ろうとした高校生が、足を取られたのかスコーンとプラットホームへ後頭部から倒れるのを目撃してしまった。危険である。こういうケースが人身事故につながる可能性がある。

 さらに、使い勝手の悪い駅、階段に集中する降車客と乗車客が流れのたまりを作ってしまい、導線が考えられていない。そうなのに、交通整理にも駅員は配置されていない。
 利用客もバックや、手提げバックに気を配っている節がない。それどころか、ヒジでグリグリと攻め立てたり、強引に割り込んでくる。一番ヒドイのは、満員で立錐の余地もないのに大きな荷物を床に置くケースだ。足をとられて転倒する場合が考えられる。さらには、キャリーと言うのだろうか? 滑車がついてカラカラと引きずって歩く乗客はもっと危ない。自分の事しか考えていないのだろう。

 状差しのような苦言を呈したメッセージから、思わず13金の呪いの言葉にまで連想してしまった。


映画は幻影である/幻影師アイゼンハイム(1)

2008-06-12 23:59:23 | コラムなこむら返し
 そもそもシネマがリュミエール兄弟の手で技術的に完成された頃(1895年)、人々にとっては映画(シネマトグラフ)それ自体はまさにイリュージョンであり、幻影の投影だった。スクリーンを前にして、正面から迫ってくる汽車に人々は歓声をあげて逃げまどった、というウソのようなホントの話が伝わるくらいである。
 また、物語性をもった娯楽映画を世界最初に製作したのは『月世界旅行』(1902年)のジョルジュ・メリエスで、彼はそもそもマジシャンだった。
 つまり、「映画」はマジックと相性がよく、そもそも映画技術自体が光と影で構成されるマジックのようなものだったと言えるだろう。シネマトグラフでヒトコマヒトコマ動き出す前に、それは幻灯機とよばれファンタスマゴリア、つまり「変幻する光景を投影する機械」と名付けられていた。

 ボクは確信している。人々が映画に何を求めているのかを!
 ひとときの娯楽、もしくは時間潰しであろうとも、暗闇の中で椅子に座った人々が求めているものは、それまでの人生で見たこともない風景であり、見たこともない光景であると……。

 少年~青年の頃、母子家庭で孤独だったボクを慰めてくれたものは、貸本マンガ(劇画)であり、音楽(ジャズ)であり、映画だった。わずかの小遣いで毎週のように映画館へ通い、ジャズ喫茶へ通った。
 映画も、音楽もボク自身にとっては表現手段とはなりえなかったが、ボクの人生を豊かなものにしてくれた。貸本マンガ(劇画)については別の機会に語ろう。

 ボクが敬愛するレイチェル・カーソンの著作『センス・オブ・ワンダー』(驚異を驚く感性)をもじって言うなら、ボクは映画によって「センス・オブ・ファントム」つまり幻影(幻覚)を見る感覚を磨いていった。スクリーンの上の幻影(幻覚)はボクを時に、タヒチに連れていっただけでなく、深い海溝に(そう、海底2万マイルほどの!)、月の冒険へ、他の天体へ連れていった。ボクの文学体験はドストエフスキーとSF(なかでもレイ・ブラッドベリー)から始まったから、ジュール・ヴェルヌはドストエフスキーと肩を並べていただけでなく、『お化け煙突』(初期劇画誌『迷路』掲載)のつげ義春や『漫画家残酷物語』の永島慎二とも同等だった。

 ボクはきっと戦後最初の「クレオールな世代」だった。

 そして、そんなボクがエンターティメントだったが、『幻影師アイゼンハイム』(2006年アメリカ・チェコ/監督・脚本ニール・バーガー)という映画を見た。

(つづく)


螢の里で深く眠る(2)

2008-06-10 01:19:09 | コラムなこむら返し
 宿泊地となった天徳寺は、ボクが樹木葬地としてお世話になり母の遺骨をヒメコブシの木の下に埋葬した寺である。実は今回、現在建築中の2階屋の方に泊らせてもらった。建築中とはいえ屋根は塩ビトタンで、ふいてあり、一部にフローリングの床材がはってあるので、電気をがまんすればどうにか泊れるのである。
 その日は、ホタルを見にいったのち、夜半から雨が降っていた。雨の音が静かに鳴り響く。まだむきだしになった無垢の木材の匂いが心地よい。
 そのような環境のせいか、こんな夢を見た。

 新鮮な空気を吸いながら、いつも都会ではこんな汚染された空気を呼吸しているとタールのような粘ついた物質が付着したフィルターをボクは見ている。まるで、汚染物質で真っ黒になった自分の肺を見つめるように……。
 エコロジーを訴えるようで、その実、空気清浄装置を売り込むようなそんなCMを見ているような複雑な気分におちいる。


 ボクら家族が泊まったその建築中の空間は、寺の裏手に当たりより樹木葬地に近い場所にある。と言うか、窓の向こうは駐車スペースをへだてれば、もう樹木葬の霊園である。母はその第1区画の場所に眠っている。そして、ボクも眠るであろう場所である。
 自分も将来、眠ることになるだろうこの地で、ボクは昏々と熟睡してしまった。

 母の遺骨を埋葬してから4年近く、奇妙な偶然からつれあいの関係する国際的なボランティア団体(NGO)と深くむすびついた天徳寺との出会いがあった訳だが、その間に家族絡みのつきあいとなった天徳寺住職一家との交流も含めてこの地はますますボクにとっては、やすらぎの場所になってゆくようである……。

 そう、ある意味では奇妙だ。ボクは、若い頃、どこか見知らぬ場所とか、異国で客死するような死に方しか考えていなかったから……もしかしたら、野ざらしになって荒野に潰えることがあっても受け入れようと思っていたはずなのに……。
 母のために受け入れた地が、ボクにとっても安息の地になりそうだというこの展開がおかしくてならない。そして、ボクは深く眠る。

 そういえば昨夜、子どもたちはある絵本を読んでいた。娘が他の子どもたちのために読み聞かせしていたのだ。小さい子たちは、娘の朗読におとなしく耳を傾けていた。
 その絵本のタイトルは、『ほたるホテル』と言うのだった。
 うん、いいタイトルだ。韻を踏んでるということだけでなく、なんだかほのかなイルミネーションに照らされたそのホテルでは、静かに安眠できそうな気がする。
 たとえ、それが永遠の眠りだったとしても……。

(おわり)


螢の里で深く眠る(1)

2008-06-08 23:59:02 | コラムなこむら返し
 土日と大原へ行った。さそわれて「ホタルまつり」を見に行ったのだ。「まつり」とは言ってもなにかがある訳ではない。国道沿いには3軒ばかりの屋台が出ていたが、それ以外には何もない。むしろ外灯もない闇の中をそぞろ歩いていくばかりだ。国道から10メートルばかり入った森の方に近づくにつれ、ほのかに輝いて飛ぶものが見えてくる。
 ホタルだ。森の脇にある水田はまだ若い稲穂で水を満々とたたえている。そこに、三日月が写っている。目をこらすと森の方で、光るものが見えた。どうやら、水田の奥の方にある木にたくさんのホタルがとまって発光をシンクロさせているらしい。淡いネオンのように光ったかと思うと暗くなるサイクルを繰り返している。ホタルはその夜に見た限りでは、例年より少ないようである。

 おそらく数十万匹といるホタルが、一本の木に鈴なりになってその光の同調リズムを多様に変えてシンクロしている神秘的な光景を見たことがある。もう、ずいぶんと前の話だが、スリランカへ行った折り、スリランカ中部の村で見た神秘的な光景だった。
 おそらく、日本で見られる源氏ボタルとは、種類も違うのかも知れないが、その光りかたはほのかなものとはいえ、数の威力で木全体がイルミネーションのように浮かび上がって見えたほどだった。
 その光りは、同調と異調を繰り返し、ウエーブを表現するように不思議な波状リズムを刻んでいた。
 ボクは、異国で心細い思いでそのホタルの群れの光のリズムに身を任せていて、それでいて催眠術にかかったようにボーッとしていたことを覚えている。

 一匹が偶然、手の平に飛び込んで来た。そっと両手でおおうと、手の平の中で淡い提灯のように点滅していた。
 ホタルは樹木葬の寺から車で5分あまりの近くにあり、そのためかよく言われるように誰かのタマシイが浮遊しているようにも思われてくるのだった。
 水田はおそらくホタルの育成、保護のために減農薬か何かを実践しているのではないかと思われた。初夏の風物詩であったホタルの群舞も、おそらく全国的には減っているはずだ。それとも、再び徐々に増え続けているのだろうか?

(つづく)


MIXIキリバン22222

2008-06-02 23:34:54 | トリビアな日々
 このブログはSNSサイトmixiの日記としても登録リンクしており、mixiでのアクセスが下記のゾロ目のキリバンを踏んだ方がいたので久しぶりにこの話題を……。

フーゲツのJUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。フーゲツのJUNさんのページ全体のアクセス数が22222アクセスを超えました。記念すべき22222アクセス目の訪問者はヌエ さんでした!

以下のURLより ヌエ さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=16868081
(5月31日付けです)
ブログ「風雅遁走!」としては通算アクセス数:123940(6/2)

 いつも、あるいは今日たまたまか、ともかくボクのブログを読んでくれてありがとう!

 そして、マイミクのヌエさん、ありがとう!


ディラン・ディラン・ディラン/参考文献など

2008-06-01 11:08:46 | アート・文化
Lonely_dylan 5月いっぱい書き綴ってきた「ディラン・ディラン・ディラン」のために参考にした文献です。長年持ち続けたものが、やっと役にたった?
 他に公共図書館、Amazon、「日本の古書店」などのネット書店が役にたってくれました。

 ●ボブ・ディラン
 ロックの時代/片岡義男・編訳/晶文社/1971
 都市音楽ノート/浜野サトル/而立書房/1972
 アウトロー・ブルース/ポール・ウィリアムス/室矢憲治・訳/晶文社/1972
 ディラン、風を歌う/マイケル・グレイ/三井徹・訳/晶文社/1973
 ボブ・ディラン全詩集/片桐ユズル・中山容・訳/晶文社/1974
 ディランにはじまる/浜野サトル/晶文社/1978
 「ユリイカ」特集・ボブ・ディラン/青土社/1980.1
 「フォーク・シティ」/ロビー・ウォリヴァー/左京久代・訳/晶文社/1990
 ボブ・ディラン瞬間の轍1 1960-1973/ポール・ウィリアムス/菅野彰子・訳/音楽之友社/1992
 ローリング・サンダー航海日誌/サム・シェパード/諏訪優・菅野彰子・訳/河出文庫/1993
 ボブ・ディラン自伝/ボブ・ディラン/菅野ヘッケル・訳/ソフトバンクパブリッシング/2005
 ディランものは他にも多数あれど目を通していない。
 アルバムのライナーノーツ

 ●ディラン・トマス
 ディラン・トマス全詩集/田中清太郎・羽矢謙一・訳/国文社/1967
 詩人の運命/J・M・ブリニン/関口篤・高島誠・訳/晶文社/1969
 ウェールズの詩人ディラン・トマス/ジョン・アーカマン/松浦直巳・訳/北星堂書店/1985
 ディラン・トマス詩集(双書・20世紀の詩人)/松田幸雄・編訳/小沢書店/1994

 ●ディランⅡ(セカンド)
 グッドバイ・ザ・ディランⅡ/歌が駆けぬけた!69?74/糸川耀史写真集/ビレッジプレス/2006復刻
 アルバムのライナーノーツなど
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