
終戦の日、いやそれはアジアの人々にとって解放の日だったから、日本人にとってはいさぎよく「敗戦」を何処までも銘記すべきだと思う。戦争は自ら止めたのではなく、止めさせられたのである。無益な侵略戦争の使い捨てられたコマでしかなかった兵士たちは「慚愧」の思いの中で、残された母を姉を妹をおさない弟、そして妻の、つまりこの国の将来がどのように築かれるのか思い悩み、心配して死んで行ったのではなかったのか(「わだつみの声」などの手記に見られる「危惧」だ)。
62年目の「敗戦」の日、8月15日「敗戦記念日」にモクモクと入道雲は沸き立ち、そこにはまるで慚愧に耐えないひとの顔の気配さえ感じられた。やがて、その沸き立った入道雲は夕陽の照り返しを受けて血のように赤く染まり、やがて夕闇に溶けて行ったのであった。
いまだ、数十万の遺骨が南の島のジャングルに、洞窟に放置されたまま迎える62年目の8月15日であった。