ヒッピー・ムーブメントはポップカルチャーやミュージックシーンとも不可分だったことがこの時代の特徴でもある。この時代のシンボル的な「女神」は、ほかでもないジャニス・ジョプリンだっただろうがヘイトアシュベリーで「アシッド・テスト」が始まった1965年には、サイケデリック(アシッド)・ロックとしてのジャンルが確立する。
「ヒッピー」ムーブメントに特徴的だったものが、コミューンとそれぞれのコミューンの「部族(TRIBE)」意識だった。この「部族意識」に大いに貢献したのが、先住民であるネイティブ・アメリカンつまりインディアンの自然の営みに深く立脚したライフ・スタイルだった。ベトナム戦争にやみくもに突入する「国家」にイヤ気がさした若者たちは、徴兵カードを焼き捨て、皮肉なことにその曾祖父や祖父たちが居留地に押し込めたインディアンの生き方に、共存共栄のピースフルなモデルを見い出す。
時代は占星術で言うところの「アクエリアス(水瓶座)の世紀」に入ろうとしていた。敏感で柔軟な若者たちは、その世界観の拠り所をアリューシャン列島づたいに1万年の旅を経て、「亀の島」に辿り着いたモンゴロイド起源の「赤人=インディアン」にもとめたのであった。
シャロン・テート殺人事件やカルト的変遷を経て至った現在のスピリチャルな世界観のルーツは「アクエリアス世代」であったこの時代にオリジンを持つだろう。
戦後の日本は、パックス・アメリカーナの絶体的な支配下にあった。アメリカが誇る物質的な豊かさは、羨望の対象であり、その電化された生活は夢のような憧れ、理想だった。敗戦後の混乱の中で、日々を食べるのが瀬一杯の貧しきアジアの一角の民だったのだ。
その、運命的な邂逅を正確に後付けすることはできないが、戦争中、出身地でもある鹿児島県出水の特攻隊基地でレーダー技手として従軍していた榊七男青年(1923年元日生まれ。終戦時22歳)は、何百人かの前途ある、優秀な若き青年たちを特攻兵として死地へ送りだし、見送った苦い体験から、戦後をあらゆる国家、権力、労働から超絶したバムとして生きることを選択し、放浪をはじめた。それは「反逆」だっただろうか? それとも「隠遁」だったのだろうか?
戦後、一時、改造社で書生のようなことをしていた七男青年が、当時のインテリゲンチャと交わりながらさらに旅に生きサカキ・ナナオになる決心をした直接の理由は分からない。だが、ボクらが最初に目にしたナナオの詩は11世紀のチベットの修行者にして超人だったミラレパの訳詩のかたちを取りながらも、実は超訳でのちのコスモポリタン、地球を故郷、自らのよって立つ<クニ>とした「放浪者」(バムにしてフーテン)の決意を伝えている。
私はミラレパ
ふりむくことなく進むもの
私は宿なし
なにごとも気にせず
なにごとも見のがさない
私は乞食
まるはだか
無一文
生活とは関係ない
ここに住みつくいわれもない
私は恐れない
死を
私は棄てる
一切を
(「若い私は心みだれ」のち詩集『地球B』に収録)
(さらにさらにさらにさらにつづく)
「ヒッピー」ムーブメントに特徴的だったものが、コミューンとそれぞれのコミューンの「部族(TRIBE)」意識だった。この「部族意識」に大いに貢献したのが、先住民であるネイティブ・アメリカンつまりインディアンの自然の営みに深く立脚したライフ・スタイルだった。ベトナム戦争にやみくもに突入する「国家」にイヤ気がさした若者たちは、徴兵カードを焼き捨て、皮肉なことにその曾祖父や祖父たちが居留地に押し込めたインディアンの生き方に、共存共栄のピースフルなモデルを見い出す。
時代は占星術で言うところの「アクエリアス(水瓶座)の世紀」に入ろうとしていた。敏感で柔軟な若者たちは、その世界観の拠り所をアリューシャン列島づたいに1万年の旅を経て、「亀の島」に辿り着いたモンゴロイド起源の「赤人=インディアン」にもとめたのであった。
シャロン・テート殺人事件やカルト的変遷を経て至った現在のスピリチャルな世界観のルーツは「アクエリアス世代」であったこの時代にオリジンを持つだろう。
戦後の日本は、パックス・アメリカーナの絶体的な支配下にあった。アメリカが誇る物質的な豊かさは、羨望の対象であり、その電化された生活は夢のような憧れ、理想だった。敗戦後の混乱の中で、日々を食べるのが瀬一杯の貧しきアジアの一角の民だったのだ。
その、運命的な邂逅を正確に後付けすることはできないが、戦争中、出身地でもある鹿児島県出水の特攻隊基地でレーダー技手として従軍していた榊七男青年(1923年元日生まれ。終戦時22歳)は、何百人かの前途ある、優秀な若き青年たちを特攻兵として死地へ送りだし、見送った苦い体験から、戦後をあらゆる国家、権力、労働から超絶したバムとして生きることを選択し、放浪をはじめた。それは「反逆」だっただろうか? それとも「隠遁」だったのだろうか?
戦後、一時、改造社で書生のようなことをしていた七男青年が、当時のインテリゲンチャと交わりながらさらに旅に生きサカキ・ナナオになる決心をした直接の理由は分からない。だが、ボクらが最初に目にしたナナオの詩は11世紀のチベットの修行者にして超人だったミラレパの訳詩のかたちを取りながらも、実は超訳でのちのコスモポリタン、地球を故郷、自らのよって立つ<クニ>とした「放浪者」(バムにしてフーテン)の決意を伝えている。
私はミラレパ
ふりむくことなく進むもの
私は宿なし
なにごとも気にせず
なにごとも見のがさない
私は乞食
まるはだか
無一文
生活とは関係ない
ここに住みつくいわれもない
私は恐れない
死を
私は棄てる
一切を
(「若い私は心みだれ」のち詩集『地球B』に収録)
(さらにさらにさらにさらにつづく)