風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

チェ・ゲバラによる「タニアのうた」

2009-01-31 23:58:32 | コラムなこむら返し
Che_39_cinema なんとも待ち切れない気持ちで、ロードショー公開初日のスティーヴン・ソダーバーグ監督の『CHE』二部作パート2『チェ39歳別れの手紙』を見に行く。
 映画の感想は後日書きたいが、映画の中にタニアとドブレが登場する。ドブレとは、レジス・ドブレのことで、彼はサルトルなどのフランス知識人をはじめとする知識人とゲバラそしてボリビア人民解放軍との橋渡しをした人物である。ドブレが書いた『革命の中の革命』によってラテン・アメリカの解放闘争そしてチェ・ゲバラの存在は世界に知れ渡ることとなった。もちろん、ゲバラを20世紀のイコンに持ち上げたのはコルダの撮ったあの有名な肖像写真だろうが、1966年頃から燎原の炎のように世界中に燃え広がった若者たちによる叛乱はベトナム人民の闘いとともに少人数でジャングルや山岳地帯で、ゲリラ戦を展開するゲバラのラテン・アメリカ解放闘争などによってはげまされた。その闘いのシンクロニシティがゲバラを世界的な規模(いまななら「ワールドワイドな」と使うだろう)で、「時代の顔」にした。ゲバラの存在、ラテナメリカでの英雄的な闘い??その事実を知らしめたのがドブレだったと言うわけである。

 もうひとりタニアはドイツ系アルゼンチン人で数年前から地下工作員としてゲリラ活動の受け入れ準備などをになっていた女性である。ゲバラと合流し、ゲリラの一員となって映画で描かれるように待ち伏せにあつて政府軍に殺された当時、ゲバラの愛人説や口さがないウワサが飛びかった。
 タニアのひととなりの真実を伝えるために追悼文集が死後編纂された。翻訳もされた。そして、その中にゲバラによるタニアの追悼詩が掲載された。
 一昨年、ボクが主催する「E.G.P.P.」で「ゲバラ」をテーマとした時(07年10月/Step75)、冒頭にリィディングした詩である。この機会にボクらがタニアを思い出す(はじめてのひとには知らせる)意味でも掲載しておくのも意味があることではないだろうか?
(明日に続きます!)

(写真は映画『CHE』part2より)


ホームレスのうた

2009-01-27 23:40:37 | コラムなこむら返し
 その新聞の投稿欄には名前と、居住地が掲載される。そこに今年になって(高崎市)でも(佐世保市)でも(アメリカ)でもなく、(ホームレス)つまり「住所不定」と自ら名乗る投稿者が現れた。最初は1月19日付け朝刊に、選者二名に選ばれて星印がついて掲載された。

 ☆日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る (ホームレス)公田耕一
 (選)佐々木幸綱・高野公彦

 ホームレスの新参者としてダンボールハウス村に仲間入りした隣人は、日産の自動車工場をリストラされた日系ブラジル人だった。
 暗い世相を最底辺から見据えた歌だ。なんの飾りもなく素直に自分の身辺を歌ったのだろうが、まさしく現在という世相が、この歌をアクチュアルな秀歌にした。おそらく、この「リストラ」は派遣切りか、期間労働者のクビなのだろう。「流れ来たる」と「隣りて」が、ホームレスや、浮浪者を簡単に生み出すセーフティネット??つまり貧困化した時、救済処置のほとんどないこの国の政治、政策の貧困さを表わしている。

 そう、この投稿欄とは、朝日新聞の「朝日歌壇」であり、毎週月曜日の朝刊に掲載されているものである。そもそも、そんなに毎週目を通すほどの熱心さもっている訳ではないが、坂口弘が投稿しなくなって関心が薄くなった頃に、(アメリカ)の刑務所から投稿し、毎週のように軽視されていた郷隼人が登場してからまた興味が涌いてきていた。
 郷隼人は、最近ではこんなうたをうたっている。

 YOYOMA(ヨーヨーマ)を聴きてしみじみ回顧する<懲罰棟>投獄一周年記念日 (アメリカ)郷隼人
 (選)高野公彦

 繰り返し<TORA・TORA・TORA>を放映す獄中ケーブルはDEC・7(デっセンバー・セブン)に (アメリカ)郷隼人
 (選)馬場あき子

 (ホームレス)公田耕一さんは、なんと次週にも三人の選者に選ばれて掲載された。26日付けだ。

 ☆親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす (ホームレス)公田耕一
 (選)佐々木幸綱・高野公彦・永田和宏

 「親不孝通り」は、たとえば現実には博多などにあるが、それは若者が集まる繁華街の別称だろう。作者は身寄りも家族もいないホームレスとして若者の街の路上で放心している。

 投稿するためにはハガキを買わなければならない。少なくとも週一回は新聞も買わなければならないかも知れない。食にもこと欠くホームレスの立場では大変な出資かもしれない。しかし、それは(ホームレス)公田耕一さんにとってはドキドキするような生きることの、生き延びてあることの喜び、希望のような時間なのだろうと推測する。
 これからも、秀歌を期待しています。きっと、このボクのブログなど読むことがないだろう(ホームレス)公田耕一さん!



オバマ新大統領就任演説に思う

2009-01-21 14:30:34 | コラムなこむら返し
Obamapresident_oath 現地時間1月20日正午すぎ、日本時間21日午前2時5分、第44代アメリカ大統領としてバラク・フセイン・オバマ氏の宣誓式が始まった。右手をあげたオバマ氏が左手を置く聖書は148年前リンカーンが大統領就任式で使用した聖書で、アフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫であるミシェル夫人が掲げ持つ。引用した写真で見られるように赤革の小さな聖書で、かなりボロボロのように見える。歴史的にも貴重なこの聖書はオバマ氏のリクエストだったようで、ミシェル夫人が宣誓式会場へ入場する時から、終始大事後生に持っていた。アメリカ史上初のアフリカン・アメリカンの大統領が就任するこの歴史的瞬間に立ち合おうと人口60万のワシントンに、黒人を中心に200万以上の民衆がつめかけた。議事堂前は熱狂に包まれ、アメリカ国民のみならず、全世界が注視する就任式だった。
 その中で、むしろオバマ氏ひとりが冷静なように見えた。名スピーカーとしても、その演説のうまさでも注目されるオバマ氏だが、民衆の熱狂に水を差すような沈着冷静な就任演説だったと思う。

 むしろ、その19分におよんだ演説は「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国に何をなしえるかを考えよう」と訴えたJ・F・ケネディの就任演説に近いものがあったと思う。そう言えば、オバマ氏をブラック・ケネディと呼ぶジャーナリストもいる。アフリカ系の有色大統領にリベラルな改革を期待するところからきているのだろう。
 オバマ新大統領の就任演説は、むしろ「わたし(大統領)が何をしてくれるかではなく、あなた自身がなにごとかをしよう。そのことによって、このアメリカを作り直そう」と国民を鼓舞するものだった。大統領が独裁者のように権力をたてかざし世界を支配するのではなく、民主主義の先進国としての役割を果たすべくこの苦難を乗り越え、世界に貢献しようと言う、至極まっとうなスピーチだったと思う。

 日本では演説草稿は官僚が作るらしい。アメリカではスピーチ・ライターというプロがいる。ブッシュが演説で使った「悪の枢軸」という言い方も、スピーチ・ライターが考え付いたいわばコピーライトだった。そのことによって、戦火は拡大し、アメリカは国際的協調を二の次にして戦争モードに突入した。スピーチ・ライターの役割はかくも大きくなってしまった。つたえ聞くところによれば、就任演説のほとんどをオバマ新大統領は自分で書いたという。もちろん、スピーチ・ライターとの合作という前提の上でだ。
 アメリカ国民のみならず、全世界を意識してある意味、原点還りをしたかのような演説で新大統領が訴えたかったことは、民主的国家の主人公はわたし(大統領)ではなくわたしを含む国民ひとりひとりだし、その発意、努力、働き、貢献が国を大きくし、アメリカを立ち直らせる力となるのだと言うことだっただろう。そして、そのことを「冷笑の政治」から、「希望の政治」にすることだと言いたかったのだろう。

(写真はMSNのニュース配信より引用。オバマ新大統領の宣誓式の場面)


チェ/28歳の革命

2009-01-18 23:59:44 | コラムなこむら返し
28_che_cinema スティーヴン・ソダーバーグ監督による2部作のチェ・ゲバラ伝、その第1部を見る。いみじくも東大安田講堂に立て籠った全共闘と機動隊との攻防戦から丁度40年目の日。あの時代を生きたもののひとりとしてなにがしかの感慨をおぼえずにはいられないが、このソダーバーグ監督作品のような昔なら「反米」プロバガンダと目される映画がアメリカ資本で堂々と作られることの時間の経過にまず驚かされる(映画はスペイン・フランス・アメリカの合作)。チェが殺された1967年という年も、安田講堂が陥落した1969年という年も、もはや歴史的時間のひとつにすぎないのだろうか?

 映画に進行する時間は、リアルである。まるで、「武装闘争」というものが森の中の行軍、ゲリラ闘争そして都市部での白兵戦のことであると言わんばかりに迫って来る。この第1部ではメキシコでのカストロとの出会い、グランマ号によるキューバ上陸、首都ハバナへ向かうゲリラ戦、サンタクララ近郊での列車転覆事件、首都ハバナへの進攻といったキューバ革命のプロセスを時系列にしたがって再現している。
 『セックスと嘘とビデオテープ』でデビューしたソダーバーグ監督(他に『KFKA/迷宮の悪夢』『ソラリス』など)の包丁捌きの手腕の成功は、この20世紀最大のイコンにまでなりおうせた革命家の英雄的な生涯を描くのにひとつのインタビューに注目したところにあるだろう。そのインタビューはキューバを牛耳る軍事独裁政権バティスタを打倒すべくメキシコに潜伏中だったフィデル・カストロとアルゼンチン出身の医師であったゲバラ青年が出会い意気投合して一昼夜を語り明かした1955年7月から数えて9年後、キューバ革命が成就したハバナでアメリカ人女性のTVジャーナリストであるリサ・ハワードの手で行われたインタビューである。
 そのインタビューの中で、いまや革命政権の大臣となっていたゲバラは真摯に答えている。キューバ革命は中南米におけるアメリカ支配から抜け出す民族自立の革命の第一歩なのだ、と。
 そして、その映画の冒頭におかれたリサ・ハワードのインタビューはおそらく第2部で展開するコンゴ、ボリビアへゲバラが転戦してゆく伏線になっているし、これはソダーバーグ監督の作品をはみだすが、青年ゲバラを描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』で24歳の若きゲバラがアマゾンのハンセン病(いわゆる「らい病」)病院を去る時に別れの挨拶で述べる若々しい決心??汎ラテンアメリカ主義とでも言うべきインディオを含めたラテンアメリカ(中南米)はひとつであるという理想に呼応するものなのだ。

 よく出来ている、それに銃弾の飛び交う戦闘シーンなどリアルである。しかし、これをエンターティメントを期待して見に行った観客はガッカリするだろう。なんの予備知識も無しに見に行けるような作品ではない。そのことは注意喚起しておきたい(そのためか、映画のはじまりに配給会社がつけた余計なゲバラ説明クレジットがでる)。だが、その上でも「異義なし!」と叫びたい!
 この映画に、キューバの民衆は熱狂しフロリダを中心に住む旧キューバ人は抗議のデモをしたと聞く。さもありなん。
 ラストのクレジットで流されるチェを称えるキューバ音楽がいい。「チェ・コマンダンテ(Che Comandante)」をしのぐ傑作かもしれない。そう、それからゲバラを演じたベニチオ・デル・トロの成りきりぶりに拍手を送る!

(写真は映画の紹介サイトより引用)

 スティーヴン・ソダーバーグ監督作品/ベニチオ・デル・トロ主演(08年カンヌ国際映画祭主演男優賞)/2008年スペイン・アメリカ・フランス映画 評価(★★★★)
 公式サイト→http://che.gyao.jp/




レオナール・フジタ展/没後40年

2009-01-15 23:59:57 | アート・文化
 小正月の15日、上野へ出、「上野の森美術館」で開催中の『レオナール・フジタ展』を見に行く。今回の目玉は修復なった幻の群像大作「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」が一同に介しての最後の日本展だろうと言うもの。作品は知られていたが、実物は1992年にある倉庫からキャンバスが巻かれたまま発見されたと言う。
 それを含めて今回は、初期のフジタとフランスに帰化して洗礼を受けキリスト者となったレオナール・フジタとなったあたりにスポットがあたっている。だから、フジタの生涯を通しての回顧展ではないので、フジタが「皇国の画家」として従軍までして戦争画を描いた頃の、フジタのことはきれいさっぱり捨て去られている。この展覧会だけでフジタのすべてを語ろうと言うのはやめたほうがいい。
 とはいえ、フジタは戦後あたかも戦争讃歌の絵を描いた責任をひとりで負わされる。このような仕打ちが、フジタが日本を捨て、フランスに帰化する要因となる。レオナール・フジタが誕生する。
 乳白色の肌の裸婦像でエコール・ド・パリの仲間入りを果たしたフジタは、輪郭描写に面相筆を用いるなど、洋画に日本画的な技法を用いた。繊細な線描表現がフジタの持ち味だと思われる。
 そのためか、晩年ランスの「平和の聖母礼拝堂」の壁面を飾るフレスコ画、ステンドグラスなどの制作に熱中したフジタの表現は、フレスコ画ゆえに手早く描かなければならないという特質もあって、緻密なデッサンを重ねることによって構想を練りながらも、その表現はどこか「劇画」のようだったり、イラストレーションのようなものに近く見える。「黙示録」やフジタのイメージの中にある「子ども」を描いた作品が一番それを表わしているだろう。

上野の森美術館は1月18日(日)まで、その後福岡市美術館(2/22~4/19)、せんだいメディアテーク(4/26~6/7)へ巡回。

上野の森美術館・公式サイト→http://www.fujita-ueno.jp/

この展覧会全体の公式サイト→http://leonardfoujita.jp/


ガザに盲いて/戦闘の即時停戦を!

2009-01-15 02:41:35 | コラムなこむら返し
 昨年末の27日から始まったイスラエルによるパレスチナ自治区のガザ地区への攻撃は、多数の非戦闘員とりわけ罪なき子どもたちの犠牲をうみ、この悲劇に世界中の非難が集まっている(先週日本でも即時停戦を求めるパレードが行われた)。7日の朝日新聞に掲載された写真は、傷つき虚ろな目付きのわが子を病院に担ぎ込む泣き叫びそうに必死な父親の姿を写したものだった。
 その写真はある記憶を呼び覚ました。1999年のNATO軍によるコソボ空爆の時の写真である。虚ろげな眼差しの父親に連れられた難民の親子の写真だった。空爆はどんなにピンポイント爆撃の精度や、テクノロジーを誇ろうとも名もなき非戦闘員、一般市民の犠牲と悲劇を生み出す。「民間人は標的にしていない」という声明は実に馬鹿げたものだ。標的にはしていないが、やむなく巻き添えにしていると言いたいのだろうか?
 だが、イスラエルにテロ集団呼ばわりされているガザ地区を支配するハマス側もまた民衆、一般市民を意図的に「人間の楯」にし、優位に交渉をすすめる材料としてこの悲劇を世界に訴えている側面もある。休戦の合間に無数の隊道トンネルを掘り進め、そこから武器弾薬を運び込んだとイスラエルに非難されているのである。

 それにしてもイスラエル側から打ち込まれる弾薬はまるで、雨のようにすき間なく降り注ぐ映像で見ても恐怖を覚えるような量である。ガザ地区の数10メートル間隔で同時に噴煙が上がる。かってホロコーストで民族浄化、ジェノサイドの憂き目にあったイスラエルは、いまやガザ地区の皆殺しに取りかかっているのか、とまで思わせる。
 フランスのサルコジ大統領の調停失敗のあと乗り出したエジプトの取りなしで、戦闘は停戦合意のテーブルにつきそうだ。とはいえ、イスラエルはハマスを代表と認めていないため同席して調印するわけではない。武器の主な持ち込み先だとみられるエジプトになんらかの条件をつけて停戦する模様のようだ。ハマス側はエジプトの提案する国際監視団の受け入れを了解するかわりに、イスラエルは攻撃を停止するという条件をのんで停戦する見込みのようだ。一刻も早い停戦合意の成立を望む。

 さて、「ガザに盲いて」とはオルダス・ハックスリーの中期の小説のタイトルである。このタイトルを借用したのは他でもない複雑な中東状況を見事に表わしている言葉のようにボクには思えるからである。パレスチナはパレスチナ統一政府をつくっていたPLO(パレスチナ解放機構)主流派とハマスとの二重権力状態にあるからである。パレスチナとりわけガザの平和を考えることは、盲いてしまうほどの袋小路のようなものかもしれないとさえ思う。
 有無を言わさぬ居直りから始まったとしか思えないシオニストによるイスラエル建国の既成事実化などの歴史をかんがみても「ガザに盲いて」しまう。神は(この場合お二人いらっしゃる。ユダヤの神と、アラーの神である)この事態を外から傍観するものに、目くらましの罰を与えてでもいるのだろうか?


をのこ、こつじきにあふこと。

2009-01-13 14:14:49 | コラムなこむら返し
 やはり厳しい冬の時代なのか、11日、所用で行った高円寺のPAL商店街のなかほどで乞食(こつじき)さんを見かけた。冷たい鋪道に直に座り、フード付きの上衣をまぶかにかぶって土下座している。目の前には敷物のうえに置かれたザルがあった。小銭が数枚入っていただろうか? このひとがどうのという話では一切ないが、街から乞食さんの姿を見かけなくなって久しかった。
 ホームレスのひとはいる。現在、派遣切りの救済が叫ばれているが、それは現在ホームレスをしているひとを救済するという話ではない。派遣労働者が職を失うことによって寮から追い出され、街にホームレスがあふれることを「政治の問題」として憂慮するという「貧困化」を政治テーマとした運動であるとも言えるかも知れない。だから、それは日比谷公園が選ばれた。新宿西口公園や上野公園でもなく、山谷の玉姫公園でもなかった。「寄せ場」の越冬闘争はおかげで話題にもならなかった。

 国中が「寄せ場」化しているのが、現在の「貧困化」の実体ではないのか?
 「寄せ場」の周辺にだけ存在した「簡易宿泊所(ドヤ)」は、いまやネット・カフェが代用している。繁華街や駅の近くにあるネット・カフェは「寄せ場」に存在する既成権益の縄張りが存在しない。その上、若い女性もカップルも利用して寂しさがまぎれる。シャワーもTVもあって飲み物は飲み放題、お湯もあれば安いジャンクフードも食べられる。それに、少々ファッショブルだ。好きなAV女優のファックシーンも見れればティシュもある(笑)。

 2年前の正月から朝日新聞系列は、新聞、雑誌、TVなどのメディアを総動員して「失われた10年世代=ロスジェネ」キャンペーンを展開した。その執拗な一年余にわたるキャンペーンの結果、そのことば「ロスジェネ」(ボクは当初からこのヘミングウェイなどを代表とする「失われた世代」を指すことばを使うことに反対した)が社会に定着したと思われた矢先に今度は「失われた百年」がやってきてしまったようだ。

 このごろ、なんだか頭の中をゴウゴウと風が吹いているのだ。そう、ボクの頭の中ではそこは安達ケ原のススキ野なのだ。遠く都は戦乱で焼け落ち、残った廃墟のような寺社には野党が住みつき、奇怪なる鬼が出ると噂されている。

 むかし、をのこ(男子)ありける。のこのこと所用で都へ出て行つたをのこは、洛外のにぎやかなる市(いち)の中で、ひとりのこつじき(乞食)に逢いたる。をのここつじきの背後に広がる闇に鬼の住まうカルカツタの無数の乞食の子どもたち、非可触の路上生活者の姿を見たりと申すなり。あなあやしきことよ。



糞尿譚~~糞と小便を希望とせよ!

2009-01-09 14:12:05 | コラムなこむら返し
 ついに一昨晩のE.G.P.P.の席で喋ってしまった。ボクの現在の非正規労働の中味を……。いつかブログで明かさねばなるまいと思っていた事である。来月、欠席せねばならなくなったボクがビデオレターのメッセージとして録画して残しておいたのである。

 ボクは現在、日々、ひともうらやむような仕事についている。それを言ったら、とりわけスウィーツなものを思い浮かべて若い女性には羨ましがられるかも知れない。まあ、素敵! とでも言われるかも知れない。昨晩、最初にそう言ったとき、そういう声が出た。
 ボクは、日々ケーキカットをしている。うらやましいだろうか? そいつは、ウエディング・ケーキよりも横幅がある。しかし、若干の厚みはあるもののお城のように高く積み上げられたケーキではない。幅はそう10メートル近くもあるだろうか。そいつがロールケーキのように巻かれて出てくる。そこを横断して60~100センチ幅くらいにカットしてゆくのである。カットされたケーキはベルトコンベヤーにのって運ばれてゆく。
 さて、このケーキを生産しているのは誰れあろう。あなたたちなのだ。あなたもボクもが、日々生産しているものが原材料なのである。きっと正月休みものべつまくなし食い続けた結果としてひとが生産し続けるもの、糞尿が材料なのだ。高級フランス料理も、おせち料理も、ジャンクフードも結果としては同じようなものだ。違うのは消化の過程で摂取される栄養量や、健康度や、エネルギー量くらいだろう。
 そう、ボクが切っているケーキとは、ケーキはケーキでも汚泥ケーキなのである!
 つまり下水道を通じて処理場に運ばれてきた糞尿、汚水の類いは沈砂池、沈澱池を通過し、曝気槽(エアレーション)を通過してバクテリアに食わせて次第に浄化して、最終的に消毒して川に放流するのだが、その過程で有機物を含んだ汚泥が沈澱し、引き抜かれて先に述べた巨大なドラム(中が真空になる)の上を回転しているろ布に巻かれて伸ばされた板のような状態で出てくる。もちろん、そのままでは固まらないから汚泥に消石灰、塩化第二鉄を加えて撹拌し水分を吸収するとケーキのような状態になる。それはカットされ、粉砕されて焼却処分や、堆肥や、最近ではレンガのようなものを作る材料にされている。

 その一工程の単純作業、それがボクがいまやっているひともうらやむケーキカットなのである(笑)。当初、これはまことにボクにふさわしい非正規労働の糞尿譚だと思っていた。しかし、これは流域の水や衛生状態を底辺から支えているライフラインのひとつなのだと思い直した。復活した玉川上水の放流水もこの処理水だし、東京都の河川がドブ川だった60年代、70年代から奇跡のように回復したのもBOD(生物化学的酸素要求量)基準値や、放流水の透明度が高い都条例による(一般に水中に溶け込んだ酸素が少なくなれば、水生生物が生存できなくなり、悪臭が発生し水が腐る)。
 おそらく偶然についたとはいえ、このワークはボクがこれまでやってきた口に糊する仕事の中で一番ひとさまのお役にたつ仕事かも知れない。ましてや、水や河川の環境回復の役にたつのだ。単純かつ肉体労働だが非正規労働者のひとりとして、ボクは糞と小便を希望としよう! 糞や小便でできた汚泥ケーキをカットすることが、ボクに食事と住まいを与え、家族を養うことなのだから、糞と小便を希望とせよ! クソ!


北村想『怪人二十面相・伝』と共同幻想

2009-01-05 13:20:42 | コラムなこむら返し
 映画『K-20 怪人二十面相・伝』の原作となった北村想『怪人二十面相・伝』本編・Part2を大急ぎで読み終わった。原作の設定は、時系列は歴史的時間のまま、ただそこに江戸川乱歩の虚構の時間が事実として重ねられるという展開で進行する(だから「If」の設定は脚本も書いた監督佐藤嗣麻子のオリジナルだった訳だ。)。ただ、二十面相は二代目で継承されるところは映画も同じだが(ただし悪の権化・犯罪者から貧乏人とりわけスラムの子どもたちに食糧を配る「ねずみ小僧」のような「義賊」として描かれる)、原作ではなんと名探偵・明智小五郎、小林少年までもが襲名継承される(映画での初代の正体はネタバレになるので控えておく)。

 ところで、第2部まで読み終わる寸前、昨晩、ETVで老いた吉本隆明の公演模様を特集していたが(「吉本隆明語る」)、このごう慢さだけが取り柄の「思想家」(ただし、その初期詩編はボクは大好きで認める)は御年83歳になられたようだ。腰は曲がり、車椅子で登壇なさった。語り口はややおぼつかないものの、頭はまだまだ確かなようだ。
 ただ、この60年安保世代の大思想家が言わんとする「芸術言語論」なるものが、さっぱり分からなかった。「ボク(吉本)のことばで言えば「自己表出」と「指示表出」」と講演の中で吉本は幾度も使ったがこの概念だけで、吉本が考える言語学のモデルが見えてこなかった。『言語にとって美とはなにか』を書いた吉本は(そもそもは同人誌『試行』に連載された)ほとんど同時代的なシンクロニシティで言語学をその基本的モデルとしたフランス構造主義と共鳴しあったと思うが、それは詩人的直観と分析によるもので決して体系化されなかった。吉本信奉者だけが、金科玉条のように吉本理論を吉本に成り変わって「リュウメイによれば……」と口角泡を飛ばして語るだけだったのだ。吉本理論なるものは、吉本隆明を「共同幻想」とする符号にすぎなかったのではないか?
 だから、その意味吉本隆明は60年代のあらたな小林秀雄にすぎなかったとボクは思う。

 さて、なぜ北村想作『怪人二十面相・伝』の感想の中で、吉本隆明が語られるのであろうか?
 これまたシンクロニシティのひとつと、ボクが気がついたのはなんと大思想家・吉本隆明と怪人二十面相の初代遠藤丈吉の設定年齢がほぼ同じなのである。

 「平成二十年現在、<彼>は八十二歳。在命中」

 北村想の「怪人二十面相」は、劇団の主宰者でもあった北村の劇的想像力で江戸川乱歩が創作した「二十面相」を現実に生きた「伝記」として書いたおそらく乱歩へのリスペクト作品だ。「二十面相」のその犯罪手法がルパンなどにも共通する「劇場犯罪」ゆえに劇的想像力をかきたてられたのに違いない。
 だから「帝都の貧民窟」は、原作小説では焼跡闇市であり、泥棒長屋であり戦争孤児の住まう上野(ノガミ)だ。

 もうふたつ共通的がある。
 そのひとつは、吉本の講演、北村の小説ともに太宰治に言及されている事だ。2009年あらためて太宰治がブレイクしそうだが、北村想の『怪人二十面相・伝』に太宰が登場するとは思いがけなかった。それも、二代目二十面相遠藤平吉と袖摺りあうのである。

 最後の共通点は、「表現」(吉本の言葉で「自己表出」)という点である。
 「二十面相」つまり「丈吉?平吉」の「劇場犯罪」は、「自己表出」のための犯罪である。

 「泥棒は生計のためにモノを盗む。余は表現するためにこれをする。泥棒を芸術にするを怪盗という」(初代・二十面相丈吉のノート)

 とすれば、吉本隆明は充分に戦後を代表する「怪人」思想家だったと言えるかも知れない。

北村想『怪人二十面相・伝』本編   小学館文庫 2008.09 (★★★)
北村想『怪人二十面相・伝』Part2  小学館文庫 2008.10 (★★1/2)


美しき三箇日/2009年の希望を構想する。

2009-01-04 00:58:47 | コラムなこむら返し
New_morning_09 素晴らしい三箇日の天候に恵まれた2009年の年明けだった。もちろん、それは東日本に限られた恵みだったかもしれない。北の国では雪と吹雪で明けたのかもしれない。しかし、ネィティヴ・アメリカンなら「インディアン・サマー」と呼ぶだろう素晴らしく晴れ渡った新年の(少なくとも関東地方の)三日間は、幸福感さえ与えてくれた。
 おそらく多くの人が生活防衛のため近所や、自宅で過ごしたに違いない新しい年の正月。何はなくとも、この恵みの太陽そして晴れ渡った冬の空は車と人口の少なくなった一年の中の何日間か東京が美しく感じられる環境を演出した。

 ああ、そうとも! 金はなくとも美しき日々を!
 貧困の渦中にいる境遇ほど、この厳しい冬の天候の恵みこそを心の底から感謝し、そして感じ入る事だろう。ボクらはアジアの旅で、その貧乏旅行の渦中で、貧しき人々こそその笑顔は屈託なく明るかったことを知ったはずだ。

 かってこの国でも、貧しく肩寄せあって生きていた下町では、鍵も掛けなかったし、他者を思いあっていた。落語で知る庶民の長屋暮らしは、まさにシェアしながら笑いあって生きている。人生を楽しんでいるのだ。ボクが少年時代を過ごした昭和30年代はまさしくそのような世界だった。
 そうだ! 物質文明に目くらまされていたボクらが、真の豊かさに目覚めるチャンスなのだ。この貧困化社会をこそをこころの豊かさのチャンスとしよう。
 規制緩和もナンセンスなら、なんでも国家、政府の対策に頼るのもナンセンスなのだ。自力で自らの運命を切り開き、助けあいながら自立するそんな他力と自力が調和する社会をこそ作ろう。
 地域の中で、助け合い、シェアしあうことを主力においた生活圏を主体的に構築するあらたなコンミューン構想がいま求められていると思う。

 立ちあがれ! 民よ!



帝都の貧困・貧困の帝都

2009-01-02 23:58:26 | コラムなこむら返し
Jan2_09_sunset 元日から非正規労働だった。で、明けの2日、原作を読み切るのももどかしく『K-20/怪人二十面相・伝』を見に行く。初めて行ったイオンモールの3階にあるシネマコンプレックス??まるで消費がテーマパークのように祝祭化され、はなやかだがウソラ寒い「消費者は神様」「消費は善」の価値観を押し付けるバベルの塔の一画のようだった。
 そして、映画でも怪人二十面相が狙うターゲットは、ブリューゲルの描いた「バベルの塔」。どうやら、その絵には、フランク・ステラ(実在したマッド・サイエンシスト)ならぬテスラ装置という兵器にもなるエネルギー伝送装置の秘密 が隠されているらしい。

 と、ストリーを追うのは本題ではない。この作品は「if」、つまり米英連合軍側と帝国陸海軍が平和条約を締結し、大平洋戦争が回避されたという「もし」の上に成り立った「1949年の帝都」が舞台になっている。
 つまり、東京空襲はなく明治大正以来の消失していない古い街並がおおいつくす「帝都」が舞台であり、そこに江戸川乱歩の「怪人二十面相」と「明智小五郎と少年探偵団」が登場し、そのお決まりの対決にあらたなキャラクターであるサーカス芸人遠藤平吉(金城武)が加わる。
 『ALL WAYS/三丁目の夕日』の制作プロダクションとスタッフが作り上げた「帝都」は、『ブレードランナー』の都市と上海と昭和30年代の東京がゴチャまぜになったようなリアルさに欠けたものだが、この映画でリアルな舞台がただひとつある。それは、帝都の中に押し込められた最底辺の「貧民」が住むスラムのような貧民街だ。

 かって明治時代に帝都東京に四大スラム街が形成された。鮫ケ橋、万年町、新網町、新宿南町である。それを当時ジャーナリスト精神で果敢にルポルタージュしたものが『日本の下層社会』(横山源之助)、『最暗黒の東京』(松原岩五郎)などである。それらの迫真のルポルタージュが映画の参考にされたかどうか、わからぬが、「帝都の貧困」がスクリーンの上に映写されるそこは、マイカーがぎっしりと駐車したまるで幻影のような消費社会の郊外型テーマパークであるイオンモールだったのだ。

 正月中も、貧困ネットワークによる炊き出し、住宅支援、相談などの窓口を開いて現代の「帝都」のど真ん中、日比谷公園で支援活動が行われている。「帝都の貧困」は映画の中だけの話ではない。

『K-20/怪人二十面相・伝』(脚本・監督)佐藤嗣麻子 (出演)金城武、松たか子、鹿賀丈史、仲村トオル 2008年 日本映画(東宝):評価(★★★)


元日評論/太陽と希望

2009-01-01 14:34:38 | コラムなこむら返し
 すばらしい新年元日の太陽だ。初日の出も素晴らしかったのではないだろうか?
 家もなく寒空の下、凍えて眠れない夜を過ごした時、あさぼらけから徐々に昇ってくる太陽は、身も心も解凍してゆくようで凍えた身体に沁み通る熱に感謝しながらいつの間にか眠っていた??という体験がある。旅の渦中で、いや、かって十代の日々を過ごした新宿の公園で……。
 せせっこましい人間どもの、チマチマした経済活動が、100年に一度の大恐慌に陥ろうと太陽は、なんの変わりもなくそこに在り、この世を、とりもなおさず地球環境を支え、天上に照り輝いている。物質的実存のその基本原理をいにしえのひとびとは「五大元素」として考えたが、「空」と「地」は物質的存在の根本の前提である(東洋では「空(天)」「地(土)」「火」「水」「風」。西洋では「空気(風)」「土(地)」「火」「水」「エーテル(空もしくは天)」)。

 真の「希望の原理」とは、古代的認識の「五大」であり、心身ともを支配する根本原理ではないだろうか?
 まさしく、「色即是空 空即是色」(摩訶般若心経)である。

 とはいえ、その根本原理も永劫不変ではありはしない。生命に生死があるように、宇宙規模での星の生成と消滅はいまこの時も、はるか何千万光年先の天体では存在する。そのことを地球上に住むボクらに知らされるのは、今日のこの瞬間の光がとどく何千万年あとであるのだけれど……。

 そのことが何を意味するのかボクらには、まだよく分からないらしいのだが、昨年来太陽の黒点(太陽フレア)の活動が不活発であるらしい。このわたしたちの太陽系の中心であまたの光を発生させ、エネルギーを降り注いでいる太陽に老いが忍び寄っているのか、太陽内部でのなんらかの変化があるのか、経過観察がされているだけのようだがわたしたちの太陽とそして、この母なる地球の健康を祈りたい。
 傍若無人だが、無力なわたしたちに祈る事以外の何ができるだろうか?

  2009年初春 元日