風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

62年目のヒロシマに

2007-08-06 23:27:13 | コラムなこむら返し
 ヒロシマは今日、62年目の「原爆の日」を迎えた。8月6日午前8時15分、しめやかな黙祷とともに平和記念式(慰霊式および平和祈念式)が平和記念公園で行われた。それをTVでボクは見ていたのだが、広島市長の平和宣言、そして子ども代表の市内の小学6年生の男の子と女の子の被爆の歴史を語り継いでゆくという誓いの言葉に感動した。とりわけ市長の平和宣言の中で、「我が国の平和憲法を尊守し、アメリカの時代遅れで誤った政策には付いてゆくべきではない」とはっきり言った言葉に勇気と希望を感じた。
 だが、この国の「内閣総理大臣」と名乗る男は、明解な口調を失ってしまったかのようになにが言いたいのかわからない口調で非核三原則の堅持を述べるだけだった。

 この国ではかって左翼と呼ばれた人物が、まるで憑物が落ちたように、いやそうではない、憑物が憑いたかのように核武装論までブチあげはじめている。自主憲法制定、核武装を主張とした政党が、先日の参議院選挙には比例区から立候補し、幸いにして泡沫として終わったが、その政党を極右ともファッショとも弾劾する声は、一向に聞かなかった。それとも、無視するに如(し)くはないと会得していたのだろうか?
 しかし何と言うことはない、この政党は安倍首相が胸の奥で秘かに画策していたことを(それが、祖父の亡霊の遺志を継ぐことだと固く思い込んでいるために)先取りしてみせたにすぎなかった。この泡沫政党はもちろん、祖父の亡霊に操られるシラケの首相にも国民の鉄槌が下ったのが今回の選挙結果だった。

 安倍首相の歯切れの悪いハグらかすもの言いは、ますます最悪となり、仮面をかぶったかのように表情は乏しくなり、内面の動揺を覆い隠す鉄面皮となりつつあるようだ。それは、権力に固執するものの醜い顔だ。
 安倍首相はどうやら、「『美しい国』の醜い日本人」に変貌を遂げつつあるようである。それのどこが美しいと言うのだ!