私が子供の頃 戦争に負けた日本は 本当に 貧しい暮らしだった
ように 思います。
夏休みも 終わりの頃 家族の布団の側を洗濯した母は 打ち直しの綿
が 届けられるのを 待つていたかのように 布団つくりを
始めていました。
遊びに行きたい 私を捕まえて 洗濯して裏返しにした側を 座敷の
真ん中に広げ 綿を縦 横と広げ 真綿を広げて 綿をまとめ
るのですが そのとき 母はささくれた手で 真綿を持ち 時には口
も使い 私に 持たせ 徐々に広げて 綿の上に置くのです。
その後 四隅から 丸めて側を 出して 綿を納めます。
こちらの四隅を 私が持ち 向こうの四隅を母が持ち パタパタと
二人で 引き合って 綿を均一にし 私の出番は終わるのです。
返し口を閉じて 大きな布団とじ針で 要所を閉じて ふかふか布団
の 出来上がりです。
丁度 その頃 自転車のアイスキャンデー屋の ベルの音が聞こえる
と 買いに走り 一服です。
出来上がった布団は ふかふかで 汗まみれの体で寝転びたくなり
寝転んで叱られていました。
今は ふかふかの羽毛布団で 手入れも簡単です。
戦火に追われている 人々のことを 思うと ゆっくり夜寝られる
幸せは 何事にも 代えられないと思います。
写真は 型染めの古い 布団側の生地です。
色は 本物の藍染め 柄は おめでたい亀 それも長い尾を 沢山
引いて います。
多分 いいところの 娘さんの婚礼布団だったのではないか と思って
います。
テーブルセンターにするか タペストリーにするか バックにするか
嬉しい 悩みをしています。
ように 思います。
夏休みも 終わりの頃 家族の布団の側を洗濯した母は 打ち直しの綿
が 届けられるのを 待つていたかのように 布団つくりを
始めていました。
遊びに行きたい 私を捕まえて 洗濯して裏返しにした側を 座敷の
真ん中に広げ 綿を縦 横と広げ 真綿を広げて 綿をまとめ
るのですが そのとき 母はささくれた手で 真綿を持ち 時には口
も使い 私に 持たせ 徐々に広げて 綿の上に置くのです。
その後 四隅から 丸めて側を 出して 綿を納めます。
こちらの四隅を 私が持ち 向こうの四隅を母が持ち パタパタと
二人で 引き合って 綿を均一にし 私の出番は終わるのです。
返し口を閉じて 大きな布団とじ針で 要所を閉じて ふかふか布団
の 出来上がりです。
丁度 その頃 自転車のアイスキャンデー屋の ベルの音が聞こえる
と 買いに走り 一服です。
出来上がった布団は ふかふかで 汗まみれの体で寝転びたくなり
寝転んで叱られていました。
今は ふかふかの羽毛布団で 手入れも簡単です。
戦火に追われている 人々のことを 思うと ゆっくり夜寝られる
幸せは 何事にも 代えられないと思います。
写真は 型染めの古い 布団側の生地です。
色は 本物の藍染め 柄は おめでたい亀 それも長い尾を 沢山
引いて います。
多分 いいところの 娘さんの婚礼布団だったのではないか と思って
います。
テーブルセンターにするか タペストリーにするか バックにするか
嬉しい 悩みをしています。
昔の人が職人が手仕事で作った良いものを、母上のような人々が、何度も何度も手を入れながら最後まで大事に使っていたことを思い起こさせます。
女房さまの手でこの布がどのように生まれ変わるのか私も楽しみです。
と 思われそうですが 眺めていると 私には 至福の ひと時です。
趣味とは そんなものでしょうか。