多言語コーディネーションが業務の中心です。
問題解決ガイドのひとりごと。



笹尾光彦さんから心のこもった年末の年越しそばを送っていただきました。
別荘に近い安曇野のお店から送っていただいたのは、Motojiyaそば道場の「こだわりそば」です。
今日は送っていただいた「こだわりそば」をいただきながら家族で年越しをしたいと思っています。
年齢が離れているにもかかわらず、親しくさせていただいている笹尾さんにはいつも感謝しているのですが、こんな心遣いまでしていただけることに幸せを感じます。

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久しぶりに鎌倉駅に降りましたが、やはり大分変わって駅が綺麗になっていましたが、若宮大通は相変わらずで、年末のお休みを利用した観光客が大勢いてにぎやかな様子でした。
鶴岡八幡宮に行ってみると初詣の準備中でしたが、参拝客はそれほど多くなかったのでゆっくり参拝することが出来ました。
帰りには小町通りの商店街をぶらぶらしていると、甘味所で「くずきりあります」という看板が目に入り、「くずきり」をいただくことにしました。

なんとなく鎌倉を歩くという感じでしたが、仕事のことを忘れてゆったりとした気分を味わうことが出来ました。

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私たちが結婚したのは35年も前のことですが、当時の三井銀行蒲田支店長だった倉島さんにお願いをして仲人をしていただきました。
それからずっと季節のお便りをさせていただいていたのですが、10年以上前に倉島さんが亡くなられ、今年の10月には残念ながら奥様まで亡くなられてしまいました。

倉島元支店長のお父様が創業された有名な和菓子店「美鈴」は鎌倉の雪ノ下にあるのですが、一人息子であった倉島さんは跡取りとして継がずに銀行員になったので、別な方が引き継いでおられます。

そんな関係があって、倉島さんからは毎年この季節になると美鈴の栗きんとんを送っていただくので、我が家ではそれを正月にいただくのが恒例になっていました。
今年は自分で手に入れるべくインターネットでお店を見つけ、予約することにしたのですが、今日は予約しておいた栗きんとんを買いに鎌倉の雪ノ下まで夫婦で出かけます。
鎌倉には美味しいそば屋さんがあるそうですので、昼にはそば屋さんに入ってみようかとも考えています。

今日は快晴ですので、鎌倉を楽しんできたいと思います。


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アラヤの年内業務は本日(28日)午前中で終了します。
午後は全員でオフィス内の掃除をして、4時からオフィス内で立食でのパーティをする予定になっています。
恒例になっている恵比寿駅の近くの有名なパン屋さんのサンドイッチは欠かさずに、チーズ等のつまみを用意してシャンパン、ワインで乾杯というのがアラヤ流です。

今朝出勤するときに気がついたのですが、ビルのオーナーさんが入り口に立派な門松を飾ってくれていました。
日本の伝統である門松はやっぱり良いいものだな!!としばらく眺めてしまいました。

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何故か小沢昭一さんの本が読みたくなって「老いらくの花」という本を買いました。
いろいろな初出本からの文章を編集したものなので、書いた年もまちまちなエッセイ集でしたが期待通り面白い本でした。
小沢昭一さんはラジオの「小沢昭一的こころ」という番組を30年以上も続けているそうです。(平日夕方のTBSラジオ)この番組をいつも聞くということはありませんが、タクシーに乗っていて、何となく聞こえてくるラジオから突然小沢昭一さんのおしゃべりが流れると、思わずニヤリとしてしまうことがあります。
昔から好きな俳優さんの一人でもあります。

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(株)リンク アンド モチベーションの社長の小笹芳央さんから、最近の著書「仕事がうまくいく自分の創り方」を送っていただいたのでさっそく読みました。
小笹さんは有名なコンサルタントで多くの著書もありますが、従来はノウハウ本が多かったように思います。
送っていただいた本は自分史の中に小笹イズムがギッシリという内容で、読み応えのある素晴らしい本でした。
教えられることが多いので、時どき読み返してみるべき本なのかも知れません。

小笹さんとはある会合でお会いしたのですが魅力的な方でした。
来年またお会いできる日が楽しみです。

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23日(土)に恵比寿駅ビルにある書店に出かけ、何気なく手に取った本をパラパラと読んだところ久しぶりの文体に出会い、面白かったので購入し土日で読み終えました。「忘れえぬ人」は山口瞳さんの著書ですが、2006年5月に初版で出版されています。山口さんは1995年に逝去されていますので、この本は過去のいくつもの初出誌から抜粋され編集されたものです。
山口瞳さんは「週間新潮」の男性自身というコラムに31年9ヶ月間、亡くなる直前まで書いていましたが、そのコラムは面白くてよく読んでいました。

私にとって山口さんの文章は久しぶりでしたので、面白く読ませてもらいました。

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2006年4月からブログを始めたのですが、ブログを書いて初めて経験することが沢山ありました。
毎日の行動もブログを書くということを意識しているので、今まで気にならなかった出来事や景色を意識するようになり、メモをとるようになったのは大きな変化でした。
思いのほか数多くの人たちがブログを見てくれているので、お会いした時に感想を言ってくれたり、ブログで書いたことを共有してくれていたりするので、親密度がますます増すという効果もあります。
また、その時期に注目を集めている事象をブログに書くと、一挙に訪れる人数が増えるということも起こっています。

これら良い事もありますが、気がつくといかがわしいホームページがトラックバックされていたり、レベルの低い悪意のコメントが紛れ込んでいることもありますので油断はできません。

元勤務先の皆さんにもこのブログが知られており、毎日チェックしてくれている人も多いようですので、疎遠になった人たちに気軽に近況を知ってもらうための便利なツールにもなっています。

ブログは使い方しだいというところでしょうか。



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日本ビクターの大株主であった松下電器が、持株売却を検討しているというニュースが新聞で報道されました。
日本ビクターがビデオの規格(VHS)でソニーとの競争に勝ち、一時代を築いたのはつい昨日のように記憶していますので、この報道にはビックリしました。
しかも売却相手の候補としてケンウッドの名前が上がっているという。
ケンウッドはつい最近まで再建途上にあると認識していただけに、買収側になっているという事実にも驚きました。

こういったニュースで感じるのは、日本だけでなく世界中の経済は目まぐるしく変化をしており、昨日の常識は今日の常識ではないということです。
この結末によっては私たちにも大きな影響があると思いますので、注目する必要を感じています。

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23日に東京都民銀行渋谷支店50周年記念の講演会に参加し、森永卓郎さんの講演をお聴きしました。
テレビタックルでおなじみの方でしたので初めてとも思えず、まるでタレントさんの講演を聴くような雰囲気でした。
小泉内閣での竹中大臣の役割や、この5年間で行われていたことを森永流に解説してくれたのですが、面白くもあり問題点指摘もありという内容でしたので、時間を忘れてしまうぐらい楽しめました。

その後の懇親会では久しぶりに宇野沢組鉄工所の社長さんにお目にかかることができて嬉しかったのと、何人もの新たにお目にかかる社長さんたちと名刺交換をすることが出来ました。

こんな出会いが、またいつか別な機会をもたらしてくれるのだと思います。

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今日の通勤途中、靴の底で跳ね上げた小さな石が靴の中に飛び込んできたようです。
急いでいたのでそのまま歩いていたのですが、足の裏にゴロゴロと気になり、その小石が動くと時どきチクッと感じる。
しばらく我慢して歩いていたのですが、我慢出来なくなり立ち止まって靴を脱ぎ小石を放り出しました。

面倒くさがらずにすぐにやれば良いものを、気になりながらもしばらく放置してしまうクセは直さなければいけないなと思った出来事でした。

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私が三井銀行恵比寿支店に配属になったのは昭和48年(1973年)のことでした。
当時のJR恵比寿駅は戦後の駅舎を少し手直しした程度の駅だったので、山手線でも古い駅舎の一つだったと思います。
駅から目黒寄りに広大なビール工場(今の恵比寿ガーデンヒルズ)があって、側を通ると麦を蒸す独特の匂いがありました。
駅の東側は、戦後復興期には愛知県の三河地方から運ばれた土管や瓦を集積する基地だったそうです。
そのため大きな日本通運の事務所が駅の前にありました。
東京の復興のための貴重な資材であった土管や瓦が、その後主役の座を降りたため昭和48年頃にはその面影もありませんでしたが、土管、瓦を扱っていた企業はまだ存在していました。
三井銀行恵比寿支店には5年間勤務しましたので好きな町になっていましたが、平成元年に翻訳会社に転職することになり、再び恵比寿駅を毎日乗り降りするようになりました。
しばらくして恵比寿駅の改修工事が始まり、今では大きな駅ビルを備えた立派な駅に変身しています。

アラヤを設立するにあたりいろいろな事務所候補を見ましたが、やはり恵比寿から離れられなかったのは好きな町だったことが一番の原因かも知れません。


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先日、以前勤務していたイデア・インスティテュートで同僚だった人との話の話題が「最初に厳しく教わった事は忘れない!」でした。
彼女の話によると、
綴じていないバラバラな書類にはすぐ手書きでナンバリング。
書類をめくるときは消しゴムを使って。
校正は色ボールペンで。
定規の使い方はこう。
などなど引退された川井専務から厳しく教えられた事が沢山あって、社員として2,3年以上勤務した人たちは体に染み付いており、今でも習性(ならいしょう)になっているそうです。
そのお陰で元社員だった人たちは、どこの会社に行っても一人前以上の仕事が出来るので、評価されている人が多いとのことでした。
そのため、当時は嫌だったけれど、今では川井専務に本当に感謝している元社員が多いのだそうです。
もっとも論語研修はいただけなかったというのも全員一致の意見だそうですが!

今思えば、当時かなり厳しかった川井専務の教え方は、ごく短期間にプロの仕事が出来る力と意識を持った社員を育てていたのだと思います。
その意味では卓越した教育者であったのかも知れません。

残念ながら私は川井さんにはもうお目にかかることは無いだろうと思いますが、お健やかにお過ごしであろうことをお祈りしています。



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アラヤを設立する前に15年7ヶ月勤務したイデア・インスティテュートの事務所は、恵比寿一丁目にある宇野沢東急ビルの5階東側にありました。
お隣は寺院で窓のすぐ下が墓地でしたので、お彼岸になるとお線香の香りがしたり、大きな木の枝が5階の窓の高さまで伸びていて、新緑の季節には窓の横の緑を楽しむことが出来ました。
事務所の中にも鉢植えの植物を沢山置いていたので、どこを見ても植物が見えるという環境でしたが、春になると鉢の中から小バエが出てきて困ったのも懐かしい思い出です。
年末には大掃除と鉢植えの植え替えが恒例だったので、黒土、赤球土、腐葉土を買っては何人かで土まみれで100鉢以上の植え替えをするのが大変でした。

先日、宇野沢東急ビルの近くに用事があって行ってきたのですが、短い間に開発が進み周辺の様子が大分変わっていました。
宇野沢東急ビルのテナントもすっかり代わって、知らない名前が並んでいたのは当然なのですが、何か違う場所になってしまったという喪失感を味わうことになりました。

時間の流れは元に戻らないのは分かっていますが、時々昔一緒だった人が同じオフィスで仕事をしている夢を見ることがあります。

その夢が現実になる日はくるのでしょうか!?



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目黒区にある祐天寺は境内も広く、昔から知られた名刹(名高いお寺)です。東急東横線には祐天寺という駅があり、お寺のまわりは静かな住宅街になっています。
アラヤのある代官山駅から二つ目の駅なので、年末年始の喧騒前に行ってきました。
平日の午後でしたので人影もまばらだったので、静寂な境内をゆっくり散策し、本殿にもお参りして来ました。本殿はどうやら初詣に備えた準備が進められている様子でした。

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