多言語コーディネーションが業務の中心です。
問題解決ガイドのひとりごと。



翻訳者への発注を主体とした新システムが完成しましたので、検証、テスト稼働をしているのですが、このCONTAというシステムの活用方法だけでなく、発展性を考えてみると面白いほど可能性があることに気付きました。

このシステムを少し手直しすれば、日本語で発注手続きをすればタイ国の業者にタイ語で発注書が発行出来て、その連絡をメールで伝えることも可能になるからです。

グローバル調達をしている会社はたくさんあるはずですが、現地業者とのコミュニケーションに困っているようであればこのシステムを活用してもらう事あるかも知れません。

アラヤはこのシステムをキッカケにIT分野で活躍する会社に変身する可能性があると思っています。



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新千歳から羽田への帰路、上空から見える日没が美しい。

何回も見る景色ですが、いつも心に染みます。

自分の心境がポジティブならそれなりに、落ち込んでいれば悲しげに見えるのですが、今日は明るく見えました!


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今日はアラヤサッポロのオフィスに出勤しています。

朝一番で皆さんに集まってもらってミーティングをしたのですが、また面白いことが始められそうです。

アラヤサッポロで開発した新システムの名前はCONTA コンタに決まりました。

ロゴも可愛い感じの素晴らしいものが出来上がりました。



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昨日の夕方の飛行機で旭川市に出張しています。

旭川市は昨年来ましたので、今回は二度目になります。

今朝は晴れており、ホテルの部屋から遠くまで見渡せます。

出張の目的は士別市の市役所訪問なので、旭川から士別まで約1時間半のドライブをします。

今年は例年より暖かいそうで、残雪もほんのど残っていないコンディションですのでドライブは快適なはずです。

北海道の景色を楽しむことにします。








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アラヤで働く人のすべてが、ビジネスをデザイン(設計)するという事を意識して仕事をするようになりました。

請け負った仕事を一所懸命にやりこなすというステージは、もうはるか昔の話になったような気がします。

分析、設計、ビジュアル化を普通のステップとして使いこなせるように進歩しつつあるのが実態ですが、もうほんの少しで定着することになります。

お取引先にも大分ご理解をいただけるよになりましたので、「昔は翻訳会社でした。」と言っても良いのだろうと思い、ホームページにもそのような表現をしています。



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自宅近くの公園に綺麗な花が咲いていました。

桜だけが注目されていますが、ほかにも心にしみる花があることに感謝です。



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そんなに昔の事ではないのですが、私たちの会社を紹介させてもらう時には「翻訳主体の会社です。」あるいは「翻訳会社です。」と言っていました。

でも今年に入ってからは「多言語をバックグラウンドにした総合サービス会社です。」と言うようにしています。

それを聞いた人は「???」という顔をされるのですが、それで良いと思っています。

何をやっているのか分からないくらい多岐にわたる仕事をしていますので、一言で説明する事が出来ないからです。

「翻訳会社です。」というと相手は納得してくれるのですが、いわゆる翻訳だけやっている会社(時には日英のみ)と理解されてしまっていた可能性もあります。

「いろいろやっています。」と追加で説明をしても、なかなか誤解は解けずというケースもたびたびでした。

「何屋さんですか?」という質問に、簡単には答えられないので「昔は、翻訳会社でした。」というのも有るのかも知れません。



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サムネイル・スケッチ:

サムネイルと言う名のとおりサイズは親指程度の大きさ。

簡単なアイデアスケッチのことで、ラフスケッチとも言うそうです。

クリエイターが浮かんできた発想やアイデアをビジュアル化するために、すぐにスケッチすることで、数多く描くことが多い。

発想やアイデアを関係者間で共有する時に使われるものなので、仕上げの完成度は求められない。
 
発想やアイデアを関係者が理解できる程度で良いと考えるので、あえて細かいデテールまで書き込まない。(小さいので書こうとしても書けない)
 
 
広告業界やクリエイターの世界ではいわば普通のこととして、サムネイル・スケッチは日常の業務の中で使われているそうです。
 
私を含む普通の人はこういう概念がないので、パワーポイントなどを作る場合でも大きな紙面を想定して書こうとしてしまう傾向があります。
 
そうすると細かいデテールに引っかかってなかなかビジュアル化ができないので、ビジュアル化をしなければならないという局面でも面倒くさいと考え、なるべくなら避けようとしてしまうのです。
 
このサムネイル・スケッチを使うことで、誰もが簡単にビジュアル化できるとするなら使わない訳にはいきません。
 
大阪弁で表現すれば「使いたおしたろか!」となるのでしょう。


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ある人と話をしている中で、「私=アラヤがやっているのはほんの少し変化させているだけですから、いわばマイナーチェンジをしているんです。」と言ったところ、「それが良いと思います。」との返事。

そのマイナーチェンジを絶え間なく続けていく事こそが会社を改革していくための王道ではないかとも言われました。

たしかに大変革をして一挙に会社を変えようとしても、目に見えない反対勢力が結集しエネルギーをそがれてしまうという経験もありますから、なるほどと納得したのです。

身内すら気づかないほどの変化をさせるなら心理的にも仕事をする上でも抵抗感を持つこともない。

ほんの少しの変化を絶え間なくやるというのは根気がいりますが、これこそ経営者のセンスと能力を最大限に活かすべき事だと再認識したところです。



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仕事に取り掛かる前に分析をし、その分析結果にそって設計する事を決めてから数カ月経ちましたので、アラヤではほとんどの仕事がそのような段取りで進められています。

この事によって、お客様との情報交換の量が圧倒的に増えたという結果も得ているのですが、まだまだ改善すべきところが有ると考えています。

設計するという事で満足するのではなく、物事を可視化・ビジュアル化してみる事にチャレンジ出来ないだろうかと思ったからです。

デザイナーがデザインをする際にアイデアや構想をどう集約していくのか?という観点で考察してみると、いろいろな手法を使っているのが分かります。

私たちもビジュアル化をしたいのなら、この手法をマスターして使いこなさなければなりません。

幸い身近なところに専門家たちが居ますので、大いに知恵を借りて近道をたどる事にします。



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昭和という激動の時代があって、大きな戦争の後、高度成長時代、バブル経済、その破裂などなどが語られるようになっています。

もう平成になって28年ですから平成生まれも今年で27歳という。もう昭和は歴史として語られるのも無理はないと考えるべきなのでしょう。

昭和28年生まれの人と話をする機会があったのですが、平成28年という感じがまるで還暦のような感覚で、いわゆる戻ったような気になるとも言っていました。(今年63歳になるのだが)

そう言われてみると平成22年の時に(私は昭和22年生まれ)、何だか同じような感覚であった事を覚えています。

江戸時代、明治時代と同じように昭和も時代として現代人は認識していくのでしょう。

私たちが学生だった頃「明治は遠くなりにけり」と大人たちが言っていましたが、今度は私たちが「昭和は遠くなりにけり」と言う事になったようです。



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例えばカタログなどのデザインを仕事として依頼された場合には、その色合いや構成を含むデザインの完成前に意見を求められる事があります。

また、つい先週末には新しく開発中のシステムのネーミングについても意見を求められました。
ネーミングが決まった後に、そのロゴマークも開発したのですが当然のように発言する事になりました。

社長という立場ですので、あまり強く発言するとそのまま決まってしまうという事もありますので細心の注意をしているのですが、最近は遠慮しない方が良いのではないかとも思っています。

それは笹尾光彦さんに言われたのですが、どうやら私のデザインなどの創作物に関する感性は、他の人とはまったく違うものなのだそうです。

もしかすると経営者としても、ある意味で変わり種なのかも知れません。そんな自覚もない訳ではありませんので。

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今週の火曜日に久しぶりに訪ねてくれた人がいます。

元横浜銀行に勤務していた方で、恵比寿支店では渉外担当でしたのでアラヤとの取引を開始するキッカケを作った人です。

当然のように融資をしてもらう事になり取引関係も深くなっていったのですが、銀行員の宿命で2年半前に転勤で神奈川県の支店に異動されました。

恵比寿時代にはお会いする機会が多かったのですが、いわゆる銀行員タイプとはちょっと違った個性を持っていたので「いつか銀行を辞めるのかな?」と心の中で思っており、そんな話もしたような気がします。

そして昨年の2月頃、突然電話で連絡があって「横浜銀行を辞めて転職します。転職先は恵比寿支店の取引先の○○○です。」と言われたのです。

彼なら絶対大丈夫だと思っていましたので「そうですか。良かったですね。頑張ってください。」という趣旨の返事をしたと思います。

転職後にお会いした時もスッキリした表情でやる気満々でしたので、心の底から「頑張れ!」という気持で応援するメッセージを贈りました。

先週に電話で久しぶりに会いたいという連絡があり、火曜日に来てくれたのですが、来る前には「もしかしたら会社に合わなくて辞めたい」と言うのではないかと心配もしました。

ところがそんな事は取り越し苦労だったのです。1年間の勤務でますますたくましくなり、仕事をバリバリやっている姿がありました。

まだ36歳ですから体中からオーラを放っているという感じです。

やりがいを持って活躍している人は輝いています。そんな彼から元気をもらった一日になりました。



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10年とは言わなくても5年計画ぐらいは立てて経営をすべきだという意見はたくさん聞きます。

特に金融機関の皆さんなどにとっては、長期計画も立てないような経営では心もとないと思われるようです。

たしかに高度成長時代に銀行員をしていた私もその一人だとも言えるのですが、実際の企業経営をしていると企業を取り巻く環境が激変するのが当たり前という条件では計画どおりに行かないことが多いのです。

1年計画ですら滑り出しから計画どおりになっていない事も普通だと思わなければならないくらいです。

だからと言って、まったく計画を立てないという訳にはいきません。計画は立てるけれど途中で必要な変更を加えていくというのがこれからの企業経営のあり方なのかも知れません。

その為には経営者は、「将来に不安を持たずに終始楽観主義者であるべし」だそうですが、それは言うほど簡単ではないというのが正直なところです。



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外国に行くとか会議に出席するというような機会に、ジャケットに留めるためのバッチを入手しました。

どんな具合かを見る為に、普段の背広に留めてみたのですが、どうも座りが悪く感じます。

いわゆる右翼のような印象を持たれてしまいそうと感じるのです。

戦後教育を日教組の教員から受けてきた後遺症でしょうか?

自国の国旗バッチを留めるのに違和感を感じるなんて、日本人だけの意識過剰と思うのですが、社員からやめてくださいと言われるに違いないとも思うのです。

しばらく机の上に置いて眺めておきますか。


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