多言語コーディネーションが業務の中心です。
問題解決ガイドのひとりごと。



毎年10月には必ずインフルエンザの予防注射をしてもらい、その季節にそなえているので、ここ数年は風邪をひくことがなく過ごしてきました。
当然昨年10月にも予防注射をしていましたので、風邪なぞひかないと自信満々でしたが、うかつに先々週の末から始まって先週中はグズグズゲホゲホ状態の風邪っ引きになってしまいました。
今週は快調になりましたが、私の席に近い人にうつしてしまったという自責の念にかられています。

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アラヤ設立をしようと決めたときから今日までを振り返ってみると、「とても運が良かったなァ」と思うことが多かったので、私の中では「アラヤは最高に運が良いのだ」と勝手に思い込んでいます。
ところがどうもその運の良さは連鎖するようです。
縁起の良いところに行くと良いことがあると聞かれたことがあると思いますが、アラヤにもその効果があると聞いてとても嬉しくなってしまいます。
前はアラヤに縁のある方々から「アラヤさんから運をもらいました」と言われると、「いえいえそんなことはありませんよ」と謙虚に答えていたのですが、最近は「そうでしょう!」と密かに思ってしまいます。

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現在、auの社外デザインプロデューサーとして、auのすべての携帯電話のデザインの総合プロデュースをしている坂井直樹さんと、auの新しいインターフェイス概念の携帯電話「actface」を発表された猪子寿之さんによる、「これからのケイタイの機能とデザイン」についてというトークショーが銀座のアップルストアでありましたので、「頑張る経営者の会」のメンバーと一緒に聞いてきました。
一時間という短い時間でしたのでやや物足りない感じが残りましたが、これからのケイタイがどうなっていくのかの方向性が少し見えた感じがあります。

その後は、近くのレストラン「DAZZLE」に移動してメンバーの皆さんと楽しい時間を過ごし、美味しい食事をいただきました。



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李登輝さんは元台湾総統として微動だにしない信念のもとに、永年指導力を発揮された政治家として知られています。
戦前は京都帝国大学で学ばれ、戦後は台湾での幾多の困難を乗り越えて台湾総統にまでなられた方ですが、戦前の日本人に通じる矜持をお持ちになっておられます。
武士道に関する著書でも知られていますが、作家の司馬遼太郎さんとも親しかったことも有名です。
この本は文字だけを追うと台湾を憂いて書かれているように見えますが、本当のところは李登輝さんが日本の現状を大変憂いて書かれたことが良く分かります。
当然お立場がありますので内政干渉にならないように注意深く書かれていますが、これだけ日本のことを心配してくれていることに日本人として感激しました。


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先週の木曜日から今週末にかけて2人の社員にヨーロッパに出張してもらっています。
デュッセルドルフやイギリスでのアラヤ・ヨーロッパの社員たちとの連携による取引先訪問の成果には目を見張るものがあり、本人たちも出張の効果に驚いている様子ですので、私としては思いがけない収穫があったと思っています。
2人は昨日からはハノーバーに移動してメッセ会場に行ったのですが、そこでもさっそく日本企業のブースを訪れた成果があったそうです。
これから今日、明日と忙しくメッセ会場を回ってくれるので、その報告が楽しみになってきました。

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恵比寿駅から中目黒へ向かう駒沢通りを毎日通勤時に歩いているのですが、歩道が広いので歩いていても普段はストレスを感じることはありません。
ところが、その歩道をわがもの顔で走る自転車が危なくて仕方がありません。
今朝の話なのですが、電動自転車の後ろに小さな子供を乗せ、必死の形相で自転車をこぐお母さんがいました。
何かの事情で急いでいたのでしょうが、電動自転車を必死でこげばビックリするほどスピードが出ます。
急ブレーキをかければ後ろの子供に、何かにぶつかれば相手に相当なダメージを与えるだろうにとあきれてしまいました。
自転車に乗るにも常識が必要だとつくづく感じました。

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中国出張したときの待ち時間、フライト時間を使って2冊の本を読み終えました。
養老孟司さんは年寄りになったら「物申すのが仕事」だと喝破し、上機嫌に生きるためのいろいろな考えを書いています。
私もいわゆる年寄りに仲間入りしましたので、少しは参考にしようと思いました。

武田鏡村さんは僧籍も持つ作家、歴史家で、日本の現状に「どうなってしまったんだろう、日本人は・・・。」という思いからか、さまざまな生き方をした先人に焦点をあてています。
その一人ひとりの「清清しい」生き方に学ぶところがありました。

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先週の木曜日から日曜日の日程で久しぶりに中国・大連に出張してきました。
大連では相変わらずの建築ラッシュが続いていますので景気は好調のように感じましたが、物価の値上がりが深刻なようです。
特に食料品の値上がりは一般生活者にとってダメージが大きいのですが、3割程度値上がりしている感じです。
私達の業界での影響は紙の値段が大きいのですが、これも2~3割値上がりしているとのこと。
出張して嬉しいのは大連アラヤの社員達と会えることなのですが、今回は新しく入社してくれた日本人社員と会うことも目的のひとつでした。

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4月7日の読売新聞朝刊に私の記事が掲載されましたが、その影響のすごさに驚いています。
たくさんのお付き合いのある方々の目に止まったようで、電話をもらったりお手紙をいただいたりしました。
一番遠くは北海道の旭川市から葉書をいただいたのですが、その方は私の著書「56歳での起業」を十数冊買ってくれて、お知り合いの方々にお配りくださったそうです。
インターネットの時代と言われていますが、まだまだ新聞の影響はあなどれません。


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ラジオのJ-WAVE「DoCoMo MAKING SENSE」で放送された内容を本にしたものです。
読んでいてラジオを聴いているようなテンポの良さがありますので、ほんの2日で読み終えてしまいました。
個人的にも親しい二人が話している内容は大変面白く、思わず笑ってしまうところが多過ぎます。
ちなみにこの放送はJ-WAVE(81.3FM)で月曜から金曜日に毎日23:45から24:00までの15分番組だそうですが、この放送がされるころは私が熟睡している時間帯なので聴いたことはありません。
私は毎朝5時には起きますので夜は早く眠ってしまうのです。
本の装丁はやっぱり和田誠さんが担当されています。


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白洲次郎さんという方に興味がありましたので、だいぶ前に白洲さんに関する本は何冊か読みましたが、お孫さんが書いた本を見つけましたので読んでみました。
白洲次郎さんが23歳の頃(大学卒業時)フランス、スペインにベントレーを駆って卒業旅行した道を、何と80年以上も経ってからお孫さんの白洲信哉さんが同じようにベントレー(最新式)に乗ってたどったという。
また第二章では白洲さんがこよなく愛したというスコッチウィスキーの故郷や、ロンドンの老舗を訪ねるという内容もあり大変興味深い本です。
写真がふんだんに使われているので、当時の白洲次郎さんの様子を彷彿とさせられます。


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脳内分析というのが一時期はやりましたので私も一度やってみて笑ってしまいましたが、今度は三谷幸喜さんと清水ミチコさんの本に「成分解析」が面白いと書いてありました。
さっそく試してみると私は妙な成分で出来ているそうです。
冗談にしても納得してしまう妙な気分になりますが、こんな笑いがとれるソフトを開発する日本人は素晴らしいと感心してしまいました。
興味のある方は試してみてはいかがでしょうか?

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JR恵比寿駅からオフィズで毎日歩く駒沢通りの街路樹は銀杏(いちょう)なのですが、この一週間の間に新しい葉がひらきだしました。
日当たりの良い木はもう緑の葉がいっぱいに繁り、少し日の当たらない木には芽がでたばかりのものもあります。
中目黒の桜並木も花の盛りが終わり葉桜になりましたが、それはそれで結構な風景になっています。
4月も半ばになりましたので新緑に心が洗われる気がします。

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大阪に木曜、金曜の二日間出張し、大事なお取引先を訪問させていただいたのですが、大阪支社長あるいは支社の社員に同行してもらいました。
大阪支社の社員達が関西弁のイントネーションでしゃべると「アッ、関西出身ですか?」と問われ、それからはお取引先とのお話がよりスムーズになることを実感しました。
東京とは違う文化がありますので、よりいっそう大阪支社の社員が活躍してくれることになりそうです。

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本屋さんで本を選んでいるときに、なぜか旧日本海軍の戦闘機ものを読んでみたくなり3冊を続けて読みました。
父は戦争中に日本海軍に9年間もいたこともあって、小さい時には父から海軍のことをよく聞いたのですが当時はまったく興味がありませんでした。
ところが私が年齢を重ねるにしたがって、何となく日本海軍に興味がわくようになってきたのはなぜでしょう。
空を飛ぶ戦闘機で敵機と戦うというのは命のやりとりですから、現在のような平和な世の中とはまったく違う世界ですが、経営するということの中に幾分かの共通点があるように感じています。

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