多言語コーディネーションが業務の中心です。
問題解決ガイドのひとりごと。



大連アラヤでサッカーやラグビーで使われるホイッスルを、10万個作って日本に輸出したのが昨年末の出来事でした。

それをキッカケに何でも大連で制作し、日本に輸出する商売をやってみようと試行錯誤しているのですが、ようやく実際に輸出が本格化してきています。

木工製品(MDFも含む)やアクリル製品は実際に手がけていますし、紙袋なども積極的にやろうとしています。

ようするに何でもやります精神で、積極的にサンプルを制作してはアピールしています。

大連は大連港から東京湾の埠頭までが近く、物流時間が短いという利点もあるので中国南部やベトナムなどの生産地より有利な条件に恵まれています。

今回は洋菓子用の木箱が出来ないかというご要望がありましたので、その打ち合わせをすることが主目的の出張になります。

少し昔の出張とは大分「おもむき」が変わってきました。



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私の孫(5歳男子)の家には笹尾光彦さんの作品がいくつかあるのですが、私の家にも笹尾さんの作品がありますので、彼の目には親しい絵画として映っていることは間違いありません。

とは言っても5歳児のことですから、そんなに絵画のことを認識したり識別することなど出来ないだろうと思っていました。

ところがある日、自宅のある部屋に笹尾さんの作品を新しく掛けたところ「ねえ、なんでここに笹尾さんの絵があるの?」と質問をしてきました。

びっくりして「笹尾さんの絵が分かるの?」と聞いたところ「うん。分かるよ!」と答えます。

そこで、家にあるいろいろな絵を見せながら「どれが笹尾さんの絵ですか?」と聞くとことごとく当てるので、どうやら彼は笹尾光彦さんの作品の特徴をつかんでいるだけでなく好きなようです。

もちろん昨年開催された笹尾さんの個展会場では、ソファーに座っていた笹尾さんの隣にちょこんと座り、笹尾さんの手を取って作品の前まで案内するということもやりました。

そして笹尾さんも「おもしろいやつ」と認識してくれています。そんなことが嬉しいのです。



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「うたかた」とは水の上に浮かぶ泡のことを言うそうです。

泡ですから浮かんでは消え、浮かんでは消えてしまい、つかもうとしてもつかめない存在を表しているのだと思います。

ですから人を恋するような情景で使われているのでしょうが、普通の会話ではほとんど聞くことはありません。

現実の社会生活ではそれなりの密度で人間関係を築いたつもりでも、時間の経過とともにお互いの関係が薄れるだけでなく気持も遠のき、いつの間にか「うたかた」のように感じるようになってしまうのは仕方がないことなのです。

これも人生ではよくあることなのだと、いつの間にか知る年齢にもなりました。

ちなみに「うたかた」を漢字では泡沫と書くそうです。



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つつがなくお過ごしでしょうか?という表現は、お元気でお過ごしでしょうかとか、いかがお過ごしでしょうかというものより、少していねいな言葉のように聞こえます。

「つつがない」という言葉は聖徳太子の時代から使われていたという記録があるようですので、日本では古くから使われていたようです。

ところが、古代日本には「ツツガムシ病」というものが全国的に広がっていたとも言われますので、ツツガムシ病になってはいませんよね?という意味だとすると、まったく違った印象になってしまいます。

今のように清潔な環境に恵まれていると「つつがなく」という言葉が優雅に聞こえるのですが、昔の人々にとってはしばらく会っていない人への気づかいだったのでしょうか。



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今年も笹尾光彦さんはフランスの各地に1カ月ほど取材旅行に行って来ました。

今年のフランスの夏は大変暑かったそうですが、いつものように沢山の新しい着想を得られたのではないかと思っています。

11月には恒例の個展が渋谷の文化村ギャラリーで開催される予定ですが、今回は洋菓子のキルフェボンさんとコラボレーションするという企画と、「ほぼ日」さんのギャラリーでも同時に個展を開催する可能性もあるそうです。

数年前に名古屋で笹尾さんの個展が開催されたときには、名古屋のキルフェボンさんで笹尾さんをイメージしたタルトを食べることが出来ました。

今回は渋谷周辺での企画ですので、三か所をめぐりながら笹尾さんの作品を楽しむことが出来そうですので秋を楽しみにしたいと思います。



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「乙だね」とか「ちょっと乙な感じだ」という言葉は聞いたような気がしますが、自分たちよりはもう少し先輩が使っていたのを聞いたのだと思います。

いわゆる正式なものを「甲」とし、正式ではない少しひねったものを「乙」と表現したところから始まったようです。

ちょっと洒落た感じのものを見たときに「乙な感じで良いね」とか、お洒落な人を見かけたときに「乙だね」などと表現できたら面白いと思っています。

あんまり目立たない場面で使ってみようかといういたずら心が湧いてきます。その場でうんちくなどを言ったら嫌がられるかも知れませんが。



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「言葉では言えないほどに」とか「何とも言いようのないほどに」と言う代わりに、とても優雅な感じで表現するときに使われているようです。

基本的には相手をほめるときに使われるのだと思うのですが、得もいわれぬ味ですねとか、得もいわれぬ美しさですねとはなかなか言えない感じですので、現在の私の中では、ほとんど使わない言葉になっています。

もしも、得もいわれぬと言う言葉を使うとしたら、むしろ否定的なときに使ってしまいそうな気がします。

せっかくの大和言葉ですので、正しい意味で使わなければいけませんね。



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山本夏彦さんの本に昔のことが書いてあるのを読んで、なるほどと感じたのでブログに書こうと思います。

山本夏彦さんが子供の頃に聞いた言葉だそうです。

「羽織ごろ」は立派ななりをして、表玄関から入って天下国家を論じて、結局はいくらか出させる。

ここで言う羽織は紋付きハカマで、たいていはひげを生やしていた。

紋付きハカマやひげは、人にあなどられないためのものだったようです。

こんな羽織ごろには硬派と軟派がいたそうで、硬派は記事を書いたが軟派は記事を書かなかった。

羽織を着たごろつきという意味で「羽織ごろ」と言ったそうです。

そんな羽織ごろの子孫が新聞記者ということになります。

なるほどと感じてしまいます。



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CXDSに参加させていただいているのですが、前回の総会で親しくお話をさせていただいたエポックサイエンス株式会社のお二人が来社してくれました。

仕事の話ではありませんでしたので、アラヤのオフィスがどんなコンセプトで造られているのかとか、中国・大連の関連会社でやっている仕事の内容などあちこちに話題が飛んだのですが、楽しい時間を過ごさせて頂きました。

こんなカジュアルなかかわり合いの中から、もしかすると実際の仕事に結び付くかも知れませんし、まったく友人関係を楽しむという事でも良いと思っています。

なぜならまったく違う業種の方とのふれあいをする事によって、何か予想もつかないような化学反応が起こるような気がするからです。



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人生のステージは人それぞれですから、他人から見てどうこう言うことではないと思っています。

学業を終えて社会に出て行く時には、何もわからないし経験もないのですが、たまたまその場にいてくれたという人がめんどうをみてくれるという幸運に恵まれます。

これはいくつもの世代にわたって踏襲されてきた事で、特別な事ではないし、当事者たちも当然のように若いニューカマーを受け入れ、自分が学んできたノウハウを惜しげもなく教えるという光景は珍しい事ではありません。

ある意味で日本人が大切にしてきた慣習のようなものでしようが、自然にどこの会社でも行われている事を見ればDNAに刻みこまれているような気もします。

そんなファーストステージを卒業する事もあるでしようし、また卒業すべきだとも思うのですが、おせわになったり成長もさせてもらった人たちに、後足で砂をかけるような事は当然の事で、ましてや頬にビンタを張るような事だけはしないという誇りと尊厳を守るのが人として生きる上で必要な事だと思います。

そんな出来事に出会ってしまうと、尋常ではない戦闘モードになる自分にある意味で驚いています。

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何か不都合なことを変えようと努力していても、なかなかその成果が表れないことの方が多いのですが、ある時というか瞬間に変化をする潮目がハッキリ見えるということを何度も経験しています。

長いこと努力をしているにもかかわらず、変えられないという現実にあきらめのような境地になっている中で、突然のようにその潮目をハッキリ確認できた時には「やったー!」という気分になります。

しかしその潮目を感じることなく、そのまま過ごしてしまえば「もとのもくあみ」になってしまうのですから、その感性は常に保っておく努力は欠かせません。

潮目がハッキリ確認できたら、その変化を定着するような方向に運営を切り替える必要があります。

漫然と過ごすような余裕は一瞬たりともないのです。



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今年の札幌市の夏は格別の暑さになっていますが、仕事面では熱く燃えています。

いつも札幌に出張してくると、新たな発想が浮かんできたり、考えてもいなかったようなひらめきを感じることが多いのですが、今回もそんな感じになっています。

自分たちの仕事をどのように表現したら良いかを、ホームページの改定を機会に札幌のスタッフを中心に検討してもらっていたのですが、素晴らしい発想が出てきたのです。

このような表現で自分たちの仕事を紹介出来たら、プライドが持てるだけでなく、仕事そのものが理想と思える方向に激変するだろうと確信に近いものを感じています。


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携帯電話「アイフォーン」を車内のダッシュボードに入れて、しばらく放置してしまつたら瞬く間に高温になってしまいました。

手に取って持てないぐらいの温度だつたのですが、表示画面には「高温」というメッセージが出ていました。操作出来るかは確認しなかつたのですが、温度を感知する機能があることに驚きました。

それより発火する可能性があつたかも知れないことに、ヒヤリとしたのが先でした。

夏の車内には注意しなければと自分に言い聞かせたのですが、事故にならなくて幸いでした。

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昨日の国会中継をユーチューブで見ました。

同じ文部科学省官僚だった二人の参考人の、あまりの違いに愕然とする思いで見てしまいました。

加戸さんという元愛媛県知事(元文部科学省でもある)がゆったりとした調子で、愛媛県と今治市がどれだけの熱意と努力で永年大学の獣医学部を誘致しようとしてきたかを語っていました。

まったく愛媛県や今治市とは関係ありませんので、そんな事情を今までは知る由もありませんでしたが、なるほどそうでしたかと納得させられる内容でした。

加戸さんという方のお人柄も話の端々にうかがえましたので、愛媛県の方々が知事に選んだだけのことがあるとも思いました。

それとは真逆に、もう一人の参考人の発言にはある意味でうんざりというのが率直な感想です。



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夏目漱石の「坊っちゃん」という小説の中で、主人公の坊ちゃんが東京から愛媛に赴任する前、かわいがってくれていた清(きよ)というお手伝いのおばあさんとの会話で、「箱根のさきですか手前ですか?」というくだりがあります。

その頃に江戸(東京)に住んでいた一般の人の感覚がよく表れているのですが、現代の感覚とはまったく違うことに気づきます。

名古屋・大阪などの出張は日帰りが当然という感覚の方がおかしいのかも知れません。



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