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問題解決ガイドのひとりごと。



今朝の通勤時、駅から歩く道の空気は道路際にもかかわらずさわやかでした。
昭和43年当時、私は三井銀行本店で仕事をしていましたが、本店の窓から眺める日比谷公園は空気が汚れており、まるで霧がかかったような風景でした。
特に冬になるとほとんど公園が見えないくらい空気が汚染されていました。
当時のビル暖房はC重油を使ったものが多かったのと、自動車の排気ガスもその原因だったと思います。
その当時は毎年ひどくなる公害も経済発展のためには仕方がないという風潮でした。
その後各地で公害訴訟が起こり始めましたが、ほとんどの人はまるで他人事のようであったように記憶しています。
しかし四日市の公害があまりにもひどかったので、公害訴訟が人々の注目を集めるようになり、徐々に関心が高まり企業も対策を本格化させていきました。
そのお陰で日本の空気、水がきれいになって安全に暮らるようになりましたので、日本の技術や関係者に感謝しなければと思っていますが、若い社員に話をしても公害のひどかった頃の状況は想像すら出来ないそうです。

現在、中国大陸での公害は空気だけでなく飲料水すら汚染されるという危機的な状況だとテレビで報道されていました。
過去に日本が蓄積してきた技術を中国が導入して公害を解決するしか無いと思うのですが、収益優先の考えをもつ企業経営者たちが、その費用を負担する決断をするまでにはまだ時間がかかるのかも知れません。

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