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問題解決ガイドのひとりごと。



私が三井銀行恵比寿支店に配属になったのは昭和48年(1973年)のことでした。
当時のJR恵比寿駅は戦後の駅舎を少し手直しした程度の駅だったので、山手線でも古い駅舎の一つだったと思います。
駅から目黒寄りに広大なビール工場(今の恵比寿ガーデンヒルズ)があって、側を通ると麦を蒸す独特の匂いがありました。
駅の東側は、戦後復興期には愛知県の三河地方から運ばれた土管や瓦を集積する基地だったそうです。
そのため大きな日本通運の事務所が駅の前にありました。
東京の復興のための貴重な資材であった土管や瓦が、その後主役の座を降りたため昭和48年頃にはその面影もありませんでしたが、土管、瓦を扱っていた企業はまだ存在していました。
三井銀行恵比寿支店には5年間勤務しましたので好きな町になっていましたが、平成元年に翻訳会社に転職することになり、再び恵比寿駅を毎日乗り降りするようになりました。
しばらくして恵比寿駅の改修工事が始まり、今では大きな駅ビルを備えた立派な駅に変身しています。

アラヤを設立するにあたりいろいろな事務所候補を見ましたが、やはり恵比寿から離れられなかったのは好きな町だったことが一番の原因かも知れません。


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