「もの」とはわれわれ一人ひとりの人間の周囲にある物事のすべてである。
それは親であり、恋人であり、友人であり、あるいは赤の他人でもある。
われわれ一人ひとりの人間と、そういう人々との関係性もまた、目に見えない「もの」である。
それ以外には、われわれの身の回りにある存在のすべて、たとえば家の庭に植えている一草一木、朝の散歩に出会った道端の野芥子や桔梗草、鳴き声が窓から聞こえてくる小鳥、天気の良い日に偶然見上げた青空と雲、それらは全部、「もの」の一つ一つである。
そして、それらの「もの」のすべてには、人間としてのわれわれが感じ取るべき感情的あるいは感覚的な性質がある。
恋人や親族はもとより、一草一木も、青空や白い雲も皆、われわれに何らかの感情的なものを訴えてくるであろうが、それはすなわち「もののあはれ」である。
われわれは自分の心をもってすべての「もの」に接して、その「あはれ」を感じ取っていれば、自分自身も嬉しくなったり、哀しくなったり、恋しくなったりするであろう。
このようにして、身の周りのすべての「もの」の「あはれ」を感じていて自らの心が共鳴していれば、それがすなわち、本居宣長のいう「もののあはれを知る」ことなのである。
石平著:なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか