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問題解決ガイドのひとりごと。



戦争時危機の場で指揮官はどうあるべきなのかを考えるには、歴史的な戦争時危機の場を知ることが大切なことですが、正式な記録に接する機会がないし、仮に見れたにしても戦場における専門知識がなければ理解することが不可能だろうと思います。

そうではありますが、危機の場で指揮官がどうあるべきかを考える上で、戦場における危機の場を想定してみるのもひとつの方法だと思います。

そうすると、危機の場で指揮官はどうあるべきなのだろう。

まずはうろたえることなく、精神的な平静を保っていることが一番の条件で基本になります。

その次に平時の管理方法を破棄して、大胆に戦時危機対応の管理方法に切り替えることを、組織内外に宣言する。

そして、即時独断専行とも言えるようなトップダウンの指示を即断即決で次々と下す。

黙って俺の言うことに従い、俺の後ろからついてこいというのが基本になります。

いろいろな組織がありますが、危機に陥った時に指揮官であると思っていた人が、まるで平時と同じようなパフォーマンスしか出来なければ、その組織は救われません。

地方自治体の首長を選ぶ時に、その観点で選ぶより単なる知名度で選ぶことが多いだけに、自然災害などの時には不適切な指揮官に第二の被害を被ってしまうのです。



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若い頃から何かを他の人がしてくれた際には、ありがとうあるいは、ありがとうございますと言うようにしています。

幸い妻や子供たちも、その習慣を踏襲してくれています。

そしてその習慣は孫にも受け継がれているので、孫と一緒にレストランに行くと、サービスをしてもらう際には大きな声で ありがとうございます と孫が言います。

ありがとうございます という言葉には魔法の力があるのですが、私は何度も素晴らしい笑顔に出会えています。

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札幌に出張するといつも感じるのが水道水の美味しさです。

東京の水道水もそれなりに改善されていますが、美味しいという感じはありません。

ところが札幌に来ると喫茶店で何気なく出される水が美味しいのです。

なぜだかは知りません。

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awardをしたいなら考えなければならないことがあります。

日本にはグッドデザイン賞というものがあって、各メーカはこぞって受賞するための努力をし、毎年グッドデザイン賞を受賞した製品の宣伝に利用しています。

このような制度はあらゆる先進国にもあるのですが、アメリカやドイツなどの有名な賞では、なかなか日本の製品が受賞出来ないという現実があります。

製品の性能やデザインでは遜色がないのに、あるいは日本のグッドデザイン賞を受賞しているのに、海外の賞は取れないと悔しがっているメーカも多いと思います。

応募するための文章を翻訳するという工程の中で、原稿の内容を確認するのですが、海外の賞を運営している組織の考えとは相当すれ違ったポイントを強調し、逆にアピールして欲しいと思っているポイントは軽視しているという点に気づきました。

翻訳を依頼されているのですから、忠実に翻訳をするのが役割と考えればそのまま訳せば良いのですが、それではお客様の目的は達成出来ません。

それから多くの時間をかけてお客様とのディスカッションが始まりました。

その結果は大成功に終わったのです。

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先週と今週の月曜日は祝日でしたので、月曜日定例の会議と朝礼をやめました。

会議や朝礼よりも外訪や業務に専念して欲しいという意向でしたが、営業報告を個別に聞ける時間が取れましたので、かえって深い打ち合わせが出来たことに満足しています。

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瀋陽市は満洲時代には奉天と呼ばれていました。

その奉天時代に建てられた建築物が中山広場の周囲にたくさん残っています。













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製品を製造している会社にはほとんどの場合、マニュアル作成をしている組織があります。

その組織には技術的な情報と、ユーザーからの使い勝手に関する情報が集まりますので、あらゆる面から見た自社製品の情報を持っている組織とも言えます。

まさにそれらの情報があってこそ、分かりやすい製品情報を含んだマニュアルが作られてきたはずです。

情報を収集しそれらの情報に基づいて優れたマニュアルを作り続けた組織が、漫然と昔ながらの思考のまま紙ベースのマニュアルとして発行しているだけのところが多すぎます。

これから5Gという通信インフラが整うであろうという環境を考えれば、少なくとも自分たちが持っているマニュアル作成で蓄積した情報を整理し、いつでもIT発信できる体制を備える必要があります。

この情報を整理、加工する体制を整えることが出来上がると、内外に情報発信する社内で唯一の組織になる可能性がふくらみます。

マニュアルがますます不要になるという世の中に流れから、いずれは消滅していく組織という考え方もありますが、情報発信基地としての役割を担っていく可能性が大いにあるとも言えるのです。

情報発信基地としての役割を果たすために、今から準備をしていくのか、はたまた消滅の時期を淡々と待つのかは考え方一つで変わっていきます。



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瀋陽市にある有名な故宮に行きました。

中国が清の時代、北京に移るまでの間に使われたそうです。

北京市にある故宮よりも規模は小さいですが、皇帝の居城ですからそれなりの威厳があるところでした。

















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瀋陽市内には張作霖、張学良の居宅が保存されており、
太師府という観光地になっています。

昔の軍閥の力が尋常ではなかったことを思い知らされます。













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瀋陽市にある満洲時代からあった旧大和ホテルを訪ねてみました。

名前は変わっていますが今でも現役のホテルとして使われています。













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瀋陽市に行くことになり、初めて中国の新幹線を利用します。

大連郊外にある大連北駅から乗車して、瀋陽北駅までですが、乗車時間は約二時間だそうです。















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成田空港に到着したのですが、搭乗の時間まで1時間ありますのでラウンジでいつもの物をいただきます。

飲み物はトマトジュース。



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今回の大連出張では、持っていく手荷物がたくさんあります。

納品した製品の中で見つかった不良品、これから製作する可能性がある製品のサンプル、来月納品予定の化粧箱サンプルなどです。

航空機に乗る際には預けないので、客室内で苦労する可能性がありそうな予感。でも何とかなるでしょう。

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有楽町に出かけたおりに、何気なくウインドーショッピングしていたらビームスのお店の前を通り過ぎました。

ビームス?何か目に入った名前が気になって止まってしまったのですが、そうだ!プロゴルファーの渋野日向子選手の契約しているメーカーだと気付きました。

そこは男性向けのみの店だったのですが、渋野選手のファンになっていますのでとりあえず入ってみました。

そう言えば冬用のカジュアルジャケットが古くなっていることもあり、一着購入することにしました。

明日からの中国出張に持って行くつもりです。



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来週の大連出張をひかえて、大連での写真スタジオ向け部材生産についての打ち合わせを行いました。

最近数カ月の部材納品についての不良品のケースや、新しいサンプル制作の可能性などなどありましたが、お客様側の重要な方に男の赤ちゃんが産まれたという嬉しいニュースが一番でした。

その方は女性なのですが我々チームの力強い味方であり頼りにもしているので、本当に嬉しいニュースだったのです。

来年早々には業務に復帰される予定だとのこと。

来年に向けてますます増産できるようにしなければなりません。なぜなら大連の協力会社の皆さんが頑張っているし、期待もしてくれているからです。



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