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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

ひと山越えると谷川瀬村

2018-08-30 06:11:13 | Weblog

            《この坂を登り切った所が鹿島と谷川瀬村(平)の村堺だった》                                                                                                                    分類・地歴

 現在の、いわき市鹿島町には明治22日年3月まで12の村が存在し、しかも幕藩時代の行政区画として、平藩領(7村)・湯長谷藩領(3村)・幕領[※小名浜代官所の支配下(2村)の三区域に分かれていました。
 同年、4月1日を以って12ケ村が一括併合して 『鹿島村』 を誕生させました。

 その頃は鹿島から平の町へ出るためには、くうじ山(軍事山)=写真、の頂上近くにあった洞門(トンネル)を潜って谷川瀬村や下荒川村を通って行かなければなりませんでした。
 写真で見る2本の道路は、右側が旧道を拡幅して出来た現在の鹿島街道で、左が獺沢(おそざわ)へ入って行く田圃の畦道のような狭い農道でした。                                写真は鹿島から平方面に向かって撮りました。

 坂道を上り切った辺りが「くうじ山」で、現・NTT東日本福島いわき支店がある場所です。
 昔は左の山の高さ位の所が坂の頂上でしたから、村人の生活上に於いて何かと不便が生じました。                    現在の谷川瀬(平)方面から、くうじ山に差し掛かった場所の上り坂》 

   鹿島村内の農家は、平の「釜屋」という大地主から農地を借り受けていた小作農家が多かったので、秋上がりには小作米を納めなければなりませんでした。
 これを、あげ米といって荷馬車に積んで釜屋まで運ぶのですが、俵数で13俵前後を荷馬車に積んだ馬は「くうじ山」の上り口まで行くと、急勾配の余り途中で立ち往生してしまい馬に精一杯の掛け声をかけても動かなくなってしまうのです。
 仕方なく荷台から数俵を降ろして、まず荷馬車を頂上に留めておき荷主が1俵ずつ担いで坂上まで運んだといいます。 一山越えて、谷川瀬村(現在の自由ヶ丘・福島高専付近)へ出るだけでも大変な苦労をしたことが窺い知れます。


  「くうじ山」の関連記事は2008・12・25日付参照。

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