分類:地歴
場所 : 鹿島公民館 敷地内 いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1 歴史を繋ぐ七本の松 25日(土)に、鹿島公民館の敷地内に植栽されている史跡 「七本松」 の由来を刻んである石碑文の拓本採りの実技と講演がありました。 鹿島民俗見聞会 (小松隆代表・駒木根通夫氏) の主催によるもので直接、実技に入らずに先ず公民館の和室で、地元の講師により七本の松が最初に植えられた謂(いわ)れと、今年は折しも戊辰戦争150周年を迎えた年でもあるところから、七本松での戦いをも含めたエピソードから始まった。 《開始前に早くも予定人数を越えて聴講に集まってきた人たち》
拓本についての話や実技は、全技連マイスター・ものづくりマイスター、県・市名工の肩書を持つ佐藤達好先生(郡山)及び佐藤英男先生(湯本)と会川幸親先生(久保)に、日中の暑い陽射しの中で実演をして頂き、また参加者も拓本手法のご教示を仰ぎました。 《足場組や石碑の洗浄などで、拓本はそう簡単には採れない事も学びのひとつ》
鹿島の山間の道に七本の松が植えられたのは、いまから遡ること延暦23年(804)正月で、坂上田村麻呂将軍が兵を引き連れて蝦夷征討へ向かう途中でした。 走熊部落を通り掛かった所で休憩をしました。これより真っ直ぐ進めば平へ、右に曲がれば江名港へ行ける三叉路で、ここで休んでいれば常に周囲の動向が把握できるからでもありました。 坂上田村麻呂将軍はその時に、戦勝を祈念して七本の松を植えました。 いまから1214年も前のことです。 《二代目の松だったが、昭和50年の道路拡張工事のために止む無く伐採されてしまった》
従って、現在の七本の若松は三代目になりますが、最近まで1本が枯れたままで暫くの間 「六本松」 状態でした。この一本欠けてしまった松の対策に苦慮していたのですが、鹿島地区地域振興協議会と、その中の部会、歴史と文化委員会、それに鹿島公民館の働きかけによって七月に元の七本松に甦らせました。 地名にもなっている 「七本松」 について、今回、鹿島に住む人たちの一連の活動を見ていて、名実ともに後世に残す名跡としての重要性を改めて気付かされました。