いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

没イチの背中に見えるもの

2018-08-17 07:35:46 | Weblog

                                               分類:PV

   男は没イチ覚悟で、いまの内から自立せよ!                      バツイチ 〟の場合は、一度離婚した経験を持ち現在独身である状態の人を指す俗称だが、〝 没イチ 〟はそうではなく、配偶者を亡くし単身となった人たちが自らを没イチと呼ぶのが最近、世の中に深く静かに浸透している…… そうなのです。                                       つまり、死別の悲しみから一歩踏み出しポジティブな生き方を切り開いていこうという発想かららしいが、厳しい直面に立たされているのが現実のようです。                                                                                                                《男の背中に淋しが漂うのは何故だろうか》       

   年齢的には1947~1951年代に生まれた、いわゆる団塊世代の人たちで、日本には1,000万人いると言われています。                                                    戦前からの 「古い価値観」 を引きずっているところがあり、男は会社人間になって働き、女は家庭で子供を育て、夫を支えていればそれでいいのだと思い込んで生きてきた人たちばかりです。                                       

 ところが会社を定年退職し、子供は親から離れ、妻に先立たれてしまうと、そこで初めて自分というものを見つめるようになります。                                                悲しいかな、頭のてっぺんから足の爪先まで妻に任せていたのに、その相手がいなくなるのだから途方にくれる訳です。例えば食事の支度一つをとってみても自分ではできないので、即席の食べ物や、店屋物で我慢はするが飽きがきます。自然と食事時間の間隔が不規則になり体調を崩していきます。妻だけを頼りにしてきた男の悲劇が、その辺から始まるようです。

 単に高齢化社会に進んでいるという捉え方ではなく、増え続ける「没イチ」の人たちに対する対応も、これからは重要視していかなければならない問題だと思います。                              こうした動きに対しては企業も注目して、「高齢者専門の結婚相談」を設けたり、「お一人様専用旅」など、早くも 〝没イチ〟を意識したビジネス参入に乗り出したようです。

 すでに男性・女性に拘わらず、長く生きる時代に突入した以上は、仮に夫婦のどちらかが欠けても、強(したた)かに生きるための目的と気力を持たないことには、悲惨な結果を招くようになります。                               悔いのない生き方をするためには、むしろ高齢になってからだという意識を持って余生をエンジョイするのが賢い男の生き方ではないでしょうか。人とのつながりを作るとか、男子厨房に入るとか、好きな趣味を生かすとか、方法は多々あります。                                                                     発想の転換で、楽しいことはいっぱい見つかります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする