いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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鹿島の山火事(昭和4年)

2018-08-27 06:13:52 | Weblog

              《烈風の中、燃え広がる山火事》                   
            ※写真は本文と直接関係するものではありません 
                                                                                                                        分類:地歴
 

 昭和4年2月25日(旧正月の16日)、午前11時半頃に走熊部落の民家より火災が発生。
 これを地元の人たちは俗に「走熊の大火事」と呼んでいますが、『福島県災害誌』では〈石城郡鹿島村の大火〉として掲載されています。 それによると、住家48戸、非住家38棟、山林300町歩を焼失。原因は失火。損害額40万円となっています。当時の米価が60㎏で6円20銭前後でしたから、現在の金額に換算すると約8億円以上の損害だったことになります。                        《火事は山から山へ伝って他村にまで延焼していった=火元の近くだった現在の走熊》   

 火災発生の状況を調べると失火の発生地は走熊地内の農家で、家の建て替えで大工や石屋が作業をしていました。この日は
北風が吹く寒い日で、10時の一服(休憩)時間に残材やカンナ屑を燃やしながら暖をとり、その後仕事に取り掛かっても火種を消すことなく、木っ端が発生するたびに燃していました。 時折、烈風吹く中で、石屋が馬屋萱屋根中段から火の手が上がっているのを発見、大声で人を呼びました。近隣の人々も慌てて駆けつけ、バケツで散水しましたが火勢は増すばかりで、その火は見る間に延焼して八坂神社や福正院の他、観音様を祀る高寺山までを焼き焦がし、更に火は隣部落の上蔵持に留まらずに、江名・豊間へと火は延びていったという大火災でした。

 ▲その他にも、昭和9年3月2日の午後、鹿島村の山林から原因不明の出火があり、火は鹿島村の山林をはじめ江名・豊間・飯野・高久へと近隣各村の山野へ延び、実に山林200町歩を焼失してしまいました。
 これによる損害額などの記録はの残っておりません。

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