不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

治衛門堰(せき)のはなし

2018-08-01 06:10:40 | Weblog

                      《久保地区にあった治衛門堰》                                                                                              分類:地                                                                                                                 
                           堰があった場所  :  いわき市鹿島町久保1丁目3付近

 昭和53年の前半頃までだったと思うが、矢田川の土手を飯田方面に下って行くと、土手沿いに大きな1本の黒松が生えていました。 なんでも樹齢が300年以上は経っていると云われていたもので、見通しが良かった昭和40年代までは鹿島小学校の教室からも見えました。

 矢田川と蔵持川が合流する地点から下流へ100mほどの所で、その松のスグそばに「治衛門堰」と呼ばれていた堰場(=写真)がありました。
 治衛門堰と名付けられた堰の理由は昔、久保に治衛門という人がいて所有している土地の水不足に悩み、田圃が作付け不能になる事が何度もありました。
 田植えも出来ず、灌漑水も必要な時に引けないことに落胆し何とかしなければと、発奮して耕地の立地条件や高低差、川の水位の問題などを独自に考えて要所に柴堰を築き上げ、堰き止められた水を耕地に取水することに成功しました。

 このお陰で久保の田圃は稲作に適するようになりました。
 村人たちはこの偉業を賛え、堰の名を「治衛門堰」と呼んでいましたが、河川工事や矢田川改修などにより悲しいかな、松も堰も無くなってしまいました。

 ※写真の遠景、右寄りの三角形の山は走熊(はしりくま)地区の高照山(たかでらさん)で、その手前、七本松にあった丸山(現在、鹿島公民館がある所)は既に半分ほど削られているのが判ります。
 


    

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする