分類:観
鹿島町を見て歩こう (85)
いわき市鹿島町走熊字鬼越
「おくにさん」で親しまれていた店 波立商店は旧・鹿島街道と、江名方面から来る道がぶつかるT字路にあって、目の前の史跡七本松とセットになっているような存在でした。 主に食品や雑貨類を扱っていて今でいえばコンビニのような店でした。この場所は、昭和50年の前半から十字路になって、江名港⇔湯本線(県道48号)が突き抜けました。
《解体中の波立商店》
地元の人たちにとっては生活の中にあって当たり前の店だったので、解体され ていく光景を見ると「また、古き良き時代が1つ消えていく」というセンチメンタルな思いがしました。
延暦年間(782~805)には征夷将軍坂上田村麻呂が東北地方へ征途の時、この地(波立商店前の道)を通り掛かり、道端の一角に植えられたという七本の松がありました。(註・二代目の松まであったが道路整備のために伐り倒され、今は鹿島公民館の敷地内に三代目の松として記念碑と共に植えられている)
《店の左側は丸山だったが削り取られて鹿島公民館になっている=白い建物》
鹿島の人たちは、この店を屋号では呼ばずに、誰もが女将さんの名前で「おくにさん」と言っていました。それほど人のいい人で親しまれていた証です。 波立商店が姿を消してしまった今、この地を通る度に当時の建物が頭の中で鮮明に蘇ってきます。
鹿島町を見て歩こう (85)
いわき市鹿島町走熊字鬼越
「おくにさん」で親しまれていた店 波立商店は旧・鹿島街道と、江名方面から来る道がぶつかるT字路にあって、目の前の史跡七本松とセットになっているような存在でした。 主に食品や雑貨類を扱っていて今でいえばコンビニのような店でした。この場所は、昭和50年の前半から十字路になって、江名港⇔湯本線(県道48号)が突き抜けました。
《解体中の波立商店》
地元の人たちにとっては生活の中にあって当たり前の店だったので、解体され ていく光景を見ると「また、古き良き時代が1つ消えていく」というセンチメンタルな思いがしました。
延暦年間(782~805)には征夷将軍坂上田村麻呂が東北地方へ征途の時、この地(波立商店前の道)を通り掛かり、道端の一角に植えられたという七本の松がありました。(註・二代目の松まであったが道路整備のために伐り倒され、今は鹿島公民館の敷地内に三代目の松として記念碑と共に植えられている)
《店の左側は丸山だったが削り取られて鹿島公民館になっている=白い建物》
鹿島の人たちは、この店を屋号では呼ばずに、誰もが女将さんの名前で「おくにさん」と言っていました。それほど人のいい人で親しまれていた証です。 波立商店が姿を消してしまった今、この地を通る度に当時の建物が頭の中で鮮明に蘇ってきます。