分類:観
鹿島町を見て歩こう(65)
いわき市鹿島町久保1丁目 矢田川に治衛門堰(せき)があった 鹿島ショッピングセンターの側を矢田川が流れていて、その近くに蔵持川と合流する地点があります。そこから下流へ約100m行った辺りが下の写真です。 遠方中央に三角型の山が見えますが、あれは磐城三十三観音のうちの17番札所がある走熊の高寺山です。左端の木の下に何やら少し見えると思いますが、ハンドル付きの排水弁です。 丁度この付近に、昭和50年中頃まで 『治衛門堰』 と名付けられた堰場がありました。
《治衛門堰があった場所の矢田川》
右側の土手には樹齢300年は経っていたと思われる1本の黒松が生えていて、 鹿島小学校の教室からも見えたので、その土手を歩いている人が誰であるのかを眺めていたような子供時代がありました。 残念ながら昭和53年に河川工事のため、矢田川のシンボル黒松は伐採されてしまいました。 《昭和53年まであった治衛門堰》
久保の区有文書に鈴木治衛門なる人物が出てきますが、果たして同一人物かどうかは判明していません。 久保邨(村)は耕土の水不足が慢性化していて、水田が作付け不能になることがしばしば発生したようで、田植え時には農民の悩みは深刻でした。 また、30数町歩ある耕地の潅漑水も需要期に不足する状況を見るに耐え兼ねた治衛門は、耕地の高低を考えた末に矢田川の一番の要所に柴堰を築き上げ、堰き止められた水を耕地に潅漑水として引き入れ、久保の田圃は稲作に適するようになりました。 の人たちはその偉業を讃え、その堰を『治衛門堰』と名付けたのでした。