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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

投書「戦争の意味を語る声少なく」(2015年8月22日「北陸中日新聞」)について

2015年08月23日 | 歴史観
投書「戦争の意味を語る声少なく」(2015年8月22日「北陸中日新聞」)について

「日本への資源供給を断つ欧米列強の悪意の包囲」
 1941年南部仏印侵略(7/23通告)にたいして米政府は日本資産凍結(7/26)を発表した。日本は石油・ゴム・スズ・屑鉄の軍事物資が止められたので止む無く戦争を始めたといっているが、そうではなく、以前の7月2日の御前会議で「情勢推移に伴う帝國國策要綱」で「南方進出の態勢を強化す」「帝國は本号達成のため対英米戦を辞さず」としていた。戦争への引き金は日本が引いたという歴史的事実を書き替えてはならない。

「白人によるアジアの植民地支配を正す戦い」
 欧米人に取って代わって、日本人がアジア諸国を占領・植民地支配したことを「正す」などと言っていいのか? しかもその過程で、重慶爆撃、南京虐殺など数千万のアジア人民を犠牲にしており、それを「正す戦い」として居直ってはならない。

      

「米軍は卑劣にも後方の女性と子どもや一般市民を標的に、無差別爆撃と原爆投下」
 米軍による空襲、広島、長崎、沖縄での大虐殺は許してはならない。同時に、日本軍による重慶爆撃、南京虐殺をはじめとして、数千万のアジア人民(女性、子ども、一般市民を含む)を殺戮したことをこそ自省的に語らねばならない。自国が犯した罪を認識し、謝罪することこそが歴史にたいする正しい姿勢である。米軍の残虐性と引き換えに日本軍の残虐性を正当化したり、帳消しにしたりしてはならない。

「戦った人たちの霊に感謝し、彼等を誇り」
 不正義の侵略戦争を始めた天皇、皇軍(将兵)の戦争責任をこそ問題にしなければならない。誇りではなく、したがって感謝などしてはならない。
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