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アジアと小松

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小松基地問題研究会

メキシコ国境に3000キロの壁

2017年01月27日 | 雑感
メキシコ国境に3000キロの壁

 トランプがメキシコ国境に3000キロの壁を建設するという大統領令に署名した。アメリカ―メキシコの国境について確認しておきたい。

 1783年に大西洋岸の東部13州(アメリカ)がイギリスから独立し、同時にアパラチア山脈の西側にある「西方領土」をイギリスから割譲した。その後内陸部を買収したり、武力で奪っていった。フランス革命(1789年)直後には、イギリスと戦うための戦費が必要だったフランスから、ミシシッピー河一体のフランス領ルイジアナを格安料金で買った。スペインからフロリダを買い、進出過程で先住民アメリカ・インディアンを虐殺している。

 1821年、アメリカからメキシコの領土だったテキサス(先住民が住んでいた)へ大量(300人)の移民があり、綿花栽培をおこなった。メキシコ政府は寛容で、移民を歓迎した。1家庭71㎡の耕作地と52平方キロメートルの牧草地をただで与えた。13年後の1834年には12万人の白人と2000人の奴隷が住むようになった。(メキシコは1821年にスペインの植民地から独立し、1829年には奴隷制を廃止していたが、テキサスのアメリカ人入植地では奴隷制が維持されていた―1862年「奴隷解放宣言」)

 テキサスの全人口の5分の4がアメリカからの移民で占められ、メキシコからの独立運動が始まった。メキシコは移民を禁止したら、アメリカ政府は500万ドルで買いたいと申し出たが、メキシコは拒否した。アメリカの入植者は武力による独立運動をはじめ、「アラモの砦」に立てこもり、メキシコ軍5000人に攻撃され陥落した。アメリカから義勇兵がテキサスをめざし、5カ月後の1836年テキサス共和国の独立を宣言した。1845年アメリカはテキサスを併合した。まさに、メキシコは「ひさしを貸して母屋を取られた」のである。

 アメリカがテキサスを併合したあと、メキシコは国交断絶を通告した。アメリカはメキシコ国境に軍隊を派遣し、メキシコ領深くまで侵略した。メキシコは反撃し、アメリカは宣戦布告し、5万人の義勇兵を送って、メキシコ領であるニューメキシコ、カリフォルニア(現在のネバダ、ユタ、アリゾナ州を含む)を占領した。メキシコは敗戦し、アメリカが主張する国境を受け入れ、カリフォルニア、ニューメキシコを格安で割譲した(1948年)。メキシコは国土の52%を失った。

 トランプが3000キロの壁を建設する地域は、もともとメキシコ領土のど真ん中であり、アメリカが武力で奪った領土の南限に当たるのだ。こんかいの3000キロの壁を主張するトランプの中に、武力を背景にしたメキシコにたいする侵略的態度が見えてくる。それは日本による魚釣島(尖閣諸島)、独島(竹島)、北方4島にたいする安倍政権の強引な政策とそっくりである。


【参考資料】『反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO!』(伊藤千尋著)
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