20230506 珠洲群発地震と志賀原発
昨日、5月5日、珠洲市で震度6強の地震が発生した。何軒もの家が倒壊し、崖が崩れ、死者・けが人も出ている。珠洲群発地震は2018年から始まり、2021年には震度1以上が70回、2022年には震度1以上が195回も観測し、6月には震度6弱を観測した。
今回の地震で、金沢でも激しく揺れ、志賀原発は大丈夫かとの不安がよぎった。
(画像はインターネット上から拝借)
珠洲原発を止めた人々に感謝
50年前の1975年に、珠洲市議会が原発立地調査要望書を国に出し、原発建設の動きが始まった。1976年には中部電力、関西電力、北陸電力が1000万キロワットの原発建設計画を発表した。それから28年にわたる攻防の末、2003年12月、三電力は「凍結」の結論を珠洲市に伝えた。
28年間のたたかいの様子を、北野さんは「振り返れば、…28年にわたる寺家、高屋現地住民による反対運動、…労組を中心とした反対運動、さらに1989年のからだを張っての立地可能性調査阻止行動以来、市内全域に拡大した市民運動がありました。それぞれの組織が力を合わせて取り組んだ数多くの反原発選挙では、…県議選、市議選で議席を次々と獲得し、国政選挙でも影響力を発揮しました。…立地の決定的な歯止めとなる共有地運動も展開し、海を守る漁協の力強い反対運動もありました。これらの運動を市外、県外、多くの皆さんの支援をいただきながら展開してきた結果が今回の断念」(「珠洲原発28年の闘い」2004年)と述べている。
そして、2018年以降始まった珠洲群発地震は、回数も規模もどんどん大きくなり、遂に震度6強の地震を観測するに至った。群発地震が起きている地域は高屋地区や寺家地区と重なっており、もしも、珠洲原発が建てられていたら―なんと恐ろしい想像でしょうか―原子炉建屋や配管設備は直撃を受けていたことでしょう。
珠洲市民がさまざまなリスク(地縁、血縁、様々な人間関係を引き裂かれる)を引き受けながら、原発建設を阻止したからこそ、その被害は地震被害に止まり、放射能被害を免れることができた。それは、珠洲の人たちにとってだけではなく、石川、富山、中部地方、本州全域での放射能被害から人々のいのちと生活を守ったのである。
珠洲の勝利に続き、志賀原発を廃炉に
地震学者によれば、珠洲群発地震は、太平洋プレートが潜り込み、能登半島付近で、プレート内の水分が上昇し、地下数十キロメートル地点で大量に溜まり、断層面がすべって、地震が発生したのではないかと解説している。だとすれば、志賀原発周辺にも同様の事象が起きれば、敷地内外にある断層・活断層が激しく動いて、震度6以上の地震が起きる可能性もある。

(画像はインターネット上から拝借)
2007年3月25日、能登半島輪島沖40キロの深さ11キロでマグニチュード6.9の地震が発生し、志賀原発でも震度6弱を観測し、2号機の原子炉建屋内で水銀灯が使用済み燃料貯蔵プールに落下し、タービン建屋床面のコンクリートがはがれ、1号機でも配管モルタルの一部がはがれた。
地球の動きは人間の手でコントロールできるものではなく、一刻も早く、志賀原発を廃炉にしなければならない。
昨日、5月5日、珠洲市で震度6強の地震が発生した。何軒もの家が倒壊し、崖が崩れ、死者・けが人も出ている。珠洲群発地震は2018年から始まり、2021年には震度1以上が70回、2022年には震度1以上が195回も観測し、6月には震度6弱を観測した。
今回の地震で、金沢でも激しく揺れ、志賀原発は大丈夫かとの不安がよぎった。


(画像はインターネット上から拝借)
珠洲原発を止めた人々に感謝
50年前の1975年に、珠洲市議会が原発立地調査要望書を国に出し、原発建設の動きが始まった。1976年には中部電力、関西電力、北陸電力が1000万キロワットの原発建設計画を発表した。それから28年にわたる攻防の末、2003年12月、三電力は「凍結」の結論を珠洲市に伝えた。
28年間のたたかいの様子を、北野さんは「振り返れば、…28年にわたる寺家、高屋現地住民による反対運動、…労組を中心とした反対運動、さらに1989年のからだを張っての立地可能性調査阻止行動以来、市内全域に拡大した市民運動がありました。それぞれの組織が力を合わせて取り組んだ数多くの反原発選挙では、…県議選、市議選で議席を次々と獲得し、国政選挙でも影響力を発揮しました。…立地の決定的な歯止めとなる共有地運動も展開し、海を守る漁協の力強い反対運動もありました。これらの運動を市外、県外、多くの皆さんの支援をいただきながら展開してきた結果が今回の断念」(「珠洲原発28年の闘い」2004年)と述べている。
そして、2018年以降始まった珠洲群発地震は、回数も規模もどんどん大きくなり、遂に震度6強の地震を観測するに至った。群発地震が起きている地域は高屋地区や寺家地区と重なっており、もしも、珠洲原発が建てられていたら―なんと恐ろしい想像でしょうか―原子炉建屋や配管設備は直撃を受けていたことでしょう。
珠洲市民がさまざまなリスク(地縁、血縁、様々な人間関係を引き裂かれる)を引き受けながら、原発建設を阻止したからこそ、その被害は地震被害に止まり、放射能被害を免れることができた。それは、珠洲の人たちにとってだけではなく、石川、富山、中部地方、本州全域での放射能被害から人々のいのちと生活を守ったのである。
珠洲の勝利に続き、志賀原発を廃炉に
地震学者によれば、珠洲群発地震は、太平洋プレートが潜り込み、能登半島付近で、プレート内の水分が上昇し、地下数十キロメートル地点で大量に溜まり、断層面がすべって、地震が発生したのではないかと解説している。だとすれば、志賀原発周辺にも同様の事象が起きれば、敷地内外にある断層・活断層が激しく動いて、震度6以上の地震が起きる可能性もある。

(画像はインターネット上から拝借)
2007年3月25日、能登半島輪島沖40キロの深さ11キロでマグニチュード6.9の地震が発生し、志賀原発でも震度6弱を観測し、2号機の原子炉建屋内で水銀灯が使用済み燃料貯蔵プールに落下し、タービン建屋床面のコンクリートがはがれ、1号機でも配管モルタルの一部がはがれた。
地球の動きは人間の手でコントロールできるものではなく、一刻も早く、志賀原発を廃炉にしなければならない。