アジアと小松

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小松基地問題研究会

『秤(はかり)』(台湾抗日小説選)

2011年07月23日 | 台湾・八田与一
『秤(はかり)』(台湾抗日小説選)

 以前、製糖会社が台湾農民から、詐欺と暴力で農地を取り上げた様子を描いている『新聞配達夫』(楊逵著1934年)を紹介しました。今回は、『秤(はかり)』(頼懶雲著1926年)を紹介します。

 これらの作品を読むと、台湾総督府支配下で農地が次々と製糖資本に奪われていったことが判ります。当時の台湾農民にとっては自然条件(農業用水)の克服もさることながら、むしろ日帝資本による土地略奪と苛酷な地主・小作関係が重大な問題だったのではないでしょうか。

 『秤』は八田与一が渡台10年後に発表された作品であり、八田与一は台湾全域、特に嘉義以南の甘蔗作適地での製糖会社による農地収奪については十分な「知識」があったと思われます(1929年には矢内原忠雄の『帝国主義下の台湾』発行)。しかし、八田与一の関心は農民を貧困に陥れた地主・小作関係ではなく、技術者の「腕の見せどころ」としてのダム建設に向いていたようです。

 それは、宮地末彦によれば、八田与一が「電源の開発については、もう日本のやつも台湾のやつも高いコストになって駄目だ。スマトラのトバ湖のものが一番安い電源であろう。…トバ湖は落差は十分にあり、天然の湖だから水の量は沢山ある。之以上の安い電源はない。将来南洋圏で工業を興すにはスマトラで起こせ」と語っているとおり、八田与一が日本資本のための開発を志向していたことは明らかです。(『水明り』所収)。

 このように、体制順応型技術官僚の八田与一には、農民の生活苦の原因が単に水の問題だけではなく、より重要なことは製糖会社による土地略奪と地主・小作関係にあることを見抜けなかったのではないでしょうか。

(「八田与一物語」が幾冊も出版されているが、原資料集が発行されていないので、八田与一の実像がなかなか明らかにならない。来週には、ごく一部だが、『台湾の水利』のコピーが届く)

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『秤』(頼懶雲著1926年『台湾民報』に発表、『台湾抗日小説選』所収)

「この頃には田畑の契約が難しくなっていた。製糖会社が砂糖から上げる利益が大きく、そのひどい搾取故に損害を蒙る農民が砂糖キビを植えたがらないと、地代を殖やして業主との契約をかち取ろうとし、一方業主たちも利益さえあれば農民の苦しみなど眼中になく、田畑の多くが会社に契約されてしまったからである。比較的良心的だと言われた業主が何人かいて、農民が契約するのを承知しても、製糖会社同様の小作料を要求する…会社の雇用労働者として働くのは牛馬も同然で…」
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