アジアと小松

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小松基地問題研究会

植民地支配の道具・神社はいらない

2017年05月30日 | 台湾・八田与一
植民地支配の道具・神社はいらない
 4月に八田與一像が破壊され、今度は台北市内逸仙小学校の狛犬が破壊された。日本統治時代に北投神社に設置され、解放後同神社跡に逸仙小学校が建てられ、狛犬はそのまま残されていたという。

 1895年、日本が台湾を植民地にし、その翌年には開山神社を作った(鄭成功を祀った廟を開山神社に改称)。その後次々と神社が作られ、最終的には260社以上が建てられた。そのほとんどが北白川能久を祭っている。能久は抗日勢力を討伐する最先頭に立ち、台湾で病死したので、ヤマトタケルになぞらえ、台湾鎮護の神として祭られた。すなわち台湾植民地支配の安定を願う神社であり、台湾人民にとって絶対に相容れないのである。

 当然のことながら、台湾解放後ほとんどの神社は破壊されたが、逸仙小学校に残されていた狛犬を破壊して決着をつけたということだ。解放後の朝鮮でも神社は人民の手で解体された。

 この記事を見て、古い古い記憶がよみがえってきた。1972年11月のことである。沖縄出身の労働者大城俊雄さんが金沢市立戸板小学校の校庭に立つ二宮金次郎像を大型ハンマーで粉々にした事件である。小学校校庭の金次郎像と奉安殿は日本の子どもたちを天皇制にひれ伏させるための洗脳の道具だった。

 大城さんは少年時代に金次郎の像が建てられた小学校に通っていて、毎朝その前でお辞儀をさせられ、天皇への忠誠を強いられていたのである。

 事件が起きた1972年は「沖縄返還」の年であるが、その15年後1987年知花昌一さんは天皇の沖縄訪問に抗議して、「日の丸」を引きづり降ろし、焼き捨てた。

 金次郎像の破壊、「日の丸」の引き下ろし、そして八田與一像の破壊、狛犬の破壊、これらの行為は旧植民地人民の当然の行為であり、これらの事件を通して私たちはあらためて日本の植民地支配について認識し、心から謝罪しなければならないのである。

 沖縄を旧植民地と規定することに異論があると思うが、『帝国日本の再編と二つの「在日」』という本があり、そこに尹明淑さんが「占領期『在日沖縄人』社会の構造と実態」という論文を載せている。戦前戦後の大阪の沖縄人社会の形成を対象化した論文である。標題が示すように著者は沖縄と朝鮮をともに旧植民地と認識し、在日沖縄人と在日朝鮮人の同質性と異質性を論じている。

 外側(元植民地人民)から戦前・戦後の日本社会を見ると、そこには日本の宗主国としての紋章が深く刻まれている姿がある。私たちは内側から日本(社会)を見るだけではなく、外側からも日本(社会)を見る目を養わなければならない。

 そういう点で、台湾で起こされた2つの事件を真っ正面から見すえて、私たちの立ち位置を確認する糧としなければならない。そして、日帝の戦争責任と戦後責任を問わねばならない。
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