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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20211220 第5・6次小松基地爆音訴訟 控訴審第1回口頭弁論 傍聴記

2021年12月21日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
第5・6次小松基地爆音訴訟控訴審第1回口頭弁論傍聴記(2021.12.20)

 寒波が少し和らいだ12月20日、第5・6次小松基地爆音訴訟控訴審の第1回口頭弁論が開かれた。
 昨年3月に第1審判決があり、コロナ禍という理由で公開審理がおこなわれず、非公開の進行協議がつづき、1年半後にやっと口頭弁論が開かれたかと思いきや、これで結審し、来年3月16日に判決日が指定された。

 久しぶりに原告団の面々と顔を合わせ、軽い会話を交わしながら1時30分の開廷時間を待った。コロナ対策で傍聴席は半分に制限されていて、傍聴できるかどうかちょっと心配だったが、かろうじて滑り込むことができた。

 傍聴席から向かって左側に原告弁護団18人がならび、右側には被告国の弁護団10人がならび、裁判官3人が入廷して審理が始まった。

 最初は原告被告双方から提出された文書の確認がおこなわれ、これにかなりに時間が費やされた。本来ならば、口頭弁論が開かれるたびに文書が確認されるのだが、この1年半の間に提出された文書の確認作業であり、行きつ戻りつしながらすべての文書が確認された。

 ようやく、原告団長の意見陳述が始まり、「1961年に佐美町の住民は国防に協力しようと松林を国に提供した(注:実は反対の声を踏み潰して強引に奪っていった)」、「これまでの50数年間、騒音に晒され、墜落や部品落下の危険に怯える生活を強いられ」、「早朝7時半ごろから夜7時まで、アグレッサー部隊の訓練によって被害が拡大し」、「さらにF35Aステルス戦闘機まで配備しようとしている」、「50年の長きにわたって爆音にさらされ、私は突発性難聴を患い」、「激甚騒音地区の佐美町住民はもう我慢の限界に来ており、集団移転するしかないと考えている人が多数」、「国防は、沖縄をはじめ多くの基地周辺住民の犠牲のもとに成り立っている」と、怒りを押し隠し、淡々と述べた。

 弁護団が立ち、意見陳述が始まった。第1審判決について、①アグレッサー部隊による騒音状況の悪化を認めず(注)、②健康被害を認めず、③被害賠償額の低額性を批判した。

 最後に、いくつかの文書提出の期限を決めて、結審し、3月16日の判決日を告げて、3時30分に口頭弁論は終わった。

 

(注『いまこそ、不戦を誓う―小松からアジアの友へ』より)
アグレッサー部隊の小松移転
 2016年6月2日、新田原基地(宮崎県)に配備されていた飛行教導群(F15戦闘機10機)が小松基地に移転した。飛行教導群は戦闘機訓練時に敵機役(仮想敵機)になる部隊で、アグレッサー部隊とも呼ばれている。
 アグレッサー部隊は要撃機パイロットの技量向上などを目的として、1981年に福岡県築城基地で編成された。築城基地では、T2が仮想敵機として選ばれた。1983年に宮崎県の新田原基地に移動し、1990年にF15戦闘機に機種変更した。
 2014年「25防衛大綱」で、航空自衛隊の能力を向上させるために、訓練・演習を充実・強化することが謳われ、今回のアグレッサー部隊の小松移転もその一環である。小松基地への移転の理由は、①日本海に広大なG訓練空域があり、戦闘機戦闘訓練には都合がよいこと、②小松基地にF15戦闘機10機を追加し、50機体制にすることによって、中国、ロシア、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする攻撃能力を強化することにある。
 朝鮮半島に面する小松基地に攻撃部隊を集中し、後方の新田原は兵站エリアにしようと考えているようだ。


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