OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ソフトロック歌謡のバニーズ

2013-08-25 15:20:11 | 歌謡曲

金色のほほ c/w 青春は甘く悲しく / 荻野達也とバニーズ (東芝)

昨日は旧友の病気見舞いに行きましたが、本人が覚悟しているとおりの病状は、流石に辛いものがありました。

もちろん医師や家族からの話でも、周囲には本当の事を伝えるのが旧友の希望ということで、サイケおやじも心の準備をしなければならないようです。

う~ん、山口富士夫藤圭子の突然の悲報、そして旧友の重篤が続けば、どうにも自分の心が脆くなっているのを感じるばかり……。

そこで本日は、掲載のシングル盤を朝から聴いているという次第です。

演じているバニーズは、寺内タケシがブルージーンズを辞めた後の昭和41(1966)年に心機一転、自らの音楽性を極めんと結成したバンドであり、エレキインストでは世界的な名盤アルバムにして超名演集の「レッツゴー運命」を制作し、またブーム真っ只中のGSジャンルのグループとしても、「太陽野郎」「悪魔のベイビー」「レッツ・ゴー・ブガルー」等々の強烈なヒットを放つ大活躍!

ところが諸々の事情から、御大寺内タケシとバニーズ本隊が分離分裂するという事態から、ついには昭和44(1969)年頃には荻野達也をリーダーに、バニーズは独立独歩の道を歩む別のバンドになったというのが、今日の歴史でしょう。

それは確かに「別のバンド」と書くのが当然という、音楽性の大きな変化があり、ロック的なエレキインストやGSのフィーリングは弱め、むしろポップス歌謡、時にはムードコーラスに近いものまで演じる新路線は賛否両論だったと思われます。

ところが現在の感覚で新生バニーズの音源を聴いてみると、これが見事なソフトロック歌謡がど真ん中!

例えば昭和(1970)年に発売された、このシングル盤A面に収録されている「金色のほほ」は作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、編曲:渋谷毅という、そのジャンルの第一人者が、がっちり手を組んだ良い仕事の傑作で、本当に気持の良いボサノバ歌謡に仕上がっているんですねぇ~~♪

ちなみに当時のバニーズのメンバーは黒沢博(vo,g)、栗山正(g)、鈴木義之(g,b,vo)、荻野達也(key)、井上正(ds,vo) という5人組だったと言われていますが、当然(?)ながら「金色のほほ」はオーケストラも導入されたアレンジにより、バンド色は希薄です。

しかしメロディの良さ、甘い歌詞の胸キュン度数の高さは、たまらないほどですし、バニーズの歌とコーラスのジェントルな雰囲気の良さは、微妙なロックっぽさが残っている事もあり、なかなか王道の歌謡曲としても一級品♪♪~♪

あぁ~、何度聴いても、自然に心が和らいでいく感じがクセになります。

またB面の「青春は甘く悲しく」も、これまた同じ制作陣の良い仕事であり、オーケストラの導入もありますが、バニーズのバンドっぽさと歌謡フォーク的な楽曲のせつなさが実に良い感じなんですねぇ~♪

ということで、前述した「別のバンド」云々は、特にこのシングル盤から尚更に顕著という印象なんですが、案の定、大きなヒットにはなっていません。

しかし当時のラジオから流されることも多かったという記憶がありますので、業界ウケは良かったんじゃ~ないでしょうか。

つまり一般的イメージとしてのバニーズは、未だエレキがバリバリで、それを期待させていた感があり、このシングル盤にしても、昭和50年代前半頃までの中古市場では安値でしたから、サイケおやじもその段取りでゲットしたものです。

そして物足りなさも確かにあるんですが、バニーズという看板を意識せず、別なコーラス系ポップスバンドとして、このレコードを聴いてみれば、秀逸!

失礼ながら、覆面グループというか、別バンド名義で顔を隠して発売していれば、それなりのヒットになっていたような気もしています。

ということで、青春ばかりか、人生も甘く悲しく……。

其々に良い時も、悪い時も、きっちりやってくるのが、この世に生きる理だろうと思います。

既に人生の終盤に入っているサイケおやじは、その覚悟が出来ないまま、漫然と日々の生活に追われるばかりなんですが、気持が前向きという事は、自らの最期を覚悟する事でもあるのでしょう。

せめて、すんなりと、こういうレコードを聴いていたいものです。

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