OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

追悼・山口冨士夫

2013-08-16 14:49:41 | 日本のロック

ユメがほしい c/w 大人の戦争 / ザ・ダイナマイツ (日本ビクター)

やはり突然と言っていいのでしょう、日本を代表する本物のロックミュージシャンだった山口富士夫の訃報に接しました。

そこで本来ならば、個人名義のレコード、例えばLP「ひまつぶし」あたりを掲載すれば衷心からの供養となるんでしょうが、サイケおやじは、とても件のアルバムに針を落す心境になれません。

皆様に、こうした苦汁をご理解いただけるかは知る由もありませんが、それでも山口富士夫を偲ぶ時、ど~しても避けられないのが、本格的なメジャーデビューとなったGS時代のダイナマイツにおける諸々の音源であり、今となっては露骨な歌謡曲趣味に彩られたレコードゆえに、何か無視するのがファンの務めのように語られるのは、いかがなものでしょうか……。

故人を評する中で特に言われるのは、その「媚びない姿勢」という一点だと思いますが、しかしプロのミュージシャンである以上、自分の演じた音楽を聴いて欲しくないという人は皆無でしょう、例えそれが「お金のためのお仕事」だったとしても!

投げやりな気持ちや行動で、それらをやっていたら、まず「お金」とは完全に決別しなければなりませんし、ファンやリスナーに何も伝えられないパフォーマーなんて、存在する意義がありません。

さて、そこで掲載のシングル盤はダイナマイツにとってはメジャーデビュー2作目として、昭和43(1968)年春に発売された名作なんですが、実はA面の「ユメがほしい」は超一級の歌謡曲であり、だからこそコアなGSマニアからは忌み嫌われ、GSはロックでは無いという、間違った常識の根源を形成する典型とされている感があります。

そりゃ~、確かに作詞:橋本淳&作曲:すぎやまこういちの狙いは、ダイナマイツを当時の芸能界へ馴染ませようとする要望に応えたものかもしれません。

しかしリアルタイムでは、如何にGSブームが全盛と言っても、こういう歌をオリジナルで持ちネタにしていなければ、その頃は未だジャズ喫茶と呼ばれていたライプハウスからは脱却出来なかったはずで、それは全国展開の巡業には絶対的な宣伝要素となっていたテレビ出演が難しかったのですから、誰を責めるわけにもいきません。

告白すれば、サイケおやじはテレビでしかダイナマイツに接したことがなく、それでも歌や演奏が凄く上手く、特にコーラスワークにも秀でていた印象は今も強烈に焼きつけられたまま!

ですから、レコードで聴く「ユメがほしい」の歌謡ポップス充満のムードに素敵なコーラスワークと幾分チープなギターサウンドがミックスされていれば、それはそれで至高の仕上がりというわけです。

ちなみに当時のメンバーは瀬川洋(vo,g)、山口冨士夫(vo,g)、大木啓造(g,b)、吉田博(vo,b)、野村光朗(ds) という5人組だったんですが、ここでのギターソロが山口富士夫だとしたら、ニューロック期以降の故人しか知らないファンの皆様は、些か面食らうかもしれません。

もちろんレコードバージョンにはストリングがたっぷりと被せられていますからねぇ~~。そういうところをどれだけ許容出来るかによって、ダイナマイツに対するスタンスも決まってくるように思います。

その意味でB面の「大人の戦争」は、A面と同じコンビの職業作家による提供楽曲でありながら、ハナからケツまでシビレるファズが大炸裂のサイケデリックな名演で、むしろこちらこそが、今も昔もダイナマイツ、そして山口富士夫のイメージそのものでしょう。

ほとんど支離滅裂(?)な歌詞にもブッ飛ばされますよ♪♪~♪

あぁ~~、こういう落差の激しい両面性があるからこそ、GSのシングル盤は人気があるにちがいありませんっ!

ダイナマイツにしても、サイケおやじは実演ライプに接した事がないので、あくまでも伝聞とお断りして書きますが、リアルタイムではニューロック系洋楽のカパーをたっぷりやっていたそうですから、「大人の戦争」こそが本領発揮の場であったという推察は易いはずです。

しかしそれだって、A面の「ユメがほしい」を聴いて、実際にレコードを買わなければ体験出来なかったファンが圧倒的に多いわけですから、メンバーがそれを蔑にしていたはずもありません。

ということで、山口富士夫の急逝は、サイケおやじの心に虚ろな穴を穿ちました……。

幸いなことに、故人のライプには数次行けましたし、酒席で本音(?)を聞けた時間も、ちょっぴりですが、ありました。

故人はルックスや過去の告白によって、イメージ的に幾分怖い感じもするんですが、ぶっきらぼうの中に弱い者の気持が分かっている、心の優しさがあった事は言うまでもありません。

ステージに出てくる時、フジオでぇす、と脱力系の挨拶とふわぁ~とした佇まいでやり始める、山口富士夫だけの煮え滾るロックは無形文化財と言えば権威主義かもしれませんが、代替は決して不可能なものであります。

ピュアだとか、ナチュラルだとか、そんな言葉も不適切なほど、山口富士夫は最高でしたっ!

謹んで、故人のご冥福を……。

合掌。

コメント (4)
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