OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

一度は見たかった幻のリード

2012-05-13 15:37:13 | 日本のロック

■悪魔がくれた青いバラ / The Lead (RCA)

日本のロックが最高潮だったGSブーム期は夥しいグループがレコードデビューしていましたから、その全てをリアルタイムで聴けたなんてことはありませんし、もちろん生演奏に接することも限られていました。

ですから、それゆえに様々な伝説が生まれ、また「幻の」という形容詞が用いられているバンドも少なくありません。

例えば本日ご紹介の「悪魔がくれた青いバラ」を出しているリードは、アメリカ人ばかりのバンドでありながら、基本的には東京は赤坂周辺のディスコやゴーゴー喫茶で活動していたという、ローカルな本格派?

しかし基本的に外人コンプレックスが未だ強かった当時の日本では、彼等のカッコ良さは抜群であり、しかも演奏テクニックにも秀でたものがあったそうですから、GSブームも爛熟していた昭和43(1968)年秋には堂々のレコード契約を得ています。

メンバーはマーク・エルダー(g,vo)、アーダクル・タミヤ(g,vo)、フィル・トレイナー(b,vo)、アラン・ヒル(ds.vo) という4人組で、中でもマーク・エルダーのギターテクニックは凄かったそうですねぇ。冒頭に述べた「伝説」という部分では、この人の駆使するチョーキングを真似ようとして、大勢の日本人ギタリストがライプの現場に集ったというほどなんですが、個人的にはその真偽のウラが取れておらず、ちょいと悔しいところ……。

何故ならば、マーク・エルダーは翌年早々に違法薬物関連で逮捕され、グループを脱退していますし、それ以前にもサイケおやじはテレビでさえ見た記憶が無いほど、リードは幻のグループだったというわけです。

また掲載したシングル曲「悪魔がくれた青いバラ」はロックというよりも、歌謡フォークと断定したくなるほど、日本語の歌詞に昭和特有の洋風メロディがつけられたコーラス曲……!?

告白すれば、サイケおやじは学生時代に初めて前述したチョーキング伝説を知り、後追いで聴いた所為もあるんでしょうが、その落差の物凄さに愕然とさせられましたですねぇ~~。

それともうひとつの伝説というか、そのマーク・エルダーが抜けた穴埋に入ったのがジャズ歌手としては超有名なヘレン・メリルの息子という、アラン・メリル! しかもこの時はグループ内にアラン・ヒルが在籍していたんで、ポール・メリルと名乗っていたのが、如何にも日本の芸能界でしょうか。

ご存じのとおり、アラン・メリルはリードが解散に追い込まれた後、ソロシンガーとして日本で数枚のシングルとアルバムを出し、同時にテレビバラエティやドラマにも出演していたという、所謂出稼ぎ外タレでありましたから、今でも忘れられない皆様も多いはずと推察しております。

何よりも日本のロック史のその名を刻むウォッカ・コリンズを結成し、またロックパイロットにも参加していたのは、その実力の証明だと思います。

で、肝心のリードにしても、その真の実力は流石に本物だったのでしょう。リアルタイムではLPも2枚出しているんですが、これがまたリアルタイムでヒットしていた洋楽ロックやR&Bのカパー物というのに、仕上がりが何故かテキトーなやっつけ仕事!?

う~ん、これも当然ながら後追いで聴いたサイケおやじを茫然とさせましたですよ……。

結局、リードは外人バンドが日本語で歌ってくれるという珍しさというか、ある意味では日本人の優越意識を刺激する策略があったと勘繰られても、こんなレコードばっかり作らされていたら、ど~しようもないでしょう。

そして前述したような伝説があればこそ、当時の夜の赤坂あたりにあったディスコにタイムスリップし、ライプ演奏に接してみたいという欲求は高まるばかです。

またチョーキング伝来の件についても、既に昭和40(1965)年のベンチャーズ来日の時には、ノーキー・エドワーズがライトゲージでキュインキュインにやっていたわけですし、それを寺内タケシが早速自身の手で会得進化させていたですから、今更なぁ……、という思いは確かにあります。

ということで、なにか絶望的な事ばっかり書いてしまいましたが、楽曲そのものとしての「悪魔がくれた青いバラ」は、作詞:尾中美千絵&作曲:鈴木邦彦が書いた、まるっきりタイガースのヒット曲路線を狙った秀逸なクラシック調の歌謡フォークなんですよ♪♪~♪

これは相当、現在でもイケるんじゃ~ないでしょうか。

う~ん、リードはやっぱり伝説の名バンド!?

コメント
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