OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

紫の裏表

2010-02-26 16:54:07 | Rock

Come Taste The Band / Deep Purple (Purple)

今ではハードロックの裏名盤となったこのアルバムも、天の邪鬼なサイケおやじにとっては、それこそボロクソに貶されていた発売当時の方が愛着のある1枚です。

それは1975年、「リッチー・ブラックモアの居ないディープ・パープル」という、ファンにとっては絶対に容認出来ない問題提起の結果だったのですが……。

そして後釜に迎えられたのはトミー・ボーリンという、ハードロックもジャズフュージョンも絶対的に弾きこなすアメリカ人のギタリストでしたが、そのキャリアは既に17歳でゼファーというバンドでレコードデビューを果たし、その後もジェームス・ギャングやビリー・コブハムのセッションで大活躍していたという実力は、業界や玄人筋では完全に認めれている天才!?!

ですから当時、人気絶頂だったディープ・パープルに迎えられても、ジョン・ロード(p,key)、イアン・ペイス(ds)、グレン・ヒューズ(b,vo)、デイヴィッド・カヴァーデイル(vo) という居並ぶ御大&先輩に従うどころか、逆にレコーディグセッションの大部分で自作のオリジナルをやってしまうという傍若無人さが、その証明だったのかもしれません。

またそれを受け入れて、とにかくアルバムを完成させたディープ・パープルという組織も、また立派だったんじゃないでしょうか?

 A-1 Comin' Home
 A-2 Lady Luck
 A-3 Gettin' Tighter
 A-4 Dealer
 A-5 I Need Love
 B-1 Drifter
 B-2 Love Child
 B-3 a) This Time Around
      b) Owed To‘G’
 B-4 You Keep On Moving

もちろん、これが世に出た当時の1975年晩秋、マスコミは決して貶していたのではなく、むしろ好意的で、当然ながら評論家の先生方にはレコード会社のヒモがついていますし、年末にはディープ・パープルの来日公演も予定されていたことを割り引いても、けっこう本音が出ていたと思っています。

しかし現実的なファンの気持としては、リッチー・ブラックモアとは決定的に異なるトミー・ボーリンのスタイルは違和感がいっぱいだったのです。それはリッチー・ブラックモアのギターソロにはキャッチーな「お約束」のフレーズが幾つか用意されていて、それに向かってアドリブというよりは間奏を作り上げていく様式美があったのに対し、トミー・ボーリンはあくまでも瞬間芸というか、ボーカルやリズム隊の勢いとその場の空気を読みながら、呼応していくアドリブ優先主義だったように思います。

また、それまでのディープ・パープルの楽曲を「らしく」していた覚えやすいリフの構成も、このアルバムにはそれほど登場しません。

実はそうした方向性は、前作アルバム「嵐の使者」で既に表出していたのですが、そこにはリッチー・ブラックモアが未だ在籍していた免罪符によって、駄作? という疑惑がありながら、ギリギリのところでファンに許容されていたように思います。

今となっては、そういう方向性がグレン・ヒューズとイアン・ペイスの音楽的指向だったらしく解説されていますが、そこに滲み始めたファンキーなハードロックという試みは決して誤ったものではなかったのが、時代の要請でした。

なにしろその頃は所謂ニューソウルと呼ばれた黒人サイケデリック、あるいは白人バンドが黒人R&Bをロック的に解釈したファンキーロックが、それこそジワジワと広がり、例えばアベレージ・ホワイト・バンド等々は人気を集めていたのですから、そのハードロックスタイルがあっても不思議ではないのです。

おそらくディープ・パープルはリッチー・ブラックモアが辞めた時点で解散を決めていたのかもしれませんが、あえてここに新作レコーディングに踏み切ったのは、そういう時代の流れを読み、またトミー・ボーリンという適任者を発見したからじゃないでしょうか?

と、まあ、ここまでは独り善がりの後付け論なんですが、リアルタイムでの私の出会いは例に輸入盤屋で、店内に流れていたこの新譜を聴き、なんてカッコ良いバンドだろう! と、思ったんですが、まさかそれがディープ・パープルだとは思いもよりませんでした。

そしてこの時はアルバムタイトルも確認しなかったのが本当のところで、それからちょっと後、リッチー・ブラックモアを教祖と崇める狂的なパープル信者の友人から、初めて全篇を聞かせてもらい、驚愕したのが真相です。

まず冒頭、如何にも思わせぶりで重厚なイントロから一転、スピード感いっぱいに疾走する「Comin' Home」が実に痛快! スライドギターも駆使した弾きまくりの姿勢を初っ端から示すトミー・ボーリンの潔さに加え、イアン・ペイスが得意技の急ブレーキドラミング! さらにサビのキメではハーモニーコーラスも聞かせるなど、これだって明らかにディプ・パープルの所謂第三期を見事に継承した名曲名演だと思うんですが……。

しかし件の友人に言わせると、ギターソロに「お約束」の仕掛けもなく、楽曲そのものにもキャッチーなリフが無い! そしてこんなクロスオーバーなギターはハードロックじゃない! と断言するのです。

それでも私は続く、どっしり重い正統派ブリティッシュロック「Lady Luck」への流れの良さが快感でしたし、いよいよ始まるのが、前述した輸入盤屋の店頭で私が聞いたファンキーハードロックの「Gettin' Tighter」とくれば、もう、たまりません。

あぁ、このファンキーなコードカッティングを下敷きに、タメとツッコミのコンビネーションが絶妙のバンドのノリは、当時としては新しかったですねぇ~♪ トミー・ボーリンがまたまたスライドを使っているのもニクイばかりですし、なによりも仰天悶絶させられるのが、中盤での完全ファンキーグルーヴ! そのゴキゲンな展開ゆえに、思わずウホホホォ~~♪ なんていう掛け声も実に良いムードです。もちろんチョッパーベースにシンコペイトしたドラミングは定番なんですが、後半で再びヘヴィなロックのビートに立ち返るあたりも熱気があって、後半のギターソロからフェードアウトが勿体ないですよ。

ですから次曲の「Dealer」が、これまたヘヴィなハードロックになっていたとしても、それが当時の流行だったサザンロックの味わいになるのも無理からんことでしょう。トミー・ボーリンのスライドが、またまた冴えまくり、曲メロそのものの南部風味を見事に引き立てる良い仕事♪♪~♪ もちろんアドリブソロの暑苦しさも、抜かりはありません。

しかし、それがAラスの「I Need Love」ではイーグルスみたいになっているのが??? う~ん、確かにこれはディープ・パープルの名義じゃ、噴飯物でしょうねぇ……。ただし、ここでも中盤からのファンキーグルーヴが心地良いですよ♪♪~♪

そうしたサザンロックの雰囲気はB面にも伝染していて、「Drifter」や「Love Child」がレナード・スキナードみたいと言えば、贔屓の引き倒しでしょうか。

どこが、ディープ・パーブル?

と言いたくなる気持は、私にも確かにあります。

その要因のひとつが、ここまでのジョン・ロードの存在感の無さでしょう。バンドサウンドの大部分はファンキーなリズム隊と達者なギターのオーバーダビングで作られて、時折、ピアノやオルガンが薄~く入っているだけなんですねぇ……。

つまり、これまでのディープパープルを印象付けていた様式美が、バッサリと消し去られているのですから、ファンキーなビートの中でキーボードシンセのアドリブを聴かせる「Love Child」にしても、ジョン・ロードは相当に無理しているなぁ、と哀しいものを感じるほどです。ただし演奏そのものはゼップ+グランドファンクという、ハートプレイカーな曲調に思わずニヤリ♪♪~♪

そして、どうにか「らしく」なるのが、二部構成で展開される「This Time Around」と「Owed To‘G」の潔さ! 物悲しいムードのピアノとギターに導かれる「This Time Around」は、その甘いメロディをせつせつと歌いあげるデイヴィッド・カヴァーデイルの上手さが良く出ていますし、まあ、これをAORと言ったらミもフタも無いわけですが、後半の「Owed To‘G」ではちょいとプログレ風味も強い、実に琴線に触れまくりの様式美が眩しいほどに鮮やかだと思います。

いゃ~、泣けてきますよっ、本当に♪♪~♪ トミー・ボーリンのギターは素直に侮れません。

それがオーラスの「You Keep On Moving」に至ると、これまたスローな展開からジョン・ロードのオルガンが地味なお膳立ての中、グイグイと盛り上がっていく演奏が快感以外の何物でもありません。密かにレゲエのグルーヴが持ち込まれているのもニクイばかりですが、ユニゾンのコーラスワークも使ったボーカルパートのハートウォームな情熱、ツボを押さえたオルガンソロ、さらにドラマチックに展開されるトミー・ボーリンのギターソロの素晴らしさ! もちろん多重層に重ねられたコードワークと疑似ツインリードも快感ですよ。

ということで、個人的には聴くほどに味わいが濃くなる名作だと直感したんですが、友人は駄作と決めつけていました。

そして最終局面が、運命の来日公演!?!

実は所謂第三期のディープ・パープルはついに来日が無かったので、このアルバムが出た直後に予定されていたライプのチケットは、アッという間にソールドアウト! それは異常とも思える盛り上がりで、残念ながら私は行くことが出来ませんでした。

しかし現実は悲惨……。

なんと新参加のトミー・ボーリンが悪いクスリでヘロヘロになっていたとかで、ほとんどギターが弾けず、そのパートはジョン・ロードが孤軍奮闘で補っていたのです。しかも実際にライプに接した人達からの伝聞では、トミー・ボーリンだけが別の曲を弾いていたとか!? あるいは意図的に音を切られていたとか!? とにかく伝説的なトホホを演じきったというのですが、そのあたりは後年に発売されたライプ音源にも、しっかりと記録されています。

で、それゆえに第四期のディープ・パープルはダメだ!

という定説が誕生し、同時にこのアルバムも駄作のレッテルが貼られたのかもしれません。なにしろ翌年からの中古市場には、ピカピカのこのアルバムがごっそり出回り、サイケおやじも綺麗なイギリス盤を格安でゲット出来たというわけです。

またそうしたことの積み重ねから結局、ディープ・パープルはほどなく本当に解散に追い込まれ、それまでのファンは必然的にリッチー・ブラックモアの新バンドになったレインボーへと流れたのが、今日までの歴史です。

しかもその原因のひとつが、トミー・ボーリンの悪いクスリによる急逝だったことも、悪評に拍車をかけたわけですが、そんなこんなが無くて、もしも第四期のメンツで、もう2枚ぐらいアルバムが作られていたら、それも変わっていたと思うんですが、いかがなもんでしょう。

ちなみにこのアルバムが駄作から隠れ名盤へと変化したのは、おそらくは元ディープ・パープルのイアン・ギランが自らのバンドを率いてフュージョン寄りのアルバムを作り始めた1976年以降のことでしょうし、さらに1984年になって黄金の第二期のメンツでディープ・パープルが再結成され、伝統芸能をやり始めた以降だと思われます。

つまり、その時になってようやく、意欲的だった時代の最後の輝きが懐かしくなったかのように、本物が求められたのかもしれません。

もちろんサイケおやじは、再結成後のディープ・パープルを良いと思ったことは一度もありません。やっばりディープ・パープルは、このアルバムで終わったという思いが尚更に強く、それゆえに愛着が持てるのでした。

願わくは「裏」ではなく、きちんと名盤として認められる日を待ち望んでいるだけです。

コメント (2)
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