OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ユーミンがデビューの初々しさ

2009-12-18 10:41:54 | Singer Song Writer

返事はいらない c/w 空と海の輝きにむけて / 荒井由美 (東芝)

発売から約1年遅れて聴いたデビューアルバム「ひこうき雲」によって、忽ち気になる存在となったユーミンの、実は本当のデビュー曲が本日ご紹介のシングル盤でした。

これが世に出たのは、なんと「ひこうき雲」よりもずっと早い昭和47(1972)年7月だったわけですが、そこまでの経緯やユーミンの音楽体験、そして様々な交友関係については、後年に書かれた自伝「ルージュの伝言」で知ることが出来ます。

もちろん私も、それを読んでからユーミンの凄さを再認識したわけですが、中でも既に中学生の頃から作曲家の村井邦彦に認められ、子飼のソングライターとして活動していたという事実は、まさに天才の証明でしょう。

また同様にハーフの友人達と米軍基地中に出入りしていたとか、六本木にあった某レストランで、当時の芸能界や芸術の世界のお洒落な人達と交流していたことについても、一般的な見方からすれば、その頃は不良少女の証明なんですが、もうひとつ、そういうことが許される環境というのも、見過ごせないと思います。

ご存じのように、ユーミンの実家は使用人や出入りの商人も多い老舗の呉服店でしたから、所謂リッチな生活だったと思われます。彼女が作る歌が、それまでの貧乏ったらしいものとは無縁なのも当然だなぁ~、と納得する他はないでしょう。

しかしユーミンがそうした環境で育ったとしても、彼女が自らの感性を培ったのは、やはり自己の天才性を活かす努力をしていたからだと確信しています。

そうじゃなければ、四十代になっても、少女の気持を歌い続けることは出来なかったはずです。

さて、そこで本日のデビュー曲ですが、もちろんアルバム「ひこうき雲」でも聴ける歌でありながら、これは完全なる別バージョン! なんとユーミンがアレンジを自ら手掛け、ピアノやキーボードを多重録音して仕上げたという、なかなかイナタイ魅力が良い感じ♪♪~♪ ちなみに他の参加メンバーとしては、かまやつひろし(プロデュース)、高橋幸宏(ds) 等々の名前があるようですが、これには諸説があるので、ここでは確定はしておきません。

で、私がこのシングル盤をあえて買ったのは、もちろんユーミンが気に入っていたからですが、もうひとつの真相はシングルバージョンの存在に気がついたからに他なりません。

それはラジオで聴いた瞬間、うっと呻いた記憶が今も鮮烈なんですが、その昭和48(1973)年末頃になると、深夜放送が中心ではありましたが、ユーミンの歌が頻繁に流れるようになっていました。特にTBSのパックインミュージックでは、ほとんどタイアップしたかのようなオンエア率の高さ!?! 中でも林美雄は洋楽ノリの和物ロック&フォークを積極的に流していましたが、そこでは石川セリとユーミンがイチオシ状態! 私はその頃にやっていたバイトの関係で、林美雄のDJは毎週聞いていましたから、このシングルバージョンの存在を知ったのも、その番組だったというわけです。

もちろんB面に収録の「空と海の輝きにむけて」も、アルバムバージョンとは異なっています。

う~ん、それにしてもジャケットスリーブに写るユーミンの初々しい姿は、なんともいえませんねぇ~。もちろん歌も演奏も、新鮮というよりは、初々しく、可愛いです。

それと、これは「ひこうき雲」を最初に聴いた時から感じていたことですが、後の大ブレイク以降、教祖にまで祀り上げられたユーミンの全盛期からすれば、デビュー当時の「歌声の暗さ」は特徴的だと思います。

だからこそ、リッチな新感覚で売り出されたユーミンが、それ以前の青春四畳半物語的な歌謡フォークに馴染んでいたファンにも、それなりに受け入れられたんじゃないでしょうか?

本日も独断と偏見、失礼致しました。

コメント
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