きのう行われた東北民謡コンクールで、秋田県から一人も入賞者を出せなかったらしい。賞をもらった6人はすべて県外の方だった。
その前にBS民放で「にっぽん民謡紀行」があって、聴いているとまず、「こきりこ節」が流れた。それにまつわる人々の生活も一緒だった。それは2時間番組で、30分ごとに一つの民謡とそれに関係した人々の暮らしを描く内容のようだった。次の民謡に注目した。2番目は「安来節」だった。なるほど、ドジョウすくいか、小学生の男の子二人が競って演じていた。3位に甘んじた一人は悔しくて今でも涙を流す。毎日、腰を落として歩く練習を家でしている。
そろそろ秋田県の民謡が出るだろう。なんたって民謡王国と言われた秋田だ。ドンパン節でもいい。秋田音頭でも勝負できる。秋田船方節、秋田おばこ、長者の山、本荘追分、秋田長持唄、どれでも勝負できるぞ。しかし3番目は「谷茶目」だった。沖縄の独特の音階による「たんちゃめ」それとそれにまつわる人々の暮らし。ここまで来て考えた。何が足りないのか、分かってきた。民謡と、それを支える人々だ。それがまったく盛り上がっていないのが秋田県なのだろう。団塊の世代とその下の我々の責任だ。就職したての頃、宴会に呼ぶのは民謡一座だった。それが嫌いだったわけではない。しかしそれより盛り上がる、楽しいジャンルの出し物があるだろう、と思っていた。あの頃、伝統の音楽など頭になかった。心は洋楽に向いていた。今考えると、一芸を持っていた先輩たちがうらやましい。皆、何かしらの民謡を歌い、座布団を丸めて、男性のシンボルと女性のシンボルを作って、二人で掛け合いをしながら踊っていた。見ているオレより、踊っている方が楽しそうだった。あれは秋田大黒舞だったろうか。
最後は北海道民謡かな、と考えた。ソーラン節はあるし、私が日本のレクイエムと仰ぐ「江差追分」がある。最後の4番目は「会津磐梯山」だった。やられた。昨年の国文祭では男鹿から若い後継者が歌う様子が流れた。由利高校では民謡部が活動している。しかし県民の間に根付いているとは言い難い。カラオケを始めたきっかけは、歌がうまくなりたいからだった。こぶしを利かせて演歌を歌い、ゆくゆくは民謡も唄えたら、と思っていた。初心忘るべからず。すっかり忘れていた。