松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

昭和49年2月25日の日記

2021-03-14 13:42:37 | 日記・エッセイ・コラム
 きのう本間が来て、杉舘も来て、3時半すぎ本間と古本屋へ歩いていった。あいつに1000円借りて、また〇〇本買った。150円。

 3月12日 小野田さんが帰って来た。これほどショックの大きい事件は、オレにとっては初めてだった。なにが一番オレをうろたえさせたかというと、あの人が帽子(戦闘帽)をかぶって敬礼をし、じっとこちら(テレビカメラ)を見つめている、あの数秒間だった。


 5月19日 きのうはクラスのもの10人と、女の子10人でボーリングをすることになっていたのだが、女の子は5人しか来なかった。当然、ペアを組む男は5人と限られるわけで、その中にオレが入ってしまったのだ。小野寺くんの工作によるのだ。もひとつ彼に感謝したいのは、オレと組んだのが、オレが目を付けていた女の子だったのだ。当然、結果としてオレの内心のはしゃぎ方が点数に影響して、TOP賞となったのだ。しかしオレが頑張ったというよりは、彼女が良かったというべきなのだ。一人してダブルを出したので、オレたちは手放しで喜んだのだ。彼女と田村さんとオレと狩野の4人で街まで行って、カフェ飲んだ。


 名前も書いてある。和田〇子。この字を見て、うっすら思い出した。あの頃の美人は、華奢で清楚な方が多かった。

 今、手元には「持ち出し袋」は無いが、間違いなくいざと言う時には、大学ノート全11冊の日記を抱えて避難するだろう。これがあれば、避難所でも1年は持つ。ちなみに、この頃の日記は、緑色のインクで書いてある。いかに(愛に)飢えていたか、良く分かる。


 これを見るまで完全に忘れていたよ。今度会ったら、千円返すね。利息の方が大きいかな。約50年前だからな。

 工学部周辺から町まで、歩いて行ったんだろうねえ。3kmはあるな。元気だったなあ。今じゃ、タクシーだべな。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本は、共産化している。 | トップ | 時代に媚びる陽水「最後のニ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なーんも記憶にございません。誰のこと? (^ん^)
2021-03-17 12:48:29
日記は、まるでドライブレコーダー。記録性、保存性の素晴らしさをまざまざと見せつけられた思いです。

私は、子供の頃から、毎日きちんきちんと続けるものは、大の苦手です。もし、私に事務室で帳簿付けや給与計算みたいなことをさせようもんなら、その組織はしっちゃかめっちゃかになってしまうことでしょう。
職人気質なんです。
べらぼーめ、よく聴け、いいか、職人てえものはだな、気の向いたときにするのがいい仕事ができるてえもんなんだ。今日は気が向かねえ。今日は仕事に行かねえ。
そうやって、ラジオ体操も、絵日記も、お天気調べも、日の出日の入りの位置調べも、アサガオの観察も、毎日毎日、気が向かないうちに、長い夏休みもどんどん過ぎて行き、とうとう明日が二学期の始業式、トイフ日ガヤッテ来ルノデアリマシタ。メデタシメデタシ。

黄鉄鉱や小判を見るとそれをくれた洟垂れ小僧の友達を思い出します。日記と違って正確性、保存性がマイルドなので、美しく熟成していきます。
返信する
いい思い出なんだけどな~ (松美)
2021-03-17 14:55:41
過ぎたことに、こだわらない。ひたすら前を向く。いい性格です。
最初から日記の重要性に気が付いていたオレは、先見の明がある。ざましょ。
ただねえ。彼女とだけ書いてある彼女は、一体誰だっけ。ということは良くある。
返信する

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事