黒鉄重工

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小田原・箱根の鉄道を乗りに その2【2016/12/10】

2018-03-07 22:05:39 | 鉄道撮影記

大雄山駅から最乗寺を参拝するのも良かったのですが(そもそも大雄山線の建設目的はそこへの参詣鉄道なのだ)行って戻るまでに1~2時間は余裕でかかると見たので、その後のこともありますしこれはまた次回ということにしました。
大雄山駅から折り返して小田原行の電車に乗ります。どうでもいいですが、駅撮りはしにくい。



2駅目の和田河原駅で降ります。「わだがら」と読むらしい。難読駅名とは違う、読み間違え駅名ですね。



改札と窓口がある実はちゃんとした駅。
ちゃんと見ていなかったのですが、改札の上にある時刻表示器って幕式なんじゃないかしら?岳南電車でもう使われていないやつを見たことがありましたが現役のものがあるとは。



駅よりも存在感抜群なのが4階建てのマンションです。たまに見かける駅から徒歩0分マンションですね。大雄山線は電車本数多いですし、便利そうに見えます。



和田河原駅から2km歩いて小田急線の開成駅へと移動しました。途中には富士ゼロックスのデカい工場とか分譲住宅の土地とかありましたが、開成駅の手前にあった中華料理屋が美味しそうだったので、今度寄ったら食べてみたいと思いました。



大雄山線から小田急に乗り換えるなら五百羅漢駅→足柄駅が最短連絡距離なんですが、わざわざ2kmも歩いたのは線路の反対側で保存されているロマンスカー3100形NSEを見るためなのでした。
大学生時代は幾度となくすぐ横を電車で通り過ぎていたんですが、日が合わない、時間が合わない等で見れていなかったんですがようやくですね。
数年前までは普段は幌で覆われていて、休日の昼間に幌を畳んで展示していたのですが、今は幌が撤去されたのでいつでも見ることができます(一緒に幌を立てる棒も外してくれていたら満点だったのだけど)。またその際に再塗装もされたので美しい姿となっています。

1963(昭和38)年に登場した3100形は3000形SEから数えて2代目のロマンスカーで(妙に回りくどい言い回しなのはそれ以前にもロマンスカーはあるらしいから)、列車の最前部にも座席を設けた展望席を小田急で初めて採用した電車ということで歴史的な車両です。
ちなみにですが、既に引退した歴代のロマンスカーは全種類小田急が保存していますが(非公開なのですが)、中古として地方私鉄に流れたやつを除けば他所で保存されている例はここだけで、引退したロマンスカーをいつでも見られるという点でも貴重です。



衝突事故時に展望席の乗客を保護するためのダンパーと一体化させた前照灯が特徴的。なので他のロマンスカーと違って力強い印象がありますかね。
3代目の7000形LSE以降はなんやかんやして車体内にダンパーを埋め込んだので、NSEだけの特徴ですね。



毎月第2,第4日曜日に車内公開しているんですが、今回はそれには合わせられず。
そういうわけなので、普段は窓にカーテンがされていて車内は覗けません。車内の日焼け防止なんだと思います。やはり大切に扱われているんだなと。



連接台車のFS46。車両同士の間に跨るように台車があるので、台車が半分はみでているのだ。

ぐるっと一周して見学後は小田急線に乗って小田原駅へ。



小田原駅では7000形と遭遇。これも次期ロマンスカーが登場するまでのあと1年ちょっとの命・・・かと思いきや新型登場後も共存するようです。でもどっちにしろ余命数年でしょう。
一通り撮影してあるつもりですが、もう1回くらい撮ってみたいですねぇ。



小田原駅からは小田急箱根線・・・もとい箱根登山鉄道に乗り換えます。

今日はここまで。


その3へ→

小田原・箱根の鉄道を撮りに その1【2016/12/10】

2018-03-05 22:23:38 | 鉄道撮影記

紅葉だな、箱根とか綺麗そうだな、箱根登山鉄道の旧型車もうすぐ引退だったな、大雄山線の復刻塗装もあったな、などの考えが溜まっていったので、日帰りで箱根まで行ってきました。
写真は道中で撮影した伊豆急行8000系。停まっているとつい撮りたくなるやつ。
そういえば、熱海駅の駅ビルが開業しましたので背後にビルが写り込むようになり、背景の印象が若干変わりましたね。



小田原駅に着いたらまずは大雄山線を攻めることにしましょう。JRと大雄山線の乗り換えには一旦駅の外に出ないといけませぬ。
写真は改札外で見かけた箱根登山バスのふそうエアロスター。出入り口は前扉だけ使うんですね。以前の神奈中みたいだ。



大きいJRの駅ビルの隣で肩身が狭そうに建っているのが大雄山線の駅舎。
三島を走る伊豆箱根鉄道の路線ですが、元をたどると大雄山鉄道という別の会社によって設立されて、後に合併された経緯を持ちます。
そういう歴史的経緯や三島の駿豆線と地理的にも離れていることからか、伊豆箱根鉄道と呼ばれることはなく、路線名の大雄山線で通っています。駅舎の看板も大雄山線が一番大きいですし。



大雄山線という名前はめちゃくちゃカッコイイ鉄道ですが、ホームは典型的な地方私鉄の小じんまりとした始発駅という感じ。



5000系に乗ります。
大雄山線の電車は全部5000系ですが、年に1回程度の頻度で導入されていったので車体や内装が時期ごとに異なっています。最初と最後の編成を見比べると「ぜんぜん違うやないかーい!」というツッコミが入ること請け合い。
今から乗るのは最終型の第6編成。行先表示器がLEDだったりスカートが付いていたり座席が転換クロスシートだったりするデラックス電車です。



飯田岡駅で下車します。
また狭いところに駅を建てたなという感じでして。



駅から小田原方へ向かって狩川沿いの土手を歩いて行くと5分経たずに線路の開けた良さげな場所が見えてくるので、そこで撮影します。
目的は2016年に登場した5000系の復刻塗装車です。5000系以前の車両に塗られていたいわゆる「赤電」塗装を塗られたやつなのですが、いきなり出てきましたね。
中々似合っているね。



1本だけ撮って撤収するのもアレなので、もう数本撮影していきましょう。
ステンレス車体、スカート無しの5000系。この形態の車両が多勢です。
しかし大雄山行きは逆光ですね・・・。



小田原行き。
やっぱり微妙だな、と思い始めてきました。光線の角度的に朝に来ないとダメかもね。
この後来る大雄山行きは赤電ですから、乗るのも兼ねて撤収しました。



駅に戻って大雄山行きに乗車。予想通り赤電の5001Fが来ました。
上で5000系は形態差が激しいと書きましたが、この第1編成は車体が普通鋼製、座席はロングシートです。これで同じ形式の電車にしちゃうんだという感じですが、車体から下は同一ですし、チーム事情というものもありましょう。



終点の大雄山駅に到着。特に用事はないですが、今まで終点まで乗り通したことがなかったので。
車庫も併設されていますので、構内は広々。終点に車庫がある鉄道というのは意外とありそうで無いような気がします。



大雄山駅でも5001Fを撮影。



前の行先表示板がいい味を出していると思います。



駅は頭端式ホームで改札や駅舎もある立派な駅で、こういうのは地方私鉄ならではかなと。国鉄線の盲腸線なんかだとそっけない設備の場合が多いですからね。



駅舎は1935(昭和10)年築なんだそうな。足柄市の登録有形文化財に指定されているので本当なんでしょう。見た目の割に古いのだな。
駅前はバスターミナルや商業施設があって、意外と賑やか。



ここら辺は足柄なので金太郎伝説の地です。なので駅前にはまさかり担いだ金太郎が熊に跨りお馬の稽古でハイドウドウしている像がありにけり。
金太郎と熊の他にも動物が居ますが、猿と犬と来たら兎じゃなくて雉じゃないのかと思いますが、そうすると別の昔話になってよろしくないんでしょう。
クリスマス前だったので金太郎とついでに猿にもサンタコスプレがされています。

というところで今日はここまで。


その2へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その34【2016/03/04~10】

2018-03-03 21:58:58 | 海外旅行記

引き続きポンド格納庫を見て行きます。
ノースアメリカンP-51Aムスタング(3時間半ぶり2機目・通算117機目)
さっきも見た、マーリンエンジンで化ける前のアリソンムスタング。ここにも居たのね。



操縦席の真下にある冷却用ダクトに注目。
B/C型以降と比べると口が小さく、口もかなり機体表面と接している(離れてはいるらしい)のが分かるかと。



ノースアメリカンP-51Dムスタング(3時間半ぶり2機目・通算118機目)
これはいるだろうなと思ってました。
ノーズアートのスパム缶が目につきますが、第336戦闘飛行隊で塗られていたやつだそうな。



分解されていた謎機体。
何だろうこれ・・・と分からずじまいでしたが、今見直してみるとグラマンF8Fベアキャット・・・の民間型グラマンG-58ガルフホークでしょうね(119機目)
なんで分かったのって、脚の構造ですね。脚の収納部の凹みの中央から脚が出ている、という変な構造を持っているのがお分かりかと。普通ならば上記のP-51のように収納部の端から脚が出ます。翼内機銃の搭載の関係からこういう複雑な機構になったんですが、これがF8Fの特徴です。
グラマン戦闘機の主脚の収納はF4FといいF6Fといい、妙に凝った機構を採用しているんですが、F8Fもそうなのですね...。

F8Fはグラマンが開発したアメリカ海軍向けの戦闘機です。とにかく頑丈で見た目がデブだという印象だったF4FやF6Fまでの伝統を捨て去って、小型軽量で全周が見渡せる水滴風防を採用しているのが大きな特徴でしょう。
ただし実戦配備前に日本が音を上げてしまい、その後はジェット機の時代になりましたので、活躍の機会は無かったそうな。
それでも小型軽量な機体に大出力エンジンというのはチョッパヤですので、エアレース用に生産された機体もありまして、それがG-58なわけです。この機体も主翼の機銃が見当たらないのでそうなのでしょう。
F8Fをエアレース仕様に徹底的に魔改造したやつがレシプロ機最速のレアベア号ですね。



これもV-1650-7パッカードマーリンです。-7型はマーリン60型に相当するやつ。
こっちには過給器が付いております。エンジン気筒よりも右側が2段2速過給器なわけですが、エンジン全体の1/3~1/2くらいの大きさを占める、かなりでかい部品なのです。



これは珍しいものですよ、ノースロップN-9MBです(1942年・120機目)
1941年にアメリカ陸軍から提示された次期戦略爆撃機構想を基に、全翼機大好きおじさんで知られるジャック・ノースロップの生み出したのが世界初の全翼機爆撃機のXB-35でした。これが70年前に飛んでたの?ウッソだろお前!という外観をしており、えらく未来的なやつです。未来少年コナンに出てくるギガントみたいな。ただし残念ながら現存機はありませぬ。
とはいえ冒険しすぎではあったので、データ収集用に1/3縮尺の実験機、このN-9Mを前段階として製作したのでした。これを使って機動性、制御性、性能の情報を収集したわけですな。

見た目がポップなのでなんだかそれっぽいですが、75年前に初飛行していてよく飛ばせたなこれという機体ですね、はい。
N-9Mはデータ収集の他に、将来のB-35のパイロットの訓練にも使うつもりだったようで、4機が製造されました。これは現存する最後の1機ですが、エアショーにおいて頻繁に飛んでいるようです。よく飛ばすなぁと。どんな動きをするのか見てみたいもので。

ちなみにXB-35なんですが、構造的欠陥が判明してきます。性能も競合相手には見劣りしていたので結局XB-35は制式採用されず、コンベアB-36がその座を得ます。こいつは後日見ますぞ!



後ろから。全翼機なので薄い。この薄さがXB-35にとって命取りになったわけなんですけどね。
機体が薄いってことが全翼機の魅力なわけですが、逆を言えば薄い分爆弾をたくさん積む空間がないよね?というよく考えれば当たり前だという欠点に行き着きます。
XB-35の搭載量は23.7t (52,200lbs)に対して採用になったB-36は32.7t(72,000lbs)ですから、さすがにダメでしょう。また、薄いことから大型の原子爆弾や水爆が搭載できないのも足かせになったと思われ。
後の時代にノースロップが返り咲くことになるB-2爆撃機では機体中央部が大きく膨らんでいるわけですが、あれは爆弾を搭載するための設計なのです。



機体幅全部にフラップがあるんだな、と。



フライバイワイヤも無いのによく飛んでるねぇと。



ライトフライヤー(4時間ぶり2機目・通算121機目)
また会いましたね。アメリカの航空博物館になら割とどこにでも置いてあるんだろうな。
当然レプリカですね。



ボーイングP-26Aピーシューター(1934年・122機目)
戦間期の機体としてはそこそこ有名と思われるやつ。アメリカ陸軍機初の全金属・単葉機です。
胴体や脚がずんぐりむっくりだなぁという印象。でもこの戦争する気のない塗装はかっこいいですね。
この時代の機体はレプリカという場合も間々あるんですが、これは1934年製のオリジナルだそうです。ただし飛行できるように相当なレストアが入っているようなので、実質的にはよく出来たレプリカといったところでしょうか。



ボーイングFB-5(1923年・123機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機なので、FBまでが型式名、-5はサブタイプです。
正面から見ると胴体がやけに馬面ですが、プロペラの下についている豪快なラジエーターのせいですね。横から見るともうちょいスマート。
これも一応本物が由来の機体で、アメリカ海軍最初の空母USSラングレーで運用されていた機体だった模様。機体の形態もその頃のものを再現しているそうな。



ボーイングP-12/F4B(1日ぶり2機目・通算124機目)
昨日見たやつ。P-12は陸軍の、F4Bは海軍の名前で、中身は一緒です。この頃は陸軍も海軍も仲良く同じ機体を使っていたんだね(ニッコリ
なにげに何回か見ている機体でしてレプリカも造られるほどですから、意外とこっちでは有名な機体なのかもしれません。

以上、ポンド格納庫を全部やっつけたところで今日はここまで。


その35へ→

バンクーバー島の東端へ【2016/02/29】

2018-03-02 23:29:10 | 日常記

最果てに行きたくはないか?
最果てにも色々ありますが、まずは島の最果てとかどうでしょうか?そういうわけでバンクーバー島の東端へ行ってきました。バスと自転車でお家から数十分で行ける市内だから最果て感薄いけどな。
なお南端もビクトリア都市圏内にありますが、こっちは山の中の海岸線なので到達が難しいです。
つうわけで、まずはBCトランジットのバスに乗ってビクトリア大学(UVic)へ。ここからチャリに乗って行きます。



Nova FLSです。行先表示器がバスのアイコンになっていますね。ちょっとめずらしい。



側面もバスが走っていました。



NFI D40LFの旧塗装。



Arboc SOM28D #12系統。



AD Enviro500。



このテン・マイル・ポイントを目指します。UVicは西側にあります。



半島状の地形なので海風がビュービューと吹き付けてきます。しかも高低差もあるので自転車だとキツイ・・・。
鷹も空を滑空していました。



フィリスパーク・ビューポイントを通り掛かりました。なんか景色が良さそうだったので寄ってみましょう。



こんな展望台がありました。



ちょっとした高台に上って、そこから海を眺められます。
奥に見える島はサンホアン島です。実はあっちはワシントン州でして、この海峡の間にカナダ/アメリカの国境があるのです。この辺りは国境が入り組んでるのです。
海の向こうが別の国というのは初めて見る光景でしたのでちょっと感激。



この辺りは高級住宅街という雰囲気が出ていて、沿道の家はどれも大きい建物ばかりでした。
景色が抜群なんでしょうけど、こんな地形が複雑なところに建てんでも・・・。多摩田園都市とかもそうですが、金持ちは坂道が好きなんですかね?



コマツグミが複数いました。






道路はこんな感じ。カナダの路地は幅に余裕を持って造られてる場合が多いんですが、ここら辺はさらに余裕が感じられますね。
路駐の車が一台もいないのがそう感じさせる気がします。



海岸へ行ける脇道があったのでまたもや寄り道。どんよりした雲に岩の海岸なので、厳しいイメージが。



ちょっとした藪をかき分けて進んできました。この家も立派だな・・・。



そして自転車を漕いでいって東端地点に着きました。チャリと記念撮影。最後岩場だったんで自転車を運ぶのが大変でしたの。
ちょっとした最果て旅行でした。
帰りはまたUVicに戻ってバスで帰りました。

今日はこんなところで。


以下余談ですが、これにて現在連載中の北米P4より前の記事は全て書き終えました。
今後は北米P4の執筆に集中したいと思いますので、これが終えるまでしばらくカナダの記事はお休みです。
今まで並行して記事を書いていましたが、あまりに進みが遅いんで(1周するのに10~15日かかる・・・)並行数を減らすのです。

ビクトリアの専用線跡の遺構を探る 後編【2016/02/01】

2018-03-01 20:15:46 | 日常記

カナディアンノーザンパシフィック鉄道(→後にカナディアンナショナル鉄道へ合併)の廃線跡を辿るチャリ漕ぎの後編です。



今日はこの区間を書きます。



引き続き廃線跡を転用した遊歩道ロックサイドトレイルを走ります。スワン湖の南側の湖畔を線路は通っていました。スワン湖は野鳥観察に定評のある公園です。
前回も書きましたが、今回の廃線跡探索は現役時代の記録映像がきっかけです。この映像はインターネットでは無かったので共有できないのが残念なのですが・・・。
ちょうど上記写真と同じ構図の映像が流れていました。



短い橋を渡ります。
こういう橋は尽く鉄道時代の遺構じゃないかな・・・。



と思って橋の袂の脇道から橋の横に出ます。
案の定、橋脚は鉄道時代のものを転用していると思われ。



さらにもう1本橋を渡ります。これも鉄道橋ですね。
沼地の真ん中にあって取り付けないので遠くから撮影。ここから撮影された列車の映像もありましたかね。



おおよそサーニッチ・ロード Saanich Rd. のココらへんです。



橋はそこそこ長いです。



クアドラ・ストリート Quadra St. と交差します。ここがカナディアンナショナル鉄道の最後まで現役で残った区間の終点です。この区間は道路を渡った先にある工場へ貨車を入れるための専用線として使われていました。
何がきっかけになったかは分かりませんが、1990年代に廃線になりました。




ここらへんです。



このBorden Mercantileの建物が貨車を引き込んでいた場所なんですが・・・残念ながらその遺構と思われる構造は発見できませんでした。私もおかしいと思ってじっくり見回したんですが・・・う~む。
意外と地形が変わってしまうものなのだなぁ。

もともとの線路は遊歩道沿いにこの先も進んでいました。



隣りにあるこの建物も違いますね。
ちょっともやもやした結末でした。



さらに先に進みます。今までとは線路沿いの雰囲気が変わってきたな・・・という雰囲気でした。遊歩道も未舗装になりましたね。



ブレンキンソップ湖に出ました。この湖を横切る形で橋が架かっています。地形的に湖の迂回は容易なはずなのに、なんでわざわざ橋を架けたのか?



ここらへん。



この湖の能書き。
昔からみんな線路なう好きだったのねぇ・・・。
その下には蒸気機関車の写真もあり、確かに鉄道があったということになります。



橋脚の構造は見られなかったです。



此処から先、ロイヤルオーク・ドライブ Royal Oak Dr. までは直線が続きます。特に目立つ遺構もありませんでした。
ロイヤルオーク・ドライブに出たところで、今回の探索は終了です。ちょっとオチが弱いけどな。

探してみると意外と遺構が残っていたり、残っていると思っても消えていたりと面白い探索でした。
ビクトリア在住のみんなも探索してみよう!

おわり